戦火 ~再び起こる悪夢~ Ⅲ
クリスが渾身の力を込めて投げたその槍は、禍々しい気を纏いながら全ての力を出し切るようにローズ目掛けて飛んで行く。
ニールはその横刃がある形状からは考えにくいが、本来投げ槍なのだ。
しかし槍が命中するその直前に、ローズの身体がのめりこんでいた城の一部が、爆発音と共に下から崩れた。
その分、下へずれ落ちたローズの身体に槍は当たらず、その頭上の壁をぶち破る。
渾身の一撃を……外してしまった。
瞬間、大きな黒いもやのよう何かが槍から地上に、空中に、物凄い勢いで溢れて辺り一体を暗闇へと変えていく。
ただでさえ今は夜。
そこへ更に、霧に近いもやのせいで完全に視界はシャットアウトされてしまう。
様々な悲鳴が地上から聞こえてくるが、一体どんな惨状になっているのか視界が悪くてクリスは把握が出来ない。
だが、芳しい状況では無いのは明白だった。
命中させることが出来ずに外した槍から、込めた威力分の何かが溢れて周囲に被害を被らせているらしい。
「何てこと……」
予想など出来るはずも無かったこの結果に、クリスは思わず声を漏らす。
ローズの身体を無理やりずらしたのはきっとエリオットだろう。
城の塔の一階部分をほぼ壊すことで、上の階をだるま落としのように崩れ落とさせたのだ。
やがて周囲にたちこめていた霧のような黒いもやがだんだん晴れてきて、ようやくクリスは何が起こったのかを把握する。
ダインが斬った物を腐らせる呪いを持つように……ニールにも同じような特殊な力があると何故考えなかったのだろうか。
ダインだけが特別だと言われていて、抜け落ちていたのか。
いや、今まで槍を振っていても特に特殊な力が発動したことが無かったせいというのもある。
今、クリスがニールの力を出せていたことが、こんな悪夢を生むことになろうとは。
もやに捲かれていた地上の人々の体は、水晶へと変化してその場に転がっていた。
宮廷にでも飾られるような、とても精密に造られた彫像のような水晶。
それは、ダインが創り出す腐敗の呪いとは比べ物にならないほど綺麗で、犯してしまった過ちとそれに対する恐怖という感覚を痺れさせる。
とても、とても美しい芸術のような呪い。
「ニール……」
呼ぶと、完全に崩れ落ちている城の残骸の中から、槍がクリスに向かって飛んできた。
『すまない、与えられた力を制御しきれなかった』
ニールが頭に直接語りかけてくる。
そう、精霊武器はあくまで持ち主の力を吸って、その超常的な破壊力を生み出すようなことを最初に言っていた。
だとすればこれはニールのせいでは無い。
「私のせいだ……」
やがて、ダインの呪いにより翼が飛べるほどの形を維持出来なくなってきて、クリスはゆっくりと地に堕ちて行く。
地面に辛うじて両足で着くことが出来た時、一番大きく崩した城の瓦礫の方から聞き覚えのある若い男の声がした。
「どうなってんだこりゃあ……」
ガシャンと瓦礫を蹴って自分が出られるスペースを作り、彼はそこから這い出てくる。
「貴方って人はっ!」
瓦礫の向こうにいたからか、呪いのもやに捲かれることは無かったらしい。
エリオットにまで被害が及ばなかったのは不幸中の幸いというところだが、邪魔さえ入らなければこうはならなかったかも知れないという思いから、エリオットに対する怒りがこみ上げてきたクリス。
翼に受けた呪いの傷みも忘れて、彼に駆け寄り罵声を浴びせる。
「何てことをしてくれたんですか! 折角……」
しかし彼の手にあるソレを見てクリスは次の言葉が出なくなる。
「お前がローズを諦めていたのは見てりゃ分かったよ。けど俺は自分勝手だからな。世界が滅びたってコイツを優先させる。文句は受け付けねぇ」
彼が瓦礫から抜け出した後、そこから彼の手によって引っ張り出されてきたのはロープで縛られたローズの身体。
変化は解かれ、その手に大剣は無い。
以前の北方の廃村での時と、状況は似ている。
被害状況は似ても似つかないことになっているが。
エリオットは割れた伊達眼鏡を外して放り投げると、ローズの身体を抱えなおして言った。
