思い出 ~終幕への道標~ Ⅲ
案内されて足を運んだのは、先程クリス達が不思議な指輪を拾った教会……ではなく、その隣の小さな家だった。
ルフィーナがノックをすると、男性の中では中音域であるエリオットの声よりも少し低いくらいの声で返答があったので、そのまま扉を開ける。
その家の中は至って普通の居住空間。
少しの本棚と作業机にベッド、手狭なキッチン。
屋根が球形になっているので普通より更に狭く感じられた。
「こんな夜分に何用だ?」
一目見た印象では男性というよりは女性に見えたが、その鋭いペルシアンブルーの瞳が彼を男性として主張していた。
右頬には何の効果かは知らないが魔術紋様が刻まれており、一般人ではなく何かしら魔術に携わっているのだとすぐに分かる。
「下に行きたいの、通してくれる?」
そう言われると、彼は眉を顰めながらも家の中央の床をリズム良く叩いた。
彼が叩き終わると床はフシュゥ! と煙を上げて、人一人がやっと通れる程度の小さな床戸が浮き出る。
「今更何も無いというのに、最近は珍しく客が来るな」
彼の呟きにルフィーナが意外そうに目を丸くした。
「……あら、他に誰が来たのよ」
「よく知らん偉そうな金髪の子供だ」
「そんなのよく通したわね」
「金払いが良かった」
そして床の戸を開けると彼はルフィーナに向かって右手の平を差し出す。
というよりもそれは差し出すのではなく、何かを要求している手。
「物でもいい?」
「物によっては、物のほうがいい」
ルフィーナはごそごそとマントの中を弄って、彼に手の平サイズのスティック状の何かを手渡した。
それを受け取る彼の鋭い目は、少し目尻が下がる。
「いいだろう」
彼は床戸から離れて、作業机の近くに置かれていたこの家の中で唯一の椅子に腰掛けた。
通っても構わない、という意思表示だろう。
「あぁよかった、要らない物を有効活用出来て」
そう言ってルフィーナがスタスタと開きっぱなしの床の戸へ歩いていく。
「高ぇ通行料だなオイ……」
渡した物が何なのか把握しているようで、エリオットがぶつぶつ言いながらもそれに続いた。
そしてレクチェ、クリス、と全員がこの謎の家の、謎の床下へと入り終わる。
ハシゴを降りた先は、水が流れ滴る洞窟だった。
「すぐに着くわ」
周囲は苔が光って、神秘的な薄暗さを醸し出している。
クリスは思わず口を開けて天井を見上げてしまう……まるで星空のようだ。
隣を見るとエリオットも同じようなことをしていたので慌ててやめる。
面白いので観察していたら、彼は一通り天井を見上げた後に今度は自分の体を見回していた。
これはちょっと意味が分からない。
しばらく流れる水に沿って歩いていると、岩壁に扉が見える。
予想通りそこが目的地らしく、ルフィーナはその錆び付いた戸をゆっくり押した。
……その中は見覚えのあるものだった。
「これは……」
クリスは思わずそこで言葉が詰まってしまう。
「えぇ、研究施設は定期的に移動させていたからココもその一つよ。きっと見覚えがあるんじゃなくて?」
ルフィーナの言う通り、そこに置かれた機材は以前レクチェを見つけた炭鉱跡で見たものと酷似していた。
違うところと言えば、炭鉱にあった物よりも錆び具合が酷い。
「ここに居た頃のレクチェはまだ記憶を失う前だったのよ」
どろ水に浸っている床を更に進むとまた扉。
「土地的なものもあるんだろうけど、私は捕まっていてもこの場所は割と好きだったんだ」
レクチェがそう説明する。
「土地的なもの?」
「いわゆるパワースポットってやつだな、気付かないのか?」
エリオットに鼻で笑うように馬鹿にされ、クリスは頬を膨らませてこの怒りを表現した。
そこへルフィーナが一言。
「ごめん、私もよく分からないんだけど」
「何ですと!?」
そして彼は罰が悪そうに頭を掻いてそっぽを向いてしまう。
おかしいなぁ、とぶつぶつ言っているがそこは一同放っておいて先に進んだ。
次の部屋へ進むとそこは小ぢんまりとした一室。
もうほとんど物は置かれていないが、壁には部屋のサイズに合わせた本棚がいくつも並んでいて、ベッドだった物や机だったのであろう物は、今は朽ち置かれている。
「本は流石に持ち運んだけど、この部屋をよく気晴らしに使わせてあげていたの」
