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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第二部 第六章
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レチタティーヴォ ~台風の目~ Ⅲ

 クリスは先程見た少年の正体に動揺し、


「レクチェさんだけじゃなかったん、です、ね……」


 喉から絞り出すように返事をする。

 エリオットは頷くわけでもなくただじっと頬杖をついて窓を見たままで、険しくもなければ穏やかでもない、何を考えているのか分からない表情をしていた。


「何か、話していたんですか?」

「……そうだな」


 力無く、気の抜けた口調でぼんやりと短く返答。


「何でも無いって雰囲気じゃないですよ、一体何を言われたんです!?」


 あまりに手応えの無い彼の態度に、クリスは少し声を荒げて問い、近寄る。

 寄れば寄るほどその無気力さが顔に表れているエリオットは、ようやくクリスの目を見たと思ったら頬杖をついていたテーブルを下から思いっきり蹴り上げて倒した。

 ガシャァン!! と大きな音を立てて転がるテーブルと、途端に怒りに満ち満ちた彼の顔。

 驚いて少し飛び退いたクリスは唖然とそれを見るばかりで状況に思考が追いつかない。


「誰がそんなものになるか……!」


 一体何のこと?

 聞きたいけれど周囲を寄せ付けさせないその剣幕に、声を掛けられるわけもなく立ち尽くすクリス。

 酷く憤慨していたエリオットはしばらくして落ち着いてきたのか、ようやくまともに会話をした。


「で、俺に何か用でもあったのか?」


 半分くらい「どうでもいいけど」みたいな投げやりな調子でクリスに聞いてくる。


「え、あぁ、そうです。ご飯が出来たので呼びに来ました」

「よし、食うか」


 すっくと立って、まるで何事も無かったかのように一階に向かって歩き始めた。

 何があったのか、と聞いてもこの調子ではきっと今は答えないのだろう。

 未だに慣れない、この置き去りにされるような歯がゆさに……またか、とクリスは彼の背中を見ながら胸に手をあてて唇を噛んだ。




「で、これは何だ? まさか俺に食べさせるってんじゃないだろうな」


 食卓に並んだ食事を見て、食べる前から文句を言うのは勿論我侭王子、エリオット。

 リズが途中まで作ったものをクリスとガウェインで頑張って完成させたのだが、何やら不満があるらしい。


「文句を言うなら食べなくていいですよー」


挿絵(By みてみん)


