女神の遺産 ~凸凹な二人の素性~ Ⅱ
それから結局クリス達は来た道を戻っていた。
スーベラから西に向かうとカンドラ鉱山まではもう町や村は無い。
クリスはエリオットの背中にただ着いて行く。
彼の衣服は昨晩洗濯でもしたのだろうか、汚れなく舞っていた。
ちなみにクリスはこれで彼の衣服を見るのは三セット目で、少なすぎる荷物の量から考えて、もしかすると洗ったのではなく買い換えたのかも知れない。
突っ込みたいところも疑問も沢山あるけれど、何一つ教えて貰えないままのクリスは、
「何かもう少し……知っていることや、やろうとしていることを教えてくれてもいいんじゃないですか?」
ついに我慢できず、道中で問いかける。
そんなクリスの問いかけに、エリオットはため息ひとつ、一言返答。
「……察しろ」
「本当にもう、イヤな人ですね!」
枯れ葉と草を踏みしめ、彼らはこんな口論を続けながら進む。
結局鉱山の麓に着くまで全く教えて貰えず、クリスの不満は最高潮に達していた。
「この先にトロッコ跡が続いている入り口があるから、そこに入ればすぐだぜ」
声を掛けられたがクリスはもはや返事をしない。
エリオットもその反応にムッとしていたようだがそれ以上何も言わなかった。
確かに、先にはトロッコ跡。
線路が続くだけでトロッコ自体はもう撤去されているようだった。
洞窟の中はかび臭く、明かりも無いので手元の光源宝石を使い照らして行くことになる。
立ち止まることなく洞窟を少し進んでから、右手側の壁に違和感のする大きな穴。
きっとここがエリオットの壊した穴なのだろう。
「何かまた真新しい足跡があるな」
「よく見えますね……」
「穴が開いてれば入るヤツもそりゃ居るよな。一応気をつけておけよ」
と言いながら、あまり気をつけてないような構えで穴の奥に入るエリオット。
クリスもおそるおそる後を着いて行く。
中は、エリオットが先日話していた通りだった。
新旧いくつもの死体が散らばり、でも罠などあるわけでは無い。
何故死んでいるのかもよく分からない死体だらけ。
どう見ても壊れた研究施設なのだが重要な部品の類はきちんと回収されているらしく、いまいち何の施設なのか分からない。
「あそこに剣はあったんだけど……さてもう少し調べろってことか」
蹴散らした骨の山。
そのあたりの床にこびり付く、比較的新しいと思われる血はエリオットのものなのだろうか。
クリスはせめても、と骨の山のすぐ隣の施設の台に聖水を振りまき、背負っていた槍をその場に突き立てて言を唱えた。
周囲の、クリスの声が届く範囲の死体は一瞬にして崩れ、灰に変わる。
クリスの言で、無念の死を遂げたのであろう者達の骸が自然へと還ってゆく。
「へぇ、初めて見た。死体が無くなって色々探しやすいな」
「本来の目的は探しやすくする為ではないんですから、そういう風に取らないでくださいよ不謹慎な人ですね」
しかし探しやすくなったのは事実。
死体が山になっていた場所はいくつかあったが、そのいくつかの場所全てに何故か武具が落ちている。
「あれを持つと危ないってことですかね」
だとしたら、死体は全てその武器によるものなのだろうか。
「その通りですよ、普通の人間は持てばその場で死ぬしかありません」
二人のやり取りに対し、二人のものではない声がどこからともなく響く。
エリオットよりもずっと低いハスキーな声。
何故だろう、この声は聞いたことが無いはずなのに聞き覚えがある。
どこかで似たような声を聞いたような……
そのような感覚をクリスの耳は捉えていた。
「誰だ?」
エリオットもその声の主がどこにいるのか把握出来ていないらしく、周囲を見渡す。
すぐに二人は背中合わせになり、お互いの死角を庇う形を取る。
そして数秒の沈黙の後、
「普通は聞かれて名乗り出るわけがないのですがね。けれど別に名乗っても構いませんからお答えしましょう」
声の主は何も無かった場所に突然姿を現した。
とても背が高い、丸眼鏡をかけた青年。
白緑色の短く下ろした髪、血のような赤さで切れ長の瞳、特に人種的特長は外見に表れていないが少なくともヒトではない……そう思わせる怪しい存在感。
胸と肩当ての軽鎧を纏い、手荷物や武器は見たところ無しでクリス達の前に立ち塞がる。
「報告を聞いてやって来てみれば、お坊ちゃんと女神の末裔とは。随分珍しい客でなかなか面白いですね……私の名はセオリー。あくまでコードネームでしかありませんので呼ぶ為だけに使ってくれて構いません。呼ぶような事があれば、の話ですが」