ということは、
「ここに居た頃はこの部屋でルフィーナさんが住んでいたってことですか?」
「そうよ」
レクチェは捕まっていてもルフィーナの部屋に遊びに行くくらいの自由は与えて貰っていたらしい。
クリスが初めて見た時はそんな自由などなくずっと薬品漬けにされて囚われていたような印象を受けたので、そう聞くと不思議な感じがする。
もっとも、ここに居た頃はレクチェがまだ記憶を失くす前だったのなら、扱いも違ったのかも知れない。
クリスはそれで納得したが、エリオットは以前説明を聞かされていないのでサッパリなのだろう。
頑張って言葉の端々を拾って推理しているようだが、難しそうな顔をしていた。
「……ルフィーナはセオリーの元仲間で、ここでレクチェを調べていた時に捕らわれのレクチェを気遣って部屋に呼んだりしていた、でいいのか」
「いいわ。次の質問どうぞ」
エリオットのほぼ合っている発言に、彼女は更に質問を促す。
「レクチェは記憶を取り戻したワケだが、それでセオリーや俺が困る理由は?」
そういえば、クリスやローズの敵なのは確かとはいえ、セオリーは何故困るのか。
研究はレクチェがそれに耐え切れず『壊れて』しまったことで中断されていたとクリスは聞いている。
その対象の記憶が戻ることは普通に考えたら、彼らにとっては状況は悪いとは思えない。
それに対してルフィーナが言う。
「簡単に言うと、レクチェとクリスの種族は相反するものなのよ。レクチェが記憶を取り戻したら、普通に考えたらクリスやお姉さんにも危害を加える可能性があるわね。今はこの通り、仲良くなってるみたいだけど」
エリオットは黙って聞いている。
「セオリーが困るのはアレね。折角見つけた女神の末裔をみすみす失うわけにはいかないんでしょ」
「そういや遺物の回収もクリスに任せてたな、あいつ」
「それだけじゃないわ。結局レクチェの研究を進めるにはクリスやお姉さんの手が欲しいのよ。よく考えてみて。この通り不思議な存在であるレクチェをどうやって捕まえようかしらね?」
そしてルフィーナがクリスを見た。
それを受けてクリスも話に混ざる。
「……彼らは私や姉さんの力を借りなければ、記憶を取り戻したレクチェさんを捕らえることは出来ない、と……」
それならつまり、クリス達が彼らの仲間にならなければいいだけだ。
しかし元々敵対している存在である以上、こんな風に出会っていなければ実際彼らの仲間になっていてもおかしくはない。
「手放したら再び捕らえるのは困難なのにも関わらず、あそこに放置して俺達の元へ寄越したのは、記憶を失くしたレクチェをどうすることも出来ずに手を焼いてたってところか」
もう一つ残っていた疑問をエリオットが推理する。
「そうかも知れないわね」
「……変だったんだよな。ルフィーナがやろうとしていることを止めるんじゃなくて、とにかく俺とクリスに離れろって指示してたんだ、セオリーは」
「貴方達に危害が及ぶのは彼らとしても困るけど、エルムの枝なんて一朝一夕で作れる物じゃないもの、試して貰えるものなら試して欲しかったんでしょ」
エルムの枝、というのはきっと魔術道具なのだろう。
多分記憶を取り戻せるかも知れないような、何か。
そんなに難しい物なのだろうか、とクリスは気になったので聞いてみた。
「そんなにそれって難しいんですか?」
その問いにルフィーナは両手を腰にあてて大きく胸を張って答えた。
「そうね、エリ君が生まれるずっと前からちくちく作ってたわよー。完成に追い込みかけたのは最近だけどねぇ」
問いかけた少女は思わず噴き出してしまう。
作るだけでそれってとんでもない代物ではないか。
驚いているクリスに、エリオットは渋い顔をしながらぼそりと、
「そんな大層な物であるソレをさっき通行料として家主に渡してたワケだけどな」
「えええ!?」
クリスは二重で驚かされた。
もうここに来る必要はそこまで無いようなことを言っていたのに、どうしてそんな物を。
「そ、そこまでしてここに来た理由は何ですか!?」
驚くあまりについ叫んで聞いてしまう。
それに対してはレクチェが返答してくれた。
「この洞窟、綺麗でしょう?」
「えっ、あ、そうですね」
彼女はにっこり笑いかける。
まさかそれだけの為に?
