女神の末裔 ~目覚めた内なる刃~ Ⅰ
ピリピリとしたその雰囲気に落ち着かず、数人だけが集まるには少し広すぎる室内をクリスは右往左往していた。
聞き間違いでなければ目の前に居るこの男達は、自分の縁談相手候補、ということ。
そういう気が全く無いのにそういう目で見ざるを得ない状況で、クリスの、彼らを見る表情が強張る。
エリオットのせいで見事に皆が口を噤んでいる今、早くレイアが戻って来てくれないかと切実に願っていた。
そこへ、ようやく食事が届けられる。
続いてレイアも入ってきた。
一同ほっと胸を撫で下ろす瞬間だったのではないだろうか。
レイアはメイドが食事を並べる様を見届けた後に、室内の空気がとんでもなく重いことに気がつく。
「……あまり打ち解けられてはいないようですね」
あまり、どころでは無い。
「初対面ですし仕方ないかと……」
苦笑いでフォローを入れるクリス。
レイアは少しの間を置いてから、テキパキとクリスとその相手方の紹介をしていった。
候補者は全部で五人。
家柄も説明されたがそこまでクリスには覚えられず、とりあえず少女の中で一致しているのは辛うじて顔と名前程度である。
一週間後に会ったら名前も出てこなくなっているだろう。
一通りの紹介を聞いた後、エリオットはエリオットで縁談がまとまるかも知れない女性の相手をして来なくてはいけないため、部屋を出て行った。
ずっと張り詰めていた空気がここでようやく和らぐ。
「はぁ……」
大きく溜め息を吐いたのは最初にエリオットにガン飛ばされていた金髪碧眼の美男子。
何故か男性陣の間には同志のような雰囲気が漂っていて、その右隣に居た青年が目を細くし、仲間の背中をぽんぽんと優しく叩いていた。
その光景を見て流石にレイアも疑問を持ったようで、クリスの傍に寄ってきてそっと耳打ちする。
「何かあったのかい?」
「うーん……エリオットさんが、爵位や家柄はどーでもいいから面白いこと言えって無茶振りしてたんですよ」
「……何をしているんだ、あの人は」
げんなりした表情で脱力するレイア。
そうもなるだろうて。
と、それはさておき、クリスだって自分のことを考えなくてはいけない。
寝耳に水と言った縁談の話に、正直ついていけないのだから。
とりあえず皆で席に着き、食事に手を出し始めた頃に、クリスは思い切って切り出してみた。
「ところで、本当に何も聞かされずに連れて来られたんですけど、縁談ってことはそろそろ結婚しなさいよーってことです?」
傍で立って見守っていたレイアが、少し戸惑いながらもそれに答える。
「そういうことだよ。まだそれを拒否しているエリザ王女のようなケースもあるけれど、普通はそろそろ決めておかないと行き遅れるものだからね」
「ははぁ」
そんなものなのか、と思いつつ目の前の鶏肉を豪快にフォークで刺す。
それを見ながら縁談候補の一人が少し咳き込んだ。
他の者達も少し呆気に取られているが、気にせず堂々とクリスは肉にかぶりついた。
「クリス、その、もう少し上品に……」
レイアが困った顔で静かに忠告をする。
が、
「取り繕ってもボロ出ちゃいますから。それに結婚するのであれば子供も作らないといけないでしょう? 無理ですよ私」
クリスは口の周りについたソースをぺろりと舐めて、縁談をぶち壊す気でそれを発言した。
「そ、それはどう言った意味で……」
瞳を曇らせて、クリスの向かいの男性が恐る恐る声を掛ける。
「試したことはありませんが、同種族以外とは子供を授かれないと聞いています。見た目は変わりませんけど皆さんと私の種族は違いますよ」
その場に居た誰もが絶句する。
そういう表情を向けられるのはいつも失礼なエリオットで慣れているけれど、折角予め言ってあげたのにここまで衝撃的な顔をしなくても、とクリスは思った。
どちらにしても自分に結婚なんて無縁なものなのだ。
ハッキリ言っておけばもう話は来ないだろう、と考えながらクリスはそんな彼らをスルーして、大きなハムをぱくんと口の中に突っ込んだ。