男は一人で愉しそうにぺらぺら喋ると、クリスに視線と人差し指を向けた。
「丁度いいので、武器達をこの箱に片付けてくれませんか?」
言うなり青い光と共にクリス達の目の前に突如現れる大きな宝箱。
中身は空、見た感じは普通だが妙な圧を彼らに感じさせる。
何か魔術が掛かっているようだ。
「……何故私が?」
「貴方がこの武器の適合者だからです。私共も困っていたのですよ、この武器を片付けることが出来ずにね」
そこでずっと黙っていたエリオットが口を挟む。
「一応聞くが、それをして俺達にメリットは?」
「生かして帰して差し上げましょう」
さらりと返ってきた言葉に、二人は口を噤む。
このセオリーという人がどれほどの強さを持っているかは分からない。
ただ、何となく逆らうのは危ないとクリスもエリオットも感じ取っていた。
「分かりました、そのかわり……一つ答えてください」
「おい……」
エリオットの制止を遮ってクリスは言葉を続けた。
「女神の末裔とは何ですか?」
お坊ちゃん、というのは、中身はさておき服装が貴族のようなエリオットを指しているのだろう。
ならば、女神の末裔という表現をされているのが自分のはずだ、とクリスは思う。
しかしクリスはその名称を知らない。
問われたセオリーの目が一段と細くなる。
大きな口を更ににんまりと伸ばし、開いた。
「そこに散らばっている武器の持ち主の子孫というところでしょう。厳密にいえば少し違いますが、今はもう絶滅種族です。勿論、元々種族の存在自体が表沙汰にはなっていません」
そしてここで一区切りおいて、この後とんでもない発言をクリス達は聞くことになる。
「今、王都周辺で殺戮の限りを尽くしているのも、貴方と同じ女神の末裔ですよ」
瞬間、エリオットが総毛立つ。
「てめぇ、それはどういう……」
クリスは、今に食って掛かりそうなエリオットを制止し、セオリーの次の言葉を待った。
「質問は一つまでです。さぁ、箱に武具を」
クリスが約束を違えない、と確信を持った目で指示をしてくる。
仕方なくクリスは大人しく床に散らばっている武具を拾い集めた。
手に持てば話に聞く姉のようにおかしくなるかと思ったがそのようなことは無く、普通の武器と変わらず持つことが出来たので少しホッとする。
クリスの心中を察して、セオリーが答えた。
「疑問なようですね、今暴れている剣は女神の遺産の中でも異質な性格なのです。他の武器は持ち主に忠実ですから心配ありません」
「暴れているのは、ローズなのか……」
エリオットが独白する。
それはクリスにとっても信じたくない、未だ不確定な事実。
セオリーはちらりとエリオットを流し見ると、彼の問いには答えずに武器を詰め終えた箱を閉じようとした。
「ありがとうございます。これでやっと回収が出来ました」
と、そこでセオリーが怪訝な顔をする。
「一本足りませんね」
「知りません、そんなこと」
「そう言わずに一緒に探してください。この武器は適合しない人間が持つだけで大変なことになるのですから」
冷たい雰囲気を纏いながらも妙にフレンドリーな話し方で若干クリス達の調子が狂う。
顔を見合わせた後、反論するほどのことでも無いため、仕方なく二人はセオリーと共に周辺を探し始めた。
油断が命取りになるこの状況で、お互いに背を向け合いながら机の下や器具を掘り返す。
クリスもエリオットも、性格からしてこの状況をいいことに不意打ちしそうなものだが、しないあたりがやはり実力の差を肌で感じ取ったのかも知れない。
逆に謎の男の余裕は、不意打ちされても負けないという自信からだろう。
「こっちは無いぜ」
「困りましたね、ちゃんと探してください王子」
「こっちも無いです」
「可愛いからって手抜きは許しませんよ」
どこか間の抜けた会話が続く中、クリスは今までに把握していない情報が頭に入ってきて、思わず手を止めた。
頭の中で情報を整理する。
セオリーの言葉に混ざっていた単語にクリスが気がついたことを察したエリオットは、渋そうな顔でクリスを横目に見た。
彼と目が合ったクリスは、丁度良いと思い、遠慮無く問いかける。
「エリオットさん、どこかの王子様なんですか?」
「いや、そこを聞くのかよお前は」
