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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第二部 第一章
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待たぬ歳月 ~相変わらずな二人~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)

※この絵はおめかししたクリスです。おめかししていないクリスはお察しください。

「……っは、ぁ」


 起き抜けと同時に全身から噴き出す汗。

 無意識に体を起こしたエリオットは、通常よりずっと早く鳴る鼓動に思わず胸を押さえて、それが整うのをしばらく待つ。

 落ち着いたところで、額に張り付いた前髪を右手で掻き揚げると、隣で女の声がした。


「随分とうなされておりましたが、悪い夢でも見たのでしょうか?」


 エリオットがシーツを引っ張ったことで肌蹴てしまった胸元を隠すこと無く、枕に頭を乗せたまま瞳を向ける彼女。

 エリオットは、この子誰だっけ、と思いつつもとりあえずその問いに返答した。


「よく覚えてないけど、いいもんじゃなかったかな」


 中音域の声色が紡ぎ出したのは、嘘。

 彼は夢をきちんと全部覚えている。

 今日の夢はジャイアントとクドゥクの戦争の一部始終で、あの大きくて豪腕な種族がどうしてクドゥクなんて小柄な種族に負けたのか、彼は無駄に夢で勉強させられた気分になっていた。

 無論、見た夢が真実なのであれば、だが。

 ただその夢は結末以外はエリオットの知識には無いもので、細部までリアルだった映像は脳裏に焼き付いて消えそうに無い。

 知識に全く無い内容の歴史の夢だと言うのに、千切られた肉片のえぐい色まで鮮明に覚えているのだ。


「そうですか」


 そう言って彼女は赤い髪を片側だけ耳に掛けて上半身を起こすと、エリオットの汗ばんだ頬を優しく撫でるように手で拭う。


「…………」


 彼女に顔を、首を、触らせながらエリオットは昨晩のことを思い起こそうとしているが、やはり全く記憶に無く落胆する。

 今エリオットが居るのは城の自室の、自分のベッド。

 隣の女性をよく観察することで彼は記憶を必死に辿った。

 少し釣り目の瞳に、胸より少し上まで伸ばした赤い髪、大人の女性らしさが伝わってくる落ち着きのある雰囲気と、芯が強そうで男勝りな表情。

 どストライクとまではいかないが、十分エリオットの好みの女性だった。

 多分城内のメイドか何かをとっ捕まえて連れ込んだに違いない。

 彼女はエリオットの視線に気が付くと、少し顔を赤らめつつ切り出した。


「もうご支度なさいますか? 着る物を用意致します」


 ベッドから足を下ろし、まずは自分の身支度を整えてから用意をし始める女。

 その手際の良さから、やはりメイドだな、とエリオットは確信した。

 予めそういう役割と決まっている女性ならまだしも、そうではない女性に勝手に手を出してしまうと少々問題がある。

 どうしようバレたらレイアあたりに怒られてしまう。

 その結論に行き着いた途端、エリオットは落ち着かなくなってきた。


「俺多分一晩中うるさかっただろ? 君はなかなか寝付けなかったんじゃないのか?」


 黙っていることに耐えられなくなって声を掛けると、女は手を休め、一晩共にしたのであろう男に笑顔を向ける。


「お気遣いどうもありがとうございます、他の誰かにうるさいとでも咎められましたか?」

「まぁね」


 悪戯っぽく他の女の影を探るメイドに、王子は一言だけ肯定の返事をした。

 ただその誰かさんはメイドの勘繰っているような相手ではなく、小煩い弟のような存在なのだが。

 せっせとエリオットを着付けてから、次に彼女は部屋にあった白い櫛で彼の緑の髪を梳かし始める。

 今のエリオットの髪は、少なくともこのメイドよりは長かった。

 腰より少し上まで伸びている後ろ髪は、元々若干曲のある毛質だが長いおかげであまりうねっていない。

 メイドは優しく彼の髪を結わえると、最後に首元や顔を綺麗に拭いた。


「では勤めに戻らせて頂きます」


 昨晩何もしていないわけが無いだろうに、毅然とした態度でメイドは部屋を出て行った。

 いや、もしかしてエリオットは酔って連れ込んでおきながら、何もせずに寝てしまったのかも知れない。

 聞くに聞けなかった以上、記憶の無いエリオットに事実は分からなかった。


「はぁ……」


 二度寝したいところだが、やることがあるのでそういうわけにもいかずベッドから足を下ろす。

 彼は今、月に一回の定例報告をしに城へ戻ってきている。

 半月かけて訪問した地の調査内容及び見解等、分厚い書類にまとめて提出せねばならないのだ。

 そしてその後、こちらが彼にとっての本題。

 同じくその地で集めた女神の遺産と呼ばれる多数の遺物を、過去の資料と照らし合わせてどれがどれだか調べる……一番時間の掛かる面倒な作業なのに、他人に任せられなくて王子自ら一人でやっていること。