「で、どんなことしたらあれだけぶち壊せるんだよ」
馬車が少し荒れた坂道を登り、あまり心地よくない振動を響かせながら走る中、エリオットが品の無いにやにや顔を見せてクリスに問いかける。
クリスはその向かいに座っており、そんな彼をちらりと一瞥してから視線を斜め下に戻した。
「いつも通りにしていただけなんですがね」
「そうだな、いつも通りにされたら間違いなく貰い手も見つからねーわ!」
そう言う彼は、クリスが縁談をぶち壊したことを全く怒っていないようだった。
当日の様子からしてもあまりエリオットは縁談の候補者を気に入っていなかったようだし、エリオットが立ち上げた話では無いのかも知れないとクリスは何となく感じた。
「そういうエリオットさんこそ、どうだったんですか?」
話題を切り替えると、渋そうな様子の彼。
「……悪くない子が一人居た……けどその子に限って向こうが乗り気じゃなさそうだった」
「ふあはははは!!」
敷かれたレールが嫌いなこの男が、折角『悪くない』だなんてそりゃあもうOKに限りなく近い印象を抱いたというのに、よりによってその相手方が乗り気では無いだなんてどんな確率だ、と言う話である。
「違う! あれは絶対他に好きな男が居る顔だった! 俺が悪いんじゃない!!」
「あーはいはい、そうですね、多分そうでしょうよ」
ふひー、っと口の中の空気を細く長く吐き出しながら、クリスは軽く返事をした。
ムキになって反論した王子は、少女の態度に肩透かしを食らって外の景色に目を向ける。
今回の訪問先は東。
リャーマを通り越してまずは先にモルガナという大きな街へ行き、帰りにリャーマも回るらしい。
そんなエリオットの護衛は馬を走らせている男性従者二人と……クリスのみ。
身の回りの世話をする者を一切連れずに最低限の護衛のみと言うのは、かなり特殊な公務となる。
エリオットの身を案じる王妃に対して経費削減だのなんだのと理由をつけて押し切ったそうだが、エリオット曰く、外の者より城内の侍従侍女のほうが誰の息がかかっているか分からず信用ならないのが本当のところだそうだ。
ので護衛全員がエリオットの人選になるわけだが、実はその中でクリスだけは訪問先へ連れていくのに大きな障害があった。
よく分からない娘を日雇いで連れて行くくらいなら、誰かの紹介で確実に身元が分かる者を、とそういう言い分だ。
当然のことだろう。
おかげでクリスは、エリオットの「コイツの代わりなど連れて来られるはずがない」という無茶振りを真実として見せつけるために、沢山の兵士が見守る中で散っ々手合わせをさせられたのである。
勿論その際に、身体を変化させたりはしていない。
ニールの居ない今、ごく普通の支給された槍で戦うのは流石に骨が折れると言うもの。
変化無しでも他人に力負けは滅多にしないクリスだが、戦っている最中に武器が折れてしまうのでうまくいかなかったのが原因だった。
以前は普通の武器もそれなりに扱えたのだが、今は加減をしないと自分の武器も相手の武器も壊してしまう。
思いっきり戦える物が欲しいと訴えた結果、レイアの私物の特殊な鉱石で造られた剣がクリスに授けられた。
慣れない長剣に戸惑いつつ、それでも特に困るような強敵がいないので今はまだどうにかなっている。
「この辺りに来ると、ルフィーナさんとレクチェさんを思い出しますね」
丁度リャーマの辺りを通り過ぎている頃、赤い瞳のエルフと金色の天使を想う。
「そうだな……」
考えたくもないことを思い出させたのか、エリオットの表情に曇りが見えた。
「覚えてます? 自称四つ目の男の子」
「あぁ、ルドラの民のガキか。それがどうしたんだ?」
「彼ね、ルフィーナさんによくないことが起こるから近くに居てやれって私に言ってたんです」
彼は黙って聞いている。
静かにクリスはその先を続けた。
