戦火 ~再び起こる悪夢~ Ⅰ
◇◇◇ ◇◇◇
ミーミルの森の、エルフの住む小さな集落。
その集落は一度大きな襲撃を受けたことがあった。
遠い、遠い昔の話。
村を出たエルフの青年二人が、エルフではない力を持って帰ってきた時のこと。
集落の中心部の古びた家屋はいつ崩れてもおかしくないほど燃え上がっており、もはや修復は不可能だろう。
その業火を背に、淡い緑の髪の男が業火よりも紅い瞳をぎらぎらと輝かせながら、足元で苦痛に悶えている女をその手に持つ剣で刺していた。
執拗なくらいに下腹部を、何度も。
「ぐっ、あっ、うあっ」
刺される度に悲鳴を上げるのは、刺している彼と同じ色の目のエルフ。
その長い東雲色の髪の毛先を、自らが作る血溜まりで赤くじわじわと染めていく。
既に彼女の両親は、今目の前にいる男によって亡き者にされていた。
そして次は彼女の番。
彼女がその痛みに意識を失いかけた頃、他のエルフと応戦し終わった黒髪の青年が駆けて来た。
彼は仲間の凶行を見るなり声を荒げる。
「話が違うじゃないか!」
そして横たわる女に慌てて駆け寄ると、手当てをするべく魔術紋様の陣を地に描いた。
「何が違うのですか、私はきちんと貴方に伝えたでしょう? 私の家族を殺す、と」
「……ッ! け、けど! お前から憎んでたことを聞いていたのは両親だけだったから……まさかあれだけ可愛がってたルフィーナを殺そうとするだなんて思うわけ無いだろう!?」
そう叫びながらも手早く陣を完成させた黒髪の青年は、陣に手を当てて治療魔術を発動させようとする。
だがそれを見下ろしていた紅い瞳の青年は、折角描いた陣を踏み躙って魔術の発動の邪魔をした。
「まだ治療するには早すぎます。傷跡が残るくらいまでもう少し待って頂けますか」
「何言ってんだスクイル! 親への復讐じゃなかったのか!?」
その怒声に、スクイルと呼ばれた青年はゆっくりとその繊月のように引き絞られた口唇を開く。
「えぇそうですよ、ユング。これは私の両親への復讐。ですがこの子がもし子を生せば、あの男の血が絶えること無く続いてしまうのです。分かってください」
ユングは友の狂気に戦慄した。
その背に冷たい何かがぞくりと通るのを感じ、それ以降の言葉を飲み込む。
ユングは友情と恋慕、どちらか片方を選ぶことが出来ず、動けなくなった。
故に、既に気を失っている片思いの相手を、ただ見ていることしか出来なくなったのだ。
「そろそろいいでしょう」
スクイルが陣を踏みつけていた足をどかした瞬間、ユングの魔術は発動した。
別に治療魔術など得意でも何でも無かったユングだが、その知識は今や人外のもの。
酷い傷にも関わらず、その光がルフィーナの傷をみるみる癒していく。
治っていく、ということはまだ息があったと言うこと。
ひとまず安堵の表情を浮かべるユングを、スクイルが現実へ引き戻した。
「分かっていると思いますが、あまり綺麗に治さないでくださいね。今度は本当に命を奪うことになりますから」
肩をぽんと叩いて、その高い背を少し屈ませて耳元で囁く。
その声色は至っていつも通り、何のブレも無い。
「ちゃんと貴方の目的も手伝いますよ、安心してください」
この時、この集落のエルフは一気に半分ほどまで減った。
たった二人の、この里出身の若者によってそれは行われたのである。
次にルフィーナが目を覚ましたのは、ミーミルの森ではないどこかのベッドの上だった。
木の天井は見覚えの無いもので、彼女は一瞬夢でも見ていたのかと思考がこんがらかる。
しかしすぐに襲ってきた下腹部の刺すような痛みが、あの出来事が実際にあったものだと言っていた。
「っ痛……」
手当てはされているようだが、完全では無い。
彼女は自分で治療の続きをしようと思ったが、何故か腕には手錠。
困惑しているところに見知った顔が部屋に入ってきた。
「ユング……?」
「気が付いたんだね、ルフィーナ」
さらりと腰まで伸ばした黒い長髪をバンダナで少し上げて、整った眉と濁りの無い黒の瞳がよく見える。
手にはタオルと水の入った桶。
ごく普通の看病用品を持ってやってきた幼馴染に、少し違和感を覚えてルフィーナはその違和感の正体を探る。
「あれっ、耳が……」
そう、エルフであるはずの彼の耳が、丸く短くなっているではないか。
彼女の呟きに気付きつつも敢えてそれに触れないユングは、ただ黙ってタオルを絞る。
