思い出 ~終幕への道標~ Ⅰ
「ちょっと寄りたいところがあるの」
ルフィーナのその発言でクリス達の行き先は王都よりも東となり、一行はツィバルドから向かって南東の山を越えている最中だった。
列車で移動出来れば良いのだが、列車は王都と規模の大きい街を直線で結ぶ路線だけであり、目的地である東の田舎街リャーマには通っていないのだ。
とはいえ列車が通っていない分、この山道は人々がよく通るので比較的整備されている方だろう。
道中に度々店や宿も見かけ、ツィバルドと王都を遮る雪山地帯に比べれば随分違う。
寒いには寒いが、そちらの山よりも南に位置しているので雪も少なく、歩いていれば逆に暑いくらいだ。
いや、クリス達は歩いていないのだが。
馬を借りて風を切っているので、寒くて仕方がないと思われる。
結局ローズの行方が分からないまま、ルフィーナの言う通りに目的地を決めたクリス達。
しかしルフィーナはいつも通り、その理由を濁して述べてはくれなかった。
こうして見るとますますエリオットに似ている気がしてならない。
やはり師弟なだけはある。
彼女のその態度を見ながら、王子と出会った当初の説明不足ぶりをクリスは密かに思い出していた。
比較的言いたいことを話してしまうクリスには、口を閉ざす彼らの気持ちが分からない。
例によって背もたれになっているモノをふと見上げる。
するとクリスの動きにすぐ気がついたようで、背もたれがしかめっ面になり、その翡翠の瞳を細くする。
視点的に見下げている分、目だけを見れば喧嘩を売っているようだ。
「何見てんだよ」
やはり売ってきた。
いや、売ってもいない喧嘩を買われた、と言った方がいいのか。
クリスは大人な対応でさらりと彼に答える。
「ちょっと見たくなったんです」
「その理由が聞きてーんだよ俺は!!」
エリオットは手綱を握っており、下をいつまでも見ているわけにはいかないので、クリスに視線を向けるのはすぐに止め、正面に視線を戻して叫んだ。
「……エリオットさんとルフィーナさんが何だかんだで似ているなぁと考えていたら顔を見たくなりました。これでいいですか?」
「正直に答えたら答えたでムカつくんだけどお前!!」
怒りに歯を食いしばる彼。
コレが昔は良い王子だったなどと誰が信じるものか。
隠していた素顔が出てきただけであって元々良くも何ともなかったに違いない。
クリスはエリオットの売り言葉は買わず、無言でスルーした。
それからしばらく黙って流れる景色を見ていると、沈黙に耐え切れなくなったのか、彼はまた喧嘩を売るようなことを言う。
「こんなのが女だなんて、ありえん」
まだそれを引きずっているとはエリオットこそ男の風上にも置けない、なんてことは面倒になるので思っても言わない。
けれどどうも彼は会話をしたいようなので、クリスは仕方なく無難と思われる返答を素っ気無くも一応してみた。
「あり得なくても、事実ですから」
確かに胸は無いが、下のほうにもついていないのは確かだ。
だがその返答すらもお気に召さなかったらしい。
呆れたような物言いで彼は続ける。
「それ! 可愛げがねーんだよ。顔はどっちつかずだけどよ、とりあえず男と間違えられたくなければその態度をどうにかするべきだって」
アドバイス、と受け取って良いのだろうか。
「私は司祭様の真似をしているだけなんですけどねぇ」
「……多分、口調だけだろ?」
「そうかも知れません」
口調を司祭様ではなく修道女のお姉さんみたいにすればいいのかな、とクリスは考えたが想像してみたらどちらも同じ敬語だった。
悩んでいると頭の上から更に言葉が降ってくる。
「何か突っ張ってるっつーかさ。どーせ悪いところは全部口に出てるんだから、我慢せずに他も表面に出せばいいんだよ」
やはり彼なりのアドバイスなのだろう、どことなくその声色は優しくなっていた。
しかし……
「エリオットさん、それは違います。私は冷静になろうと努力しているだけなんです」
クリスはその過去から、早く大人になろうと背伸びをしているだけで、別に突っ張ってるわけでも隠そうとしているわけでも無い。
これだけは否定しておかねばイメージが崩れてしまう。
けれど彼はそれすらも打ち消した。
「喧嘩や戦闘中ならまだしも、普段から無理して冷静になろうとしなくてもいいんじゃないか?」
そろそろ山を下りきるくらいだろうか、徐々に道が平坦になっていく。
あまり木の生えていない粘土質の土で出来た山が後ろに大きく聳える景観となり、これから麓の森に入るのだろう、大きい杉などの木が増えてきた。
