告白 ~神に疎まれし種族~ Ⅰ
「で、ほの、何とかって森には何があうんでふか?」
クリスはレフトから貰ったお握りを列車の中でもぐもぐ食べながら、目の前に座っている連れに尋ねる。
「ミーミルの森。まさか知らないのかよ、どんだけ知識不足なんだ」
馬鹿にされているのは分かるが知らないものは知らない、ここは堂々とすべきである、とクリスは次のお握りを手に取ってから口の中の物を飲み込んで返答した。
「南の地理くらいしか知らないですね、北はさっぱりです」
はぁ、と溜め息をつくエリオットは、それから渋々と答え始める。
「エルフの住む森だよ」
「エルひゅ! ルフィーナひゃんが……んぐ、そちらに居るかも知れないってことですか?」
「もう! 今は食べるの禁止!」
若干オネエ言葉でクリスから紙袋を取り上げて、また話を続けるエリオット。
「ツィバルドでルフィーナとレクチェらしき人物の目撃情報が挙がったんだ。そこから行くなら彼女の故郷である森かな、と。予測が安易な行き先だが、北には他に行く場所があるとも思えない」
車窓の外は星ひとつ見えない曇り空、だんだん白くなる景色は車内からの明かりのみで薄らと輝いていた。
エリオットは取り上げた紙袋からお握りを出して食べ始める。
クリスに禁止しておいて、なかなかどうして酷い行いだ。
きちんと食べ終えてから、彼は話をまた切り出した。
「ルフィーナを他のエルフ達が庇うかも知れない、その時は多少の荒事を覚悟しておいてくれ」
エルフ同士の結束力は他の種族ではなかなか見られないほどの固いものだ。
それは確かに考えられる範囲での事態だと、クリスにも分かる。
しっかりと彼に視線をあわせ、頷きながら
「分かりました……とりあえず残りのお握りをください」
クリスが現時点でそれよりも大事な要求を伝えると、
「食い意地ばっかり張っててこの子はっ!!」
オネエ言葉というよりはもはやオカン言葉で、エリオットは突っ込んだのだった。
ツィバルドからは雪道用の大きな馬を借りて森まで進んだ。
二人は、耳まで隠れる帽子と厚手の上着も一緒に購入し、簡単だが防寒対策もしておく……が、やはりマスクも買っておくべきだったのだろう。
凍るような冷たさで、露出してしまっている頬が赤くなってきていた。
周囲の木々の間隔が少しずつ狭まっていき、だんだん森に入って行っているということをクリスは実感させられる。
更に、北方の森はまだ昼間だというのに薄暗く、あまり生命の息吹を感じられない。
「迷ったらスマン」
馬を走らせながらエリオットがぼそりと呟く。
そう呟きたくもなるくらい、周囲はまるで迷いの森。
クリスにはもはやどちらから来たのか方角すらも定かではなく、エリオットは空の太陽の位置だけを頼りにひた進む。
しかし心配は杞憂だったようだ。
やがて木々の間から凍った泉と大木が見え、その先には集落があった。
それを見て安堵の表情を浮かべるエリオット。
泉の上で氷上釣りをしているエルフの男が二人にふと視線を投げかけたが、特に何をするわけでもなくまた釣り糸に視線を戻す。
「警戒はされていないようですね……」
気張っていたクリスはやや拍子抜けして言った。
「もうここにあいつらが居ないから、という可能性もあるな。とりあえず村を訪ねよう」
馬の手綱を湖畔の木に括りつけて、もそもそと雪を踏みしめ村の方角へ歩く。
村には特に宿のような建物も無く、全てが住居のような外観だった。
こんな遠い北方の地では余所者は滅多に来ないからだろう。
エリオットはその中でも一番大きめの家に向かい、扉にノックをした。
ギィ、と開いた丸太を繋いだ扉から出てきたのは、ヒトで言う六十代半ばくらいの外見のエルフの女性だった。
どなたですかと問うことも無くエリオットを正面から黙ってじっと見据えるエルフに、エリオットは先に帽子を脱いで挨拶を切り出した。
「ルフィーナ先生の弟子の、エリオットと申します。先生が今この村に在住されているかどうかお伺いし……」
そこまで話したところで、扉が二人を迎えるように大きく開く。
「入りなさい」
「! ……どうも」
