誤解 ~節穴が六つ~ Ⅱ
騒がしい夜が明け、朝食を済ませたクリス達は早くもこの街を出る支度を整えていた。
特に情報が得られなかった今、この場所に長居するということは無意味なだけでなく危険でもある。
その滞在した街が先日の山村のように、ローズの持つ精霊武器によって壊される可能性があるからだ。
「一体姉さんはどこに行っちゃったんでしょうねぇ」
クリスは鏡と向かいあってピアスを着けながら呟く。
それに対し、とっくに支度が済んでいるエリオットが答えた。
「この街に寄っていないのなら、実は既に狙いを定めた街や村へと動いている最中なのかもな」
その出来ることならば考えたくもない予想内容は、ピアスを着ける手を不安定に震わせるに充分なものだった。
うまく着けられずにいると、椅子に座っていたエリオットがクリスに歩み寄ってくる。
「さっさと支度しないと出られないだろーが。ほら、貸せ」
そう言って、右手の平を向けた。
「だっ、大丈夫ですよ、自分で着けられます」
「さっきから失敗してるの分かってるんだよ!」
痺れを切らした彼は、クリスの手からピアスを取り上げて手早く着けようとする。
「あう」
耳を他人に触られるという大変もぞもぞして気持ち悪い感覚に、若干の声を出しつつも頑張って耐えたクリス。
まもなくエリオットの手によってピアスは両耳に着けられ、そのもぞもぞ感から解放されたクリスは、ほっと息を吐いて平常心を取り戻す。
王子はすぐにクリスから離れて自分の荷を持つと向き直って言った。
「おい……金返せ」
その一言にクリスは思わず吹き出しそうになる。
「あ、すみません」
ほとんどは銀行に預けてしまったので、とりあえず手持ちの金貨五十枚程度を彼に返す。
「他は持ちきれなくて預けてしまったのですが……」
「持ちきれない? そんなに無かっただろ」
「いえ、多分千枚くらい頂きました」
先程吹き出さなかったクリスのかわりか、エリオットが盛大に吹き出す。
彼は口元を軽く袖で拭うと、眉を寄せながらクリスに問いかけた。
「マジか?」
「マジです」
その後何故か難しそうな顔をして考えるエリオット。
「なるべく下ろさない方がいいな、城の連中に居場所がバレるかも知れん」
彼の言い分を全く理解出来ないクリスは、首を傾げてその説明を表情で要求する。
エリオットは両腕を腹の位置で組みながら、少し視線を斜め上に上げて答えた。
「礼金として異常過ぎる、ってことは他に意図があるだろう。持ちきれない金額を渡すことで銀行へ預けざるを得ない状況を作り、情報として得る。常に目を光らせているわけではないだろうが、お前が銀行で出し入れすればそれはアッチからすればすぐに調べることの出来るお前の位置情報となるんだ」
「つまりどういうことです?」
そんなクリスの質問に呆れ顔で返答が返って来る。
「お前が銀行で金を下ろしたって話を聞きつけて、城の連中がそこへ探しに来るかも、ってことだよ。勿論お前を探すためじゃなくて、俺を探すためにな」
そんな意図があるだなんて想像もしていなかったクリスは驚きのあまりに言葉を詰まらせた。
素直に喜んで預けてしまった自分が少し恥ずかしくて頬が熱くなるのを実感する。
「このくらい手元に残してあるなら問題ねーよ。宿代払ってくるわ」
「お、お願いします」
部屋を先に出るエリオットを確認して、クリスはせっせと自分の荷のチェックに勤しんだ。
……今はもう手元にあのネックレスは無い。
フォウの不確かな言葉だけを信じて、ルフィーナにプレゼントしてしまったからだ。
今思えば本当にああして良かったのか、僅かだが不安も残る。
何故なら、逆にあのネックレスによって彼女が狙われるのではないかと言う心配があるからだった。
『だが、手放してくれて助かっている』
急に頭に響く声。
ニールの言葉にクリスは問い返す。
「それはまた……何故?」
『あれをクリス様が持っている時、常に気分が悪かったのだ』
そういう大事なことは早く言って欲しい。
精霊でも具合が悪くなる時があるのか。
いや、それは大した問題ではない。
クリスには分からないが、やはりあのネックレスには何かがある。
つまりセオリーに狙われるだけではなく、そんないわく付きの装飾品を渡してしまったことになる。