クリスは少し身を乗り出して山に振り返っていたところを、元の位置に戻り、呟く。
「エリオットさんと喧嘩以外の会話って、してましたっけ」
「……そこから観点がすれ違っているのか俺達は」
山を抜けるのに三日掛かったことを考えれば森はそこまで深くなく、数時間の休憩を取ったものの一晩で越えられた。
抜けると平原が見渡す限りに広がっており、ここまで来るともうあまり寒さは感じない。
誰からともなく上着を脱ぎ、馬に付けてある荷袋に仕舞いこむ。
リャーマへ続く道は、この平原も山や森と同様に踏み慣らされており迷うことは無さそうだった。
途中幾度か休憩をしつつも、地平線まで続く一本道をひた走る二頭の馬。
そして平原の先に街を見つけた頃には……随分と日が暮れていた。
「こっちこっち」
舎に馬を預けた後、ルフィーナが案内して街を回る。
都会ほどとは言えないが建物の中からは眩しいくらい光が溢れて、どの店もわいわいと賑わっていた。
こうして見ると酒を嗜む店が多く並んでいるようだ。
そんなリャーマをきょろきょろ見物しつつルフィーナに着いていく途中で、クリスは壁にとんでもない物を発見してしまう。
その視線を追って、自然とエリオットとレクチェもそれを見た。
「…………」
皆、無言で見つめる先は『探し人』の張り紙。
そこに描かれているのは紛れも無く、クリス。
「おい、クリス。何かで顔隠せ」
「なっ、何も無いですよ!」
とりあえず深く俯いて誤魔化す。
情報の連絡先は各地の王国軍の駐屯施設となっており、クリスを探す理由は大体把握出来た。
「……俺も明日何か顔隠せるモノ買うか」
多分一番探し人として探したいのは家出王子であるエリオットだろう。
しかし、それを公にするわけにはいかないので参考人としてクリスを見つけたい、と言ったところか。
ローズのように賞金をかけて手配されているわけではないが、こうやって似顔絵を張られては同じようなものだ。
「クリスさん、何で探されてるの?」
張り紙とクリスを交互に見ながら、右人差し指を顎に当てて疑問を唱えるレクチェ。
「色々ありまして……」
本当に、色々。
げんなりしつつ、その張り紙を後にしようとした。
が、
「あれ?」
着いて行かねばならないはずの後姿が、どこにも見当たらなかった。
これはいわゆる、アレだ。
置いてけぼりというやつだ。
張り紙を見ている間にルフィーナとクリス達は完全に離れてしまい、あたりを見渡してもエルフの影はどこにも無い。
街としては小さいとはいえ、村に比べれば充分大きい。
「さて、どこから探すか」
と言いつつエリオットは探そうともせずに、すぐ隣にあった酒場に入って行った。
「ちょっと! どこ入ってるんですか!?」
「うわぁん迷子なのー!?」
泣きそうな顔でクリスの袖をぐいぐい引っ張るレクチェ。
一気に収集がつかなくなる。
ルフィーナが、クリス達が着いて来ていないことに気がつくのはきっと早いはずだから、建物の中に入っていてはクリス達を見つけられなくなってしまう。
なのに何をし始めるのだ彼は。
クリスはエリオットに怒ろうとしたが、何か言われる前に彼は即座にアルコールを注文していた。
「見つかったら呼んでくれ。それまでここの見張りは任せろ!」
間もなく出されたジョッキに口をつけ、入り口に一番近いところのカウンター席で彼は言う。
これはもはや動きそうにもなく、もう説得するのも面倒臭い。
「……二人で探しましょうか」
「うん……」
夜独特の明かりが美しく輝くこの街で、娘二人はその雰囲気には似つかわしくない哀愁を漂わせながら肩をがっくりと落とした。
クリス達を見送ってから、エリオットは注文したハムとチーズのフィユテをサクサクとつまみながら飲み進めていた。
ルフィーナがここで何をしたいのかは気になるが、いちいち探すくらいなら久々に飲みたいというのが理由だ。
探した後呼んで貰えばいいだけのことに、自分がわざわざ動くのも面倒臭い。
大体エリオットは、ここ最近の自分の扱いについてとても不満を持っていた。
クリス達が勝手に自分に着いて来ているだけなのに我侭放題。
確かにそれは飲まないとやっていられないだろう。
「おかわりしますか?」
勢いよく空いたジョッキを見て、優男な茶髪のバーテンダーが聞いてくる。
「よろしく~」
エリオットは上機嫌でそれに答えた。
周囲の客層を見渡すと比較的年齢層も幅広く、まるで街の大人はこぞって飲みに来ているような雰囲気だ。
