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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第一部 第十四章
36/138

戦火 ~再び起こる悪夢~ Ⅳ

挿絵(By みてみん)


   ◇◇◇   ◇◇◇


「くそ、どうすりゃいいんだ……っ!」


 ルフィーナに幾度も攻撃を浴びせられながら、エリオットはただひたすらに逃げ惑う。

 抵抗しようにも両腕はローズの身体で塞がっていて、何にも出来やしない。


「お前、自分で逃げられないのか!?」

「無理だよぉ、そこら中の骨が折れちゃってるもん。ボクは別に痛くないけど歩きようが無いや」


 ローズの身体の脆さに、エリオットは顔を顰める。

 いや、最近はクリスを見ていたからアレが普通な感覚になっていたが、エリオットは今までローズと旅していた時、彼女にあそこまでの腕力やタフさを感じたことは無かった。

 変化の形状が違うように、その性質も全く違うのかもしれない。

 城の方角にクリスが走っていくのが、彼の視界に入った。

 狙いはきっと大剣だろう。

 クリスは大剣を自分の手で持つことでローズを助けるか。

 それとも剣を壊してさっさと終わらせるか。


「はっ……」


 エリオットは自らの考えに嘲笑する。

 周囲の人間を優先して、自分の姉を手にかけようとしたクリスが、今自分の身を犠牲にして姉を助けようとするわけなど無いと思ったのだ。

 それと同時に、クリスを犠牲にしてまでローズを助けようと思い悩んでいる自分が嫌になる。

 止まらぬ魔法の攻撃で、どんどんエリオットはクリスの方向から離されていった。

 ルフィーナの追い込み方が上手で、クリスに近づこうにも逃げ道が反対側にしか残されていない。


「おい、クリスがお前の本体狙ってるみたいだぞ」

「ボクとの交換条件飲んでくれる気になったのかな?」

「それは無いな」

「……一応言うけど、魂を返す前にボクが折れたらこの女は二度と元に戻らないからね」


 そんな気はしていた。

 クリスがローズを本気で狙っている目を見た時。

 救う気が無いのではなく、もう救えないのでは無いのか、と。

 それでもエリオットが足掻いたのは、信じたくなかったから。

 実際一つも救う方法が無いわけでは無かったし、自分のやったことは結果として良かったとも思っている。

 この精霊が言っていることを信じれば、の話だが、その意志一つでローズを元に戻すことは可能なのだから。

 クリスを引き換えにするという選択は流石に躊躇うが、精霊の考えをどうにか改めさせるためにも、まず大剣を折ろうとしているであろうクリスを止めなくてはいけない。

 この城にも、世界にも、執着などは無いのだから。

 何だってくれてやる。

 エリオットはそう、思った。


「人使いが荒いな!」


 足をしっかり地面につけて、エリオットは足で無理やり地に魔力を流し込む。

 すると彼の魔力が地面を伝って、辺り一面が光の海へと変わった。

 瓦礫や死体や水晶が無残に転がっている、ヒビ割れて荒れたこの空間を……瞬時に平らにならして動きやすくする。

 同時に、ルフィーナの土魔法を使えないようにした。

 エリオットの硬質な魔力が流し込まれたままの地面は、彼女の魔力では動かしようが無いからだ。

 瓦礫も死体も水晶も、今はこの平らな、土とも石とも取れない白く光る地面の下。

 その輝く地面は真っ直ぐ城へと続き、他を寄せ付けぬ厳かな光景だった。


「コレは……」


 エリオットの腕の中で、精霊が呟いた。

 何か気に掛かることでもあったのか、その光景とエリオットを交互に見つめている。

 が、そんなダインに構っている時間などエリオットには無い。


「走るぞ」


 魔力操作を誤って片足だけ靴底が抜けてしまった状態で、エリオットはルフィーナ目掛けて走り出す。

 魔法の追撃により距離を稼がれていたが、ようやく直接対峙出来るくらいに近付いた。

 エリオットを見るルフィーナの目は憎しみで紅く燃えており、またロッドを構える。

 行かせる気は毛頭無いらしい。

 土魔法が使えなくなったとはいえ、彼女にはまだいくらでも方法はあるのだ。

 そう、大型竜すらも足止め出来る魔術が。


「またあの時みたいに二人で拘束魔術にやられても面倒だよねぇ。さっきのを使っちゃおうかな」


 ダインは指先を少しだけルフィーナに向けて、そこから黒いもやを飛ばした。

 突然のことにルフィーナは成す術も無くただ目を瞑ってしまう。

 その黒いもやは、女神の遺産の、呪い。

 彼女もここで昔の自分のように腐敗の呪いにかかるのか、と感情の凍った、淡々とした思考がエリオットの脳裏を過ぎった。

 が、それはエリオットの予想とは外れ、彼女の前でパチンッ! と雷でも走ったように弾けて消える。


「あれ?」


 ローズの顔を怪訝な表情にゆがめる精霊。

 そしてそれはみるみるうちに、恐怖に慄く色へと変わっていった。


「何故お前がそれを持っている……!!」


 そう言うなり、精霊は目を見開いて口元を震わせながらエリオットに強く抱きつく。

 その腕も肩も、今までの余裕が掻き消えるほど小刻みに揺れていた。

 何が精霊をそこまで怯えさせているのか分からず、エリオットはとりあえず警戒を怠るべきでは無いと判断して、ルフィーナから距離を取りつつ、迂回してクリスの方へ行くことを選択する。