もしルフィーナの具合が急に悪くなったらどうしたら良いのか。
ローズの持つ大剣みたいに、実は身に着けると呪いがかかるかも知れない。
と言うか、だ。
あのネックレスはローズが持っていた物だ。
彼女はどうしてそんな物ばかりに縁があるのだろう。
何か得体の知れない物を寄せ付ける何かが彼女にはあるのか。
謎ばかりがクリスの中で立ち込めては消えやしない。
『そもそもクリス様の姉君はどうして盗人などに成り下がっていたのだ?』
「……私が聞きたいです」
もしも姉をきちんと元に戻せる時が来たなら、聞いてみたいことが増えた。
支度が完了したところで部屋のドアが開かれる。
ロビーで待っていればいいものを、いちいち呼びに来たらしい。
エリオットが不機嫌そうな顔で野次を飛ばしてきた。
「女々しく準備に時間掛けてんじゃねーよ、ったく」
片足でタンタンと床を叩きつけ、急げの合図。
「いいじゃないですか、私だって少しは身だしなみを気にしたい時があるんです」
薄汚れた法衣を着ていた頃は気にならなかったが、高い服を着てしまうと何故か普段気にしていなかった部分まで気になるのだ。
そんなクリスの気持ちも汲もうともせず、彼は更にそこへ追い討ちを掛けてきた。
「つーか前も思ったがお前のセンスはおかしい。何なんだその服は、その絶対領域は」
クリスの服は法衣に近いデザインの魔術軽装だが、ロングローブのスリットからはショートパンツとニーソックスが覗いている。
確かにそこには絶対領域が存在していた。
「いや、以前のコートはともかく、この服は店員さんに見立てて貰ったんですよ?」
それを聞いて訝しげな顔をするエリオット。
そして、
「……店員に女と間違えられたのか……?」
彼は己の中で湧く疑問の答えを、恐る恐ると呟く。
クリスはと言うと、あまりのことに唖然とするしかなかった。
クリスが黙っていることを良いことに、調子に乗った彼は捲くし立てるように目の前の子供をからかう。
「あの四つ目のガキもお前を女だと思ってたみたいだしな! 仕方ないな、そんな顔じゃーなぁ!!」
待たされて不機嫌になっていたことなど、もはや無かったかのように上機嫌で笑い始めた。
彼は本当に人を馬鹿にするのが好きなようだ。
「言いたいことは、それだけですか?」
低く静かに、俯きながらクリスはエリオットに聞いた。
言い残すことがあれば、聞いてやってもいい。
そういうつもりで、間をおく。
「えっ、いや……悪い、結構気にしてたのか?」
どうせ反論してくるとでも思っていたのだろう。
予想とは違うクリスの態度に拍子抜けした様子で、すぐに詫びるエリオット。
しかし、クリスはその詫びどころが違うので全く詫びて貰っている気分になれない。
背中の槍に手を掛けて、最後にもう一度だけ確かめた。
「貴方は……私を男だと思っていたのですか?」
「はい?」
問いに、問いで返される。
しばらくの間一緒に旅をして、部屋はいつも一緒で、この間なんて一緒にと言うわけではないが同じ場で風呂にも入った仲だというのに。
クリスはふつふつと湧く感情を抑え、黙ったまま槍を背から外して、被せていた布をゆっくりと外す。
「私のどこをどう見て男だと思っていたのか、教えて頂いてよろしいでしょうか」
俯いていた顔を彼に向けて上げる。
クリス自身、自分がどんな表情をしていたかは定かではない。
ただ、そんなクリスと目が合ったエリオットの瞳は、恐怖の色に染まっていた。
「で、降りてこないと思ったらまた喧嘩してたの?」
呆れ顔のルフィーナが、床に這い蹲っているエリオットを部屋の入り口付近から見下ろす。
その後ろでレクチェが心配そうに部屋を覗き込んでいた。
クリスは苛立ちが収まらないまま、それをぶつけるかのように強めの口調で答える。
「したくてしているわけじゃありませんよ、この人がいつも喧嘩を売ってくるだけです」
「もー、エリ君なんてまともに相手しちゃだめよ。今度は何が原因?」
自分の口から言うのも腹立たしいので、そこで黙ってしまう。
そんなクリスの態度に、ルフィーナは腰に手を当てて顔を覗き込むように少し屈んだ。
「クリスからも言えないようなことなの? じゃあ私はどっちもどっち、って判断しちゃうわよ」