呆気なく招かれた家の中は、大きな暖炉を境にキッチンや居間のスペースが仕切り無く分かれている大きな一室構造になっていた。
暖炉の手前に置かれた大きいテーブルを囲んだソファには……クリスにとって見覚えのある顔ぶれが並んでいる。
「遅かったわねー」
他の誰でもないルフィーナと、
「無事だったんですねお二人とも!!」
元気そうなレクチェだ。
「てんめぇ……」
何喰わぬ顔で声を掛けてくる自分の師であるエルフに、こめかみと口元を引きつらせながら呻くエリオット。
エルフ達と戦闘になる、という想像していた悪い事態は免れたがこれはこれで訝しいものがある。
何しろ、レクチェを連れ去って逃げておきながら、悪びれる様子もなくクリス達の到着を受け入れているのだから。
「まぁ座りなさいよ。お祖母ちゃん、お茶入れてあげてー」
ルフィーナが声を掛けた先をちらりと見ると、顔色も変えずにハイハイとキッチンでお湯を沸かし始める先程の初老のエルフの女性。
実の祖母なのかそれとも愛称なのかはクリスには判別出来なかったが、ルフィーナ同様に老婆の髪の色は赤みがかった黄色、瞳は紅い。
ルフィーナ達の正面のソファに腰を下ろすと、エリオットの恨み言が始まった。
「あれだけのことしておいて、よくまぁそんな態度で俺達の前に居られるな……」
それを聞いてレクチェがピクリと反応する。
「やっぱり! あんな風に私達だけ逃げてきたら拙かったんじゃないですかルフィーナさん!」
けれどレクチェのその言葉に、エルフ独特の身軽そうな民族衣装を纏ったルフィーナが至って冷静に反論した。
「あれが最善の策だったんだから仕方ないじゃない?」
二人だけで逃げることが最善だった、と彼女は言う。
いつも通りの笑顔の仮面で、言葉の裏を読ませないように。
だがエリオットは今までと違い、諦めずにそこに食い下がった。
「テメェが最初から知ってること話していればもっとマシな結果が出てたはずなんだよ」
「今回ばかりは、エリオットさんに賛同します……」
クリスもそれに続く。
彼女達はあの後起こった出来事を知らない。
エリオットが自分の身を犠牲にしてでもローズを助けようとしたことを。
そこでふと、テーブルの上に木製の器に入れられたお茶が脇から差し出されて会話は中断した。
手元に残ったお盆を胸に抱えて初老のエルフが一歩下がる。
特に話題に口を挟むこともせずに彼女はお盆をキッチンへ戻すと『ごゆっくり』と家の外へ出て行ってしまった。
空気を読んだのかも知れない。
ルフィーナは少し間をおいた後に、ようやく重い口を開いた。
「エリ君とレクチェは席を外して貰っていいかしら?」
「何だと?」
彼女の提案に不満の色を隠せないエリオット。
クリスとしても何故自分だけ残されるのか全く分からず腑に落ちない。
動こうとしない彼らにルフィーナは再度促す。
「ちょっと釣りでもしてきなさいよ。レクチェ、道具の場所は分かるわね?」
少し困った顔をしていたレクチェだったが、静かに頷いて玄関の壁際に掛かっているピンクのファーコートを手に取った。
そして仏頂面の彼に促す。
「家の裏に釣竿とかあるんで、行きましょうエリオットさん」
「分かった……」
ここにいても彼女が自分に聞かせることは無いのだろうと判断したのか渋々引き下がり、二人は先程の老エルフと同じように外へ出て行ってしまった。
それを見届けてから、ルフィーナが話を切り出してくる。
「エリ君は賢いからねぇ、あんまり喋ると教えたくないことまで勘付いちゃいそうだったから」
「それって酷いです!」
クリスの悲鳴にも似た叫びに、彼女は大きな口を開けてアハハと笑い出した。
だがそれもすぐにピタリと止み、
「で、クリスは今回のこと、どう受け取っているの?」
ルフィーナはまず問いかけから入ってきた。
クリスはまるでお勉強みたいな気分になり、
「どうって……」
言葉に詰まってしまう。
何から話したらいいのかよく分からないからだ。
しばらく考えて、とりあえず今までの中で『自分が』引っかかったことを伝えようと思った。
「ルフィーナさんって、保護者みたいですよね」
