見えたもの ~それは近い未来に~ Ⅲ
クリスとエリオットは、フォウを部屋に置き去りにしたまま大慌てで広い街中を探し回る。
その後に何とかルフィーナとレクチェを発見して、やっと宿に戻って来た次第だ。
「フォウさん、まだ居ますかね」
クリスは本来逃げてもおかしくない少年のことを話す。
宿の部屋の鍵は内側から開けられる簡素なものだ。
縛っておいてきたわけでもなく、特に彼は動きを制限されていない。
「エリ君が無理やり引っ張ってきたっていうルドラの民の子? もし私なら今のうちに逃げるわねぇ」
「ですよね」
そう言って借りた部屋の扉を静かに開けると、椅子にちょこんと座ったままクリス達を待っていた自称四つ目の少年。
逃げていなかったらしい。
「おかえり」
椅子から下ろしている生足を落ち着きなくゆらゆらさせながら、一言挨拶。
きっと暇だったのだろう、テーブルの上にはナプキンで何かを模ったのであろう物体がいくつも折られ置かれていた。
「ちゃんと待ってるなんてイイ子ちゃんじゃねーか」
エリオットが茶化すとフォウは呆れ顔でそれに返答した。
「王子様性格悪そうだし、逃げても万が一捕まったら何されるか分からないじゃん……」
聞こえてきたのは、その場にいた全員が納得する理由だった。
とりあえず少年にとって新顔の二人を紹介せねばなるまい。
クリスはフォウに向かって、ルフィーナとレクチェを手で示そうとした。
が、そこへルフィーナが飛び出してくる。
「何この子!!」
東雲色の長い髪を揺らして猛ダッシュ。
そしてフォウへダイブ。
その間僅か一秒あっただろうか。
「わぶっ!?」
抱きつかれた彼は当然といえば当然だが、驚いて目をぱちくりさせる。
ルフィーナはフォウをぎゅーっと抱きしめながら、その右手を徐々に下へ移行させ、その露出した太腿を……撫でていた。
「ぴゃ!」
撫でられて、どこから出ているのか分からない悲鳴を上げた少年と、そしてそれにも構わずスリスリと撫で続けるエルフ。
クリスとエリオットは彼女の性癖を知っているため、ただ冷ややかに見下ろしていた。
かわりにレクチェが怪訝な目をして、呟く。
「ルフィーナ、さん……?」
変質者でも見るように、その瞳の奥は蔑んでいるような濁り方。
あぁこの人もマトモじゃなかったんだ、と。
「はっ!?」
その冷たい視線に気付くとルフィーナは慌てて言い訳をする。
「ち、違うのコレは!」
「何も違わねーよ!?」
ルフィーナの言い訳になっていない言い訳に、エリオットが即座に突っ込んだ。
それによってようやく解放されたフォウは、また顔を真っ赤にして俯いてしまう。
単にこの少年はそちらの方面に関してはうぶなのかも知れない。
すぐに赤くなるようだ。
エリオットの突っ込みによってしばらく言葉を失っていたルフィーナだったが、本人としては受け入れて貰えないことを納得出来なかったらしく更にダメ押しで言い訳を試みた。
「子供の生足が目の前にあったから撫でた! それだけなのよ!」
この師にしてこの弟子ありだった!