 ルフィーナは何も起きないことにようやく疑問を感じたのか、そっと目を開き始めた。

 が、もうエリオットは彼女よりも城側に位置しており、後は背を向けて逃げるだけ。

 腐敗の呪いを使うことには失敗したが、時間稼ぎは十分成功したのだ。

 なのに、そこに突如現れたいつもの邪魔者。


「台無しですよ」


 短い白緑の髪を、戦場に吹き荒れる風になびかせて、大層不機嫌な顔でエリオットの目の前に立ち塞がる。

 眼鏡の下の眼光は、普段以上に鋭い。


「流石にやり過ぎましたね。大事な女神の遺産とはいえ、もう不必要と判断されましたので私もあの子供側につかせて頂きます」


 その姿を見て、エリオットは目の前が真っ暗になるのを感じた。

 今までセオリーは、ローズを含む女神の末裔、女神の遺産、そしてビフレスト、全てをどうにかうまく手中に収めるべく行動していたように思う。

 だからこそ彼は、ある程度の牽制はしてきてもそれ以上踏み込んでこなかった。

 彼の目的からすれば、どちらも必要なのだから。

 だが、ここにきてセオリーは二兎を追うことを諦めた。

 折角記憶を取り戻したビフレストを再度使い物にならなくした問題児を、処分しに来たのだ。


「無理だ……」


 前にセオリー、後ろにルフィーナ。

 この状況で、勝てるわけが無い。

 それによってこれまでの苦労や無茶が全て水の泡になるという失意から、その場に崩れる。

 エリオットは自分が諦めの悪い人間だと思っていたつもりだったが、本当に無理だと悟るしかない状況が存在することを実感した。

 その様子を見て、何か考える素振りをしながら、エリオットの胸元で精霊が小さく呟く。


「……仕方ないや、コレは返してあげる」


 そう言ってローズの身体で精霊は静かに目を閉じる。

 何が仕方ないのかエリオットには判断がつかなかったが、確かに今「返してあげる」という言葉が彼の耳に入った。

 言葉の意味をそのまま受け取っていいのか。

 僅かに残った希望の光にエリオットは、腕の中で眠ったように目を閉じているローズを黙って見つめた。

 しかし、


「無駄な抵抗をしないのは良いことです。無益な殺生をする気はありませんから、王子は殺さないであげますよ」


 嫌な予感がしてエリオットはセオリーのほうを向く。

 その時。

 エリオットの腕を上手にすり抜けて、セオリーの放った魔法の氷の矢がローズに刺さる。

 全部で三本、エリオットに一切傷つけること無く、その上で致命傷となるべくローズの身体に深く埋まっていた。


「あ……」


 あまりの出来事に何も考えられなくなったその後のエリオットの反応など見向きもせず、セオリーは次にルフィーナの方へと歩いて行く。


「うまく不意打ちされたものですね、ほぼ壊れてしまっているではありませんか」


 横たわるレクチェを見下ろして、特に感情のこもっていない声で。


「壊れた体でも研究には何かしら使えるかも知れません、回収しましょうか」


 そう言ってレクチェに手を伸ばすセオリーを遮り、ルフィーナが瞬時に魔術紋様を地に描いた。


「アンタに渡すくらいならッ!」


 最後にロッドで紋様を一突き。

 青い光と共にレクチェの身体が少しずつ消えていく。

 それは、セオリーが使う空間転移魔術と酷似していた。

 目の前で消えてしまった被検体に、セオリーはごく僅かではあるが静かな怒りをルフィーナに向ける。


「どこへ飛ばしました」

「アンタみたいに位置指定なんて出来てたら苦労しないわよ!!」


 それだけ叫んで二人は改めて対峙し始めた。

 残されたエリオットは腕の中でこのまま絶命するしか無い愛する人を、呆然と見つめるだけ。

 ライトのところに連れて行きたいが、この深々と抉られた傷では下手に動かすことも出来ないし、この場でエリオットが治療魔術を使おうにもやはり少し動かすだけで傷に障ってしまうのは明白だ。

 抱き抱えている腕を動かすことすら、今は許されない状態だった。

 先日レクチェがしていたように魔力で治そうと試みるが、その操作をローズにしようとしても、何故か上手く魔力が伝わらない。

 すると、


「……泣いてるのね、らしくない」


 苦しそうな表情で、でも口元だけはその笑みを絶やすことなく、一言ローズが喋った。

 意識が飛んでもおかしくないほどの怪我なのに、だ。

 奇跡のような光景に、エリオットが目を見開く。

 しかしすぐにごぽりと口から血を吐くローズ。


「しゃ、喋るんじゃない……!」


 やはりあの大剣の精霊はローズを元に戻して消えたのだ。

 なのにセオリーは気付かず、そんなローズを手にかけた。

 その理不尽さとやるせなさにエリオットは今すぐにでもあの男を殴りたかったが、この状態のローズから離れることなど、出来るわけがない。


「ずっと秘密だったけどね、私、妹がいるの……」

「あぁ、知ってるよ……」


挿絵(By みてみん)


