晴れない心 ~噛み合わない歯車~ Ⅱ
エルフだったその人が、人間……つまりヒトでも獣人でも鳥人でもエルフでも無い、何かに変えられたと。
そんなまるで呪いのようなことを、神がしたと言うのか。
気まぐれで済まない所業の意図が、クリスには全く思いつかなかった。
「少なくともその行為はレクチェには出来ないみたい。人間ではなくなった代わりに知識や魔術の腕も人並み外れたみたいだけど、彼はそれをよしとはしなかった」
「そう……ですか」
そこでクリスはふと思い出す、あの人外とも思える力を持つ存在を。
「セオリーも、同じように変えられた一人だったりします?」
「えぇ、彼と同じ仕事をしていたアイツは二人目の被害者ね。一人目の彼と違うのは、アイツはその変化を喜んで受け入れていたところかしら」
忌々しげに吐き捨てる。
『彼』とセオリーとの扱いの差から、ルフィーナがどれだけ嫌っているか痛いほど感じられる。
その変化を喜ぶくらいなのだ。
確かに性格はよくなさそうだし、クリスもセオリーは好きではないから分からないでも無い。
だけどそれにしても酷い嫌いようなのでついつい聞いてしまう。
「前から思っていたんですけどルフィーナさん、セオリーの毛嫌いようが凄いですよね、何か過去にあったんですか?」
「…………」
聞くべきではなかったか、とクリスは早速後悔した。
ルフィーナがだんまりモードになってしまったので、誤魔化すように少し口だけ笑ってみる、いや笑ってしまう。
そこへ彼女は怖いほどの満面の笑みに切り替えて、口を開いた。
「クリス、異母兄弟って知ってる?」
「父親が同じで、母親が違う兄弟の事ですよね。知ってますけど、それが何か……」
ルフィーナの笑みは、崩されること無くそのまま彼女の顔で固まっている。
否、彼女は敢えて笑みを張り付けることで辛うじて言葉を紡ぎだしているのだ。
言うのも嫌なことを、クリスに伝えようと努力した結果がこの表情なのだろう。
つまりそれはそういうことで。
「ど、どちらが上なんですかね……」
「あの男が!! 先なのよ!! しかも私が女だから!! 本妻は私の母親なのに!! 母と私がどれだけ!! 肩身の狭い思いをっ!!」
力一杯拳を握り締めて、捲くし立てるように叫ぶ彼女。
何かしら因縁があるとは思っていたが、予想していたものと違ったので肩透かしを食らったような気分になる。
「面倒なことに父は長老の息子だったから、そこらで結構揉めたのよ……」
エリオットのところは同じ母親からの兄弟なだけあって穏便に押し付けあっているが(?)、このように異母兄弟となると骨肉の争いは一層荒んだものになるのだろう。
親の居ないクリスには縁の無い話だけれども、親が居たら居たで大変そうだ。
「揉めた結果はどうなったんです?」
「父の後にはあの男が継ぐはずだったわ」
「でも里の外に出ちゃってたんですよね」
外で『修正』の謎を解く仕事をしていたのだ。
しがらみが嫌で里を出たのだろうと察しはつく。
が、クリスが思っていたよりもルフィーナとセオリーとの確執は大きなものだったらしい。
「そうね、仲の良かった二人で森を出て行ったわ。で、次に見た時には二人ともエルフじゃなくなってた」
「びっくりしますね……」
「しかも帰ってきたと思ったら、あの男は自分の父母と私の母をその手で殺したのよ」
「!!」
さらっと、一番大きな出来事を言われて驚きの色を隠せなくなる。
だが言われたと同時に、あの男ならやりかねない、とクリスは思ってしまった。
セオリーならば顔色一つ変えずにそれをやってのけそうだ、と。
しかしそんな過去があったにも関わらず、その後ルフィーナは彼らと研究を共にしていた期間がある。
長くなってきた話に、クリスは椅子に腰を掛けた。
「なのにルフィーナさんは、セオリー達と一緒に研究していたんですか」
普通だったら考えられない話だろう。
「……元に戻る気の無い忌々しい異母兄と違って、もう一人の彼は必死だったからね」
そう話したルフィーナの表情は少しだけ優しく、少しだけ寂しそうだった。
着替えを終えた彼女の首には服の襟の隙間からキラリとネックレスが輝く。
