決闘 ~愛は強くして死の如く~ Ⅲ
「やりたくないんだろう? 俺はむしろやってみたい。何か問題でもあるのか?」
やってみたい……と言う割に、彼は随分怒っている。
ただ、そのやってみたいと言うライトの言葉自体は嘘では無く、怒っているのは単にエリオットが以前の忠告を忘れているからだ。
しかしそれを知らないクリスには、何故ライトがこんな顔をして話しているのか分からず、その剣幕に口を挟むことも出来なかった。
「いや……一応面倒な管理に指定されてる物だし、引き継ぐって言っても色々と手間が……」
「きちんと手順に則って俺を後釜に推薦すればいいだけだろう。手間とは言えども引き継ぎに一ヶ月も掛かるまい」
「そ、それもそうだな。やりたい奴に任せるべきだよな……」
勿論エリオットだって、決してやりたくないのにやっているわけでは無い。
けれど、エリオットは『ローズに頼まれた』以外に、明確に答えられる理由を持ち合わせていないのも事実である。
全ては、亡くなった恋人の意志を受け継いでのこと。
その建前が彼らを繋ぎ留めていて、それ以外の繋がりを彼らは互いの間に見い出していなかった。
この四年間、ずっと。
自分が本当は何を想って今まで行動してきていたのか、エリオットは分からなくなってきて力無く項垂れてしまう。
それを見てクリスは、
「何だか、ごめんなさい」
謝らずには居られなかった。
「折角あの時姉さんのやりたかったことをやろうって言ってくれたのに……それが結局人に譲るような程度のことだったんじゃ、今まで何やってたんだろうって、思っちゃいますよね……」
「い、いやクリス。別にそんなことはだな」
「でも、そんな顔してますよ」
「そんな顔してないから」
エリオットはぶんぶん首を振って否定する。
そうではない、譲る気も無い。
とはいえ一度口にしてしまった悪態を訂正するための『確かなもの』がエリオットには分からないから、クリスを信じさせるための言葉が出てこない。
結果としてクリスは、ただでさえローズの妹だからと言う理由で散々世話になっているのにここへ来て更に彼の費やした四年を無駄にするようなことをしてしまった、と背負わなくていい負の感情を背負ってしまっていた。
「本心は知らん。だがお前の普段からの態度と言動から考えれば『そんな顔』なんだ。前に忠告しただろう」
ライトがぼそりとエリオットに向けて喋る。
「う……」
「もういい。引き継ぐ手続きの書類は使いの者にでも持ってこさせろ。当分顔を見せるな」
「ら、ライトさん、そこまで言わなくても……」
二人の仲をどうにか戻そうとクリスがフォローを入れようとするが、それをスルーしてライトは写真を二冊手に取り、エリオットの胸に押し付けて言う。
「俺はコレとコレがいいと思う。さっさと帰れ」
「あ、ありがと……」
喧嘩をしていたかと思いきや、そこはきちんと選んであげている。
そこまで心配するほど二人の友情に亀裂は入っていない、と思っていいのだろう。
最後に少しだけ和んだ空気に、クリスはほっとする。
エリオットはオススメの二冊を一番上に積んで荷をまとめた。
「悪ぃ、とりあえず帰る」
「もし気が変わったなら、今度はきちんと考えてから言うんだな」
それに対しての返事は無いまま、エリオットは帰っていく。
少しだけ重いままの空気にレフトがパンパンと手の平を叩いて言った。
「とりあえずお夕飯にしましょう~」
「俺も食べていいの?」
「ドアを直した分くらいは許可する」
わっほぅ、とフォウが喜んでレフトの動きに視線をやる。
彼女は慣れた手付きでテーブルに食事を次々と運んできて、すぐに用意は整った。
しばらく無言で食べていたが、落ち着いてきたところで最初に口を開いたのはフォウ。
「先生、ほんとに引き継ぐ気?」
確かに青年の疑問はもっともだ。
「女神の遺産を使って精霊を取り出そうとなると、正直な話……専門外だ」
「ええっ、何でそこで引き受けようとするんですか!!」
ライトにしては随分無責任な行動だろう。
思わず声を張り上げて叫ぶと、肩に乗っていたニールがその丸い体をぴょこんと跳ねさせてその音に驚いた。
「まだ本当に引き継ぐことになるかは分からない。それにいざやることになったなら、きちんと手立てはある。別に俺一人でやる必要は無いんだからな」
「なるほど、それもそうですね」
クリスは食事を口に運びながら、ライトの言い分にすぐ納得する。
別に彼自身がその専門家である必要は無いのだ。
ライトのような立ち位置の者ならば、そういう類の知人が居ても不思議では無い。
その夜はそれ以上目立った話が進むことも無く、その後は普段通りの流れで寝室に入った。
ちなみにフォウはそのままこの家に泊まっている。
「精霊、か……」
ベッドに横たわり、クリスは自分の手を月明かりに照らす。
体の中のどこに精霊が居るのだろうか。
ニールやダインもそうだが、もう一体の精霊にしても、中に入っているなどと言う実感はこの少女には全く無い。
「クリス様に対する違和感は、我々と同じ精霊が中に居たと言うことで随分拭えた」
気付くと人型に変化していたニールが枕元で呟いた。
白い耳、白い髪、白い肌。
それらは月明かりによって更に際立っている。
「違和感、ですか。そういえばそんなこと言ってましたね」
「変化時の姿とその際の身体能力の異常過ぎるまでの向上。これらは本来の女神の末裔の姿では無い。姿は伝承で言うなれば天使に類似する。姉君のような変化が正常なはずなのだ」
「そっかぁ、私がこんななのは精霊が居るからなんですね……」
――じゃあ、精霊が全部居なくなったら、私は一体どうなってしまうのだろう。
今までこの体を嫌だと思ったことは何度もある。
けれど今ではその利点を活用しているし、悪魔のような羽や角もこれがもう自分だと思って受け入れている。
その精霊が居なくなった時、本当の自分になれるのか?
