失意の先に ~それでも前を向いて~ Ⅰ
何の障害も無く、ニールはダインを貫いた。
パキィィン! と硬い音をたてて真っ二つに折れる大剣と、それを突いた先からヒビ割れ始める槍。
ニールの本体は、やがてそのヒビが矛先全てに行き渡って、柄の部分を残しながら崩れ落ちる。
「そ、んな……」
そう、相打ちとはこういうこと。
予め言われていたのにニールを、自分の半身を壊したことにクリスが呆然としていると、崩れた剣と槍から黒いもやが出始めた。
「ま、まずい!」
先程のように周囲を暗雲で包まれるかと焦るクリス。
だが、そのもやはふわりと宙で固まり、そのままクリスの身体に吸い込まれるように飛んできて、消えた。
その瞬間、クリスの中でドクン、と脈打つ何か。
呪いなのか、クリスの身体に入るように消えたソレは、少女の鼓動を早くさせる。
「あ、う……」
自分はコレを覚えている。
記憶には無いけれど、『この感覚』を身体は覚えている。
気分が悪くなってたまらずクリスはびしゃりと地に吐いたが、しばらくしてクリスの容態は落ち着き、特に腐敗や水晶化の呪いのような症状は出てこない。
口の中に残った酸っぱい物をぺっと吐き出して気分を落ち着かせると、とりあえず急いで戻った。
そこには荒れた夜街を片付けたりしている軍の兵士達が沢山居て、その中に手当てを受けているルフィーナを見つける。
だが、レクチェもエリオットもローズも居ない。
「剣は折りました、こちらはどうなったんです?」
随分ぼろぼろになっているルフィーナに駆け寄って問いかけると、彼女は俯いて小さく答える。
「レクチェは……もうここにはいないわ。エリ君も、兵士に顔がバレる前にクリスのお姉さんのお墓作るって、行っちゃった」
この返答から、やはり精霊は嘘を吐いていたのだ、と思ったクリス。
まさか解放された後にセオリーによって殺されたなど、想像がつくはずも無い。
クリスは姉の死を予め覚悟していたとはいえ、言葉として改めて聞くと苦い気分になる。
最後までローズが元に戻ることを願っていてくれたエリオットを思うと、申し訳なさで胸が詰まりそうだった。
「どこに作るって、言ってました?」
「故郷の教会って言えばクリスには分かる、って言ってたけど……」
「遠ッ!!」
途中では砂漠だって通る、普通に行ったら死体なんて腐ってしまう。
ということは飛行竜しか考えられない。
しかし、クリスは翼の怪我で今とてもではないが飛べそうに無い。
お金も全部エリオット持ちだ。
銀行で下ろせばいいだけの話なのだがこの時クリスはそこまで頭が回らず、ひたすら困っているとこちらに近づいてくる一つの足音。
「クリス、今回の件も君たち絡みな……」
茶髪のポニーテールに赤い鎧の軍人。
声をかけてきたレイアにクリスは勢い良く飛びついた。
「飛行竜を貸してください!!」
飛行竜を借りてクリスはすぐに王都を旅立った。
今度こそもう旅は終わるし、エリオットも抜け出したりしないであろうことを告げて。
事情説明はルフィーナに任せ、真っ直ぐ自分の故郷へと向かった。
小型でも流石に竜は大きくて早い。
クリスも一人で飛べば早いが、サイズの違いからくるこのスピードには勝てないだろう。
半日程度かけて、昼前にはアガム砂漠の更に南にある故郷、ムスペルに着いた。
街の人々はほとんど顔馴染み。
とはいえ背中の破けたワンピースで髪の色も違うクリスに、声をかける人などいるはずも無い。
教会の中にはあえて入らずに裏の墓地へ向かって歩いていく。
広い墓地だけれど、後頭部で結わえた赤が濁った蘇芳の髪はとても目立った。
それは風に吹かれながら昼の光に照らされて、存在を主張している。
「エリオットさん」
後ろから声をかけると、青い花が供えられている簡素で小さな墓の前で彼はゆっくり振り返った。
泣き腫らした目、血の付いた頬や唇、そして彼の服の前面も真っ赤に染まっている。
「早かったな」
すぐにクリスから目を離して、また彼は墓をじっと見つめて続けた。