ワイシャツの下につけるには大きすぎるソレは、クリスが渡した物。
昨晩の戦闘では何も起こらなかったから、まだ何かあるのかも知れない。
当分気が抜けなさそうだな、とネックレスを見てクリスは思った。
◇◇◇ ◇◇◇
レクチェを探そうと宿の外に飛び出したエリオットは、顔を俯きながら人を探せるのかと悩みながら通りを歩いていた。
と言うのも、太陽の位置から見て今の時間は午後を過ぎ、一番人通りの多い時間帯のようであまり顔を出したくないのだ。
俯いてる顔を時々上げて周囲をキョロキョロ見ていると、その不審な行動に周囲の目がちらりと向き、それでまた俯かざるを得なくなってしまう。
「……こりゃ無理だ」
諦めそうになったところで、エリオットは見覚えのある長い金髪と帽子を見つけた。
通りに並んだ行商の店で、レクチェは店の主人と楽しそうに話している。
どうやらエリオット達の元から去ったわけでは無かったらしい。
自分の早とちりを恥じ、勘違いであったことに安堵した。
「おい、何やってんだレクチェ」
俯くのをやめて背筋を伸ばして後ろから声をかけると、彼女はフッと振り向いて笑顔を向ける。
「あっ、エリオットさん! お金ください!」
「ええぇぇぇ……?」
二言目に、お金をよこせとは何事か。
行商の店に立ち寄っているのだから何かを買いたいのだろうが……
エリオットに気付いた店の主人は、その髭を手で梳かしながら言う。
「彼氏サンかい、この子ちゃんと見ててやらないとダメだよ。お金も無いのにフードを買いたいって駄々こねてるんだ」
「いやホントすいません……」
彼氏では無いが、そこを否定するよりも謝る方が先だ。
どういう状況なのだろうか。
エリオットはぺこりと頭を下げ、ついでにレクチェの頭も手で押し下げる。
「何度か『買ってやろうか』って声かけてくる男が居たからね。しかもこの子ソレに着いていこうとするんだよ! そういう連中からの金は受け取らないでやったんだ、感謝してくれよ兄ちゃん」
「ホンッッットにすいません!!」
心から謝った。
記憶が戻ったというのに通常運転過ぎるレクチェにげんなりする。
元々こんな風に少し抜けた性格なのだろうか、神の使いとやらが。
エリオットにはますます怪しく思えてならない。
とりあえず腰元のポーチから金を取り出し、レクチェに聞く。
「で、どれが欲しいんだ?」
彼女はその細い指で二つのフードを指す。
一つはスプレイグリーンの、もう一つはロータスピンク。
どちらも膝下くらいまでの長さのロングコートになっているフードだ。
「私が買いに行ってあげようって思って出てきたんだけど、お金無かったから困ってたの。結局探しに出て来させちゃってごめんねっ」
「あぁ」
どうやらエリオットとクリスの顔を隠すためのフードを買いに来ていたらしい。
今度は疑っていたことが申し訳なくなるエリオット。
選んだフードを貰って支払いを済ませたところで、主人が金を受け取った手をふと止めてエリオットの顔をじっと見た。
「……兄ちゃん、他の街でも会ったか?」
この田舎の住人ならまだしも、行商だと流石に王子の顔に見覚えがあるらしい。
危惧していたことがまさに起こり、予め考えておいた返答をさらりと答える。
「結構色々なトコを旅してっから、行商さんなら会ってるかも」
「そーかい、また会ったらよろしくな!」
エリオットは苦笑いしながら誤魔化して、レクチェとその場をそそくさと去った。
思わず手を引いて去ってきたので周囲から見れば完全に恋人同士。
ましてやレクチェは顔良しスタイル良し雰囲気良し、と立ってるだけで目を引く容姿だ。
道往く男がレクチェを見るかエリオットを睨むかしている。
これ以上人目につくのは避けたいので急ぎ足で宿へ向かう。
が、掴んで引いていた手を、後ろから引き返されてエリオットはグッとふんぞり返りそうになった。
「!?」
何かと振り返るとレクチェが立ち止まってカフェを見ている。
看板には『絶品! ホワイトチョコムース♪』の文字。
エリオットは渾身の力を込めてレクチェを歩かせようと引っ張るが、ビクともせずに彼女はその場に残ろうとする。