「ユングよね? どうしたのその耳。っていうかここはどこ? 何で手錠なんて……」
浮かぶ疑問をただ口にし続けるルフィーナから目を逸らして、彼は絞ったタオルを彼女に渡す。
「手錠は邪魔だろうけど、自分で拭いた方がいいよな、多分」
彼女が意識を取り戻すまでは彼がその体を拭いてあげていたわけなのだが、流石に今それをする勇気は無かったらしい。
ルフィーナは不自由な両手でタオルを受け取るが、体を拭こうとはせずにまず問いの答えを急かした。
「ねぇ、どういうことなの」
だんだん強くなる彼女の言葉に、長い黒髪の青年は黙って耐える。
そこへ、小さなこの部屋の戸が再び開いた。
入ってきたのは、ユングよりも背が高く肩幅の広い、白緑の短髪の男。
丸眼鏡が印象的なその男もルフィーナにとっては見慣れた人物であり、そして彼女の掛けがえの無い異母兄。
しかし兄の耳も何故か短く丸い。
「兄さ……」
ユングと異母兄スクイルはいつもセットのようなもので、その出現に疑問も持たずに声をかけようとする。
が、はたと彼女は思い出す。
この男に父が、母が、凍らされて砕かれて、その破片すら跡形も無く燃やし尽くされたあの時の光景を。
そしてその後自分に起こったことを。
なのに平然と兄は自分の前に姿を晒しているのだ。
本当にあれは現実だったのか、夢なのか、もうワケが分からない。
「あ、あれ……?」
「記憶がまだ混乱しているようですね、きちんと説明してあげましょうか?」
一聞すると気遣っているように聞こえる言葉だが、それはとても残酷な現実を叩きつけると同意。
ルフィーナに好意を抱いているユングがそれを制した。
「おい、やめろよ!」
しかしそれにも関わらずスクイルは喋り続ける。
「どうせすぐ分かることです」
カツカツと異母妹に歩み寄り、ベッドで寝ている彼女を見下ろす状態で、その続きを告げた。
「お嬢と私の両親は殺しました。お嬢も、子を産めない身体にさせて貰いますのでしばらく手錠を外せませんが我慢してくださいね」
何の悪びれも無く淡々と、事実と今の状況の意図を説明されてルフィーナの頭は更にこんがらかる。
兄の親嫌いは今に始まったことでは無い、許せずともその復讐までは事実を飲み込めた。
けれど、自分が何故こんな目に遭っているのかが全く理解出来ない。
「子供を……何で……?」
「あの男の血は、私達で終わらせましょう、と言うことですよ」
その言葉に、ユングが彼らから顔を背ける。
両親が既に他界しているユングにとっては、スクイルの感情は気持ちの良いものではない。
だが、彼らがどれだけ親に振り回されてきたのかも知っているので否定もしない。
ただ、押し黙った。
「私が生きているのにお嬢だけ殺すのは理不尽かと思いまして、少し回りくどいやり方になってしまいました。あぁ、でもやり過ぎて死んでしまいそうだったところを助けたのはユングなのですよ、お礼を言っておきなさい」
どこかズレた物言いは、いつも通り。
真面目なのにどこかとぼけていて憎めない兄にルフィーナはいつも癒されてきた。
彼女やユングの張り詰めた弦を緩ませてくれるのは、他でもないこの兄。
しかし目の前の兄は、暴虐残忍な行いをした後にも関わらず、やはりいつも通りなのだ。
それは、彼がその行いを反省するどころか何とも思っていないことを意味する。
兄はこんな人だったのか、と気付くと同時に失望し、悲観的な感情が彼女の胸に生まれた。
「殺して……」
両親も、未来も、兄への想いも、全てを失ったルフィーナが、声をかすれさせて呟く。
「そ、そんなこと言うなよ」
下手な慰めの言葉をユングが投げかけた。
無論、こんな言葉では彼女の心に届くはずも無い。
そこへ追い討ちをかけるようにスクイルが暴言を吐く。
「どうせ死ぬのなら役に立ってから死になさい。丁度ユングの目的に人手が欲しいところなのです。それくらいしてあげたらどうですか」
しかしその言葉はルフィーナに怒りという感情を沸き立たせ、以後の彼女の生きる糧となったことを誰も知らない。
「……わかったわ」
「ええっ!?」
思いもよらぬ快諾に目を丸くしたのはユング。
愛情は憎しみへと容易く変化する。
兄が困る様子、苦しむ様を傍で嘲笑ってやる、と。
ルフィーナは共に行くことを決めた。
そしてルフィーナは二人の身に起こった出来事を聞く。
二人がもうエルフと呼べるものでは無くなっていることを。
そしてそれが、見てはいけない光景を見てしまった、というだけで神の代行者によって行われたということを。