 クリスは水気を飛ばしすぎた柑橘系のソースをどうにかチキンに絡ませながら口に運ぶ。

 ガウェインとヨシュアはエリオットが食べる前から手を付けるのを躊躇っているらしく、フォークとナイフを持ったままそわそわしていた。

 クリスが気にせず食べているのを見てエリオットも、クリームで若干煮焦がした海老を上手にフォークで取るが、口にしてからその顔は歪む。


「だー! どれもこれも火ぃ通しすぎだろ!! 食材への冒涜だこれは!!」


 そんなことを言っても、どれくらい温めればいいのかなんて料理をしないこの従者達にはよく分からないのだから仕方ない。

 贅沢を言いつつもエリオットがようやく食べたので他の二人も食べ始めた。

 そしてヨシュアの素晴らしいコメントが入る。


「別に、美味しいと……思う……」

「そんなに言うんならサラダだけ食べればいいじゃないですか。そっちは私達の手が入ってませんからきっとまともですよ」


 野菜のポタージュを飲みながらクリスが解決案を提示すると、彼は本当にサラダだけ食べ始めた。

 提案しておいて何だが、失礼な人だと少女は思う。


「ん、スープも多分大丈夫ですよ。これも温めましたけど劣化してはいないんじゃないかと」

「あぁ、そう」


 メインを一切口にしようとしないエリオットの皿をガウェインがじーっと眺め、その視線に気付いたエリオットは呆れ顔で皿を彼の方へ動かす。

 パァッと表情を明るくさせて、ガウェインは勢いよく自分の皿の物を平らげてから二皿目へと手を付け、


「んまい!!」


 と喜びの一言。

 世の中美食家だ何だと言って「あれはまずいこれはだめだ」と文句をつける人間が居るけれど、平凡な食事で美味しいと思える舌のほうがずっと幸せである。

 さて、忘れてはならぬ。

 ガイアにも食事を持って行かなくてはならない。

 運びやすいようにランチプレートに盛ってクリスが外に出ると、すぐに食事だと気が付いたらしいガイアがいきなり背後に飛び降りてきた。

 どこから飛び降りてきたか全く分からないくらい瞬時の出来事で、思わず手からプレートを落としそうになる。


「おっと」


 そんなクリスの手をすぐに支えて、自分の食事を守ったガイア。


「ありがとうございます、食事ですよ」

「ちゃんと覚えていてくれて嬉しいッス!」


 にこっと笑ってプレートを受け取る彼。

 黒装束ではあるがリャーマの夜は比較的街灯が明るいので、街の中心部から漏れる明かりと月の明かりで、こうやって路地に出てくると彼の姿も目立つ。

 外で食事するのは慣れているのだろう、プレートを右手に持ちながら左手でフォークだけを使って器用に口に食べ物を運ぶガイアを、クリスはぽけーっと見ていた。

 そしてさっさと食べ終えたガイアは、何にも無くなったプレートとフォークをクリスに返してまた隠れようと……


「ま、待ってください!」


 するところをクリスが止めた。


「な、何ッスか?」


 念の為確認しておこうと思ったのだ。


「リズさんの他に、誰かここに来ました?」


 そう、あの謎の金髪の少年……エリオットはビフレストだと言っていたが、ガイアという監視の目があると言うのにどうやって入ってきたのかクリスには分からなかった。

 その問いにガイアは飄々と一言。


「来たッスよ」

「そうですよね……って、はいぃ!?」

「肩くらいまでの長さの金髪の子供ッスよね。ちょっと不思議な子だったッス」

「ふ、不思議と言いますと?」

「隠れて見張りをしていた俺のところに来て、王子に取り次いでくれって言うから窓から王子に確認してそのまま取り次いだッスよ。いやーあんな子供に見つかるとは思わなかったッス」

「そうだったんですね……でも、よく取り次ぐ気になりましたね」


 誰でもこんな調子で取り次いでいたらまずくないだろうか、と一応取り次ぐに至った理由が無いか確認してみる。

 ガイアは頬を掻き、少し困った顔をして言った。


「その子供が、ビフレストと言えば分かる、って俺には分からないキーワードを出したんスよ。だから一応王子に確認せざるを得なかったッス」


 それなら確かに彼も取り次がざるを得ないし、エリオットも部屋に入れるのを承諾するはずだ。

 ようやくクリスはその経緯が腑に落ちた。

 レクチェがリズとして目の前に現れ、そして彼女以外のビフレストの出現。

 それに加えてエリオットのレクチェへの態度と、別のビフレストとの接触後の様子。


「ううーん……」


 考えたところでクリスに分かるワケが無い。

 プレートを持っていない方の手で頭を軽く押さえるクリスに、ガイアが琥珀の瞳を心配そうに細める。


「大丈夫ッスか?」

「大丈夫です、エリオットさんが事情を説明してくれないから悩んでいるだけですので……」

「あぁー、どんまいッス」


 ガイアは、すんごく察してますなオーラを出して、クリスを慰めた。

 夜風にあたっていたら少し体も冷えたらしい。

 ふるっと少しだけ体を震わせたクリスに気付いた彼は洋館に戻るよう促して、水色の髪の少女はそれに従う。

 その後、昼間にガウェインにほぼ仕事を押し付けてしまったクリスは、リズのお喋りのおかげで全くその間に仮眠を出来ていないと言うのに、夜通しエリオットの護衛に就くことになったのだった。

 リズから情報を引き出す代償はあまりにも高かったようである。

 けれど今夜はいつもと違う、夜の番……エリオットは魘されていなかった。

 見つめているだけで奇妙な気分になる赤い剣を、仮初の鞘から抜いて暇潰しに眺めているクリスだったが、いつまで経っても悪夢に魘される様子の無いエリオットにふと違和感を感じる。