物騒な連中が飲み荒れているというよりは純粋に街の住民で店が賑わっているように見える。
東は織物や工芸品などの特産品くらいしか目立った物は無いと思っていたが、なかなかどうしてこのリャーマはエリオット好みの街だった。
「ちなみにお兄さん、この女最近見てない? 多分大きな得物持ってると思うんだけど」
エリオットは小さいバッグに折りたたんで入れていた手配書を彼に見せた。
「いやー、こんなの見たらすぐ通報しますよー」
「だよねー」
ははは、と手応え無しの反応に軽く笑ってまた仕舞う。
流石に大きな街でも無いと人に紛れ込むのは難しい。
これくらいの規模の街で目撃されていないのであれば、ここには居ないと考えるべきだろう。
ふと、バーテンダーが物珍しそうにエリオットを見てきたので、飲んで機嫌の良い彼は自分から話を振ってやった。
「ん、賞金稼ぎは珍しいか?」
無論、エリオットは賞金稼ぎでは無いが、この方が都合がいいのでそういうことにしておく。
「あっ、スイマセン。珍しいですねー、この街あんまり行商以外は来ないんで」
「そっか、俺も初めて来るしなぁ」
こういうなよっとした優男は、エリオットは二番目の兄を思い出すのであまり好きでは無いのだが、客商売だけあって物腰は柔らかい。
悪い印象は抱かずにバーテンダーと他愛も無い会話を続けた。
しかしそこへ、
「隣いいですか」
聞き覚えのある、低くかすれたハスキーボイス。
答えも聞かずにエリオットの右に座ったのは白緑の髪に真紅の切れ長の瞳を持つ、丸眼鏡の青年。
「っ!?」
思わず席を立って僅かに後ろに引いた。
「何もしませんよ、今は話すだけですから」
セオリーは存在自体は信用ならないが、いちいち嘘を吐くような人物ではない。
何もするつもりが無いのなら何もしないのだろう。
エリオットは冷静を装ってまた座り直す。
バーテンダーは空気を察して水だけセオリーに置いて、少し離れた。
今日はいつもの軽鎧は纏っておらず、ごく簡易な服装。
この場に馴染む為に服を変えてきたのか、それとも単に私服なだけなのかは定かではない。
「今すぐ女神の末裔の子供と二人でこの街を出てください」
急に出たと思ったらこれまたいきなりの命令。
「説明は無いのかよ」
エリオットは折角良い気分で飲んでいたところを台無しにされてご機嫌ナナメだった。
互いの関係からしても、理由も聞かずに命令に従う気分ではない。
苛々しながらセオリーを睨むがさらりと受け流される。
クリスとは違い、上辺ではなく本当に流している。
「大変面倒なので端折ってもよろしいでしょうか?」
「ある程度は許す」
「どうも」
割と素直に要求を受け入れられたので、エリオットは内心驚いた。
セオリーは出された水には手をつけず、王子に体を向け視線をしっかり合わせて話し始める。
「憶測でしかありませんが、ルフィーナ嬢がこの街で行おうとしていることは貴方がたにとって得策とは言えないでしょう。こちらとしてもなるべく貴方がたに離れて欲しいのです」
「分からんな、一緒に居ると何か起こるのか」
「起こります。彼女も知っているとは思いますが、多分無理やり貴方がたを離せないから仕方なく踏み切ったのだと」
確かにレクチェはクリスに心を許していたから無理に離すのは難しかっただろう。
しかし一度離れた時期もあったのに何故合流した今、わざわざ何かをしようとしているのか矛盾が生じる。
エリオットの顔を見つめたまま視線を逸らそうとしないセオリー。
男と黙って見つめ合っていても仕方が無いので、エリオットは深い溜め息の後に自分から目を逸らしてカウンターの瓶棚を見ながら言った。
「どうせ俺達を監視しているんだろう? じゃあこの時点での矛盾をきちんと説明してくれ」
「ふむ、どこが矛盾なのでしょうね」
大げさに首を傾げる白緑の髪の男。
頭のキレる相手だと思っていたがそうでも無いようだ、と一瞬エリオットは相手を蔑視した。
が、すぐに彼の中で別の考えが浮かび上がる。
……いや、もしこちらの前提が間違っていたのだとしたら……
エリオットはやはり視線をセオリーに戻し、椅子ごと体を向けてきちんと聞くことにした。
「おい、ルフィーナは俺達と離れた時期があっただろ。何故その時じゃなくて合流した今わざわざ何かをやろうとしているんだ」
自分の中の矛盾を、口にして問いただす。
「そうですね。それは彼女にとって、危険が伴いつつも転がりようによっては都合が良いからではないでしょうか。でなければ準備が間に合っていなかった可能性もあります。どちらも憶測でしかありませんが」