もし彼らがエルフのままであったなら、こんな悲劇は起こらなかったと言うのに。
彼女の憎むべき対象が増えた。
それがそのままユングの目的と重なり、手伝うだけだった研究に真剣に打ち込むようになっていく。
ユングの目的はただ一つ。
その身体を元に戻したい、それだけのこと。
そのためにまたあの存在との接触を求めている。
やがて、同じように途中までは目的を同じとする女神の末裔の一部と手を結び、神の代行者の捕縛に成功した一行は、その対象にビフレストと呼び名をつけて更に研究を進める。
神に等しい存在とはいえ、何でも出来るわけでは無いのは明白だ。
抗う術は、きっとある。
まずはその『橋』を開き、神と……あの時ユング達が接触した存在と交渉しなくてはいけない。
ちなみにこの時ルフィーナは、女の姿をした神の代行者の身の回りの世話も任された。
そしてそれがルフィーナのささくれた心を少しずつ癒していくこととなる。
兄への失った情のかわりか、はたまた自分よりも幼く見えるその娘にもう身篭ることの適わない子供という投影をしたのか。
どちらかは定かではないが、ルフィーナはビフレストの思考、価値観、その美しさに、己の中にあった憎しみを説かれ、溶かされていく。
しかし再び彼女の中に絶望と憎悪が巣食う。
私情で故郷を半壊させ、次は研究の最中にビフレストをも壊してしまったフィクサーとセオリー。
ユングとスクイル……かつての名を捨て、エルフではなく人外の者として生きる二人の行動は文字通り『人でなし』に等しいものだった。
捕まっていても彼らを見捨てること無く愛してくれていたビフレストは、彼らの行いの果てに壊れてただ水槽の中に漂う。
その光景にルフィーナは耐えられなかった。
女神の末裔達と相違が生まれて揉める研究施設内部の混乱と同時に、ルフィーナは彼らの研究から離脱する。
その後起きたことは掻い摘んでフィクサーから聞ける程度のことしか彼女は知らない。
そこまでがルフィーナの、クリスには言えなかった本当にあった出来事。
子供の頃から見ているエリオットには、もっと話したくなど無い。
そして百数十年その出来事から離れていたにも関わらず、今彼女はあのビフレストと共に居る。
「参ったわねぇ……」
時折思い出したように痛む下腹部をさすりながら彼女は悩んでいた。
軍人に部屋へと踏み込まれて二人で逃げざるを得なかったクリスとエリオット。
二人と離れたことによってレクチェが大慌てしており、それがルフィーナを悩ませている。
彼らの荷物はどうにか引き取ることに成功したが、ルフィーナ達は間違いなく軍の人間に監視されていて、追っても二人と合流した後に揉めるのは明白だ。
しかしレクチェが今すぐ追うと言って聞かない。
彼女はさっきから室内を落ち着きなくウロウロしている。
「落ち着きなさーい」
声をかけると、レクチェがくしゃくしゃにした顔を彼女に向けた。
「だって、だって、追いたいのに追えないだなんて……っ!!」
そこまで慌てる理由がきっと何かあるに違いないのだが、禁則事項です☆と言わんばかりにそういう部分は口を閉ざすことをよく知っているのでいちいち問いたださない。
今彼女と共に歩くことが出来るなら別に何だっていい。
そういう想いでルフィーナは今もここに居る。
「そうねぇ……じゃあ彼等をまず撒きましょうか」
「どうやって?」
レクチェが足を止めてルフィーナに聞いた。
「レクチェの力で飛べば早いけれど、監視がある中でそれをするのは貴方にとっても良くないわよね。バレちゃいけない力なんだから」
「うん……」
「しかも今あの女神の末裔と大剣の精霊武器が来られたらたまったもんじゃないわね」
「うんうん……」
何か秘策でもあるのか、とレクチェはルフィーナに近づいてその続きを待つ。
ルフィーナはそんな彼女に苦笑いをして、提案した。
「となると、彼らの監視する気を失くせばいいのよ。クリス達と合流するとは思えない場所を目的地にしてね。且つその目的地は、迂闊に精霊が襲ってこられない場所」
「それって、どこ?」
「王都しか無いでしょう」
その目的地に、レクチェがおおぉ、と感嘆の声をあげる。
が、すぐに怪訝な顔をして、
「じゃあすぐには合流出来ないんだ……?」
「仕方ないでしょ、それくらい我慢しなさいな!」
「うああぁ……」
頭を抱えて困り果てるレクチェに、ルフィーナも頭を抱えたくなった。