正体不明の存在とは言え、女に力負けしている状況に彼はショックを隠しきれない。
「も、ど、る、ぞ……っ!」
もう両手で引っ張っているエリオットと、それにも関わらず片手で平然と引き止め続けるレクチェ。
「アレ、食べたいなぁ」
気付いていながら言葉に出さないエリオットに、ついに彼女が要求した。
「だ、め、だ……っ!!」
そんなことをしていると周囲の人がだんだん立ち止まって彼らを興味深々に見ている。
もう俯いて顔を隠すとか言うレベルじゃなくなっていた。
「分かったよもう……」
完全勝利したレクチェはパッと手を離して嬉しそうにカフェの入り口へ駆けて行った。
「絶品ホワイトチョコムースくださいっ!!」
声高らかに水を持ってきたウエイトレスに注文するレクチェ。
「俺はアイスコーヒーで……」
ウエイトレスは手馴れた様子で二人の注文を書きとめると、オーダーを繰り返してから去っていく。
店内はいかにもな薄暗い照明と、外からの光を存分に取り入れられる大きな窓、シックなテーブルと編み椅子に、高い天井には小さめのプロペラがいくつか回って風を送っていた。
客層は女性がほとんど。
「全く、こんな我侭でいいのかよ神の使いってのは」
エリオットのぼやきにレクチェはにこにことするばかり。
都合の悪いことは喋らないつもりなのだろうか。
氷が解けてカランと音を立てるグラスに目をやって、エリオットはレクチェから視線をあえて外した。
彼女を見ていては怒る気も失せてしまうからだ。
つまり、彼はこれから彼女を多少なり強い口調で問いただそうとしている。
「……レクチェ、聞きたいことが」
「お待たせしました、ホワイトチョコムースとアイスコーヒーになりまーす」
「わーい!」
折角切り出したというのに、目の前にはデザート。
上にピンクの花びらのチョコレートをあしらったそのムースは白と緑の交互で四層に作られており、春を連想させた。
そんなのどうでもいい。
ムースに早速手をつけようとするレクチェから、エリオットはその皿を取り上げる。
「食べるのは俺の質問に答えてからだ」
「っ!?」
親の突然の訃報を聞いたかのような顔をしてレクチェが彼を見た。
それほどショックなのか、と思ったエリオットだが。コレが効くのであればそれはそれで良い、と切り替える。
「レクチェは神様を信じているのか?」
「うーん、何の神様っ?」
予想していない返答が返って来た。
だが彼女の問いは正しい。
宗派だって色々あるのだから問いかけ自体にキチンと提示せねばならない。
……だけどエリオットはレクチェにとっての神がどれなのか知らない。
「何って特定はしないよ、信じてる神様が居るか居ないか、でいい」
問いかけを少しだけ変えて再度聞いてみる。
すると彼女はエリオットに逆に尋ねてきた。
「何に対し、何をもって、神と呼ぶのですか?」
普段の朗らかな印象は消し去り、毅然とした態度で目の前の青年を見据える。
怒っているわけではない、ただただ真剣な目。
彼女がそれをするだけで、エリオットは思わずゴメンナサイと言いたくなってしまう。
でも言ったら負けな気がするから、それはグッと飲み込んだ。
「俺は信じてないから、答えようが無いかな……」
喉が渇くのを感じながら、辛うじて答える。
「それでいいと思います」
エリオットは彼女の言葉に、いつだったか同じようなことを言われた気がしてハッとした。
が、すぐに思考を元に戻して考える。
「ムース、食べていいっ?」
「あぁどうぞ」
緊張感の無い普段通りに戻った彼女のギャップにすらびっくりすること無く、彼は上の空でムースの乗った皿を彼女に渡した。
――何かが違っている、違っているんだ。
エリオットの思考は、足りない情報で困惑していた。
彼女は確かに『誰かの命令を受けて行動している』のかも知れない。
けれどそれは神などと呼べるものではない、と彼女は言っているように感じた。
では少なくともレクチェは今の自分の境遇を、その命令を、喜んで聞き入れているわけでは無いのか。
もし彼女がその為だけに造られた存在ならば、何故そんな風に思う?
