炎の剣 ~害為す魔の枝~ Ⅱ
それからライトの家に戻ったクリスは、早速白髪の獣人達に自分の体調の報告をする。
「チェンジリングとやらは解除されて、精霊さんはこの剣の中なんですよ」
えっへん! と自分がやったわけでもないのにちょっと得意げに説明して、クリスはにこにこと皆に笑顔を向けた。
しかし彼らはクリスのことなんて見ていない。
その視線の集まる先は、彼らの目の前に堂々と掲げられている赤い剣。
「……随分と嫌な感じのする剣に変わったようだな」
一番最初にライトが剣から目を離して言い、もう興味が無くなったように椅子に座る。
そして机の上では白いねずみ二匹が未だに剣をじっと見つめたままだった。
「やっぱり貴方達には気になりますか?」
クリスが少し机に近づいて問うと、片方がぴょんと飛び跳ねて人型に変化した。
変化した姿は女の子のねずみの獣人で、その姿からようやくそれがニールではなくダインだと分かる。
中身がダインである小さなねずみの獣人は、その可愛らしい顔を歪ませて言う。
「あぁ気になるねぇ。うまくやればボクだって元に戻れるかも知れない、その前例なんだからさ」
「させるわけが無いだろう」
ライトがかつての大騒動の原因の首根っこを摘んで、その野望を先に制す。
「いくらなんでも小さいよこの体……」
どんなに悪いことを考えていても手の平サイズではどうしようも無いようだ。
机の上で宙にぷらぷらと浮き揺らされて、しょんぼりしているダイン。
ニールに至ってはもはや人型に変化するわけでもなくねずみのまま待機していて、興味はあるようだがダインのような野心は彼には見えない。
そんな会話をしていると、レフトがおやつを持ってきた。
「どうぞ~」
それは表面の焼き色が堪らない、とても美味しそうなケーキ。
それを見るなりライトに摘まれていたダインが暴れ、彼の拘束を無理やり解いてケーキへダイブする。
「この体で、いいことなんて、おなかいっぱい、食べられること、くらいだよね!」
ケーキを切り分ける前からもっぐもっぐとそのホールに齧り付く本当に小さな幼女。
気付けばニールもねずみのままケーキに齧り付いている。
「あらあらぁ」
レフトはのほほーんと少しだけ困ったように眉を寄せて、彼らの居るケーキにダンッ!! っと包丁を入れた。
半分に切られたケーキの傍で、小さな獣人とねずみがぶるぶる震えている。
それはそうだ、自分の身長より大きい刃物が近くにいきなり振り下ろされたのだから。
「わたくしの分が無くなっていたら、今のは当てていましたわ~」
変わらぬ笑顔で言われるのがとてつもなく怖い。
言っている内容も、よく考えると凄まじく怖い。
ニールとダインはその小さな体をふるふると震わせてケーキから後じさり、それを確認するとレフトは今度はきちんと丁寧にケーキに包丁を入れていく。
六等分されたそのうちの三切れは、彼女の分だった。
ニールが少し齧ってしまった部分のケーキを、フォークも使わず手に取ってさっさと食べるクリス。
ライトもそんなクリスを見ながら、欠けていない部分の一切れを手に取って口にした。
多分クリスに作法を合わせたのだろう。
二人で一切れを取り合っている元精霊達を視界の隅に置いて、クリスはケーキの登場で一旦止まった会話を再開させた。
「そこの二人の武器は属性みたいなものが無かったように感じるのですが、この剣は確実に火の属性を帯びていると思います。解く儀式の際にその兆候のようなものが見えました」
「ほう」
レフトから差し出された食後の珈琲を受け取りながら、また興味を持ったような表情を向けるライト。
そこへクリスの言葉を嘲笑うかのように、ダインである方の小さな獣人が横槍を入れる。
「属性? そんな言葉でボクらを括らないで欲しいね」
彼……いや、今は彼女か。
彼女の表情を見るとその特異な歪ませ方からどうしても当時操り人形とされていた時の姉の顔を思い出してしまい、クリスは嫌な感情が湧き出るのを抑えられない。
しかし幸いと言うべきか、精霊の顔と手にはケーキのくずがぼろぼろと付いていて、厭らしい笑みの不快感は半減していた。
生意気な口を叩く子ねずみの獣人の体をライトが容赦なく指ではじくと、その体はころころとテーブルの上を転がっていき、その様を見ているとクリスは自分の中の苛立ちの感情が若干哀れむ気持ちに傾いていく。
容姿から見ているとただの幼女虐待になっているからかも知れない。
「火を纏いながらもそれは属性では無い、と言うのか」
「……っ、火だとか水だとかお前達の言う属性ってのは、お前達の世界の理でしか無いのさ」
転がってふらふらしている頭を押さえながら、ライトの問いにダインが答える。
「ボクらが司るのはどれも女神がお前達の世界へかけた呪い。それがソイツの場合はお前達の目に炎となって見えているだけなんだよ。分かるかなぁ?」
せせら笑う白いねずみの獣人に、またライトが指ではじいて無言の抗議。
多分言い方と表情に苛立ったのだろう。
……しかしそれよりも、さらりとダインはクリスの心に重く圧し掛かる言葉を紡いでいた。
ルフィーナから以前言われた、神と女神の敵対を肯定するような内容に、不安を一人抱え込む。
「お前は女神の末裔だというのに、この世界と馴れ合いたいようだったね」
ハッとして、女神の末裔である少女はダインに目を向けた。
薄く唇を開きながらもダインの口角は左右へ大きく伸ばされている。
瞳もやや細めた状態で、それでもクリスを凝視している幼女の表情は……やはり昔にローズの顔を歪めていたダインのそれその物。
予め精霊を宿らせる為に作られた器とはいえども、まるでローズの代わりに今度はその小さな獣人が体を乗っ取られているよう。
そんな感覚にクリスは目眩がした。
こいつを自分の中から出して良かったのか、そう思ってしまう。
「馴れ合うも何も、最初から私は……」
私は?
