待たぬ歳月 ~相変わらずな二人~ Ⅲ
一段落ついて、その日の晩。
ライトの知人が勤めているという店にエリオットがこっそり城を抜け出して向かうと、ライトは既に入り口付近で煙草を吸って待っていた。
流石に白衣のはずもなく、彼はその年の割には若い見目に良く似合った、落ち着きつつも程好く飾られた私服を着ている。
普段白衣ばかり見ているせいか、エリオットからすると違和感がして仕方が無い。
しかもエリオットが声を掛けようとしたところで、ライトは先にエリオットの見知らぬ女性達に声を掛けられてしまう。
声を掛け辛くなった王子はしばらく遠巻きに見ていて、ようやく女性達が去ったところでこそこそとライトに近づいた。
獣人はエリオットを見止めて、口を開く。
「遅かったじゃないか」
「いや、何かお前が女の子と喋ってて、声掛け辛かったからしばらく待ってたんだけど」
「あぁ」
特にそこから話を広げること無く、ライトは店の中に入って行く。
「ちょ、ちょっと待てよっ」
予約していたらしく、彼らはカウンターより少し奥の個室へ案内された。
煌びやかなデザインのシャンデリアが綺麗な、どちらかといえばカップルで入るようなバー。
しかもそこで個室……周囲に勘違いされてしまいそうだ。
「今度来いと言われていたんだが、なかなか一人では入り辛くてな」
「そりゃそうだろうよ、ぶっちゃけ男二人でも入り辛いわ」
多分その知人は、恋人と来い、という意味で言ったのだと思われる。
いつまでも浮いた話の無い友人に、エリオットはげんなりさせられた。
一応顔を隠すために羽織ってきていた長布を脱ぎながら、先程の疑問を目の前の獣人に問う。
「で、さっきの女の子達は何の知り合いだ? お前に女友達がいるだなんて聞いたことも無いんだけど」
「言ったことも無いし、そもそも居ない。さっきのは知らん奴らに飲みに誘われただけだ」
「逆ナンパかよ!!」
メニューに何だかお洒落で鮮やかな名前の酒が並んでいる中、エリオットは中年が好みそうな渋めのアルコールを注文する。
ライトはと言うと、こちらも同じ物を。
申し訳程度にメニューに並んでいるそれは、きっと普段あまり頼まれないのだろうと思われた。
乾杯もせず、届いたアルコールにさっさと口をつけて、酒のつまみに手を伸ばし始める。
そこでライトがぼそりと口を開いた。
「晩餐会にクリスが呼ばれた理由は何だ」
「え?」
「とぼけるなよ、知っているんだろう?」
どうやらそれを聞きたくてエリオットを連れ出したらしい。
元々不機嫌そうな表情なのに、それを更にしかめっ面にしてエリオットを見る。
酒の席とは思えない空気。
「クリスに縁談が持ち上がってるんだとよ。その前のご挨拶ってところらしいぜ」
「……そういうことか」
手元のグラスを見つめながら、その眼鏡の下の金の瞳はどこか沈んでいるようにも見えた。
そしてエリオットに確認してくる。
「お前は、それでいいのか?」
「何がだよ」
「そのままだ」
クイッとアルコールを勢いよく飲み干して、煽り酒。
ライトは早くも酔った顔をしていた。
それを見てふっと過ぎる想像に、いやまさかそんなはずは、とエリオットは一人で首を振る。
エリオットの想像に勘付いたライトが、先に理由を述べた。
「……妹が増えたようなもので、出来ることなら幸せになって欲しいんだ」
あまり他人に執着しないライトには珍しいことだった。
いや、元々妹がいるからこそ感情移入しやすかったのかも知れない。
ライトは追加オーダーを通して、酔い据わった目でエリオットを見ていた。
とにかく縁談が気に食わないのだろうと気付いてはいるが、エリオットには縁談話を止める権限はあっても理由が無い。
「そうだな、いい縁談が決まるように俺も気に掛けておいてやるよ」
「クリスがそれを喜ぶとでも?」
流そうとすると、今度はもっと突っ込んだ言葉をぶつけてくる。
そして更に咎めるように続けた。
「自分の期待通りに成長しなかったら他に丸投げか。よくそんなことが出来るな」
「あのなぁ……」
ライトの言いたいことはつまりこうだ。
ローズのような女に育たなかったクリスは要らないからお見合い話を快諾した、と。
そんな想像をして勝手に怒っているのだ。
「そんなこと考えているわけが……」
否定しようとしたエリオットの声を遮り、ライトは言う。
「お前が考えていなくても、クリスはそう感じるだろうな。それは、どんなに否定しようともお前のせいだ。ずっとお前が積み重ねてきた態度のせいなんだ」
相変わらずライトは手厳しかった。
何のオブラートにも包まない、棘のような言葉。
エリオットは喋ってもどうせまた遮られると思ったので、ライトの次の発言を待つ。
