嫉妬 ~堅くして陰府にひとし~ Ⅱ
それから翌日、ライトに外出許可を取った後、昼前くらいにクリスはフォウと街で待ち合わせる。
包帯でぐるぐる巻きの体の上に、久々に寝巻き以外の服を着た。
そもそも、外に出ること自体が二週間ぶりくらいだ。
「もうちょっと女の子っぽい服着てもいいと思うんだけどなぁ」
待ち合わせ場所に行くと、フォウがクリスを上から下までじっくり見て言う。
今日のクリスは白花色の襟から繋がるケープの下に、レイアードされた薄紺の上着と、膝丈のハーフパンツを履いている。
「可愛い服は着る機会が無いと思うんで、持ってもいないんですよ」
「んー、そっか」
ちなみにクリスは、自分でピンクの服は買わなくなった。
とりあえず昼食にしようと、お城の人達のオススメランキング・クリス調べ一位の店へ案内する。
クリスも入るのは初めてなので味の保障は無い。
位置把握はしていても、同年代の友達の居ないクリスには、街でこうやって店に立ち寄る機会なんて滅多に無いからだ。
「エリオットさんの御付きのお姉さんとか、エリザさんの侍女のお姉さんにもオススメされてたんで、一度来てみたかったんですよねー」
明るい日差しの下のテラスで、甘やかなソースの練りこまれたパンをちぎっては頬張るクリス。
果実水と甘味料を混ぜたミルクを合間に飲んでその香りをほんのり楽しんでいると、フォウが手元のバゲットサンドを半分にしてクリスの皿に乗せた。
「多分足りないでしょ、あげる」
「だ、大丈夫ですよ! じゃあこっちもあげますから!」
半分も残っていないが、クリスは残りのパンをフォウのお皿に置いた。
「ありがとう」
結果として物々交換になってしまったが、にこにこして受け取る彼が、クリスには凄く大人びて見えた。
自分が外見も中身もほとんど成長した自覚が無いだけに、その差が強調されて。
「どうしたらそんなに……大人になれるんですか? 何か随分変わった気がします」
「そう? 嫌なことも色々見えるから達観しちゃっただけかもよ」
黒い上着の内側に着込んでいるムーングレーのベストと同じ色の長袖を巻くって、のんびり答える彼。
「……そうですか」
それだけ聞いてバゲットサンドを無言で食べた。
フォウは先にドリンクを飲み干してしまい、空になったグラスの氷をストローで突いて遊びながら話す。
「クリスは良い意味で変わってないね」
「変わってなくて悪かったですね! ……って、良い意味ですか?」
変わっていないという自覚している部分を指摘されて思わず声を張り上げたが、褒められていることに気付いて問い返した。
「そ、良い意味。下手に大人になって嫌な色になるより、ずっといいと思うよ俺は」
「ありがとうございます……」
色で褒められても何が何だか分からなかったが、真正面から褒められたことで照れて赤面してしまったクリスを、微笑んで見つめるフォウ。
更に恥ずかしくなって、クリスは俯いてその顔を見ることを避ける。
「クリスはあれからずっとあの性悪王子様と一緒に居たの?」
「え、あぁ。そうですよ。色々ありましたけど」
「前に居た他の女の人達も?」
「!!」
そのうち切り出そうと思っていたことを先にフォウから聞かれてしまい、心構えをしていなかったクリスは歪めた顔を上げられずにそのまま俯き続けた。
「何か、あったんだね」
その向かいで、フォウがぼそりと言った。
「私は、結局ルフィーナさんから目を離してしまったんです……」
これは先日に続き、クリスの二度目の懺悔。
あったことを少し掻い摘んで話し、最後に先日ルフィーナらしき人物を見かけたことを伝える。
「元気そうだったならイイんじゃない。俺正直あの人死ぬと思ってたから」
「ええぇ!?」
四年を経ての心中吐露に、少女は爆弾発言をする彼の顔を見た。
「でも生きてるのに連絡も無しってことはまだ何かあるんだろうね。探してあげたほうがいいかも」