次に何を言おうとしていたのか分からなくなって黙るクリスに、ねずみの姿のままで居るニールの丸い瞳が向けられる。
「神の子と馴れ合って生きたいならば、女神の遺産……ましてや精霊武器には触れないことを勧めるよ。あぁ優しいなボク! 自分を折った張本人にこんな忠告してあげて!」
アハハハと可愛らしい女の子の高い声で笑うダイン。
クリスの頭に一瞬で血が上る。
ライトが止めようとしたがそれよりも先にクリスは椅子から半分だけ立ち上がってダインを両手で掴んでいた。
「貴方こそ、私の姉を死なせた張本人だと言うのに……ッ! 仇を取ることもせず生かしていることを私の本意だと思わないでください!」
強く握れば簡単に潰せてしまうダインの体。
その体に罪は無いけれど、彼女の表情が、言葉が、クリスに容易く殺意を思いださせる。
掴まれながら少し苦しそうにはしていたが、それでも人を見下すような目は止めないダインが言った。
「何を言っているのさ、ボクはちゃんとあの体は元に戻してやったじゃないか。そういえば姿を見てないけれど、まさか死なせちゃったのかい?」
「な、何を……」
手の中のモノが何を言っているのか、理解が出来ない。
どこから疑問をぶつければいいのか分からない。
クリスは体にうまく力が入らなくなって少し足がよろめき、その拍子にぶつかった椅子がゴトンと倒れた。
「嘘を吐いて、私を、惑わせないでください……っ。貴方が姉を解放しないから、私は……貴方を折って姉を……」
この精霊のせいではあるが、間接的には自分がローズを殺したようなものだとクリスはずっと思っていた。
事実を再確認するように、ダインに向かってか、それとも自分自身に向かってか、呻くように声を絞り出した。
けれど小さな獣人の少女は、クリスの手の中で苦しそうにしながらも反論する。
「あの時、確かにお前にボクは折られた……っけど、言ったよね、先に解放してたんだから、あの体がボクと心中するわけが無いんだ、っ」
「じゃあ何故姉さんはあの時死んだんですか!!」
両手に更に力が入って本当にダインが潰れそうな時、ライトがクリスの腕を無理やり引っ張ってダインから離した。
いとも簡単にクリスの腕は彼の手によってテーブルに押さえつけられ、ダインは束縛から解放される。
クリスは一瞬何かに違和感を感じたが、それよりも頭の中はローズの死因への疑いで埋め尽くされていた。
あの時クリスはローズの遺体を見ていない。
最後に意識を取り戻したローズと会話したのはエリオット。
先にさっさと埋葬をしてしまったのも……彼。
「どういう、ことです……」
今になって、この精霊はローズを解放していたと言っている。
いや、実際には当時もきちんと言っていたがクリスはそれを嘘だと判断し、実際戻った時にローズは死んでいたため、そのまま勘違いを続けていた。
ライトに腕を押さえられたまま、クリスは焦点が合わない目でその腕をぼんやりと見続ける。
「ごほっ、知らない、よ……」
咳き込みながらそう言い張るダイン。
見かねたライトがクリスの腕を掴んでいた手を緩ませ、労わり宥める様にそっと少女の手の甲に自身の手を重ねながら言った。
「当時の詳しい状況は俺も知らないが、今更この精霊が嘘を吐くとは思えない」
「……えぇ、分かっています。でも、じゃあ何故姉さんが死んだのか説明がつきません」
「何か他に死因があったのかも知れない。腑に落ちないならばエリオットにどういう状況だったのか今度聞いてみるといい」
彼の言葉に、静かに頷く。
「……ダイン。もし姉さんの死が直接的に貴方のせいでは無いとしても、それまで貴方が姉さんにしたことは変わりません。あまり人を逆撫でするような発言は避けて欲しいです」
器をどうこうしたところで精霊であるダイン自身に傷などつかない。
そう分かっていても、また手を上げてしまうかも知れないから。