ライトは額に手をあててテーブルに肘をつくと、視線だけ外して話し出した。
「……気付いていないとでも思ったか。お前は度々クリスに落胆の表情を見せている。子供だって馬鹿じゃない、特に大人の顔色ってのには敏感なんだぞ」
責められている王子はちび、と酒に口をつけて乾いた喉を僅かに潤す。
流石にこの状況では勢いよく飲むなんて出来なくて、酒が最高に進まない。
逆にライトは酒を煽ることで切り出しにくい話を話そうとしているようだった。
ライトの言う通り、指摘されたそれは確かに否定することなど出来ない事実。
幼さを残したまま大人にならないクリスに、勝手に期待をして、勝手に肩を落としている。
ローズの妹、という肩書きが、エリオットにどうしてもそんな期待をさせてしまうのだ。
「お前の好みには成長しなかったかも知れないし、そもそも成長が見えずにがっかりしてしまう気持ちも分からないでも無い。だがそこへそんな話が舞い込んできたらどうだ? 長い間面倒を見てくれていた保護者が、成人すると同時に自分を捨てた。やはり自分は邪魔だったのか。そう思ってしまうとは考えないのか」
「言われてみれば……確かにそうかもな」
「先を考えれば縁談自体は悪いことでは無い。だが捨てられたと感じないように、もう少しうまく接してやってくれないか」
ライトは多分、柄にも無いことを言っている。
けれどそんな彼にここまで言わせたのだから、自分ももう少しクリスに気を遣ってやらないと申し訳が無いともエリオットは思う。
「分かったよ、善処する」
王子はその夜、言い合いをしながらも一生付き合っていくであろう親友と、久々に朝まで飲み明かした。
無論、帰った後はしっかりレイアに怒られた。
そして晩餐会当日。
先日はクリスのことだけが話題にのぼっていたが、エリオットにも縁談が持ち上がっているわけで。
お嬢様方のお相手をしなくてはならないエリオットは、渋々だがいつもよりは身なりを整えて臨んだ。
襟の内側にレースの施されたテイルコートに、あまり好きじゃないホワイトタイを着用し白蝶貝のカフリンクスとスタッドを留め、窮屈だけど我慢をする。
「お似合いですよ」
准将にも関わらず現場主義で会場の護衛に立つ一人のレイアも、流石にこの場では鎧は着ずに腰に剣だけ携えてディナージャケットを着ていた。
それは彼女の正装ではないはずなのだが、どうしてそれを着るのか。
会場である広間に入ると大勢の人。
少し遅れて来たにも関わらず、周囲はエリオットを見るなり挨拶をして出迎えた。
「クリスはどこだろうな……」
「左奥のテーブルで多分黙々と食事を頬張っているかと。王子が来られないので落ち着かないようでしたよ」
「そりゃそーだわな」
人が多くてよく見えない。
が、とりあえずエリオットは自身に割り当てられた席があるのでそちらに着席し、会が進むのをぼーっと待った。
やがてある程度自由に動ける時間になると、エリオットは先に一応自分の婚約者候補とその親族に挨拶だけして回る。
この後適当に踊っておかないといけないため、品定めをしつつ、だ。
そろそろクリスのところに行ってやらないと、会に馴染めず一人寂しく固まっているのではないだろうか。
そう思って周囲と挨拶をかわしながら、エリオットはクリスの席へゆっくりと近づく。
しかしそこはエリオットの予想していた状況とは随分違っていた。
妙に人の視線が集まっている中心部には、数人の男に話しかけられて戸惑っているクリスが居る。
目の前のご馳走を食べたいのに、話しかけられて食べる手を止めざるをえない、そんな感じでキョロキョロして。
当人の態度そのものはいつものクリスと変わらないが、周囲の目は随分とクリスに集まっていた。
エリオットの視線もクリスから離れない。
ついでに言うと彼の開いた口も塞がらない。
「あ、エリオットさん!!」
エリオットに気がついたらしいクリスが席を立って大声で呼ぶ。
それで更にざわめく周囲。
それもそのはず、この場でエリオットを様付けせずに呼ぶだなんて、普通なら有り得ない。
当人も言った後に気がついたようで、すぐに肩をすくめて席に座り直し縮こまる。
クリスが王子の関係者であることに気がついた周囲は、エリオットに道をあけるように一歩下がった。
道を作られてしまっては、尻込みしつつも行くしか無い。
視線を痛いほど感じながらも、エリオットはクリスに近づく。
「馬子にも衣装だな」
「馬鹿にしてるでしょう、それ……」
短い髪なのに上手に整え上げて貰ったらしく、クリスの後頭部にはそれをまとめて飾るコサージュとウィッグ。
白く上品なレースのブラウスと天色のブーケスカートの上にはそのスカートより少し薄い白藍のボレロ。