彼女の言いたいことは尤もである。
自分の気分が害しているからといって、迷惑を掛けている彼女達にそれを説明しないと言うことは失礼以外の何でも無かった。
少し涙目になっているのを自分で感じつつ、おずおずと口を開く。
「……エリオットさんが、私を男だと思っていたんです」
「え?」
よく理解が出来ていないような反応のルフィーナ。
そこへレクチェが話に割り込んでくる。
「何となくそんな気はしていたんだけど、やっぱりエリオットさんってば勘違いしてたんだ……」
「気付いていたんですか?」
レクチェに視線を向けて、クリスは問う。
彼女はコクンと頷き述べた。
「色々扱いの違いに引っかかるところはあったけど、二人がどれくらいの仲なのか知らないからコレが普通なのかなーって。でも、この前のお風呂の火の番を頼んでいた時は流石に気心知れてるからって女性に頼むことじゃないって思うよねっ」
クリスとしては、自分がまだ子供だから女扱いされていないだけなのだと思っていたのだが、確かに全て『男だと思っていた』でも話は繋がる。
教会の孤児院に居た頃は皆顔見知りだった為、性別を間違えられるという経験は無かったのでただ驚くしかない。
「私、そんなに男に見えますか?」
初めての出来事に、自分の体を見回してみる。
「んー、声も顔も可愛いけどなぁっ」
レクチェも不思議そうにクリスを再度見つめた。
クリスはルフィーナの意見も聞きたくて彼女にも目で問いかけると、彼女は何故かうろたえたような素振りで一歩下がる。
「えっ? いや、まぁ、そうね。あえて言うなら年の割にぺ、ぺったんこかしら!?」
これはまた剛速球のデッドボールが飛んできたものだ。
「……十二歳だとやっぱり皆もっと大きくなってるものなんですか」
薄々気付いてはいたが、ちっとも育つ様子の無い自分の胸を見下ろしてみる。
特に大きい胸が欲しいとも思わないけれど、男と間違えられるほどとなるとやはりもう少し大きくなりたいと思わなくもない。
それは乙女心以外の何物でも無いだろう。
そこへレクチェとルフィーナの声が綺麗にハモった。
「「十二歳!?」」
何事かと二人を交互に見ると、二人ともが口を開けたまま立ち尽くしていた。
「?」
その理由が分からずに、クリスはただその場で首を傾げる。
「……あたしてっきりクリスは十五歳くらいだと思っていたわ」
ルフィーナがやや小声でそう呟いた。
レクチェも同じような意見だったようで、首を縦にぶんぶん振って同意している。
そして右手で頭をぽりぽりと掻いてルフィーナが、
「ごめん、実は私もクリスのこと、男の子だと思ってたの」
と衝撃の事実を告げた。
「「ええっ!?」」
今度はクリスとレクチェがハモって叫ぶ。
「だって、その雰囲気と身長でその胸じゃあ男の子だと思うわよ!!」
半ば開き直ったように彼女は言い放った。
「そうなんですか……」
エリオットに怒ってしまったことに、今更ながらクリスは申し訳無さをおぼえていた。
ルフィーナまで間違えていたくらいなのだから、彼が失礼なのではなく、自分の外見が紛らわしいのだろう。
自身で結論付けておいて、ダブルでショックを受ける。
「エリ君完全にクリスを男扱いしてたし、クリスもそれに対して何も反論してなかったでしょ? てっきり男の子だとばかり……」
ぼそぼそと独り言とも取れる言葉でルフィーナが言う。
「いや、私は男扱いというよりは子供扱いされてるんだと思っていました……」
「……十二歳ならまだそう受け取ってもおかしくないわよね」
見た目と実年齢との差異も、このような誤解を招く原因の一つだったのかも知れない。
三人は、三様の溜め息を吐いた。
クリスは床に伸びたままのエリオットをゆさゆさと揺すって起こす。
「ごめんなさい、私ちょっと怒りすぎました」
聞こえているかは定かではないが一応謝りながら。
昨晩から生傷だらけになっている彼の顔は、先程クリスが殴ったばかりの痣が左頬に出来ていた。
治療魔術は本来持つ治癒力を急激に上昇させる魔術なのだが、その分対象の体力を削るものでもあるため、軽い傷にはあまり使われない。
だが、そろそろ魔術で治してもいいのではないかと思うくらいに、彼の傷は増えていた。