それは本当の自分なのか?
「私って、何なんでしょうね……」
以前この言葉を投げかけた『友達』は、もう居ない。
そして朝日がクリスの意識を自然と起こしてくれる。
まだ少しだけだるい体を起こし、なるべく音を立てないように洗面所まで歩いていきその扉を開けると、洗面所は何故か随分と湯気が立っていて、湿っぽかった。
「あれ?」
その湯気の理由を確認しようと洗面所に入る。
そこには髪の毛をタオルで拭いているフォウが居た。
どうやら洗面所に隣接している浴室で朝から湯でも浴びていたらしい。
「ちょっと洗面台貸してくださいね、顔を洗いたいです」
それだけ告げてクリスはのそのそと洗面台に向かい、水を汲み出した。
「え、あの」
冷たい水を手ですくったところで、フォウが何やら後ろでもごもご言っている。
「どうしました?」
顔を洗いたいけれど放っておくのも可哀想なので振り返って尋ねると、彼は顔を真っ赤にして涙目になっていた。
その表情を見て、何だかんだで変わっていない顔もあるじゃないか、と心の中でクリスは呟く。
「いや、だって、俺……は、裸……」
「そうですね」
クリス的に特筆すべきことでは無いので彼女はスルーしていたが、お風呂上がりの彼は勿論裸だった。
今は髪を拭いていたタオルで隠す物を隠しているが、先程は一切隠されていなかったと思われる。
「年頃の女の子の反応じゃないよクリス!!」
「えっ? 何か問題でもありましたか!?」
「それは、その……何だろうこの複雑な心境は……」
がっくりと肩を落として、フォウが項垂れた。
「ごめんなさい、そんなにお邪魔でした?」
すると三つの目をぱちくりさせて、彼は首を横に振った。
「いや、いいんだよ!? そういうことじゃないから! そういうことじゃ……」
それだけ言って、また笑う。
楽しくも無さそうに。
「……それならいいんですけど。しかし、こんな時間にお風呂入ってどこか出かけるんです?」
「ううん、俺基本的に朝風呂派で……っじゃなくて! クリス!!」
「はい?」
クリスの問いに自然に返答していたフォウだったが、急に声を荒げてクリスの体を外へ押し出してこう叫んだ。
「落ち着かないから一旦出て!!」
洗面所の外にぐいっと出されて、クリスは一人でキョトンとしてしまう。
「フォウさんって、女の人みたいだなぁ……」
エリオットやライト、それに何度か入れ替わっているエリオットの護衛達も、クリスに裸を見られて恥ずかしがるようなことは無かったし堂々と目の前で脱ぐので、この少女はその点を気にも留めていなかった。
けれど、男でも裸を見られるのを恥ずかしがる者が居ることを把握する。
今クリスの中でのフォウの扱いが限りなく女性側のラインへ近づいていた。
男性と思わずにもう少し丁重に扱うべきだ、と。
そう、クリスにとって裸を見られて恥ずかしがるのはどちらかといえば女性的な行為なのだった。
そして、クリスがそんな風に成長してしまったのは、クリスをとにかく女性扱いしない周囲の野郎どものせいである。
フォウの裸を見て驚きもしないことから分かる通り、クリスは男性の裸を余すことなく見慣れているのだ。
クリスがフォウへの態度を改めたところで、浴室のドアが開き、服を着たフォウが出てくる。
「あ、今度から気をつけますね! 配慮が足りなくてすみません!」
「ううう、全力で勘違いされてるけど、訂正する気力も出ない……」
ほんのりまだ湿っている頭を抱えて、困った顔を見せる彼。
フォウは見られたことも勿論恥ずかしいが、それよりも見た物に対し一切恥ずかしがらないクリスの態度のほうが気になるのだから。
「勘違い、ですか?」
「……何でもない」
何でもないようには全く見えない表情なのに、フォウはそれ以上そのことについて喋らなかった。
やがてレフトが起きて朝食の準備をし、それが出来上がる頃にライトが起きてくる。
フォウの湯上がりと遭遇、という読者サービスにも何にもならないこと以外はいつも通りの朝。
クリスの療養や東の一件で今回の王都滞在は長引いていた。
やっぱりここの生活も悪くないな、と思いながら今日もクリスは洗濯物を洗って干している。