彼女の細い目が、丸くなる。
「えっと、それは言葉のまま受け取っていいのかしら?」
「はい、特に他意はありません」
その言葉に毒気が抜かれたように、ルフィーナの纏う空気が和らいだ。
「正直な話、私とこの槍の精霊は何故かレクチェさんに敵意を抱いています。ですがそれをルフィーナさんには伝えていないのに、知っているような立ち回りをされていると感じました。まるで彼女を護るように……」
先程和らいだばかりの空気が、すぐに張り詰めたものに変わる。
彼女の表情も少し鋭くなった。
が、クリスは構わずに続ける。
「だから、私のこの理由の無い敵意の正体を、ルフィーナさんは知っているのだと思っています」
クリスは一息吐きつつも、そこで話を切らずにそのまま最後にもう一言だけ付け加えた。
「……そして、それが貴方の行動の根源のようにも感じるのです」
ここまで言い終えて、クリスはすっかり冷めたお茶に手を伸ばす。
目の前のエルフは黙ったままでその答えを語らない。
クリスもお茶を飲み終えるまで待ってみたが、埒が明かないのでまた自分で話すことにした。
「先日レクチェさんの様子がおかしかった時、あの光景は普通じゃありませんでした。だからこそ何かの価値があって研究施設に彼女が居たのだと思いますが、何故彼女が捨て置かれていたのかは全く見当がつきませんね……」
「私もそれは分からないわ」
そこでルフィーナが口を挟む。
彼女は何か悩んでいるかのように俯いていたが、すぐに視線をクリスに移して決心したように言葉を続けた。
「私はあの研究施設がまだ別の場所にあった遠い遠い昔、研究員として在籍していたのよ」
そう、告白する。
クリスは静かにその次の言葉を待った。
「貴方がレクチェに抱く敵意の正体は、本能的なものよ。貴方の種族は、伝承や遺物からの記録を探った限りでは、ルーツがこの世界の他の生物とは全く異なっているの。このあたりの情報は国家機密だから、詳細をきちんと調べさせても貰えない状態なんだけれどね。でも私の知る限りでざっくり言えば……貴方の種族は、この世界の異物。そしてレクチェはその異物を排除したり、貴方達が行った破壊活動の修復が主な役割だから、大昔からずっと敵対し続けていた、と言っていいわ」
「……私の種族とレクチェさんの種族が、ですか?」
クリスの相槌のような問いに、ルフィーナは首を横に振った。
「いいえ、貴方の種族と、レクチェ、がよ」
「でも大昔からって言っていました、よね?」
そう、ルフィーナはクリスに関しては種族として話をしているが、レクチェに関しては種族という括りを使っていない。
その言い方では、まるでレクチェが大昔からずっと一人でクリスの種族……女神の末裔と敵対していたかのような意味に取れてしまう。
エリオットの力とレクチェの力が類似していることもあり、やはりもしかして何か種族的なものもあるのかも知れないと思っていたクリスは、その点を念押すように聞いたのだが、そこをルフィーナは否定した。
「レクチェは……書物や遺物による情報から得られる限りでは、この世界に女神の遺産が出来た頃から存在しているわ」
「女神の遺産が、出来た頃……?」
それは、何千、何万年前の話なのだろうか。
もっと桁が違うかも知れない。
クリスはあまり歴史や考古学には詳しくないため、具体的な年代の想像が出来なかったが、その頃から生き続けるということは、普通の人間には不可能だということぐらいは分かる。
勿論、レクチェが普通の人間では無いということも、薄々感じてはいたが、それにしても想像以上ですぐに信じることが出来ずにいた。
ルフィーナ自身も、こんな話を他人にすること自体が馬鹿馬鹿しいと思っている。
それでも、彼女は一点の曇りも無く、クリスを見つめて話す。
「この世界には、神と呼ぶに相応しい力を持つ存在が、確かに居るのよ」
まるで、見てきたように。
「馬鹿げた話だけど私の所属していた機関では、神のような存在を確たる物として受けとめ始めていた……この結論に至るまでには一悶着あったんだけれどそこは少し置くわね」