薄らと目を開けて、エリオットは言う。
「……半分くらいは聞こえてた」
「それは話が早いですね」
髪の毛で見えないがタンコブが出来ていてもおかしくない後頭部を擦りながら起き上がり、彼は唇をへの字に結んで眉をしかめた。
何か悩んでいるようなその表情に、クリスは黙って彼が話し始めるのを待つ。
「俺、お前の裸見たと思うんだけどなぁ……本当に×××ついて無かったかぁ? そりゃいちいち下まで見ようとしなかったけどよ」
まだクリスを女だとは思えないようで、そんなことをぶつぶつ言って顎に手をあてて考え込んでいる。
字面では伏せられているが彼はド直球に発言し、その言葉でレクチェを赤面させていた。
「でなきゃまだ生えてきてないだけなんじゃねーの? 胸は確かに見たけど小さいっていうより本当に何も無かったしな」
「!? 生えるものなんですか!?」
クリスはもしかして自分が実は男だったのか、と驚愕した。
「んなわけないでしょ!」
が、すぐにルフィーナがそれを否定した。
危うく無神経な大人に騙されるところだったクリスは、平らな胸を撫で下ろす。
女だと思ってきて生きて来ているのに、急に男だと言われたらどうしていいか分からない。
それは今も若干似たような状況ではあるのだが。
「その、あれだ、クリスが女だろーが俺は今更扱いを変える気は無いぞ」
「勘違いさえ正して頂ければ、別に構いませんよ」
特に今までの扱いに女として不満を持ったことなど無いのだから。
彼の言い方にはムッとしたが、内容自体に文句は無かったので特に異は唱えなかった。
だがエリオットは最後に、普段の仕返しかのように余計な一言を付け加える。
「分類は女でも、そもそも俺には男にしか見えねーからなぁ」
少女の右足は、青年の後頭部にめり込んだ。
◇◇◇ ◇◇◇
「というわけで、あの女神の末裔の子供はやっと女の子だと気付いて貰えたようですね。まさかルフィーナ嬢までが勘違いしているとは思っていませんでしたが」
会社の事務室のような部屋で『隠し撮り映像その④』とラベルの貼られた水晶の映像を見て呟いたのは、黒い革椅子に座っている、白緑の短髪をさらりと目元まで下ろした丸眼鏡の男。
セオリーだ。
本来その椅子に座っているはずの黒髪の青年は、何故か机に腰掛けて、セオリーより高い視点からその映像を一緒に見ていた。
いや、状況からして察することは出来る。
多分フィクサーは、自身の椅子をセオリーに奪われているのだろう。
上下関係がいまいち分からない二人だった。
「俺も男だと思ってた……」
足を組んでその足に肘を置き、頬杖をついた状態でやや口元を隠しながらフィクサーはセオリーの呟きに答える。
「その麗しい一重の目は節穴ですか、フィクサー様。大変残念です」
相変わらず敬っているんだかいないんだか、その横で書類を片手に立ったまま、秘書のような身なりの短い黒髪の女性が、青年の発言に肩を落とした。
彼女の言葉が相当ショックだったのか、フィクサーは口を無意識に開けてぱくぱくしている。
「いつ誤解が解けて面白いことになるのかと楽しみに見てきていたのですが、いざ解けてしまうとつまらないものですね」
「同意致します、セオリー様」
「何お前ら、そんな目で監視してたの!?」
ダブルボケに声を大にして全力で突っ込むフィクサー。
彼の苦労はこの百年留まる気配は無い。
だがそれほど苦労をしてでも、彼には成し遂げたいものがあった。
そしてそれにはダブルボケだろうが何だろうが、能力の高い彼らの協力無しでは不可能なのだ。
「……とにかく、ビフレストの乳を揉まれている場合じゃない。活動している女神の遺産が、被検体に影響することが判明したんだ。次にあの剣と接触する時には目を離すなよ」
社長机の上からでは全く以って格好つかないが、フィクサーが二人に目をやり鋭く言い放つ。
そこへ反論にも似たセオリーの言葉。
「危険な賭けですね。それもこれもルフィーナ嬢が役立たずと言わんばかりに燻っているからなわけですが」
「彼女の悪口は俺が許さんっ!!」
上司の盲目ぶりを、部下二人は生暖かい微笑みで黙って受け止めた。
◇◇◇ ◇◇◇
【第十章 誤解 ~節穴が六つ~ 完】