「けれど私は何度も離れてしまった……もし私が目を離したせいでルフィーナさんに何かが起こって消息が途絶えてしまったのだとしたら……」
懺悔のような呟きに、エリオットは軽く鼻で笑う。
「ずっと見てるなんて無理なんだから、お前のせいじゃねーよ。自分の身も護れないアイツが悪い、気にすんな」
「そんな風に割り切れませんよ」
折角慰めて貰ったのに、それを無下にするようにクリスは否定した。
「レクチェさんだって、あれだけ啖呵を切ったのに結局ルフィーナさんが危惧していた通りの結末にさせてしまった……」
喉の奥から搾り出すように、言葉を紡ぐ。
言ったからどうと言うわけではない。
これはこの地で感傷に浸ったクリスが言いたくなってしまっただけの戯言。
今のクリスは黒い法衣を身に纏っており、小悪党を躊躇いもなく斬って受ける返り血はその服では目立たない。
今は護衛対象である王子……エリオットのためだけに自分が存在しているかのような錯覚に陥る。
それくらい、今のクリスの世界は酷く狭かった。
モルガナでもいつもの様にまずはその地を治める長に挨拶へ向かう。
護衛としては異質な容姿であるクリスを、小太りなモルガナの長は濁った目で見下げて笑った。
「お噂通りの護衛を連れておいでですなぁ」
「へぇ、どんな噂なんだ?」
どこか小馬鹿にしたような長の物言いに、エリオットも彼に対しふんぞり返るくらい見下ろすようにして返事をする。
「いつまでも婚姻の儀も済ませずに美しい少年を連れ歩いている、王子はそういう気がある、と」
ホホホホッ、とくぐもった汚らしい笑いでエリオットを完全に馬鹿にした発言。
クリスではない別の従者の頭に先に血が昇り、剣の柄に手を掛けたところで王子がそれを制した。
「目が悪いんじゃねえのか、魚みたいな目ぇしてっからなぁお前。これは女だ。しかもお前んとこの兵がどれだけ集まろうとも一人で片付けちまえるくらいの腕っ節の、な」
自分の過去の間違いは華麗に棚に上げて、高笑い。
しかしそんなことをモルガナの長が知るはずも無く、口先の勝負で完全に負けた長は、右手で己の横腹を掴みながら体を戦慄かせる。
勿論友好的な街の方が多いのだが、東の地は目立った特産物が無いせいか軽視されがちであまりエルヴァンの目が行き届いていない。
故に東には大陸統一に不満を抱いている者が多数居る。
訪問がどうしても他よりも後回しになってしまうのはそのせいでもあった。
東の一番の都市であるモルガナでコレなのだ。
他の街もあまり良い期待は出来なさそうだろう。
「普段以上に気を張った方が良さそうだね」
先程剣を振るいそうになった従者のガウェインが街を歩きながらひそひそとクリスに耳打ちした。
「確かに、別に戦争になっても構わないくらいの意志があったようには見えました」
「王子が何て国に報告するのか見ものだこりゃあッ!」
少し色黒の顔に生傷が耐えない、ツンツンした濃いオレンジの髪から茶色の獣耳をぴょこんと出した青年が若干不謹慎なことを言っている。
その獣耳はライトやレフトよりもやや頭の高い位置にある為に、帽子でも被ってしまえばヒトと変わらぬ外見のガウェインは、クリスより少し年上なだけでかなり若い狼の獣人だ。
だがそれも同行者として選ばれるだけの腕があってのこと。
年齢で判断してはいけない……のだが、喧嘩っ早いというか血の気が多いのが困りものだった。
エリオットはもう一人の従者であるヨシュアを連れてクリス達の少し先を歩いている。
エリオットが何か口にするたびにヨシュアが筆記をしていき、とりあえず今日の分は終わったらしい。
モルガナの長によって用意された住居は、使われていない街の端の一軒家。
この待遇もかなり有り得ない。
エリオットの公務はしばらく先方に世話になる形であるため、それなのに下働きの一人もつけないのは凄い暴挙だとクリスでも分かる。
「ふっ、流石は東、と言ったところですね王子」
ガウェインが上半身裸で腕立て伏せをしながら話す。