「はい……」
気になりはするが、きっとそれを今話すと更に長くややこしいことになるのだろう。
遺物の研究行程を話されても理解出来る気がしないクリスは、大人しくその部分を受け入れた。
突っかかること無く話を聞くクリスに、ルフィーナの表情が少し和らぐ。
「やがて神の意思は、例えるなら神の使いによってこの世界に伝達されていると確信した。この件での首謀者は、それを逆手に取って神に交信しようとしたの。その神の使いがレクチェ。当時はその存在をビフレストと呼んでいたわ。ビフレストの捕縛は、神との敵対種族として女神から生み出された者達との協力の下で行われた……それがクリス達の種族のことね」
「ってことは、ルフィーナさんはずっと前から私の種族のことを見知っていたんですね?」
今は既に絶滅に瀕している、クリスの種族。
しかしそれは大昔に滅びたわけではなく、少なくともルフィーナが生まれた後の時代のことだったのだ。
……いや、ルフィーナはエルフの中でも特に長寿な種族であるため、それでも十分大昔と言えるかも知れないが。
種族が激減したのが比較的近代の話だと言うのであれば、こうやってぽろりとクリスのように生き残っていた存在が現れても不思議は無い。
自分の種族がほぼ居ないという事実には違いないが、それでもいつか同種とめぐり合える日が来るかも知れない、と少しだけクリスは希望が見えた気がした。
「えぇ。私は貴方の種族とは、関わったことがあるわ。そして彼らと一緒に、レクチェを通じて神に交渉する為に様々な実験を行ったの。神の使いが居ても、神自身はその場にいない。百年以上に及ぶ実験の末、その体への負担は、神の使いとしてのビフレストの羽を捥ぐのに充分足るものだった」
「だからレクチェさんは記憶を失くしていたりするんですね」
「そうよ。レクチェの記憶がなくなったのはその時。やがて、使い物にならなくなったレクチェを保管している間に様々な争いが身内で起こったわ。協力してくれていた女神の末裔との間にレクチェの扱いについて相違が生まれたの。何しろ彼らの目的は、レクチェの捕縛ではなく、レクチェを亡き者にして自分達の目的を遂げることだから」
そこで、クリスと精霊武器がレクチェに敵意を抱く理由が再度浮上する。
クリスは自分の目的など姉を救う以外には無いつもりだが、にも関わらずレクチェが敵だという部分だけは本能的に深く根付いている。
女神の末裔は一体何をしたかったのか。
ただ、精霊達の話を聞く限りではとにかく破壊目的のようだ、というのは分かる。
何だか女神の末裔という呼び名の割には、とても野蛮な種族な気がしてならない。
両親の記憶も無く、姉からも聞いたことの無いクリスにとっては、とても迷惑なことだった。
ルフィーナの説明を聞きつつ、必死にクリスは事実を頭にまとめていく。
相槌を打つ余裕も無くなってきたクリスに対し、ルフィーナはその先を言いにくそうにゆっくりと話し始めた。
「けれど私達の研究の主導者の目的は違うから、レクチェという手がかりを失くすわけにはいかなかった。最終的に敵対した彼らを殲滅した代償として、精霊武器は利用できなくなったの。代わりの女神の末裔を探そうにも、この研究に反対し、先に敵対していた他の者達はほとんど亡き者にしていたしね。だからセオリーは貴方を使って一先ず武器を回収したんだわ」
「なるほど……って、え?」
耳には入ったが、頭に入れるには少し衝撃的な事実があったような気がして。
クリスは思わず問い返す。
だがルフィーナはそこは繰り返さずに話を続けた。
「私はその頃研究から離れた。元々主導者が知り合いだから参加していただけだし、特に私自身に思想があったわけじゃないから。ただ、ね……私は基本的にレクチェのお世話もしていたから、情が移っちゃったっていうのかな、あの子のことだけが凄く心配だったのね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
クリスの種族が絶滅に瀕した最終的な原因は、その研究機関との対立だ、と。
ルフィーナはそう言っていなかっただろうか。