……という、エリオットのセクハラの言い分と同レベルという最悪の言い訳を聞いて、レクチェは現実逃避を始める。
無理も無い。
一瞬にして疲れ果てたような表情になっている彼女を、どうにか現実に戻そうと肩を揺すってやるクリス。
反応はあるが、目はまだ虚ろ。
仕方ないのでルフィーナの奇行を無かったことにし、フォウにレクチェを紹介することにした。
「フォウさん、こちらレクチェさんって言います」
無理やり現実へ戻させる作戦には成功したようで、レクチェも紹介に沿って挨拶をする。
「こっ、こんにちは、レクチェですっ」
「……こんにちは」
つられてペコリと少年は頭を下げる。
が、彼にはレクチェに何が見えているのか。
真っ赤にしていた顔を今度は青褪めさせて、そのまま黙ってしまい会話は続かなかった。
「……私に何かついてる?」
彼女が聞くと、フォウはクリスに視線を投げかけて尋ねてくる。
「普通の人に見えるものが見えないんだけど……この人も人形なの?」
この人も、ということはきっとセオリーの時のことと比べて言っているのだろう。
遠隔操作されている人形のセオリーに「生きている証」が見えていなかったフォウは、同じようにそれが見えないレクチェに対し、怯えているようだった。
「えっ?」
その言葉の意味をよく分かっていないレクチェはただ素直に疑問を表した。
気付けばエリオットもルフィーナも険しい顔でそちらを見ている。
それほどの意味を持った言葉だったということだ。
エリオットが知らないことではあるが、レクチェは神の使いとして仮定されて捕まっている人物だ。
その人を『人形』である、と言うのならばこれほどまでに辛い現実は無いだろう。
だが今現在記憶喪失である彼女を人形と呼ぶべきでは、無い。
「レクチェさんは、違いますよ」
クリスは、ただそう答えた。
「ごめん……」
それ以上そのことについてフォウは深入りしなかった。
クリスも先程同様に何事も無かったようにまた話を進める。
「で、そちらのさっき抱きついていた女性がルフィーナさんです」
「どうも、フォウです……」
先程のままのテンションなのか、彼は静かに挨拶だけ交わした。
「さっきはゴメンねぇ」
流石にルフィーナは切り替えが早い。
軽いノリでさらっと少年に詫びだけ入れる。
そしてフォウの手をぎゅっと握って、顔を近づけながらこう続けた。
「北方でも半ズボンってあたりが元気でお姉さんイイと思うわ」
それはわざわざ手を握ってまで言うべきことなのか。
彼女の笑顔と距離の近さに、フォウは椅子を傾けて後ろに下がる。
「あ、ありがとう……」
ドン引きつつもどうにか言葉を搾り出した少年に、王子が横槍を入れた。
「おいフォウ。男だってセクハラを訴えてもいいんだぞ」
「貴方が言わないでください」
エリオットはクリスの指摘に少し不貞腐れながら、フォウの対面の椅子に腰掛けた。
この部屋は実は二つしか椅子が無いから皆敢えて座らなかったのだが、エリオットが最後の一つに座ったわけだ。
いつものことながら図々しい。
「ま、お前らさっさともう一つ部屋取ってこいよ」
「そうね、取ってくるわ」
挨拶を終えたところでエリオットが促し、ルフィーナが早速動き出す。
彼女が部屋から出て行ったことで、とりあえずセクハラによる脱線は一旦落ち着いた。
次にやるべきことは、と思料した末、クリスはエリオットに声をかける。
「フォウさんは解放してあげないんですか?」
少年はローズの居場所までは見ることが出来ないのだ。
このようにぐだぐだな状態でいつまでも引き止めておくのはとても可哀想でならない。
フォウはその言葉にぴくりと反応し、体をエリオットへ向けて、会話の先を待つ姿勢を整えた。
クリスとフォウ、二人の視線にエリオットは椅子をギシリと揺らしながら少し斜め上を見上げて考え込む。
「……しゃーねーな、まぁ好きにしろい」
つまり、もう出て行ってもいい、と。
「だそうです、お時間を使わせてしまい申し訳ございませんでした」
「あ、うん」