 溢れる涙で、もっとよく見たい彼女の顔が見えやしない。

 そこへ、少し離れたところから聞き覚えの無い声がする。

 大きい爆発音などがしなくなってから随分経っているため、多分様子を見にきた兵士と思われた。


「……仕方ありませんね。見逃してあげますよ、ルフィーナ嬢」


 そう言って掻き消えるセオリー。

 レクチェがいなくなってしまった以上、彼がここに残り続ける理由も無い。

 下手に姿を見られるよりは去ったほうが良いと判断したのだろう。

 実力差から弄ばれていたに過ぎないルフィーナは、セオリーが消えてすぐに膝をついて倒れてしまう。

 そしてその後すぐに、無事に生き延びていた兵達が様子を伺いつつ、騒ぎの中心であるエリオット達に近づいてきた。


「ッ来たら殺す!!」


 エリオットは顔を上げて天に向かって大声で叫ぶ。

 第三者で治療魔術を使える者の助けを呼ぶことも考えたが、やはりそれはこの傷では間に合いそうにない。

 となれば、騒がしい連中が寄ってきて、ローズの言葉を掻き消されたらたまったものではなかった。

 その叫びに、先程までの惨劇もあってかそれ以上不用意に近づいてこない兵士達。

 ローズはだんだん焦点が合わなくなってきている目をしていた。

 けれど、まだ伝えるべきことがある、と言わんばかりに力を振り絞って言葉を紡ぐ。


「妹は、何も知らないの。だから、私が終わらせたかったんだけど……もう無理みたい」


 死ぬ間際で思い残しているのはクリスのこと。

 エリオット個人に言い残すことは無いらしい。

 けれどそれを言っちゃあ小さい男だ、とエリオットは思う。

 最後まで彼女の忠実な下僕で居てやろう、と。

 少しだけクリスに嫉妬し、それを押し殺してからエリオットはローズに問いかけた。


「何か、俺に出来ることは?」

「私の盗んだ物を、見直して、繋げれば、妹を……」

「あぁ、全部言わなくていい、もう分かった」


 ローズが盗んでいたのは、とにかくクリスのための物だった、ということ。

 ローズの目の焦点がふいに合って、エリオットを見た。

 苦しいだろうに呻くこともせずに、微笑みだけは絶やさない。

 その微笑の意味は色々だったが、思い起こすと彼女はいつも笑っていた。

 そして、今も。

 出来ることなら、その笑顔を崩せるくらいの存在になってやりたかったけれど、それはもう叶わない。


「……その髪、いつもよりは、いいわよ」


 目が合ったと思えば、失礼なことを言うローズ。

 まるでいつもがイマイチみたいに。


「お前の妹も同じこと言ってたよ、酷い姉妹だな……」


 エリオットの言葉を聞いて、最後にふっと頬を自然に緩ませてから彼女は目を閉じる。

 それは皮肉なことに、今までエリオットが見てきた彼女の笑顔の中で、一番優しいものだった。

 妹のことを想ってなのか、目の前の青年の軽口に対してなのか、定かではないが。