「さて、ここからだな。どうやって剣から解放させるか……」
「…………」
彼の言葉に、クリスは愕然として言葉を詰まらせる。
未だにローズを救おうと足掻くその気持ちが、痛々しくて。
――私が悪い。全て私が悪い。
きちんと伝えなかった私が悪い。
私は一人で受け止める覚悟なんて持っていたわけじゃない。
彼に言う勇気が無かっただけなんだ。
強くなんかない、その逆で、凄く弱かっただけなんだ。
そしてそれが、悪い方へ悪い方へと転がってしまったんだ――
彼に傍から見て痛々しい程のことをさせてしまったのは、そしてクリスがそう感じてしまうのは、そもそもクリスが真実を伝えていなかったせいだった。
「エリオットさん……」
何も言えずにただ彼の目の前で静かに泣きじゃくる。
クリスが泣いているのを、彼がどういう意味で受け取ったのかは分からない。
エリオットは、泣く子を黙ってみつめていた。
いつまで経っても泣き止まないクリスの小さな嗚咽が、閑散とした周囲に響く。
そんな時、瓦礫がまた崩される音が、今度は街の方向から聞こえた。
「やっと見つけたわ」
「ルフィーナ! 居たのか!!」
彼女の衣服に大した汚れや乱れは無い。
戦闘の中心現場からは離れた場所に居たのだろう。
ルフィーナはマントから大きくその足を出し、瓦礫を跨いでやってくる。
「って何よエリ君、その格好……まぁいいわ。居たも何も、大剣の精霊が最初に暴れだした時、その場に居合わせたのよ。必死に逃げたけど」
「なっ、逃げずにその場に居てくれれば事はもっとスムーズに進んだってのに……!」
「馬鹿言わないでよ! レクチェがこんなに人の居る場所でアレと戦えるわけが無いでしょう!? 逃げるしか無いわよ!!」
エリオットの文句に、声を荒げるルフィーナ。
彼女の長身の後ろから、ひょこっとレクチェが身体を出してその存在をアピールした。
「エリオットさん、話があるの」
「何だ? ローズをよこせってんなら断るぞ」
「違う、この状況の修復の話だよ」
レクチェは、女神の末裔と遺産が起こした災いの後処理が主な仕事とルフィーナが言っていた。
今回もそれをすると言うのだろうか。
エリオットは首を傾げつつも、ローズを抱きかかえたままレクチェに近寄った。
「私は周囲の目がある場所で滅多な行動は出来ないから、エリオットさんにやってほしくて」
「国を復旧、って意味か?」
「ううん、死んでしまった人は無理だけど、その後に別の呪いで水晶になっている人々を元に戻してあげてほしいの」
レクチェの言葉にクリスは一瞬息が止まる。
クリスのせいでああなってしまった人々を、彼女は元に戻せると言っているのだ。
どうしてそんなことが出来るのだとか言う前に、少女の重かった気持ちが少しだけ緩和された。
「よ、よかった……っ」
そう呟いて、ほっと息を吐く。
代わりに、疑問しか無いエリオットがそれをそのまま口に出し始める。
「……何で俺なんだ? っていうかそんなこと俺は出来な」
言いかけたその瞬間、彼の手の中でローズがすかさず動いた。
スカートの下に素早く手を入れて何かを取り出し、すぐにレクチェに向かって腕を振る。
一秒も無い、一瞬の出来事。
レクチェの左胸には、小さな刃が刺さっていた。
誰もが目を見開き、何が起こったのか、瞬時に把握出来ずに居る。
「ソレはボクの一部だよ、お前にもちゃんと効く。……分かるね?」
一つ、エリオットのロープの縛り方はいつも甘い。
一つ、ローズの太腿に隠しナイフ。
一つ、大剣を壊してもいないのにまた気を抜いた。
最低で、最悪だ。
「……っ!!」
「レクチェ!?」
レクチェが声もあげずに顔を歪め、それを見たルフィーナが悲鳴を上げる。
「君、あの時の人間か。まさかニールを持って、生きてたとはね」
いつでもその腕から逃げられるという余裕でもあるのか。
逃げようとしない精霊はローズの口でそう喋って、エリオットの首に片手をかけて寄りかかった。
「この身体にそこまで固執するのなら、何度も助けてくれたご褒美に、返してあげてもいいよ」
