戦火 ~再び起こる悪夢~ Ⅱ
◇◇◇ ◇◇◇
ハダドから北西へ進んだところに、小さな町がある。
その町で必要な品を揃え、少し北に行った森の中でクリス達は改めて着替えていた。
エリオットは元々ライトの服を借りていたので、いつもの貴族のような服というよりも落ち着いた服だった。
そこにレクチェが選んでくれたフードを羽織っても、髪を少し染めたくらいでは流石にまだ変装としては物足りない。
と言うわけで、
「こんなもんか」
クリスの目の前には、付け毛で長くした髪をポニーテールに結って、銀のフチの眼鏡を掛けた男が居た。
いや、エリオットなのだが。
女装と言うわけではないけれど、髪型をポニーテールにしただけで百八十度印象が変わっていた。
あと眼鏡もかなり効果が大きい。
くせのかかっていた前髪を真っ直ぐにしてしまったらもう別人。
これなら王都を歩いても全く気付かれることは無さそうだった。
「完璧ですよ、いつもよりずっとマシです!」
「マシって何だよ、マシって」
たまには褒めてやろう、と好感的な感想を述べたつもりのクリスだったが、エリオットの反応は悪い。
下唇を突き出して不満を露にした彼は、フンッと背中を向けてしまった。
「具体的な感想が欲しいんですか? そうですね、いつもは下品な顔立ちなのに、眼鏡や髪型のおかげで賢そうに見えますよ」
「そういうこと言ってんじゃねえよ! しかももっと失礼なこと言ってるって気づけ!!」
びゃーびゃー喚いているエリオットを気にも留めず、クリスは足元の違和感を消すために町で買った濃い目のグレーのレギングスを履く。
「ケッ、てめえも似合ってんよ、女装がな」
お返しと言わんばかりに失礼なことを言うエリオットだったが、クリスはそれにいちいち噛み付かずに捉え方を変えてみた。
そもそも自分は女なのだから女装が似合うということは、女らしい服が似合うという意味でも取れなくは無い。
無理やりな感じだが、敢えてそちらで受け取って返事をしてやる。
「えぇ、これもなかなか可愛いでしょう?」
にっこり笑って悪態を退けると、エリオットはむぐぐと何か言いたそうな顔をしつつも押し黙った。
可愛くねーよ、と言い捨てるほど酷くも無く、むしろ今のクリスはきちんと可愛らしく仕上がっていた。
普段エリオットに向けられる無愛想な表情はどうしてもクリスを男の子のように見せがちなのだが、わざと作られた笑顔が普段のそれを打ち消している。
かと言って、可愛いと肯定するのも癪なのだろう。
視線をクリスに向けるのを避けるように、周囲をキョロキョロとする。
「どうしました?」
そう言ってクリスが無理やり視界に入ってやると、その落ち着きの無い態度を更に加速させ慌てる彼。
「っ近寄るな女装野郎が!!」
その酷い物言いに、クリスの右手はエリオットの鳩尾にめり込んでいた。
その後、変装をしてからは順調に旅が進む。
馬を借りることも宿に泊まることも容易く、数日かかったとはいえ予想より早く着いた王都は、以前と全く変わった様子の無い街並みを見せていた。
「さて、酒場にでも行こうかな」
いきなり何を言っているんだこの男は。
確かに今は夜だが、着いていきなりそれは無いとクリスは思う。
「ルフィーナさん達がここに来ているとしても、この広い城下を探すのは大変なんですよ? 飲んでる場合じゃないでしょう」
そう言って窘めるとエリオットはチチチ、と人差し指を振ってクリスを馬鹿にする。
「逆だぜ、俺を探すなら酒場なんだから、あいつらだって酒場は毎晩確認するはずだ」
「……こんなに情けない正論、なかなか例に見ませんね」
正しいはずなのに何故か泣けてくるクリス。
呆れるを通り越して同情してしまうくらいの、ダメさ加減。
エリオットは手近な場所にあった酒場へ、スキップしてポニーテールを揺らしながら入っていった。
「私は宿でも一通りあたってみますかね……」
しかしマトモな女の子の格好をしているクリスが宿を渡り歩くのはかなり怪しい。