種族などで様々な地方に小さく集っていることもあるため、何となく王子と一言で言っても沢山居るだろう。
だがエリオットは、クリスが問いかけてきたことに不服そうな顔を見せて、その先を言い渋る。
そこへセオリーが助け舟を出した。
「大陸全体の統治国の王子ですよ、三男ですがね」
「なるほど、エルヴァンのですか」
「一応その辺りはせめて名前くらいきちんと覚えておかないとだめですよ」
「いやぁ、田舎の出なもので縁が無さ過ぎて……」
実家を教えたくないわけだ、王子様がこんなところで悪さばかりしていれば色々問題に違いない。
というかこんな人が将来上に立ったら大変だから、家出をしてくれて国は助かったのかも知れない。
などとクリスの脳内で今までの疑問が解消されたところで、はた、とクリスは自分が受け止めた事実の大きさに気付く。
「ってエルヴァンの王子なんですか!?」
「反応遅すぎて突っ込む気にもならないっつーの」
クリスが驚くのも無理は無い。
最初にクリスが想像していたような各種族のものなどではなく、この大陸を統治している、間違いなく『大国』の王子だと言うのだから。
クリスの大声をスルーして、残りの二人は平然と武器を探し続ける。
が、クリスは気が動転していて物を探すだなんてどうでもいいことに手がつかなかった。
そしてクリスが動揺している間にようやくお目当ての物が見つかる。
「あぁ、ありました」
セオリーが姿を見せずに声を発した。
実際には単に少し遠いところまで探しに行っていた為に姿が見えないだけで、消えているわけではないのだが。
とりあえず身分の件は後で本人に問いただすとして、クリスはセオリーに駆け寄る。
そこは先ほどの浄化術が届いていなかったらしく、まだ骨が散らばるあたりでその武器は転がっていた。
「槍?」
先日刃が溶けて一部使い物にならなくなっているクリスの槍と、大まかな形状は似ているだろう。
ただ、見たことの無い装飾は先程集めていた他の武具同様である。
「どう見ても槍だな」
エリオットが馬鹿にしたような相槌を入れた。
「さ、これでお終いです。約束は違えません。この箱に入れて貰えますか」
セオリーが急かしたので、クリスは素直にその槍を手に取る。
しかし、その槍は今まで通りにはいかなかった。
クリスが槍を手に取った瞬間、辺りの空気が濃くなる。
それと同時に、他の何をも寄せ付けないような風圧が槍から発せられた。
「お、おい……!」
セオリーを睨み付けるのは、エリオット。
セオリーはというと、細い瞳を更に細くさせてクリスを凝視していた。
え、まさかここで自分は姉の二の舞を踏むんじゃないだろうか。
そんな考えがクリスの脳裏を過ぎり、とにかく意識をしっかり持とうと槍を持つ手に力を込める。
「あの……これ、止まらないんですか?」
クリスはセオリーに問いかけた。
会話は出来る、頭も冴えている。
ただ、槍からは異常な風圧とエネルギー。
「槍を、放してみてください。出来たら放すついでに箱の中へ。この箱越しでないと私は持てませんので」
至って冷静な回答がきた。
しかし、
「手、放せません……」
強く握っていた手を緩めても、何故かその槍を放すことは出来なかったのだ。
いや、緩めているつもりが、実は緩まっていないのかも知れない。
そう、誰かに体を乗っ取られているように。
わけも分からないがとにかく意識はまだある。
落ち着けば何とか出来るかも知れない。
そんな時、
『そのまま右手の通路の奥へ進め』
聞き覚えの無い声がどこからともなく聞こえる。
どうしようも無いのでクリスはとにかくその聞こえる声のままに進んでみた。
「どこへ行くんだ?」
「あちらへ……」
エリオットの問いかけに一言返事をすると、その声が示す方へ進むクリス。
『そこの壁に触れれば取っ手が出る』
『引いて、またその奥』
やたらと的確な指示の下、ただクリスはこの鉱山の奥へ奥へと進んでいた。
エリオットとセオリーも、槍が放つ風圧の為か少し離れてクリスに着いて行く。
「ふむ、まずいですね……」
何かいやな予感がする言葉がクリスの後ろで響いた。
その瞬間。
クリスを襲ってくる魔法の氷の矢。
寸前でエリオットがセオリーを蹴って矢の軌道を逸らしていなければマトモに当たっていたかも知れない。
セオリーが攻撃を仕掛けてきたのだ。
エリオットに蹴られた部分の埃を払いながら、セオリーが次の一撃の魔力を手に込めているのが分かる。