その矛盾は大したことでは無い、と言った口ぶりだが、しっかりエリオットの矛盾を解消出来るような答えでも無い。
「どう都合が良いってんだよ」
逃げ道を塞ぐように追求した。
「……あくまで憶測です」
セオリーがその先を述べようとしたが、それは一本のロッドによって遮られた。
エリオットとセオリーの間にロッドを突きつけてきたのは、
「おやルフィーナ嬢、こんばんは」
片方はエルフ、もう片方は見た目の特徴だけならヒト。
二人の紅い目が鋭く睨み合う。
ルフィーナは、エリオットが今まで見たことの無いような恐ろしく歪んだ形相でセオリーを真っ向から見据えていた。
ちなみにこの表情は、この場には居ないがクリスならば見たことがある、ルフィーナの鬼の顔。
「何を吹き込もうとしているのかしら?」
その声色は低く重く、そして微かに震えている。
明らかな動揺の色。
弟子にそれほど聞かれたくなかった内容だとでも言うのか。
「ただ私の考えを述べようとしたまでですよ。それが真実かどうかは彼に判断して貰えば良いだけです」
「黙りなさい」
ルフィーナがロッドでセオリーの頬をぐいと押すと、その頬に魔術紋様が焼かれ出る。
その紋様はロッドを離したその後も消えることは無く、彼の頬に刻まれたままだ。
大抵の魔術知識は学んでいるエリオットは、その魔術紋様がどういう意味を持つかすぐに判断出来た。
……口封じ。
陣や紋様をいちいち描かずとも、構想して瞬時に魔法による火で相手に焼き付ける。
魔術紋様の知識だけではなく、魔法の緻密な操作を要する高等テクニックだ。
相変わらずの見事な腕前に弟子は感嘆させられる。
しかしそれを使って彼女はセオリーの口を封じたわけで、それが意味することはそれほど知られたく無い事実がそこにあったということ。
「おいセオリー、返事は要らん。答えは『分かった』だ。ただし三人でだ」
何があるのかは知らないが、レクチェだけ置いていくというのは流石に出来ない。
エリオットの答えにセオリーがぴくりと反応し、大層慌てているようで勢いよく首を横に振る。
「……三人じゃダメなのか?」
エリオットの問いに今度は首を縦に。
「ダメな理由が分からんなぁ。いっそ文字で書いてくれよ」
「何のことか分からないけど、書かせるワケ無いわよね」
今度はルフィーナのロッドが、エリオットの鼻先に突きつけられる。
「何だ、やるのか。女でもババァにゃ容赦しねーぞ」
エリオットと彼女の間にはもはや亀裂と言ってもいい程の大きな蟠りがあった。
それは過去の絆など他愛も無く霞んでしまうくらいに、ここ最近のルフィーナの態度は弟子を幻滅させるのに充分過ぎるものだったのだから。
「とりあえずここを出ませんか」
頬の紋様を上から焼き直したらしく、口封じを解除して左頬を爛れさせたセオリーが割って入ってくる。
周囲の客は気付けば皆、エリオット達を不安そうに見ていた。
レクチェとクリスはルフィーナを探していたのではなかったのか。
結局クリス達とは合流出来ないまま、ルフィーナも見失った連れを探していて、エリオットの居そうなところに足を運んだと言ったところか。
……タイミング悪く。
街の外に出て、大きいお友達三人で対峙する形となる。
大変面白くない構図。
エリオットはがしがしと片足で、僅かに雑草の生えた平坦な土を踏み慣らした。
「で、どうするんだ」
ルフィーナは一向に引く気は無いようで、この中で一番臨戦体勢だった。
なるべくそちらからは目を離さないようにして問いかける。
するとセオリーはそんなルフィーナに臆することも無く冷たい笑顔で交渉を進めようとしてきた。
「譲歩しませんか?」
エリオットには二人の意図が全く掴めていないので、譲歩も何も無いのだが。
「……被害が及ばないなら何でもいいぜ」
どちらかと言えば今回の件はほぼ彼らだけの都合に思えるので、適当に返答する。
「私と貴方の間で譲歩なんて出来ると思う?」
「最終的には平行線でしょうね。だから今だけ、ということで」
「知ってるでしょ、私がどれだけ貴方を嫌いなのか。今だけだってゴメンよ」
深い因縁があるような口ぶりの二人をじっと眺めながら、エリオットはどちらにつくべきか考えていた。
この状況だけならば完全にセオリー側だ。
この前クリスが何を言われたのかエリオットは知らないが、もうルフィーナは信用できない。
ローズを助ける障害になるのなら、殺すのは今、か。
湧き出た殺意を隠す為に、エリオットは心の中で素数を数えた。