小さなリビングに集まってクリス達は本日の不愉快さについて語り合っていた。
限りなく銀に近い、薄いブロンドの髪を背中で三つ編みに結ったヨシュアは、会話に参加すること無く、今日走り書きした文面を丁寧に整えている。
「大方予想は出来ていたけどな。つーか暑苦しい! やめんか!!」
クリスも無言でエリオットに同意して頷いた。
エリオットはとりあえずガウェインに突っ込んでから、テーブルの上に並べられた魚の刺身のオイル漬けをつまみにして白ワインを口に含む。
ちなみに本日の夕食を作ったのはエリオットなので、従者が三人居ておきながらこれはこれですんごい暴挙だと、やっぱりクリスでも分かった。
自分達の暴挙はさておいて、クリスも一緒になってもぐもぐもぐと残りの刺身を一気に平らげてから口を開く。
酒のつまみが一瞬にして無くなったことで王子の顔が歪んだことは、気にしてはいけない。
「あれじゃあ宣戦布告のようなものですから、本当に気をつけないといけないかも知れませんよ」
「そう思うよなー! ふんっ!」
腕立て伏せをしていたところを最後に大きくバック転をして、ガウェインのトレーニングは終了した……多分。
いつもとは違う波乱の予感に、少しだけ空気が重くなる。
「もし反乱を起こす気なら、のこのこやってきた俺を捕まえて人質にするのが楽に見えるからな」
「まぁ、見えるだけですけどね」
「クリスさんに喧嘩売るだなんて真似、俺なら恐れ多くて出来やしないよ」
もふもふと自分の尻尾を触りながらクリスを褒め持ち上げる、狼の獣人。
警戒をしているつもりでも、出来るものならやってみろ、そういう過信が彼らにはあった。
エリオットが寝ている間は、彼の護衛をいつも三人が二時間毎に交代で行っていた。
この四年間、クリスを除く二人の護衛は何度か人事異動があったものの、ヨシュアは既に一年、ガウェインは半年以上一緒に務めているので彼らもエリオットの悪夢のことを知っている。
「う……ん」
月の光も差さない真っ暗な夜、ほんのりと外の街灯の明かりだけが窓の隙間から彼の顔を照らしていた。
この王子の夜番は楽でいいだろう、眠くても眠れないくらいうるさく唸ってくれるのだから。
昔、旅をしていた時はこんなことは無かった。
多分四年前、一つの旅を終えたあの時期くらいから。
エリオットはこうやって毎晩のように夢を見続けて魘されている。
いつも夢の内容は違うらしいのだが、ほとんどが血生臭い過去の歴史をなぞる様なものらしく、見ていて気分が悪いと言っていた。
ここまで聞けば推測も出来ているかも知れないが、彼は夢の内容を一字一句忘れられずに起きる。
それが毎日ともなるときっと凄い量の夢が、彼の頭の中に留められていることだろう。
「ほんとにもう……」
クリスはエリオットの枕元に座って、彼の額や首の汗を白いタオルでそっと拭った。
鬱陶しいくらい伸びている緑の髪がシーツの上で乱れていて、尻で踏んで引っ張ってしまいそうなので少しだけ整えてやる。
汗を拭いても、寝ながら力を入れて火照ってしまったその体は既に頬をも上気させて、夜目で見ても分かるくらいに彼の顔はほんのり赤く染まっていた。
表情も少し苦しそうで。
正直なところコレが遺憾ながら色っぽいものであることだと分かるのだが、あまり見る機会の無いモノに対し、見ていたいような見ていたくないような、最近はそんなことを考えながらクリスはこの任務に就いていた。
自分の縁談が潰れたことも、エリオットの縁談がうまくいかなかったことも、どちらも本当は凄く嬉しい。
しかしまだクリスは自分の中のこの気持ちを、恋なのか、それとも単なる親しい人への執着なのか判断できずにいる。
でも、昔は何とも思っていなかった寝顔にドキドキし始めるだなんてやっぱり恋と考えられなくもなかった。
それはちょっとと言うか、物凄く嫌なので、なるべく情であって欲しい。
こんな気持ち、邪魔以外の何物でも無いではないか……
そう、クリスは思う。