フォウは戸惑いながらも席を立ち、かなり出て行きにくい雰囲気の中で、部屋の入り口までとぼとぼと歩いて行く。
そしてドアノブに手を掛けて回すまでしたところで、彼はピタリとその手を止めたまま立ち尽くした。
何か迷いがあるように。
何となく、見送らないと出て行きにくいかと思ったクリスは気を遣ってそちらに近づく。
「宿の外まで送りますよ」
「ありがとう……」
礼を言ったその顔には、陰りがある。
そこへ、空気を読まないエリオットの茶々が入った。
「別れ難いってか? いいなぁ青くて!」
「ホントもう黙っててください!」
クリスはもう躊躇いもせずに腕を振り被り、風の魔法で彼を椅子から吹き飛ばしてやる。
大きな音を立てて彼は椅子から転げ落ち、室内はその風で埃が舞い散った。
「さ、行きましょう」
打ち所悪く伸びてしまっているエリオットを放置して、フォウの肩を叩く。
「……いいんだ、アレ」
「あれなら何か悪さをされる心配もありませんからね!」
目の届かない時には気絶させておけばいい、という理論からいくと、そのうち彼は息をしていることすらも許して貰えなくなりそうだ。
借りていた部屋は二階に位置しており、クリス達は螺旋階段をゆっくり降りて宿の玄関口へ向かう。
と、そこへルフィーナが階段を上がってきた。
部屋を取り終えたのだろう。
「あら、帰っちゃうの?」
とても残念そうな顔で彼女は少年を見る。
「あ、はい……帰らせて貰います」
「用も済んだので、玄関まで送ってきますね」
「はーい、またね~」
そして、会釈をしながらルフィーナとすれ違った。
そこまで大きくないこの宿で、あっという間に玄関まで着く。
最近は同い年くらいの者との会話なんて全く無かった為、クリスとしては少しだけ名残惜しい気もして、
「フォウさんは、この街にお住まいなんですか?」
別れ際に一応、聞いてみた。
「いや、俺色んなところ一人で旅してるんだ」
「そうなんですか!?」
予想と違う返答に、驚きの色を隠せない。
「こんなだから。一箇所には居辛いんだよね」
こんな、とはその背にある魔術紋様による能力のことを言っているのだろう。
具体的ではないとはいえ、他人を見て色々と勝手に情報を得てしまうのだ。
クリスは凄い力だと思ったけれど、普通は周囲には煙たがられるのかも知れない。
少し曇るクリスの顔を見て、少年はそれを明るく笑い飛ばす。
「旅してたほうが楽だからいいんだ、変な出会いもあるしね」
「変って何ですか、もう」
と言いつつ一緒に笑う。
が、その後フォウは笑うのを止め、クリスに真剣な面持ちで告げた。
「……言おうか迷ってたんだけど」
「?」
一息だけおいて、彼はその次を語る。
「ルフィーナって人の先が、ちょっとよくない色してた。さっきのネックレスはあの人に身につけさせて。きっと役に立つ時が来る」
「ラッキーアイテム……みたいなものですか?」
「うん、でも最終的にあの人への災いを断つのはクリスだよ。離れないであげて」
本当に占いのような助言を、どう捉えていいのか悩んでしまう。
それでも、彼が伝えてくれたことで曇った未来に少しでも晴れ間が射すというのなら。
クリスは強く、返事をした。
「分かりました、離れません」
「……ありがとう」
心のつかえが取れたように、優しく微笑む少年。
このように他人の見えないものが見え、そこから予言をする彼にとっては、普通は他人に信じて貰えない自分の言葉を信じて貰えるというだけでも、それはお礼を言いたくなるほど珍しくて、嬉しいことなのだろう。
どちらからともなく最後に軽く抱きあって、別れを告げる。
「またね!」
大きく手を振る彼が人ごみに消えるまで、クリスは見送った。
そして部屋に戻ると、既にエリオットが一人で床に寝ているだけになっている。
レクチェとルフィーナはもう部屋を移ってしまったようだ。
「エリオットさん、起きてください」
彼女達の部屋の番号を知っているとは思えないが、とりあえず起こしてみる。
しかし揺すってもダメなようなので次は叩いてみた。
膝を折って腰を落とし、彼の胸倉を掴んで本気の往復ビンタを何度か繰り返していると、ようやく彼が目を覚ます。