そんな失礼な考えがきっと顔に出ていたのだろう。
レクチェは人差し指を口元に当てて、
「もっといい場所があるんだよ」
ほんのりと口元だけに笑みを浮かべながら、ルフィーナが部屋を出ようと扉に手をかける。
その表情から、きっとそのいい場所へ案内してくれるのだろうと伺えた。
錆びた研究施設を抜けてまた元の洞窟に戻ると、更に少し先へ進む。
天井の狭い通路を抜けて、広い空間に出た先には確かに先程とは比べ物にならない光景が広がっていた。
「わ、ぁ……」
思わず声が洩れる。
光る苔だけではなく、光る粉のような物がふわふわと漂っていた。
多分、広がった天井一面の苔から落ちてきているのだろう、その粉が地底湖にも落ちて湖そのものからも青白い光が放たれている。
「この世界にはこんなに綺麗な場所がいっぱいあるんだって思えば、いつでも頑張れた……」
レクチェが少ししゃがんで透明な地底湖の底を見つめながら言う。
彼女達にとって当時の思い出は、金銭に換えられるものでは無いのかも知れない。
ルフィーナはレクチェを加害する研究者側であったにも関わらず、レクチェを強く想っている。
そんな関係に発展するくらいの日々を、二人で歩んできていたはずなのだ。
地底湖は苔による光で奥底まで綺麗に見え、覗くとまるで自分が水の中に居るのではと錯覚してしまう。
現実と夢との区別がつかなくなってしまうような幻想的な空間に、クリスはしばらくレクチェと共に酔い痴れる。
しかし、エリオットは何か別の意味で酔っているようだった。
「エリ君、大丈夫?」
先程まではすぐそこに立っていたような気がする彼が、頭痛でもしているのか頭を抑えながら俯き、壁にもたれかかっていた。
その様子に気付いたルフィーナが心配するが、エリオットは頭を抑えていた手を離すと顔を上げて、視線をふいっと横にずらす。
「大したこと無いから乙女どもは景色を堪能してろ」
「そう? ダメそうだったら言いなさいよ」
「あぁ」
だがその顔色はすぐれない。
クリスは心配になって彼の傍に寄ろうと立ち上がろうとした。
が、それより先に動いたのはレクチェだった。
小走りでエリオットに近寄り、その手を取って握る。
何も言わずに手を握ったまま離さない彼女にびっくりしたようで、彼は何か言おうとぱくぱく口を開けたが言葉が出てこない。
手と手を握り合うその様子を見ているだけならば、薄暗い場所という背景効果もあって恋人同士みたいだった。
特にそれを感じさせるのはエリオットよりもレクチェの表情。
手を握ったままどこか物憂げで、クリスが男ならばその表情だけで恋に落ちてしまいそうである。
「エリオットさん……」
レクチェはそのまま彼の顔をじっと見つめて名前を呼ぶ。
「な、何してるんですか?」
その空気に耐え切れず、クリスはつい突っ込んでしまった。
「そういう仲だったの?」
ルフィーナも少しびっくりしているらしい。
からかうように、というよりは本当に疑問を投げかけている。
「いや、多分俺の具合を治してくれたんだと、思う、んだけど……」
こちらも下心が出る以上に、驚きのほうが大きかったらしい。
普段ならここでへらへら喜んでいそうなものを、今回はその様子が見られない。
「っ!」
レクチェが慌てて手を離した。
「そういうのじゃないからねっ!」
焦りながら否定しているが、どんなに状況はそれっぽくても二人がそんな仲だなんて全く思っていないので、必死に弁解されても逆に困るというもの。
クリスとルフィーナは顔を見合わせてから笑う。
レクチェも自分のしたことに照れ笑いつつ、また湖の畔に戻っていってしゃがんだ。
エリオットは体調が良くなったらしく、先程までの滅入った表情はしていない。
「凄いですね、レクチェさんって病気も治せるんですか?」
純粋に湧き出た疑問を投げかけただけなのだが、何故かその質問に彼女は答えず、少し目を伏せながらそれを誤魔化すように口元だけ微笑む。
クリスにはその真の意味など分かるわけもなく、ただ何も考えずにその微笑みを肯定と受け取って、それ以上聞かなかったのだった。
【第一部第十一章 思い出 ~終幕への道標~ 完】