もし何でも出来る神様みたいな存在だったとしたら、そのような面倒な人形を作ったりしないし、そもそも食事や睡眠なんて取る必要無く造るとエリオットは思う。
「なぁ、レクチェ……」
「ふぁい?」
口いっぱいにムースを頬張りながら返事をする。
ハムスターみたいな頬がこれまた可愛くて頭を撫でたくなるが、それは我慢。
「お前、元々は普通の人間だったんじゃないのか?」
エリオットと同じようにどこかで人間として暮らしていて、でもエリオットのように何か周囲と違う力があって、そこを誰かにつけ込まれたのでは、と。
これはあくまで彼の憶測でしか無いが……
レクチェはもぐもぐと口の中の物を噛んで飲み終えると、エリオットに向かって微笑んだ。
「そんなこと言われたの、初めてだなぁ」
「あんな不思議な力があれば、そうかもな……」
「当たってます」
エリオットは温くなりそうなアイスコーヒーを飲もうとした手を止めて、レクチェの言葉に静かに耳を傾けた。
「普通の人間、と呼べる頃は、私にもありました」
やっぱりか、と心の中でエリオットは呟く。
そしてそれと同時に自分の身に不安を感じた。
彼女の言う通りならば、自分だって他人事では無いのでは、と心配せざるを得ないからだ。
「じゃあ何で……今みたいになっちゃったんだ?」
なるべく少しずつ、一歩一歩紐解いて行こうとゆっくり質問を進める。
が、
「色々あったから」
「はぐらかすのか?」
これ以上は答えるつもりは無いと言うような内容の無い回答に、強い口調で追求した。
レクチェはそんなエリオットと目を合わせようとせず、憂いを帯びた瞳でテーブルに視線を落とす。
何度か口を開こうとしては、閉じ、話したいことがあるようなのに、話せない、そんな様子。
この店で食事をすることを強要したのも、本当はエリオットと話したかったからなのかも知れない。
けれど、
「いつか、分かります」
結局それだけ言ってスッ、と彼女は席を立った。
「ちょっ、待てよ、それって……」
嫌な予感しかしないレクチェの言葉に焦りを隠せずにガタンと椅子を後ろに倒す。
勢いよく手をついたテーブルの上のコーヒーが倒れ、零れた飲み物は床にまで滴り落ちていった。
無論会計はエリオットが出すと決まっているのだが、レクチェは会話を切り上げてさっさと店外に出てしまう。
もしこれがデートならば酷い扱いだ。
せめてご馳走様くらい言え、と。
ただ、逃げるように去ってしまったレクチェの瞳は涙が零れ落ちる直前のように潤んでいて、彼女が話を無理に切り上げたのは泣き顔を見られたくなかったのだとエリオットは察する。
零れたコーヒーの後始末に来た店員の声など、エリオットの頭には全く入って来ない。
その涙の理由に思考を張り巡らせるが結局想像がつかず、レクチェから聞いた情報は役に立たないどころか、新たな気がかりだけを心に重く残していったのだった。
◇◇◇ ◇◇◇
そして何事も無かったかのようにレクチェが部屋に戻ってきたのが十分前。
「エリオットさんがフードを持っているから使ってねっ」と言われて、出かけていた理由が買い物であったことをそれで把握したクリスは、自分の部屋に戻ってそれを受け取ろうとした。
が、エリオットは部屋には居らず、そのうち戻ってくるかと待っていて今丁度彼が戻ってきたところである。
彼はクリスのベッドにローブ二着を放り投げると、そのまま自分のベッドに倒れ込む。
まだ眠いのだろうか、とクリスはその行動理由を考えた。
「レクチェさん、こっそり私達から逃げたわけじゃなかったですね」
クリスの声掛けに、エリオットの返事は無い。
「寝たふりしてもダメですよ、そんな寝転がって一秒で眠れるような特技、無いでしょう?」
てくてくとうつ伏せに倒れているエリオットに近づき、肩を揺すってその眠りを妨げようとした。
けれどもそれに大して怒ることもせずにゆさゆさ揺らされっぱなしの彼の態度は、普段の性格を考えると少しおかしい。
いつもなら何するんだ馬鹿、とか彼は言うはずだ。
「……何かあったんですか?」
そう言って彼の体をゴロンと転がして顔を見る。
「ってうわ、何ですかその顔は」
目は虚ろ、頬や口元も力無く、茫然自失しているような表情だ。
何がどうしてこんな放心状態になっているのかさっぱり分からない。
レクチェはちゃんと居たではないか。
「……息をするのも面倒臭い」
「死ぬ気ですか!? 一体何があったんです、言わないと分かりませんよ?」
するとエリオットはガバッと起き上がって、虚脱していた体に力を入れて叫ぶ。
「言わないと分からないんだよ!」
「そ、そうですよ……」
聞いているのはこちらだというのに、エリオットが何か聞きたいかのような言い方。
何だか色々と理不尽過ぎるが、彼の切迫した雰囲気と表情に怒ることなど出来やしない。
「わ、私が何かしました?」
心当たりが全く無いのでとりあえず聞いてみる。
「お前じゃない、レクチェだ」
「! 何かレクチェさんから気になることでも聞いたんですか?」
クリスに一人で行くなと言いつつ、エリオットは一人でレクチェと話をしていたこの理不尽さ。
とはいえクリスもルフィーナと色々話したので文句は言えない。
彼の話を聞いてからこちらの話も伝えよう、とクリスはエリオットの次の言葉を待つ。
だがそれは部屋の戸を叩くノックの音によって阻まれた。
「いらっしゃいますか?」
「はー……んぐっ」
返事をしようとしたクリスの口は、エリオットの手で塞がれる。
扉の外から聞こえた声は、聞き覚えの無い男性の声だった。
「……居留守するぞ……」
口が塞がれているのでクリスは返事も出来ずに、ただ目が丸くなる。
居留守って何でまたそんなことを……と思ったのも束の間。
外から鍵がカチャリと開けられる音と共に部屋のドアは豪快に開いた。
【第一部第十二章 晴れない心 ~噛み合わない歯車~ 完】