「今日も晴天ですねー」
王都の南西で、青空に独り言が響く。
そろそろ雨が降ってくれないと水不足になるのでは、と思うくらいの快晴。
クリスの傷は随分癒えたが、もし東でまた竜と戦闘になるかも知れないことを考えると、エリオットが縁談相手を決めるくらいまでは休んだほうがいいだろう。
昨晩顔には出さずにいたけれど、やっぱり彼が縁談を……と言うよりは結婚する、と言うのがクリスはちょっと嫌らしい。
昨日の城でのトラブルではそこまで嫉妬らしいものを感じてはいなかったけれど、にも関わらず彼のお見合いをクリスが嫌だと思う理由は、
「姉さんが居ればなぁ」
そう。
彼が結婚してしまうと、姉が本当に過去の人になってしまうようで嫌なのだ。
ローズ以外の女性がエリオットの隣に居る、と考えるのが嫌だ。
クリスは、彼が姉の足取りを追うのを見ながら、その姿を通して姉を心に映している。
そんないつまでも過去を引き摺っている気持ちを振り払うように、クリスはタオルの皺を伸ばそうとパンッと引っ張った。
すると力を入れ過ぎてしまってタオルはまるでちり紙のように容易く破れる。
「またやっちゃった……」
クリスの力は、歳月と共に成長していた。
体の成長は全く無いのに、身体能力だけはどんどん上がって……というよりは、変化時の力が普段の体にも漏れ出している、クリスはそんな気がする。
それに変化時の力も昔より強くなっているとも思う。
破けたタオルを顔に押し付けて、クリスは苦悩に歪んだ顔を隠した。
いつかこの力で、そのつもりが無くとも誰かを間違って傷つけてしまうかも知れない。
それくらいコントロールが出来なくなっている。
手に余る力は、戦闘に身を置く以外に使い道が無い。
エリオットが婚約して結婚したら、今度は自分はどこに身を置けばいいのだろう。
姉も居場所も、全部いっぺんに失ってしまうのではないか。
「軍って、どうやって入隊するんだろう?」
あそこならばレイアも居るし新しい居場所に出来るかも知れない、と顔に押し当てていたタオルを取って空を見上げて呟いた。
「軍に入りたいの?」
急に声を掛けられてびっくりしたクリスはその声の方向へ振り返る。
裏口のドアのところで、フォウが腰掛けていた。
「い、いつから居たんです?」
「タオルを破いてたところは見たよ」
「うわぁ」
そこを一番見られたくなかった。
洗濯物もろくに出来ないと思われてしまう。
「昔からああやって破いちゃうくらいの力があったの?」
「いえ……どちらかと言えばこの数年で……」
「ふぅん」
フォウは頬杖をつきながらクリスをじっと見ていた。
今朝のことはもう気にしていないように見えて、とりあえずクリスはそれに安堵する。
「王子様や先生はそれ知ってる?」
「元々力は強い方なので多分見ても笑うだけで気に留めないんじゃないかと……だんだん加減が効かなくなってることは、伝えていません」
「そっか」
渋い顔をして、それっきり黙ってしまう彼。
クリスは手早く残りの洗濯物を干し終えて空になったかごを持った。
そこをどいてくれないと家の中に入れないんだけどな、と思いつつも、どいてくださいとは言いにくい空気が流れている。
清々しい午前の空の下に似つかわしくない彼の重たい表情。
「やっぱりこんな馬鹿力、気持ち悪いですよね」
そんな空と同じ色の瞳を伏せるクリスにフォウが言う。
「昨晩もそうだったけど、クリスってほんと人の気持ち読むの下手だよね……読むのが下手って言うよりは、敢えて悪いほうに取ろうとしてるのかな」
そして呆れ顔で溜め息を吐いた。
「何をそんなに怖がっているの?」
「怖がって……?」
――怖い? 怖い。そうだ、私は怖い。
でも、何が怖い?――
「う……」
膝を崩してその場にへたりとクリスは座り込んだ。
「クリス?」
彼の声が遠くでぼんやりと聞こえる。
「……っ、……!」
クリスの肩を揺すってフォウが叫んでいるが、耳には届いているはずなのにクリスは頭で理解が出来ない。
ただ、凄く…………怖くて。
【第二部第四章 決闘 ~愛は強くして死の如く~ 完】