槍の風圧にも劣らない風がそちらからも舞い上がった。
「この先に進むようでしたら、力づくで止めます」
ふと見渡すともう既に骨など無い。
先程と同じ研究施設には違いないのだが、どうもこの先はまだ使っている感じがする。
見られたくないのか……しかし何故先程の声はそんな場所に案内をしたのだろう。
クリスは浮かんだ疑問をそのまま口に出した。
「この先に何が?」
「答えると思いますか?」
思わないので口を噤むクリス。
槍から出る風圧はいつの間にか消え、槍は手から普通に放すことが出来ていた。
しかしその事実を意識して気付くことはクリスには無く、ただ自然にその槍を持ち替えてセオリーに切っ先を向ける。
――馴染む。
あぁ、この槍はもう、
私の物だ――
「クリス!!」
エリオットがクリスの名前を呼ぶ。
少し記憶が薄れていたような気がしてクリスは周囲を見渡した。
そして、自分が槍を使ってセオリーに斬りかかっていることを知る。
しかも悪魔の姿に変化して。
セオリーはというとクリスの槍を小さなナイフで軽々と受け流し、ずっと攻防を繰り返していたらしい。
クリスはその攻防の記憶は無いが、セオリーの息の弾み方は、やり合った回数が複数であることを示している。
「凄いですねそのナイフ」
何だか大層な槍相手に折れぬナイフへ、クリスは賞賛を浴びせた。
間合いの差をものともせずに受け止めたセオリーの技術も凄いとは思うが、槍とナイフで、ナイフが負けないというのはどれだけの業物なのだろう。
……とクリスは考えていたが、エリオットはそれが武器の質よりも使い手の腕前によってナイフへの負担を最小限に抑えて耐えさせていることを見てとっていた。
その技術に、戦慄さえ憶えるほど。
当のナイフ使いは、
「いえ、既に刃こぼれが出来ています」
軽く苦笑い。
その時だった。
パァン! と耳鳴りがするくらいの高く弾ける音。
キングオブ不意打ち。
エリオットの放った弾丸は見事にセオリーの頭を打ち抜いていた。
揺らめくセオリーの体。
エリオットは銃を仕舞うとすぐに何やら手に光のような物を持って、誰とも言わず命令する。
「早く斬れ!!」
言うなりクリスより先にセオリーに向かって振り下ろしたエリオットの手の光は、セオリーの首すれすれでガキンッと耳障りな音を立てて止まる。
薄っすらとセオリーの首筋に魔術で防御壁が作られているようだった。
クリスも慌てて向かったものの、もう既に防御体制に入っているのだろう。
はじき返されるばかりで傷一つつけられない。
「面白い銃弾ですね、撃たれて穴が開くなど久しぶりです」
頭に穴を開けられたというのに血は出ておらず、痛みに悶える様子もなく、薄っすら笑う白緑の髪の男。
やはりヒトには分類されないのか。
エリオットは小さく舌打ちをし、その手の光を握り消した。
セオリーは撃たれたことなどお構いなしに腕を一振りし、氷の矢を具現化し放ってくる。
これくらいの物理魔法なら弾き返せばいいだけ。
なのだが、
「!!」
間を挟んで黒い電圧の玉のような物も飛んできて、クリスは槍で弾こうとして偉い目にあった。
「あ……」
雷撃を弾き返せるわけもなくマトモにかぶった瞬間、体が動かなくなってしまったのだ。
これでは氷矢を避けられなくなり、セオリーがまた、冷たく微笑みかける。
クリスに向けられる氷の数が増えた。
「バカが!」
トラップはかわしたらしいエリオットが叫ぶ。
氷の矢を薙ぎ払いながらクリスの元へ向かうが、少し遅い。
無数の氷の矢を体で受け止め切れるか、いや、並の魔法使いのものならまだしもこの男の魔法がそんなにヤワとは思えない。
出来ることが思い浮かばず、ただ恐怖でクリスが目を瞑ったその時。
「諦めるのが早いぞご主人」
先程までクリスだけに聞こえていた謎の声が、今度はハッキリとクリスの目の前からその場に居た全員に聞こえる。
クリスが目を開けると、ついさっきまで自身と氷の矢の間には何も無かったのに、今は何故か長身で銀髪の青年が立っていた。
青年は氷の矢を全て体で受け止め、しかも氷は全てその青年の体にぶつかると脆く崩れさる。
……まるで青年の体があの氷よりも硬いかのように。
呆気にとられるエリオットと、攻撃の手を止めて少し眉を寄せるセオリー。
「では、方法を変えますか」
セオリーはそう言うと、クリス達のほうの宙に大きな円を手で描き、
「行きなさい」
クリス達を光の中に消した。