エリオットも居なくなったことだし、と、クリスは建物の影でこっそりとニールを召喚する。
「保護者の役、ということか」
既に意思疎通が出来ている精霊は、説明の手間が省ける。
「えぇ、よろしくお願いします」
「手や服かどこかを触れていて貰えれば、槍もこの身体で隠してしまえるが?」
「そんな便利なこと出来るんですか」
ニールの本体である槍は、実体化した人型の精霊へと溶け込んだ。
クリスが持っていてはどうしても目立ってしまう大きな槍が消えたかわりに、隣には銀髪の長身の男性。
ニールの手を握ってから、クリスはまた路地へと出る。
「触れていないと、数秒もしないうちに槍に戻ってしまうから気をつけて欲しい」
「分かりました」
こうして二人は数ある宿屋を、一つずつ尋ねて行った。
数件回ったところで未だルフィーナ達は見つからない。
そもそも王都には居ない可能性もあるのだから、今日は無駄足を覚悟した上で回らなくてはならないだろう。
父親と歩くってこんな感じなのかな、とクリスは背の高い人型のニールを見上げてそんなことを考える。
一応ニールの見た目は男の人。
男性と手を繋いで歩く経験はクリスには全く無いので何となく嬉しい。
「クリス様は本当の両親を知らないのだったな」
「えぇ」
「姉君も知らない、と?」
「多分……姉から聞いたことはありません」
そこで会話は途切れた。
クリスの考えは大体ニールに伝わっているらしいが、クリスにニールの考えは伝わってこない。
彼が何を考えているのか気になって、歩きながら見上げてその表情を伺った。
太い眉と、大きいけれどつり上がった目元、水晶のようなオッドアイ。
どれも特に表情と呼べる動きはしておらず、結局ニールの質問の意図は分からず仕舞い。
「以前、ダインが言ったことを覚えているだろうか」
「うーん、覚えていません。何のことでしょう?」
クリスの心を読んだのか、途切れた会話を再開させるニール。
けれど悲しいことに、彼の望んでいたであろう返答は来なかった。
無表情をほんの少しだけ曇らせて、彼は続ける。
「クリス様の変化した時の姿は、私達によく似ているのだ」
「あぁ……角とかありますしね」
「けれど姉君はあの通り、普通だった」
ローズとクリスの変化した時の姿は、真逆、と言う意味で繋がりはするものの、実際は全くと言っていいほど似ても似つかない。
姉妹と呼べるくらい普段の姿は似ているが、確かにコレはおかしいことなのかも知れない。
クリスを見て、ニールがゆっくりと頷く。
「女神の末裔には違いないのだが、クリス様は何か別のものも混ざっている」
「ヒトの血とか、獣人の血とか、ですか?」
「いや、それは有り得ない。女神の血と、この世界の種の血は混ざらない」
クリスはそれを聞いて思わず固まってしまう。
それはつまり、同種族としか子供を生せないと言うことだからだ。
そして、女神の末裔はもうほぼ絶滅している、と以前セオリーから聞いている。
「……まぁいいや、私一応司祭見習いでしたし」
少しびっくりしたが、子を成す気など毛頭無かったクリスはすぐに落ち着いた。
少なくとも一年前までは間違いなく、神にこの身を捧げて結婚とは無縁な人生を送る予定だったのだから。
「でも他の血が混ざらないのに、私には別の因子があるわけですよね? それって矛盾していませんか」
「……私にも分からないことはある」
のんびり歩いて、次の宿に到着した。
ここでもまた空振りとなるのだろうか、と思いつつ宿に一歩を踏み入れようとしたその時だった。
爆音の後に続く、悲鳴。
何が起こったのか分からずにその音がする方角を見上げると、風が巻き起こって建物の残骸が宙に飛んでいた。
それらが落ちてまた被害を大きくさせている。
「どこかの建物とかが爆発したとか、火事になったとか……」
クリスはあくまで一般的に起こり得る現象を思い浮かべてみた。
ふと気付くと手を繋いでいたはずのニールは槍に戻っている。