「私もそう思います……けれどエリオットさんはそれをする様子が無いんですよ」
「薄情な人だね」
ぐっとクリスの手に力が入る。
そう、エリオットはローズの目的に固執して、他のことがあまり目に入っていないのだ。
クリスだって姉のやりたかったことをやる、と言うのは嫌ではない、むしろ望むところだ。
けれど彼はその制限された期間のせいか、本当にそれしか見ていない。
「各街を訪問しても、エリオットさんは遺物集めに没頭するばかりであまり余裕が無さそうです。ルフィーナさんのことに限らず、行った街を楽しむことすらしていないですから」
「じゃあ、いっぱい色んな街行ってるのにクリスはひたすら護衛!?」
「自由時間はありますけど、自分が自由の時は他が仕事をしていますので一人ではする事も無く結局寝てばかりでしたね」
「勿体無いなぁ」
黒い襟の内側に金色のピンで留められた白いスカーフを少し緩ませながら、フォウはそこからよく見える城の方を流し見た。
◇◇◇ ◇◇◇
一方、モルガナの一件で城内は騒然としていた。
残った証拠が何も無くてエルヴァンから仕掛けられない分、状況は不利と言える。
数だけならばエルヴァンが勝っているが、あの大型竜を何匹も出されてはかなりの被害を受けることは避けられないのだ。
いくら味方に竜殺しを成し遂げた者が居ようとも、痛手を負って療養中。
クリスに全ての竜を相手して貰うわけにもいかず、他にきちんと打開策を考えねばならない。
エリオットはクリスが療養している間、そんなことに追われて自分のやりたいことに手がつけられない状況だった。
けれどそれもようやく落ち着いてきて、今はクラッサと共に機密書の保管されている書室へ入ったところである。
室内の警報センサーを解除してから入らねばならない物々しい警備を敷かれているこの部屋は、小さい二つの部屋が壁とドアで区切られつつも繋がっていて、手前が主な城の機密書類。
エリオット達が用のある奥の部屋には、公にされていない遺物関連の書物が置かれていた。
エリオットもこんなことになるまでは入ったことも無いし、入ろうとも思わなかった部屋だ。
「素晴らしいですね、目移りしてしまいます」
「どうせ知ってる側の人間なんだ、どれを読んでもいいぞ」
何故か女神の遺産関連の書物はこの機密書室に置かれていて、一般の人間にはその存在を明かされていない。
一体昔何があったのかエリオットには分からないが、国としては存在自体が目障りなのだろう、と自分の中で想像上の結論を出して、それ以上は深く考えなかった。
集めた女神の遺産は書物同様にここで保管することと指定されていて、エリオットは勝手に持ち出していたが……それも面倒になって直接クラッサを部屋に入れることを決断したのが今日の話。
「ここに遺物がある。鍵はこれだ」
エリオットは予め部屋に来る前に持ってきた遺物を保管してある棚の鍵をクラッサに渡した。
今日はクラッサに、どれがどこまで揃っているのか確認して貰う為に来て貰っている。
あっさりと重要な鍵を渡されて、少し驚いた様子を見せる彼女。
「随分と信用してくださるのですね」
「機密ではあるけれど遺物は別に悪用出来るものでもないだろ? 単に俺にはコレの重要性が理解出来ないだけさ」
「そうでも無い物も沢山ありますよ、気をつけてください」
「お、おう……」
短い黒髪を、それでも邪魔なのだろうか、耳にかけてから遺物の確認に入るクラッサ。
テーブルの上に置いたそれらを一つずつ手に取って、無表情を少しだけ柔らかくする。
手伝ってくれと言ったものの、もはや丸投げしている状態でエリオットは窓際に立って彼女を見ていた。
流石にこの部屋に、権限の無い彼女を一人で居させるわけにはいかないのでとりあえずエリオットが付き添っている、それだけの役目。
「この部屋は……多分誰も来ませんよね」
遺物に目を向けたまま、ぼそっと呟くクラッサ。
「そうだな、きちんと手順を踏まないと普通は入れないし、入ったらただじゃ済まないと思う」
