インテルメッゾ ~それぞれが背負う過去~ Ⅱ
結局、エリオットの治療の間は何もすることが無かったクリスは、部屋に戻って待つ。
しばらくして服と下着、サンダルが届けられた。
下着は一般的なキャミソールとパンツなのだが、服は随分可愛らしいデザインの青チェックのチュニックと緩めの黒いズボンである。
チュニックの袖は肘くらいまでの長さがあり、丈はお尻がすっぽり隠れる程度。
腰に紐が付いていたのでとりあえず少し絞っておいた。
チュニックにしてもズボンにしても細部の装飾がレースや刺繍やらでとても作りこまれていて、それらに不慣れなクリスは着ていてどうも落ち着かない。
だが貰い物に対してそれを言っても仕方がないので、最後に宝石がいっぱいくっついているサンダルを履き、城内探索を開始することにした。
純粋な興味も勿論あるが、閉鎖された室内でじっとしていると気が滅入ってしまいそうなのだ。
落ち込んでしまうほど問題が沢山あるけれど、それを一人で悩むのは辛い。
せめてエリオットと二人で悩んで、問題と向き合いたい。
少し前までは一人でも平気だったのに、クリスは今はもう一人だなんて考えられなかった。
誰かが触ってもいけないので、槍をそれと分からぬように布を巻いた状態で背中に背負って回廊に出る。
客室から出るとまず目の前に臨むのは中庭にある大きな噴水。
色とりどりの花が綺麗に植えられていて、ここを見ているだけでも飽きなさそうだ。
噴水に腰掛けて、しばらく傍の蝶や鳥を観察してのんびりする。
何も考えたくないから、何も考えないように。
中庭には心地よく日差しが入り込み、ぽかぽかする。
柔らかく吹いて来る風が髪を撫でてとても気持ち良い。
そしてこの幸せな時間が、何故だか堪らなく……苛立たしかった。
ぼーっとしていると、自分に向けられている一つの視線にクリスは気付く。
その主は、回廊の方の柱の影にひっそりと佇む一人の女性。
とても煌びやかな装飾の、淡いピンクの踝までの長さのロングドレスを着ていて、下にはパニエを履いているようなスカートの広がり方だ。
深い花緑青の髪は肩より少し長いくらい、ゆるゆるとしたウェーブがかかっているその髪には、銀のティアラが着けられている。
服装からも、身体的特徴からも、彼女が一体誰なのかは把握出来た。
「エリオットさんのお姉さんですか?」
隠れているその女性に、クリスは声を掛ける。
口走った後に、あぁ「王女様ですか」と聞いたほうが良かったかとは思ったけれど、普段使い慣れない単語などすぐには出てこないし、もう言ってしまったものは仕方ない、と諦めて。
声を掛けられた彼女は、白いロングのドレスグローブを着けた手でスカートの裾を摘みながらゆっくり歩いてきた。
「貴方が……弟の傍に居たのだと伺いまして。陰から覗くような見苦しい真似をしていたことを、お詫び申し上げます」
王女でありながら、何の位も無い相手にいきなり頭を下げる。
あまりに驚いてクリスは開いた口が塞がらなかった。
「いや、あの、えっと」
座っていた噴水から飛び退いてクリスは両手をあたふたさせて対応に戸惑う。
とりあえず王女より頭が上がっているわけにはいかない、と自分も下げてみる。
なのに、
「と、畏まった挨拶はこれで終わりでいいかしら」
「うぇっ!?」
釣られて下げていた頭を上げると、そこには先程の恭しい態度はどこへやら、自信に満ちた佇まいに変わっている王女がいた。
「私はエリザ。何はともあれ、弟が戻ってきてくれて助かっているわ。ありがとう」
「あ、は、はぁ……」
その変わりっぷりに着いていけずに、気の無い返事をしてしまう。
「もう少しで私、婿取って女王にされちゃうところだったのよ」
どうやらこの国は何が何でも上の二人の王子に継がせることは避けたいらしい。