「無理だよ、だってボクお前のこと嫌いだもん」
「あらあら、いい子にしていないとご飯あげませんわよ~」
「!!」
クリスの要望をあっさり拒否したダインは、レフトの言葉にビクンと体を竦ませた。
「おなかが空くのは……やだなぁ」
「わたくしもそう思いますわ~」
張り詰めていた空気がレフトの会話によって少しだけ和らぐ。
何も考えていないようなのほほんとした雰囲気の彼女だが、発する言葉のタイミングと内容、それが場に与える影響は絶妙だった。
いつも良い様に収めてくれるレフトは、ただの食いしん坊ではなく本当は凄い人物なのかも知れない。
ふと、クリスとライトの手元にねずみの姿のニールが寄ってきて、クリスを見る。
きっと敢えて一切口を挟まずに傍観していたニールは何を思っていたのか。
夜にでも本人に聞こう、とクリスは思う。
抑えられた時からしばらく重ねられたままの手の平はほんのりと汗ばんでいて、それをライトが、彼にしては酷く弱い眼差しで見つめていた。
「ニール、少しいいですか?」
夜、クリスは枕元の白いねずみに声を掛ける。
その呼び声に反応して彼はくるんと回って人型に変化をし、その口を開いた。
「そのうち声を掛けられるだろうと思っていた」
「えぇ。昼間のことなんですけど……貴方はどう考えていますか?」
ニールはその幼い顔立ちを見た目の年齢にそぐわない真剣なものに変え、枕元で胡座を掻いて言う。
「レヴァのことか? それとも姉君のことか?」
「レヴァ……?」
「そこの精霊の名前だ」
同じく枕元に置いてある赤い剣を指し示すニール。
名前は勿論、必要なことを一切何も言わずに剣の中に入って行った無愛想な赤い髪の精霊。
レヴァと言うらしい。
「両方とも貴方の意見が聞きたいです」
欲張りな主の言葉にニールが溜め息を吐いた。
「まずダインが言ったように確かに属性とは言い難い。ソレが司るのは炎と言うよりは『焼失』だ。ダインが『吸血』で私が『神壁』。無論私の時に分かっていると思うがその力を引き出すには精霊自身の意志と繋がりが不可欠で、今見た限りではレヴァがクリス様に力を貸す素振りは見当たらない」
何だかよく分からないがニールもダインも、クリスが見てきていた能力は表向きなだけで、本質の能力は違ったようだ。
しかしダインが『吸血』と言うならば、好んで殺戮を続けていたのも頷ける。
腐敗の呪いはその延長線上なのだろう。
ニールが『神壁』と言うのはクリスにはいまいち実感が出来ていないが、水晶の呪いもダイン同様に神壁という力の延長線とも取れた。
「焼失……ですか」
炎、と言うよりもどこか不気味な呪い掛かった表現だ。
少女はごくりと喉を鳴らし、その赤い剣に目を向ける。
「姉君のことは私も分からない。あの時ダインと共に壊れてからこの体に入れられるまで、私には外の情報が一切入ってきていなかったからだ」
「……わかりました」
枕にぽすん、と頭を落としてクリスは天井を見上げた。
「ダインの言う通り、普通に暮らしたいのであれば今すぐにでもどこかに埋めてしまった方がいいとは思う」
「えっ?」
遠まわしに精霊武器を手放せと言う元・精霊武器に、首だけ横に回して驚きの顔を向ける。
今は器がは違うとはいえ、ニールがそんなことを言うものなのか。
しかしこの武器を捨ててしまったらクリスは大型竜に対抗出来るか不安で仕方が無い。
あの時易々と竜を貫いたこの剣に、クリスは今後も頼らざるを得ないのだ。
「まだ、捨てられません。せめてエリオットさんの護衛が終わるまでは……」
「ならば何も言わない。力を求める代償が高くつかないことだけを祈ろう」
少し呆れたのか。
ニールはそれだけ言ってねずみの姿に戻ってしまう。
でもきっと、クリスを気遣っての言葉だったのだろう。
「ありがとうございます」
クリスは笑って、目を閉じた。
【第二部第七章 炎の剣 ~害為す魔の枝~ 完】