 クリスは今頃あの大剣を壊しているのだろうか。

 最後の最後で目的を違えた、旅の連れのことをエリオットは考える。


 ――クリス、お前がどんなにローズに愛されていようが、お前に出来なかったことを俺は今やっている。

 これは俺のちっぽけなプライド。

 見取ったのは、俺だ。

 ローズを諦めようとしたお前じゃない――


 そう、心の中で一人呟く。

 彼は、やがて動かなくなったローズに口付けをして、俯き、声をあげずに泣き続けた。


   ◇◇◇   ◇◇◇


「何だか騒がしいですね……」


 一生懸命瓦礫を掘っているのだがどうにも剣が見つからずに、だんだん萎えてきているクリス。

 事態が収束でもしたように、大きな物音のかわりに人々の声ががやがやとクリスの耳に届いてきた。

 しかし、収束したとなるとどういうことになるのか。

 クリスにはまだ大剣を折る前に事態が収束した、という状況が想像出来ない。

 そこで、槍の先に、突いても壊れない物が当たった感触がした。


「!!」


 慌ててそこを掘り起こすと、あの大剣が見つかる。


「もう失敗しませんよ……!」


 クリスは槍を振り上げて、大剣目掛けて振り下ろそうとした。

 そこへ頭に響く声。


『君のお姉さんは元に戻してあげたよ』

「!?」


 ダインの声が、クリスの脳に直接響いてきた。

 やはり精霊武器は、近くにいれば女神の末裔と多少の思考のやり取りは出来るのだろう。


『だから見逃してくれないかなぁ? ほら、折れちゃったら意味無いし、ボクとしてもこうするしか無かったんだよ』


 もうどうしようも無くなった状況でローズを解放したのは、その後の交渉のためだったらしい。

 だが、


「姉が目の前に居ない今、信じられるわけが無いでしょう」

『ボクがこの剣に戻ってきたってことは、解放したってことなんだってば!』

「だから、信じられないと言っているでしょう」

『うー、信用ないなー、ボク』


 散々人を騙してきた精霊の言葉は、真実であるにも関わらずクリスには通じなかった。

 むしろ、これはもしかすると時間稼ぎなのかも知れないとまでクリスは考えた。


「お話はここまでです」


 少しだけ距離を取って、またクリスは投げる構えを取る。

 やはり振り下ろすやり方では、何となくこの大剣を折れない気がして。

 またあの黒いもやが出なければいいのだが、手加減しては大剣を折ることはきっと出来ない。

 多少の被害がまた出たとしても、今度こそ外さずにやり遂げなくてはならない。


「いきますッ!!!!」


挿絵(By みてみん)


 今度こそ全力で、投擲した。


【第十四章 戦火 ~再び起こる悪夢~ 完】

※ここで四コマ挟むのもアレなのでやめておきました。

 この流れのまま、引き続きお楽しみくださいませ。

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