勿論レクチェも対立していたのであれば、レクチェもそれまでに女神の末裔を「処理」してきたのかも知れない。
けれど、その時点でレクチェが使い物にならなくなっていたのであれば、やはり最後のとどめは、ルフィーナ達がさした、ということになってしまう。
クリスが話を遮ろうとする理由を、ルフィーナも気付いている。
けれどそこを突かれたところで、彼女は何も答えられない。
今彼女が話しているのは過去の出来事であり、そこを追求したところで何も意味を成さず、話が長くなるだけだ。
敢えてルフィーナは事実だけを順に述べていくことに専念した。
「だからと言って彼らから彼女を奪う術は私には無い……そこへエリ君が現れた。大剣の精霊武器で受けたであろう特異な傷を負って、しかも絶滅したはずの女神の末裔を連れて。クリス、貴方があの子にどう影響するか私には分からなかった。勝手にレクチェを殺されても困ると思ったから、少なくともそれだけは阻止するであろう連中に連絡をして様子を見たのよ。彼らの手からレクチェが離れさえすれば、私にもチャンスはあると思って」
問いかけを押し切られたクリスも、彼女が押し切った続きの内容が丁度現在にまで戻ってきたおかげで、また思考を戻すことが出来ていた。
……確かに最初の時、セオリーに止められていなければクリスは精霊に飲まれかかっており、レクチェの身に何が起こってもおかしくは無かった。
二度目も、エリオットのおかげでどうにかセーブ出来たようなものだ。
そして、ルフィーナはクリスの種族との争いが起きた時点で離脱した、ということも。
ルフィーナが居た機関が原因とはいえ、その時点で去ったルフィーナに責任は無い。
「何となく分かりました……」
クリスは、それ以上は言葉にならなかった。
神がいて、その渡し舟的役割なのがレクチェで、その揉め事が原因で自分の種族が滅ぼされ……普通ならばすぐには信じられない。
だが辛うじてそれを受け入れられるのは、クリスは自身の瞳であの光景を見てしまったからだろう。
彼女がそれほどの存在であるというのなら、あの光景も頷けるというものだ。
そしてそれほどの存在を、レクチェを殺そうとしていた自分の種族が滅ぼされても、文句など言えない、とも。
「元々レクチェの役割は、女神の末裔というこの世界の招かれざる客の排除が大きいの。だからあの時レクチェは少しだけど貴方のお姉さんによって、本来の目的を遂行するために本能的に動いていたのだと思うわ」
「元々レクチェさんはあんな感じだったんですか?」
あれが元々の状態だというのなら、今のレクチェは何なのか。
「そうね、敵対する女神の末裔にはあんな感じよ。でも普段は聖女のよう。捕縛された後も、研究者である私達には一切危害を加えることは無かったの。敵はあくまで、女神が生み出したもの、女神の末裔だけ」
どこまでも自分は神の敵なのだな、とクリスは実感する。
育ちの影響とはいえ司祭を志すことになっていながら、変化すれば悪魔のような容姿。
最初のそのルーツが神か女神か、というだけでここまで違わなければいけないのか。
彼女の話はもはやクリスの小さな心で受け止めきれるものではなくなっていた。
その心中を察してか、ルフィーナは少しだけそのフォローに話題を逸らす。
「神と女神の存在や対立が事実かどうかは、まだ証明はされていないわ。あくまで仮定として研究を進めていただけなの。他の人と同じように生きてきた貴方が自分の存在に疑問を持つ必要など、無いわ」
「そう、ですね……」
それでも気持ちが落ち着かないクリスの重苦しい返事に、彼女はその苦悩をも包み込むような優しげな笑みでこう言った。
「貴方が自分の中に感じている敵意とやらも、獣人と鳥人が仲悪いみたいな、そんな程度かもよ。種族間での仲違いは別に他にも沢山あるでしょう」
「そ、そうですね!」
ルフィーナの二つ目の言葉にようやく心を溶かして元気な返事をすることが出来たクリス。
そう、クリスの件は括りが大きかったから戸惑ってしまうものだけれど、元々世の中には喧嘩ばかりしている種族が沢山あるのだ。