「!?」
もう片方の手も彼の首に持たれかけて、エリオットに抱かれながら、抱きしめ返す構図となるダイン。
思わぬ精霊からの言葉に、エリオットは敵である精霊から逃げることもせずに動きが固まった。
精霊は、ローズの人差し指をクリスに向けると小さく呟き、それと共にクリスの翼から黒いもやが浮き出てきて、そのもやはローズの人差し指へと戻る。
クリスは精霊が何をしたのか、察しがついた。
翼に掛かっていた腐敗の呪いを抜き取ったのだ。
しかし何故そんなことを……考えるまでもなくその答えを精霊は言う。
「あの子供の身体をボクによこせば、この身体も魂も、全部返してあげる」
交換条件は、極端すぎるものだった。
そこへルフィーナがロッド片手に、エリオットへ土の魔法で岩をぶつける。
その形相は怒りに満ち、歯をぎりりと食いしばって。
ローズを抱きかかえたまま岩をどうにか避けたエリオットは、自分の師をキッと睨んだ。
「何を……っ!」
「分かっているでしょう! 早くその女の身体を壊しなさい!」
レクチェは刺された後、その場に崩れるように倒れたまま動かない。
ルフィーナはエリオットの返答を待たずに、次々と彼を魔法で追撃していった。
両手が塞がったままで逃げるしかないエリオットは、ポニーテールを振り乱しながらクリス達からどんどん離れていく。
そんな彼に抱きかかえられたまま、ローズの口がぴゅい、と口笛を吹き鳴らした。
「頼もしいねぇ、お姫様を助ける王子様みたいじゃん☆」
「ふざけてんじゃ、ねぇ……っ」
落ち着く暇も無い間隔で追撃されていて余裕が無い彼は、息を切らしながら精霊に返事をする。
自分が今ここでやることは……それをクリスは決断出来なかった。
その身を差し出せばローズを返すとあの精霊は言った。
殺すしか無かった選択肢が、増えてしまったのだ。
助ける方法が出来てしまったのだ。
悩んで動けないクリスにルフィーナが声を荒げる。
「今のうちに剣を探して折りなさい!!」
「け、けど折ってしまったら助かるかも知れない姉さんが……!」
本当に助からずに終わってしまうではないか。
けれど、
「クリスがあの精霊に完全に喰われたら、今助かったところですぐに皆死んじゃうわよ!!」
彼女の言葉に少女はハッとした。
大剣の精霊が今ここでクリスに乗り換えようとしている意味を、ルフィーナはきっと勘付いている。
そしてクリスも今気付く。
クリスはあの精霊に乗り移られたローズと二度の戦闘をしているが、どれも一対一でなら負けてはいなかった。
むしろ勝てている。
以前ニールが、大剣には勝てないと宣言していたにも関わらずだ。
武器自体の力の差がニールの言った通りだとしたら、それなのに勝てたということは、持ち手の差ということになる。
クリスの技術がローズを使うダインより勝っているのか、それともローズの身体では変化してもあの大きな剣は使いこなせないのか、どちらにしても姉はあの剣にはうまく適合していないように思えた。
そして、ダインはわざわざクリスに乗り換えようとしている。
これはローズよりもクリスのほうがダインにとって価値があることを物語っていた。
「私、剣を探します!」
力いっぱい城の瓦礫へ駆け出すと、大量のレンガを槍で薙ぎ壊す。
ふっとレンガでは無い物が見えて手を止めると、それは遺体だった。
多分、女性。
崩れた城の下敷きになったのだろう。
それもそうだ、人が居たかもしれない建物を破壊したのだから。
エリオットと……クリスが。
目を逸らしてまた捜索を再開する。
この瓦礫の中から一本の大剣を探すだなんて途方も無いこと、一体どれくらい時間がかかるのは定かではないが、それでも探すしか道は無い。
ルフィーナがいつまでエリオットを止めていられるか……
手負いで剣を持っていないとはいえ、ローズの身体で精霊が何をするかも分からないことだし、エリオットは本当に精霊と結託して、クリスを犠牲にローズを取り戻そうとするかも知れない。
クリスはレンガを掘って壊しながら、何故かまた頬を伝う涙の意味を分からずにいた。