それを聞くと同時に、彼女がふっと笑った。
遺物に目を通すのを止めて、ゆっくりと席を立つ。
近づいてきたクラッサの意図が分からず、エリオットはただ彼女の動きを見ているだけ。
「ここならレイア准将に見つかる心配も無い、そうですね」
「ん、そうだろうけ……ど」
エリオットの返事を聞く前に、そのまま静かに寄り添うような仕草でクラッサは少し屈んで彼の胸に左耳を押し付けた。
いきなり密着されて、戸惑うエリオット。
「すぐに心音が早くなりましたよ、王子」
「お、お医者さんごっこか?」
ドキドキしてしまうのはどう頑張っても我慢しようが無い。
それでも平静を保とうと冗談を飛ばす彼に、彼女は表情を変えずに答える。
「それも悪くないですね」
そして手早く彼の上着の革紐を解き、彼女は裾からその中に手を入れて彼の肌を撫でた。
くすぐったさが気持ちよくて少しだけぴくりと反応してしまうが、エリオットも流石にそのまま流されるほど馬鹿では無い。
「……何を企んでいる」
真面目なクラッサが、目的も無くこんなことをするとは思えなかった。
「小一時間ほど私に夢中になって頂けたら、と思っております」
「な、何だそりゃ……」
全く意味が分からない。
どうとでも取れるその言葉にぐるぐるとエリオットの頭が回った。
絶対に何かある。
なのに彼の手は抵抗する素振りを微塵も見せずに、彼女の両肩に添えられた。
おかしい。
「まだ信じられない、と言ったお顔ですね」
肩に置かれているエリオットの手に、そっとクラッサは自分の手を重ねて言う。
その頬と耳は、ずっと彼の胸に押し付けられたまま。
「そりゃそうだろうが。こんなの君のキャラじゃない」
「それは困りました。どう言えば信じてくださるのでしょうか……」
あまり困っているとは思えない飄々とした口調で呟くクラッサ。
重ねた手をしっとりと撫でることを繰り返しながら、何やら考えているようだった。
「ではこれならどうでしょう。城内の女に安易に手を出すな、と言われている王子をこうやってからかってみたくなった……と」
「それは君ならありそうだけど……」
けれどそれを本当に王子相手に行うのはいかがなものか。
エリオットは細い肩に置いていた手を下げ、彼女の黒いシャツを捲り上げるとその隙間に手を突っ込んだ。
そこにあるくびれをなぞるように撫でてから、そのまま手の甲で胸の弾力を確認する。
大きくなく小さくなくのそれは、サイズが合わないのかそれとも敢えて締め付けているのか定かではないが、下着の中で窮屈そうにしていた。
先程からエリオットの手は、言葉や思考とは全く噛み合わない動きをしている。
それはもうスムーズ過ぎるほどに、行為をつつがなく進めようとしている動きだ。
「着たままがお好みですか?」
その動きに抵抗もせず、エリオットの心音を心地良さそうに聞き入っているクラッサ。
一体何が目的なのか。
彼女がこれをして得られるメリットを考えるべきだろう。
少なくとも金や地位に執着するようなタイプでは無いので、それ以外。
しかしそもそも、だ。
エリオットとクラッサがここでナニしたところで、どんなことが起きるというのか。
考えても考えてもその答えは見つからない。
手が早い事を既に周知されている王子では脅せるようなネタになるわけでも無く、エリオットの気を惹く以外の理由など、当のエリオットには勿論のこと、他の誰にも想像がつかないと思われる。
にも関わらずその、何か罠がありそうな彼女の雰囲気が堪らなくて、そのまま引っ掛かって手の平に転がりたくなってしまう。
そう、食べてはダメだと言われると食べたくなるもの。
エリオットは追われるよりも追いかけたい性質だ。
着いてくるなと言われれば着いて行きたくなるし、手を出すべきではないと思うと出したくなる、ひねくれ者なのだ。
「……着たままでしよう」
めでたく彼の小一時間は彼女の物となった。
◇◇◇ ◇◇◇