「……?」


 全く寝言を発する気配が無い。

 一刻前にエリオットが蹴り上げたテーブルに剣を置き、静かに彼の傍に寄って確認をしに行った。


「まだ寝てないんですか?」


 布団を被っていてドア側からは見えない彼の顔を覗くと、その翡翠の瞳はまだ薄らと開いている。

 返事をすればいいのに、口は堅く閉ざしたまま。

 ふぅ、と息を吐いてクリスはまたベッドから少しだけ離れた椅子に腰を掛け直す。

 静か過ぎる今宵の番は、どうも落ち着かない。

 会話をするのではなく独り言のつもりで、クリスはトーンを下げて呟いた。


「リズさんを無理にどうこうしないで欲しいです……彼女はもう、レクチェさんでは無いんですから」


 それは悲しくなる事実。

 クリス達が彼女と過ごした短い期間は、彼女に何も齎さなかった。

 にも関わらず、今はどうだろう。

 記憶が戻っていないにも関わらず、彼女の心には拠り所がきちんと出来ている。

 記憶が無い、と言う大きな不安を抱えているのにそれを塗り替える幸せが今の彼女にはあるのだ。

 クリスの独り言に返事は返って来ず、窓を閉め切った室内はやや空気が淀んでいて、気分を更に重たくさせる。

 しばらく息が詰まるような雰囲気にクリスが耐えていると、静かに響くエリオットの声。


「……好きにしろ」

「え?」

「必要なくなっただけだ、情けでも何でも無い」


 別にそんな風に付け加えなくてもいいものを、いちいち癇に障る言い方をするエリオット。

 眉を寄せて彼の背中を見つめるクリスに、最後にもう一つだけ気になる言葉が闇夜に融けて降り掛かる。


「俺にとっても、奴らにとっても……な」

「奴ら、ですか?」

「あぁ。レクチェはもう……必要無いんだ」


 何となくだが、クリスはエリオットの言わんとすることが分かった。

 レクチェが必要無くなり、そして他のビフレストがエリオットに接触してきたのならば、それはエリオットがやはりビフレストの一人だということ。

 そして複数居るのであればレクチェではなく、エリオットや先程の子供でも『奴ら』にとっては代用が可能になる。

 無論、レクチェに降りた神が、二重人格などではなく本当に神だということを前提とすれば、だが。


 ふっとクリスの脳裏に浮かぶ、丸眼鏡をかけた白緑の髪の男。

 クリスは自分の本来の役目を思い出す。

 小悪党や政事の争いの為にクリスはここに居るのでは無い。

 人為らざる者と戦う為に、その力を振るうのだ。

 精霊武器無くしてどこまでやり合うことが出来るか。

 クリスは不安を振り払うように、窓の外を見やった。




 次の日の朝。

 リズは少しだけ腫らした瞼できちんと仕事に来た。

 彼女の作る朝食を大欠伸しながら食べ、またエリオット達は職務に出かけ、昨日同様にクリスは館で休息を貰う。

 今日こそは昼のうちに少し寝ておかないと、と思ったがリズに少しだけ話をしなくてはいけない。


「王子が、昨晩の事はやっぱり無しにしてくださるそうですよ」

「えっ? 私の記憶が必要では無かったのですか?」

「何か、もういいみたいです」


 それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす彼女。


「そうですか……」

「それと、少し気になっていたのですが、指輪はどうしました?」


 リズはごそごそと白いエプロンのポケットからそれを取り出し、クリスの手の平を取って乗せた。

 クリスはリズに手を触られて少し気が滅入るのを感じるが、ぐっとその感情を飲み込んで渡された物を見る。

 小さな金色の指輪が、そこにはあった。


「彼が……住み込み先の息子さんが、外して欲しいって言うから填めずにいたんです」


 それで普通ならば記憶の手がかりとなるような意味深な装飾品を外してしまっていたらしい。

 けれどそれまで填めていたのならば、この指輪自体が彼女の記憶に作用するような物では無い、と言うことになる。

 指輪自体で無ければ、一体どうして四年前のあの時彼女の記憶は戻ったのだろう。


「指輪自体ではなく、これがただの媒体なら……ううん」

「?」


 不思議そうにクリスの顔を覗きこむリズ。


「これ、貰ってもいいですか?」


 クリスの要望に大きく彼女が頷く。


「はい、私にはもう必要の無い物ですから……」


 それは、彼女がもう過去の記憶を必要としていない、と暗に告げていた。

 クリス達と居た頃は記憶を探していた彼女が……

 クリスは複雑な心境を隠しながら、精一杯の笑顔を彼女に向ける。


「どうか、幸せになってください」


 ――貴方が私を思い出さなくとも、私は初めての友達である貴方の幸せを願い続けるだろう。

 失くさないように、とクリスは左手の薬指にそれを填めてみる。

 少し緩いので右手の薬指に填め替えると今度は丁度良かった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 それはどこかの地の、どこかの建物。