ストッキングも細やかなレースがあしらわれていて、淡いホリゾンブルーのパンプスにはタンが柄を作るように丁寧に打ち込まれていた。
決して大人っぽいとは言えない、どちらかと言えば幼さを強調してしまう衣装だったが、エリオットはそれよりもクリスの顔に目がいく。
「化粧でこうも変わるんだな」
ローズそっくりだったぞ、と言いそうになるのを堪えた。
勿論、雰囲気はクリスのソレそのもの。
表情、特に目元を動かした途端に、すぐにクリスらしさが表れる。
けれど、ローズがクリスと同じ表情をしたのならきっと瓜二つなのではないか……そんな想像が出来るほどの仕上がりになっていたのだ。
以前変装の際にエリオットは、クリスがスカートを履いて寝癖をきちんと直し、髪を整えればそれなりに見られることには一応気付いていた。
更に化粧をすればここまで近づけるのだから、あとは中身さえもっと成熟してくれれば……
と、そこまで考えたところでエリオットはそれを全力で棄却した。
クリスの性格がローズに寄ることは、死ぬまで無い気がして。
あのローズの雰囲気や表情は、見た目だけでなく内面からも滲み出ているものだ。
そうではない性質の者が真似出来るようなものでは無い。
要は、どんなに可愛く着飾ることが出来ようが、クリスには壊滅的に色気が無いのであった。
これはひどい結論だ。
「顔に粉つけられるし、色々塗られるしで、何だか落ち着かないんです」
そう言って自分のほっぺたをつつくクリス。
ローズは女の敵が多そうなタイプだったが、多分クリスは違うのだろう。
男は勿論、女ですらも少女を見て優しい微笑みを向けている。
胸が無いのが逆に周囲には控えめで好印象を与えるのかも知れない。
「何なら今すぐタオルで顔拭いてやろうか?」
「私に恥かかせたいんですかね」
クリスが唇を尖らせてふくれっ面になると、周囲からくすりと笑い声が漏れる。
馬鹿にする厭味な笑いではなく、微笑ましい、と。
元々クリスは、変化したり毒舌さえ炸裂させなければ他人に好かれやすい容姿だ。
「レイアから何で晩餐会に呼ばれたか、聞いたのか?」
「いえ、まだですけど……」
「そうか、ちょっとそこで待ってろ」
エリオットは周囲を見渡して、レイアを探す。
程なくして見つかったので彼はレイアに、クリスの縁談相手をどこかに集めるよう促した。
彼女はエリオットの指示を聞いて、応じる。
この会場内で数人の男を集めてエリオットが話すのも目立つため、会場隣の空室に集められた縁談候補者。
多分彼らには相当のプレッシャーがかかっていることだろう。
ここで王子と、その王子に目をかけられている少女に気に入られなければ、縁談の先にある様々な利が消し飛ぶのだから。
エリオットは、何が何やらと言った表情のクリスを連れてその部屋に行った。
確かに事前に写真で見た顔がそこには揃っていた。
見目の悪い者はレイアが予め省いたのかも知れない。
どれもなかなかの好青年。
年は多分、全員十代。
連れて来られたクリスを見て、彼らは目の色を変えていた。
王族に取り入るチャンスとなる駒が、それに加えて容姿も良いのだ。
彼らならば、胸が絶望的なまでに無いことには目を瞑れるに違いない。
「一体何なんです? エリオットさん」
部屋の出口ではレイアが黙って見守っていた。
「……こいつらは、お前の縁談の候補者なんだ」
「えっ」
急なことに戸惑うクリス。
「こちらの部屋にも食事を用意させましょう。今日はまずお互いの交流を深めて頂けたらと思います。後日お一人と正式なお付き合いをと思っておりますが、本日のうちに結論が出ても構いません」
レイアが淡々と補足説明をして、部屋を去った。
クリスはと言うと、とても挙動不審になっておろおろしている。
そこへ早速自分を売り込もうと、一人の青年が一歩前へ出て優しく声を掛けてきた。
「そんなに恐がらなくとも大丈夫ですよ、クリス様。私はブリック伯爵家の……」
そこまで縁談候補の一人が言ったところで、エリオットは思わず口を挟む。
「爵位や家柄はどーでもいいんだよ、いいからクリスを楽しませてみろ」
王子に気圧され肩を竦ませるその青年は、もうこの場で身動きなど出来る心情では無くなっているようである。
つまり、一人脱落。
和やかな雰囲気などもはやどこにも無い。
短気な王子のせいで張り詰めた空気に変わる室内。
自分のやってしまったことに気付き、少し焦って、
「……会話を続けていいぞ、お前ら」
「いや、無理でしょう!!」
我に返って促すエリオットに、クリスが華麗に突っ込んだ。
【第二部第一章 待たぬ歳月 ~相変わらずな二人~ 完】