騒ぎの中で周囲はそれに気付くことも無く、爆発音の方から逃げ離れて行った。
一部、野次馬のような者がちらほらと、敢えてその騒ぎの中心へ向かって行く姿も見えるが……
「貴方が槍に戻ったってことは、そういうことですよね……」
『あぁ、アイツの気配がする』
嘘。
クリスはその事実を信じたくなくて否定する。
何故ならここは王都なのだ。
いくらなんでもそんな中で暴れたら、どんなに大きな力を持っているローズとその精霊でも、どうなってしまうか分からない。
それなのに無謀にも、ローズを使ってあの精霊はここで暴れ出した、と。
「常識じゃ考えられませんよ!!」
予想の裏の裏を地でいくのは、むしろダインだった、ということか。
出足を挫かれたような気分と、姉を使い捨てても良いかのようなダインのやり口に苛立たされるクリス。
人波に抗って、爆音の轟く方へと走った。
が、流石は王都と言ったところか。
軍人が指揮をして人々を誘導して逃がしており、その流れに逆らって進んでいたクリスは声を掛けられてしまう。
「おい君、危ないぞ! あっちへ逃げるんだ!」
兜を被った騎士のような人物に、逃げるよう促された。
「あ、あっちに姉さんが!」
嘘は吐いていない。
掴まれた腕を振り切って、更に進む。
他にも人々が沢山居る中、クリス一人に構ってはいられないのだろう。
それ以後は特に掴まることも無く、どうにか騒ぎの中心へと辿り着いた。
そこは城の外堀の手前。
城壁の向こうと、街と、両方から大勢の軍兵が挟んで『騒ぎの根源』を狙っていた。
空中へと様々な攻撃が飛ぶが、同時に衝撃波がいくつも地へ降り注ぎ、地上の人々を亡き者へと変えていく。
おまけにクリスの目の前の地面も容易く割り刻まれる。
その攻撃が飛んできた先を見上げると、白い羽を広げて空から高みの見物とでも言わんばかりに見下げる、ローズが居た。
ちなみに今日の衣装は紺のブレザーとひだ付きスカート。
もう突っ込むのも馬鹿らしいが……
「今度は学生服ですか?」
「これもなかなか可愛いよね!」
無邪気に笑う、ローズの体を借りた精霊。
各所から飛んでくる銃撃や魔法の矢を楽々と退けながら、彼らなど見えていないかのようにクリスを視線で射抜く。
「変装しててもボクには君達がすぐ分かるよ。あの女はどこに隠したんだい? 折角見つけたのにやめてよもう」
「あの女……?」
誰のことだ、と一瞬怪訝な顔でクリスは精霊を見上げた。
が、多分精霊が探している女、と言えばレクチェ以外に居ないだろう。
さっきまで彼女がここに居たということならば、クリスがこのまま精霊と対峙すれば後でレクチェやルフィーナも援護に戻って来るかも知れない。
それなら勝機は、ある。
「今日こそ姉さんを返して貰います!!」
周囲の目も省みず、クリスはその場で変化を始めた。
黒い角が生え、翼が生え、異形の者へとその身を変えてゆく。
被っていたフードを脱ぎ捨てて身軽なワンピースのみになるが、それも背中は破けて千切れた布が舞う。
「皆さんは巻き込まれないように防御壁でも張っていてください!」
加減なんて、出来ない。
聞いているかは分からないがすぐ近くでクリスを呆然と見ていた兵に声を掛けて、翼をはためかせた。
「……へぇ、やるじゃん」
ダインがローズの口を借りて、何故かクリスを褒める。
しかし、何を褒められているのかクリス自身にはさっぱり分からない。
「何がです?」
クリスは問いつつ、剣を砕く気で投擲の構えをした。
「持ち主風情が、よくそこまでボクらと同調出来てるって褒めてるのさ。けど今はそれが仇となってるね。そのまま攻撃すると、ボクが避けたらお城はただじゃ済まないよ?」
「……っ、だったら街から押し出すまでです!」
槍の持ち手を変えて、ローズに真っ直ぐ向かっていって振り下ろす。
精霊は大剣で悠々とそれを受け止めるが、ローズの身体は少しだけ飛んでいる高さが下がる。
クリスが力で押せているのだ。