 両手首を後ろに回され、石の錠で拘束された短い青褐の髪の青年は、彼よりも少し身長の高い、丸眼鏡の男によってその建物の一室に連れて行かれる。

 牢とは思えない部屋のドアを男が開けて入るよう促したので、青年は三つの目を薄く睨むように開きながらもそれに従った。


「ここでしばらく大人しくしていてください。お嬢、見張りを頼みますよ」

「なぁに、また命令?」


 その室内は随分と小奇麗なもので、品の良い家具と沢山の本棚、それに埋まる本が目を引く。

 だがこの部屋に窓は無い。

 中央にある白金の装飾で飾られた猫脚のテーブルと椅子で本を読んでいる女性が、ぼやいた。

 それを見て青年は思わず息が止まる。


「……なっ!」


 読書の邪魔なのだろう、東雲色の長い髪をリボンで括って紅茶を飲みながら部屋で寛いでいる彼女は、青年の見覚えのある女性であった。


「あら。フォウ君……だったかしら?」

「ルフィーナさん!? こいつらの仲間だったの!?」


 しかし青年には見える。

 彼女は白緑の髪の男の仲間では無い。

 そう言った関係では無い空気が彼には具体的な色となって見えていた。

 けれど口調はまるで仲間。

 この矛盾の答えまでは彼には見えず、ただ狼狽する。


「心外ねぇ、こんなのの仲間じゃないわ。私もきっと貴方と同じよ」


 フォウの疑問にあっさり答えるルフィーナ。

 だが同じ、と言う割には彼女の手首に錠は無い。


「この青年は色々面倒ですから、あまり情報を漏らさないでください」

「あーはいはい、分かったからもう顔見せないで。出てって」


 しっしっ、と鎧の男を煙たがるように手を振るエルフ。

 それを見てやや悲しそうにその赤い目を細める長身の男は、表情の割には全然悲しくも何とも思っていないことがフォウには見えていて、またそれがフォウに不快な気分を与えていた。


「時が来ればきちんと解放して差し上げますよ」


 それだけ言い残して去る、白緑の髪の男。

 部屋のドアは固く閉じられ監禁状態となったフォウは、ルフィーナに再度話しかける。


「……どういうこと?」

「さっきの聞いてたでしょ? あたしの場合は自由に動けるけれど、喋っちゃうと何されるか分からないのよ。察して頂戴」


 彼女に嘘の色は見えない。

 彼女が喋ることが出来ないのならば自分が話すしか無い、とフォウは自分の状況をルフィーナに説明し始めた。


「俺は……先日までエルヴァンの城に居たんだ。准将の部下である女性が、貴方が持っているはずのネックレスを持っていて、それで問いただそうとしたんだよ」

「……私のネックレスを、女が? そう。私はその人物は知らないわね」

「顔も若干変えているようだった。武器も持っていないし場所は城内だから平気だと思ったんだけど、そこへ突然あの男が現れて……」

「捕まっちゃった、と」


 フォウの話を面白そうに聞いて相槌を打つルフィーナ。


「うん……昔あの男の偽者に会ったことがあるけど、今のは本体だね」

「あら、そんなことまで分かるの? 本体なら殴っておけばよかったわ」


 ふん、と鼻で笑う彼女の表情は飄々としていたが、その心中は穏やかでは無いものがあるようだった。

 何かを思い出すような遠い目をして、先程の男によく似た目元と鼻に手をかざす。

 フォウは彼女と彼に血の繋がりがあることが分かっていたが、そこには触れずに話を続けた。


「あいつら、城にまで潜り込んで何をしようとしているの?」

「予想は付いてるけど、確信は無いわ。それにそこを言ったら怒られちゃいそうだから自分で考えてくれないかしら」


 どんな内容で脅されているのか分からないが、彼女から情報を引き出すのはやはり無理そうである。

 錠が擦れて痛い手首に顔を顰めながら、フォウはうまく腰で椅子を動かしルフィーナの対面に座った。

 そんなフォウを見ながら、赤目のエルフが残念そうにぼやく。


「あーあ、折角可愛かったのにほんの数年でそんなに大きくなって……勿体無い」


 そう言いながら近づいてフォウの錠に指を押し付け、何かなぞるような仕草を彼女がすると、簡単に崩れ去る錠。


「痛そうだし外したけど、貴方が逃げたら私が困るから逃げないでね」


 これでフォウは軟禁状態となる。

 枷は錠ではなく彼女の体、と。


「あいつら……何なんだ……」


挿絵(By みてみん)


 フォウは先程の、人間では無い不可思議な男が纏う歪つな色を思い出して、身震いしながら呟いた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


【第二部第六章 レチタティーヴォ ~台風の目~ 完】

章末 オマケ四コマ↓

挿絵(By みてみん)

上画像をクリックしてみてみんに移動し、

そちらでもう1度画像をクリックすると原寸まで見やすく拡大されます。

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