「今まで俺達がやってきたことは、一体何だったんだろうな」
「それは……」
こんな形であっけなく終わった最後を、簡単に受け止められるわけが無い。
彼の問いに答えられず、クリスは口篭もる。
どこで自分は、自分達は、間違えてしまったのだろう。
他に何か違う結末を迎えられなかったのか。
こんなことを考えても仕方ないけれど、クリスの胸には後悔ばかりが積もる。
クリス達は、お互いの足を引っ張り合いながら、本当に失敗ばかりしていた。
目的を同じとしていながら、何ていう様なのか。
「ようやく見出せた光も目の前で消えた。馬鹿馬鹿しい話だよな、俺の生きてきた道には今何も残って無いんだぜ」
「そんなこと……」
無い、と言いたい。
けれど言えない。
残っていないわけでは無いが、その残った物は彼にとって全く価値の無い物なのだとクリスは思う。
それはきっと、残っていないのと同じだ。
周辺に大きな建物が無い墓地は、全てを洗い流すように風が吹いている。
供え物の青い花の花弁が少しずつ宙へ散っていった。
「これじゃ俺は、生きてたのに死んでたのと変わらないじゃないか」
そう、乾いた声で吐き捨てる。
「そ、それは違いますよ!」
「そうか? 俺はそうは思えない」
そう言って彼は短剣を懐から取り出した。
綺麗な装飾のなされた鞘と柄が太陽の光で輝いている。
エリオットが短剣なんて持っていた記憶はクリスには無いけれど、何故ここでそれを出す……と思った瞬間、脳裏に最悪の考えが過ぎった。
クリスは思わず彼の手から短剣を取り上げていた。
「なっ!」
驚くエリオットに次の言葉を投げかける。
「今止めても結局後で自殺されては困ります。それならいっそ……」
短剣を鞘からスッと抜き、クリスは溢れる涙を必死に堪えて、波打った剣身を彼に向け構えた。
「大罪を犯させるくらいなら、私の手で楽にしてあげましょう……っ!」
「何かよく分からないけど、殺される!?」
猛ダッシュで逃げ出したエリオットを、クリスは刃物片手に追いかける。
しかしちょこまかと彼が逃げ回るので、大きな声で呼びかけた。
「一瞬で済みますから!!」
「いや、待てよ! 誰が自殺するんだよ! 逃げてんだろ俺!!」
「……それもそうですね、何で逃げるんです?」
「むしろ俺はどうしてお前がそんなことをしようとしてるのか聞きたいわ!」
散々追いかけられて息を切らすエリオット。
クリスも少し疲れて、逆に頭が冴えてきた。
あの状況で刃物が出てきたから思わず行動に出てしまったが、じゃあ自殺する気では無いとしたらコレは?
「えーっと、この短剣は何ですか?」
「……お前にやろうと思ってたローズの形見だよ」
エリオットは頭をぽりぽりと掻いて、申し訳無さそうにクリスを見る。
「そんな死にそうな顔してたか、俺」
クリスが無言でコクコクと頷くと、彼は少し伏目がちになって溜め息を吐いた。
そしてローズのものだと思われる墓へ視線をやって呟く。
「死にたくても死ねないっつの、やらなきゃいけないことが出来たからな」
その顔は少し悲しそうで、でもどこか嬉しそうにも見えた。
「やらなきゃいけないこと、ですか?」
想像のつかない彼の今後の目的とやらに疑問符を投げかけると、エリオットは笑みを浮かべてクリスを見やる。
その表情は、ローズが昔クリスによく見せていたような、優しくて、それでいて何かもう一つ深く強い意志が込められているような笑み。
「遺言でお前のお守りを頼まれたんだよ」
その言葉で、クリスは何故エリオットが姉と同じような顔を向けたのかすぐに理解できた。
そしてそんな顔をして見るということは、エリオットはもう既にローズと同じような気持ちでいる、と言うことになる。
つい先刻まで敵意を向け合ったりしていた仲の相手に心からそこまで出来るだなんて、どれだけローズのことを想っていたのだろうか。
「……エリオットさん」
「どうした? 嬉しくて涙が出るか?」
クリスは心に浮かんできた言葉を言うべきか一瞬迷ったが、ここは敢えて言葉に出すことを選んだ。