 食事を済ませてから、エリオットは欠伸をしつつ報告書類のダメ出しを貰いに行く。

 聞く前からダメ出しされると分かっているのは、今まで一度たりとも一発OKになったことが無いからだ。

 生真面目なレイアの書類添削はもはや鬼の所業である。

 どこかで紛争でも起きてアイツを戦闘要員として駆り出してくれないものか、と不謹慎なことを思いつつ執務室へ向かう。

 時間的にまだレイアが居ないかも知れないと思いながらエリオットが執務室に入ると、そこにはレイアでは無い別の人物が居た。


「おはようございます、王子」


 鋭い目元と漆黒の髪に瞳。

 短くも自然な流れで切られたショートカットは彼女にとても良く似合っていて、普通サイズのその胸はシングルのウエストコートと黒いレギュラーカラーのシャツにさり気ない曲線を作っていた。

 体のラインを出しつつも品良く着こなしたその下には、太ももにぴったりと合った白いトラウザーズ。

 これがまた格好いい。

 彼女は数年前から所属しているレイア直属の部下なのだが、今や二人は軍人女性のツートップとしてメイド達の憧れの的だった。


「流石に早いなクラッサは」

「レイア准将がいらっしゃる前に準備をしなくてはいけませんから」


 王子に失礼が無いようにだろう、きちんと手を止めて話す彼女。


「そっか。じゃあまだ報告書は返ってきてないのか?」

「はい、申し訳ございません」


 微妙に時間が空いてしまうため、少し頬を掻いて考える。

 仕方ないので先に、今回の訪問先で得た遺物の照合をしてしまうことにエリオットは決めた。


「分かった、ありがとさん」


 準備をしている最中の彼女の時間を割いてもいけない。

 さっさとこの場を立ち去ろうと、彼は手をあげて挨拶をした。


「あ」


 そこへクラッサが短く声をあげる。


「ん、どうした?」

「書類が戻り次第お持ち致しますので、行き先をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、じゃあ自分の部屋に居る。よろしく頼む」


 エリオットは本当は機密書の保管された書室に篭もる予定だったが、書類を持って来てくれるのなら、クラッサが自由に来られるように自室で作業をすることにして返事をした。

 自室で作業をするには本来持ち出し禁止である機密書室の蔵書を持ち出さなくてはいけないが、王子であるエリオット相手に指摘する者はいない。

 勿論レイアが見つければ、怒るであろうが。

 エリオットの返事に何故かクラッサは不満げだったが、それに気付かなかったエリオットは再度軽く挨拶だけしてその場を後にし、書室から何冊か資料を持ってきて自室で遺物と睨めっこを開始する。

 遺物照合の何が一番大変なのか、と言うと、女神の遺産に使われている古代文字の翻訳だ。

 手書きの古い本に翻訳書があるわけもなく、城での教育の範疇に無かったその慣れない字にエリオットは毎回手間取っていた。


「あー、休憩しよ」


 椅子の背もたれに寄りかかって顔を天井へ向け、口を開けてだらだらする。

 相変わらず王子とは思えないほどの見苦しさ。

 そんな風に気を抜きまくっていた瞬間に、部屋にノックの音が響いた。

 少しビクッとしつつ、エリオットは返事をする。


「はいはーい」

「失礼致します」


 それは、添削書類を持ってきたクラッサだった。


「書類をお持ち致しました。今のうちに目を通した方が賢明かと思われますよ。後ほどレイア准将が直接指摘されるそうです」

「そ、そうか」


 またくどくど言われるのかと思うと、今から気が重くなるエリオット。

 彼の表情を見てクラッサは涼しげな笑みを浮かべながら言う。


「お察し致します」

「ありがと……」

「それと、レイア准将が来られる前にスカーフか何かを首に巻くことをお勧め致します」


 エリオットは彼女の言葉の意図が一瞬理解できず、その先の説明を求めるように首を傾げ、それを受けてクラッサが付け加えた。


「昨晩の情事の痕跡と思われる痣がございますよ」


 ちょんちょん、と彼女は自分の首の左側を人差し指でつついて王子に指し示す。

 やはり一瞬理解出来ず、でも一秒後には頭が働いてきて、理解したと同時にさぁっとエリオットの血の気が引く。

 あのメイド、なかなか強かだ。

 気を遣って痣を隠す服を着付けさせるのではなく、敢えてそれが見える服を選んだのだから。

 もしクラッサが指摘してくれていなかったら、この後エリオットの色々な物が縮み上がっていただろう。

 彼女の勇気ある指摘に感謝しなくてはいけない。


「本当に助かった、適当に巻くよ」

「お役に立てて何よりです」


 フッ、と目を細める彼女を見ながらエリオットは、うーんそういう表情されると堪らんなぁ、なんて全く懲りていないことを思っていた。

 そこから添削された書類に目を通すことしばらくして、またノックの音がする。

 今度こそレイアだろう、と腹を括ってエリオットが返事をすると予想通りレイアだった。


 四年前の大災害(ス プ リ ガ ン)以降、最近の国内は争いも無く穏やかで、彼女はその剣の腕を揮うことなく城内にて書類整理を務めている。

 それでも、その天性のカリスマ性とそれに見合う実力が、彼女に出世の道を軽快に歩ませていた。

 レイアは綺麗にまとめられたポニーテールを靡かせながら、エリオットの座っている机の目の前までやってくると、背表紙の厚さ二センチ程度のハードカバーの本を沢山机の上に並べる。