槍の横刃をうまく大剣に引っ掛けて、剣を大きく上へ捌くと、ローズの身体はがら空きになった。
死なせる気ならば、ここでその身を刺してしまえばすぐに終わったことだろう。
けれどまだそれが出来ないクリスは、その姉の身体と大剣の刃の間に槍を割り滑らせてから、最後にダインに聞いた。
「……姉を、元に戻す気は、ありませんか?」
これはローズを救えるか否かの、最終確認。
この精霊が頷かない限り、剣を壊したところで姉は元に戻らない。
ここで返事がノーならば、クリスは自分の手で姉を殺す覚悟を本当に決めなくてはいけないのだ。
「無いよぉ……っ!」
大方、予想通りの返事。
ぎりぎりと歯を食いしばりながら、ダインは剣を構え直そうと試行錯誤している。
が、一応クリスは槍の鍛錬は積んだ身だ。
そう簡単には外させない。
「では、姉ごと貴方を斬ります」
スゥッと息を吸ってからクリスは叫ぶ。
「********!!」
その身が出せる最大の大声を放って、気合を入れた。
その弊害として城や近くの建物にヒビが入ったことは、気にしてはいけない。
ビリビリしたと音の衝撃に耐えるローズの顔には、焦りの顔が浮かんでいた。
「君、やっぱり何か違うよ」
「どうでもいいです」
苦し紛れに呟く精霊に、クリスは全ての感情を押し殺した声で一蹴する。
大剣の動きを止めていた槍を一旦そこから抜いて、すぐさま手を持ち替えて大きく振り被った。
しかし、
「くはっ……」
背中に鈍痛を感じてクリスは呻く。
投げようとした槍が手から落ちて、離れた地上へと大きな音を立てて落下した。
何が何だかよく分からないまま、背中に受けた衝撃の原因を探ろうとクリスはローズから目を離して、振り返る。
そこには、ポニーテールの青年が銃を向け構えていた。
その翡翠の瞳は鋭くクリスを睨む。
「ぇ、エリオットさ、ん……」
あまりのことにショックは大きいが、実際彼に撃たれてもクリスの傷は浅い。
だからこそ彼も牽制のつもりでやったのだろう。
だがそれによって作られた、僅かに気の逸れる瞬間と、一旦手放してしまった槍とその距離。
この二つは途方も無く大きなダメージに値した。
「何かよく分からないけど、助かったよ人間!!」
武器も無く、隙も見せてしまったその時、ダインがローズの身体で大きくその剣を横一線に振り切る。
精霊のこの言い方からするに、銃を撃った人間がエリオットだとは気付いていないようだ。
「……っの!!」
飛んでいるクリスは身体を地面に平行な向きへ動かして、振られた剣を間一髪で避けようとする。
が、微かに大剣の刃がクリスの黒い翼に傷をつけた。
けれど痛みに構っている余裕は無い。
横になっている大剣の刃に靴底をつけてその上に立ち、そこから大きくローズの体に直接回し蹴りを放つ。
鈍い音の後に彼女の体は剣と共に大きく吹っ飛び、塔の形状をしている本館とは離れの城壁にぶち当たる。
ローズの身体には相当のダメージがあるはずだが、精霊であるダイン自身は意識が飛んだりすることは無いようで、四肢を動かさないまま視線だけクリスを鋭く睨みつけていた。
意識があるにも関わらずすぐに行動しないのは、しないではなく、出来ないのかも知れない。
「ニィィィィルッッ!!」
そう大きく叫んで間も無く、槍はクリスの元へと磁石のように引かれて飛んできた。
パシッっと小気味良い音が手の平で鳴る。
形勢は逆転したかに思えるが、そうではない。
あの大剣に斬られてはいけなかったのに、斬られてしまった。
クリスは翼から、背中の銃撃による打撲とは比べ物にならないほどの痛みを感じており、目眩がしている。
構っている余裕も無いけれど。
城壁にめり込んだままのローズの身体へ向けて、今度こそニールを、この槍を命中させるのだ。
城にどれくらいの被害が出るかなど、考えている余裕はもう無い。
出来ればローズの身体ではなく刀身に当てたいが、正確に狙う時間も勿論無い。
「今度こそこれで終わりです!!」
クリスは大きく振り被ってニールを投げた。