「いえ、私のお守りを出来るほど大人になれていない人が、よくそんな顔でそんなことを言えたものだと思っただけです……」
「殊勝な顔をして言うようなセリフじゃねーぞ!?」
勢いよくツッコミを入れてくるエリオットに、クリスはにっこりと笑顔を返す。
「ありがとうございます、気持ちだけは頂いておきますよ」
「それもそんな屈託の無い笑顔で言うようなセリフじゃねーから!!」
クリスはこみ上げてくる気持ちに素直になって、ふふふと笑った。
でも少し気恥ずかしくて、風に靡く髪を掻き揚げてからエリオットに背を向ける。
そこで、彼はそんなクリスに向かって呟く。
「……おいクリス、服が後ろから見ると凄いことになってるぞ」
「気にしたら負けです」
しかしよく見てみるとお互い酷い格好だった。
片方は血まみれ、片方は主に自分の翼で背中の辺りを破いてボロボロ。
こんな服で周囲の目も気にせずによくここまで来られたものだと互いに思う。
今頃になって二人は恥ずかしくなってきた。
「あれだ、もう吹っ切れたよ」
そう言って背伸びをして結っていた髪を解いたエリオットは、そのまま髪をいじって付け毛を丁寧に外していく。
彼の言うこと、つまりそれは心配しなくていい、という意味か。
「それならいいですけど……」
改めて、エリオットから無理やり奪った短剣を見つめながらクリスはぼんやりと返事をした。
その装飾や形状は少し歪な印象を受ける短剣。
波打った剣身と、柄の不思議な飾りが印象的である。
けれどよく使い込まれていたのが分かるくらい、新品ではなく後から何度も磨いだ跡。
クリスのその様子に、付け毛を外しながらエリオットが呟く。
「っつーかお前の方が俺よりあっさりしてるのは何でなんだよ、ビックリするわ、その態度」
エリオットには、クリスがそんなにショックを受けていないように見えるらしい。
クリス自身でも実際にそこまで落ち込んでいる感じはしない。
それは多分、エリオットとは違ってずっと前からこうなることを覚悟出来ていたからなのだろう。
今なら打ち明けてもいいか、そういう思いでクリスは告げた。
「実は私、結構前から姉さんを生きたまま救うことは無理だってことを知っていたんです」
あえて『生きたまま』と付け加えたのは、死なせてしまってもこれはこれで救えたと思っているから。
「あの精霊は大人しく姉さんに身体を返すようなタマではありません。他に方法が無い以上、姉さんを解放するにはアレしか無かったんですから、いいんです」
「…………」
エリオットの返事が無い。
ただの屍になったわけではなく、単に遠くを見つめて黙っているだけ。
付け毛を外す手も止まって、何やら深く考え込んでしまっているようだ。
そこまで悩むような言葉だったと思えず、クリスはふと出た疑問に首を傾げる。
「エリオットさん?」
「ん? あぁいや悪い、そうだな。前から知ってたならショックは少ないよな」
「えぇ。ただ、最後に遺言が聞けたのなら私もその場に居たかったというのはありますけど」
贅沢な願いかも知れないが、最後に自分の知っている姉に逢いたかった、と。
少し恨めしい気持ちでエリオットに苦笑いを向けた。
しかしその先には、思っていたものとは違う表情の彼。
「何故そんな顔を? 何か気に障りました?」
眉間に深く皺を寄せ、目を細くして斜め下の足元を睨む。
そんな顔をさせるほど嫌なことを言ってしまった覚えはクリスには無いのだが、エリオットからすればクリスの言葉は間違いだらけだったのだ。
それも、今更訂正しても、蟠りしか残らないような事実があるだけの。
クリスの問いに答えることは無く、エリオットはまた無言になって、気持ちを落ち着かせるかのように震える手元で付け毛を外す作業を再開した。
クリスはただ彼のその様子を、それ以上問いたださずに見る。
やがて全ての付け毛を外し終えたエリオットは、すっきりした髪をぐしゃぐしゃと掻いてから、天を仰いで言った。
「髪、伸ばそ」
彼の足元で、青い花が笑うように揺れた。