「これは……?」


 いつもの提出書類絡みの物では無い。


「縁談相手の釣書です。王子に強く言える人が少ないので、こんな物まで私が持ってくることになっているのですよ」

「そりゃどうも」


 それだけ言って、エリオットは並べられた釣書を丁寧に一冊ずつ右手に重ねて束ね、席を立つ。

 そしてそれをゴミ箱へぽいっと……しようとした手をレイアががっちりと止めた。


「せめて中を見るなりして頂きたいのですがね、お、う、じ!!」


 力任せに釣書を取り上げると、彼女はまたそれを机の上に並べる。


「仕方ねーなぁ」


 体裁だけは繕ってやるか、と王子は一冊ずつ流し見ていった。

 大体において、王子の相手に選ばれるような令嬢に、彼の好みの女性などほぼ皆無に等しい。

 大抵が若いうちに嫁ぐから、どれも彼の求めるものを持ち得ていないのだ。

 世間は若い女を持て囃すかも知れないが、エリオットは心身共に成熟したお姉様が好きなのであった。

 いや、訂正しておこう。

 ローズは多分年下のはずであり、別に彼は年上限定しているわけでは無く、成熟しているのであれば年下でも問題無い。

 と、何冊か開いたところで写真がむさくるしくなっていく。


「おい、これ男じゃねーのか」


 何で男と結婚しなきゃならんのだ、と一気に萎えるエリオット。

 どうせ間違えて混ざったのだろう。

 呆れ顔でレイアに突き返すと彼女は何故かそれを押し戻す。


「そちらもご覧になってください」

「意味わかんねえ!」

「王子ではなくクリス宛の縁談ですよ。あの子は身寄りが無いので少々王子の名前を借りて取り付けましたがね」


 突然のことに開いた口が塞がらないエリオットへ、彼女は続けた。


「クリスは先日成人したはずでしょう。一応それを見計らって以前から話を進めていました。良い噂を聞かない者は先に除外してありますので安心してください」


 ……先の訪問先で「今日で十六になりましたー!」とクリスが騒いでいたことを、エリオットは思い起こす。

 興味も無く適当におめでとうとだけ言ってそれ以後はスルーしたため、彼の記憶には薄らとしか残っていなかったが、ほとんど成長の兆しが見られないクリスも今では一応成人している。

 縁談話が浮上してきたおかげで改めてその事実を彼は確認した。


「しかし、何でそんなことまでしてくれてるんだ?」

「いつまでも王子に保護者で居られては困る、ということです」


 淡々と連ねられたその言葉に、王子はグッと押し黙る。

 ローズの遺言を遂行するのにこの四年間、彼の王子としての立場は便利なものだった。

 だが、しがらみもこの通り多い。

 今に始まったことではないがエリオットは不愉快な気分になり、自然と出てしまった舌打ちを誤魔化すように、顔をレイアから背ける。

 レイアは深く溜め息を吐いて、エリオットにとって聞きたくも無い話を再開した。


「八日後に晩餐会があります。今回はクリスもお連れください。その時にその写真に載っている方々もいらっしゃいますので、その後また返答をよろしくお願い致します」

「八日後? ってことは次の訪問はその分延ばされるってことか」

「そうですよ、縛ってでも参加させますから逃げようなどと思わないでください……ねっ!」


 ガシッと王子の肩を掴んで、正面から見据えるレイア。

 凛々しい琥珀の瞳が、彼を映す。


「ところで王子、そのスカーフお似合いですよ」


 それは眉間に皺を寄せながら言う台詞では無いだろう。


「だ、だろ?」


 声が上擦りそうになるのを必死に抑えながら答える王子。

 レイアはにっこりと口元だけ笑ってまた口を開く。

 目は笑っていない。


「えぇ、特に表に出るような公務があるわけでも無いのにキチンとスカーフを締めるだなんて、珍しくて目を引きます」

「あれだ、朝ちょっと寒かったから……」


 と、そんな言い訳をした直後にレイアがエリオットのスカーフを即座に解いた。

 空気に晒された首元に、彼女の視線が集中する。

 勿論そこには例の痣がある。


「失敬、解けてしまいました。巻き直して差し上げましょう」

「じ、自分でや……ぐぇっ!」


 思いっきり締められたスカーフに圧迫されて、エリオットはその先の言葉を発することは適わなかったのだった。

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