「うぅ……いたい……」
「お、起きましたね。ルフィーナさん達ってどこの部屋です?」
「なに、なんのはなし……」
ダメだ、お話にならない。
クリスは胸倉を掴んでいた手をパッと離して立ち上がる。
同時にドサッとエリオットの体が落ちる音が床に低く響いた。
そもそもクリスのせいなのだがいまいち反応が鈍いエリオットを放置して、クリスは部屋を出て廊下を見回す。
大きくないとはいえ一室ずつノックをして回るのは気が引けるため少し悩んでいると、ニールの声が頭に直接聞こえてきた。
『ビフレストの気配なら、分かるぞ』
そういえば廃鉱でもそんな能力を発揮して、この精霊はクリスに道を教えていたことがある。
狙う者として、彼女限定で狭い範囲なら索敵できるということか。
『そこだな』
クリスはニールの案内に従って、二つ隣の部屋をノックする。
「入りますよー」
ここにいるのは間違いない、という確信から返事も待たずにドアを開けた。
するとレクチェとルフィーナは二人仲良く、備え付けのラフな衣服に着替え中。
二人とも服はまだ着付け始めたばかりなのだろう、ボタンも留められておらず下着が丸見えだった。
「あ」
ドアを全開にしていては、後ろを人が通ったら彼女達の半裸が見えてしまう。
慌てて部屋の中に入ってドアを閉める。
「危ない危ない、失礼しました!」
「やだもう~」
形の良い胸を揺らして、ルフィーナがおかしそうに笑う。
凄く大きいわけではないが、彼女はスタイルがいい。
色も白く身長も高い方なので下着姿だとモデルのようだ。
「クリスさん、どうしたの?」
服のボタンを留め終えたレクチェが用件を尋ねてくる。
「あ、あのですね。私これからはルフィーナさんと一緒の部屋で泊まろうと思って!」
クリスがそう話した途端、しばし沈黙の間。
それを破ってルフィーナが理由を聞いた。
「気持ちは嬉しいんだけど……ど、どうしてかしら……」
「離れたくないんです!」
ここまで答えたところでクリスはハッと気がつく。
これ、ちょっと理由としては変だ、と。
あくまで先程フォウに言われたことを実践しようとしているだけなのだが、彼との会話を聞いていない彼女達にとっては色々想像を掻き立てる言葉だったはずだ。
彼女達の顔を意識して見ると、その怪訝な表情から、誤解されていることはクリスにも容易に感じ取れた。
「ち、違います……」
言葉を選んで、その誤解を解こうとした。
が、
「クリスさん! もうその展開ダメだからねっ」
ルフィーナに引き続き、クリスもやる流れだったところをレクチェが先に止める。
「うぅ……」
フォウに言われたことを伝えるべきか、それとも宿の部屋くらいは離れていても平気か。
クリスは困って、手悪戯をしながらその場に立ち尽くしてしまう。
するとルフィーナが半裸のまま優しく話しかけた。
「もう……レクチェをあっちの部屋に行かせるわけにもいかないから、私と一緒のベッドでいい?」
「あ、そんな申し訳ない。やっぱりいいです、大丈夫です」
二つ隣の部屋くらいなら、何かあってもすぐに駆けつけられるはずだ。
クリスはルフィーナの申し出を断ろうとする。
そこへレクチェが意外な提案を申し出てきた。
「私、あっちの部屋でもいいよっ」
「!?」
ルフィーナもクリスも一斉にしてレクチェに振り返る。
彼女はとんでもない発言をしたにも関わらず、至って普通の表情。
そして飄々とこんなことを言う。
「ベッドが二つあるならこの前と変わらないしっ」
クリスとしては、二人きりというだけで随分変わると思うのだが、
「……本気で嫌がってるところを何かしたりは、しないだろうしねぇ」
驚いたことに、ルフィーナもその意見を受け入れようとしている。
クリスは、自分が作ってしまった流れの大きさに今更焦りを覚えていた。
これは取り返しのつかない状況に発展するのか。
「や、ほんとに、やっぱりいいです」
「いいよ、たまにはっ」
……発展した。
【第一部第九章 見えたもの ~それは近い未来に~ 完】