「どんなに仲が悪い種族同士だったとしても、それに自分が当てはまらなければいいだけですよね!」
「そうそう、だからレクチェに手を出しちゃダメよー」
何かさり気なく釘を刺されたクリスだったが、深く考えるのはやめておくことにする。
ルフィーナは笑顔でそう言ったが、一つ間を置いてからその眼差しはガラリと真剣なものに変わる。
「で、あの時あれが何故最善だったか、ね」
「!」
もはやすっかりさっぱり忘れていたクリスは、話題を戻されてビクッとしてしまった。
エリオットは随分怒っていたが、この流れでいくとルフィーナにもきちんと考えがあった可能性が高い。
息を飲んでその次の言葉に耳を傾ける。
「確かに私はあの時貴方のお姉さんを救えないだろうと予想はしていたわ。あの大剣を持ってから時間が掛かりすぎてる、いつもそうだったの」
「いつも、ですか?」
「あの大剣は、希少な女神の末裔の、更に少ない研究の賛同者をよく食い潰していたから……」
研究の間にも同じようなことが何度か繰り返されていた、ということか。
随分物騒な剣だ、はた迷惑にも程がある。
「それでもね、救えなくとも大剣とお姉さんを離してしまえばあの惨状は打破出来るはずだったのよ。所詮は手に持たない限り大きな力は出せないからね」
「確かにそうですね……」
「けれどあの時、再度お姉さんの手に渡ってしまった。私がしっかり止めていればよかったんでしょうけど、私も全てを知っているわけじゃないから、お姉さんが本当に無事に解放されたのかも、と少しは思っちゃったのよ」
聞きながらクリスはあの時の姉の様子を思い出す。
まさかあのダインという精霊が姉の素振りの真似をするなどと思いもしなかった……柔軟で狡猾な、今の最大の敵。
憎しみで僅かだが眉が寄る。
「で、槍を持っていない貴方と、大剣を持ったお姉さんとの対決結果は火を見るより明らかよね? だからあの大剣の精霊の気を引こうと思ったの」
逃げることで気を引くとは、どういうことか。
よく分からない顔をするクリスに気付き、ルフィーナはそのまま説明をする。
「結局貴方のその槍もあの大剣も、神との敵対が根幹にインプットされているわけ。つまりあの剣の今一番の狙いは、自分達の目的の邪魔をする、レクチェなのよ」
「……!!」
ルフィーナはダインの狙いであるレクチェを逃がすことで気を引いた、と言う。
それは逃げたというよりはもはや囮になった、という言い方のほうが適切だった。
申し訳なさでクリスの表情がやや曇る。
「そんな気にしないでいいのよ。あの場に居たら居たでやっぱり危ないし、貴方達の為だけでなくこちらとしても逃げるのが最善だったんだから」
「はい……」
弱い返事で、この話題は終了した。
飄々とクリス達が来るのを待っていたのもこれで納得出来る。
でもクリス達がここに来なかったら彼女達はどうしていたのだろうか。
いや、クリスには分からないだけでルフィーナは弟子の考えを見越して、来るであろうと確信していたのかも知れない。
その弟子が、誤解をすることまで予測した上で……
「エリ君には話さないでね、あんまり過去を詮索されたくないの。レクチェにもね。記憶の無い彼女にこの話は受け止めきれないわ」
「えっ? あぁ、分かりました。言いませんよ」
素直に承諾する。
というのも、これらを話してしまうとクリスとしても都合が悪いからだ。
「ルフィーナさんも言わないでくださいね、特に姉さんが助からないかも知れないことを」
クリスの快諾に少し疑問を浮かべたような表情だったが、後に続いた発言でルフィーナは全てを把握したようだ。
「……そう、貴方だけで背負うつもりなのね」
静かに優しく、語りかけているのにまるで独白のような彼女の呟きに、感情を止めてクリスは答える。
「少し前に、覚悟は出来ていますから」
一応予告しておきますと、「遺物関連が国家機密である理由」「女神の末裔の破壊の意味」「レクチェが存在し始めた時期がその時期である必然性」など、この話でほんのり触れられた部分は全て今後明らかになる「意図のあるもの」なのでご安心ください。