形式に拘らず優秀な者に継がせる、という姿勢は良いと思うが。
彼女はそのボーイッシュな作りの顔を空へ向け、天を仰いでこう言った。
「あとは弟と貴方が二人三脚で国を支えてくれれば問題無しね! 私はその人の過去だなんて気にしないから応援するわ!!」
「……な、何ですと?」
絶対何か勘違いをしているような王女の、耳を疑うようなその言葉の内容にクリスの足りない脳味噌が追いつかない。
「え、だから、弟は貴方を連れて戻ってきたわけでしょ? これはもう婚約発表しないと。大丈夫よ、身分を偽るなんてワケ無いわ。化粧でがらっと変わるしね」
更に飛び出す驚愕発言に、クリスの頭がくらりと揺れた。
誰だ、この王女に説明をしたのは。
ろくに事情を知らない侍女か何かが、エリオットが帰ってきたことだけを伝えたのだろうか。
そう思わないとやっていられないほどの、大誤解。
「えーっと……私の名前はクリスです。ローズではありませんよ」
「ええっ!?」
嘘、だって髪の色とか! と何やらぶつぶつ言っている王女。
女盗賊に夢中だったエリオットが飛び出して、戻ってきたら彼女の手配書の大きな特徴の一つである水色の髪の人物と一緒に帰ってきた……とあれば確かにそう勘違いするのも分からないでもない。
けれど、いくらなんでも実物を見た時点で勘違いに気付くべきだ、とクリスは思う。
「私はつい最近王子と共に行動し始めたばかりの者です、王女の想像しているような関係ではありません……」
ぬか喜びして落ち込んでいる王女に、申し訳なく説明をした。
が、
「折角王位継承問題がまとまると思ったのに、いやだってそうじゃないと私が、いやいやもう別にアイツの相手が誰だっていいの、落ち着いてくれれば、そう、そうよ……」
説明を聞いている様子はなく、クリスに背を向けてぶつぶつと不穏な発言をしている。
真面目そうな素振りも出来るのに、やはりエリオットと同様に本来の性格は少し変なようだ。
そして、何か思い立ったように王女はクリスに向き直り、
「私、貴方でもいいと思うわ!!」
「何の話ですか、一体」
まさかの無責任発言にクリスは思わず素で返してしまった。
王女を相手にしているはずなのに、何故かエリオットにツッコミを入れている気分になるクリスは、もしかして上二人の兄もこんなのじゃないだろうな、と不安を覚える。
しばらく王女の意味の分からない話に耐えていると、近くでコツ、と硬い足音が止まった。
過ぎ去る足音とは違う為思わずそちらを見ると、そこには相変わらずのムスッとした表情でライトが立っていて、白衣のポケットに両手を入れたまま、カツカツと音を立てながらクリス達に近付いてくる。
「こんな所に居たのか、探したぞ」
彼が日照った中庭に足を踏み入れると、その真っ白な髪が光に当たって金髪のように眩しく輝く。
浅黒い肌とのミスマッチさが際立ってか、仄かに妖艶さを感じさせる。
それはこの獣人の顔立ちが元々とても綺麗だからこそ、その歪な組み合わせの肌や髪すらも美しく見せてしまうのだろう。
思わず見惚れてしまうクリスだったが、それ以上に彼に熱い視線を向ける者が居た。
「ライト様!! 今日はどうしてこちらに!?」
そこへ先刻のクリスと同じような質問をする王女。
無論、またか……と言った表情のライトは、クリスを一瞥した後、王女に向き直り答える。
「お前の弟の怪我を治しに来ていただけだ」
「それはどうもありがとうございますっ」
王女はそう言ってわざわざライトの近くに駆け寄り彼の手を握ろうとした……が、両手がポケットの中なので少し戸惑ってから、彼の白衣の腕あたりの布を掴んで横に立ち、見上げて続ける。
「……良かったら私の部屋で紅茶でも如何ですか?」
その表情は、とても期待に満ち溢れたものだった。
なかなかどうして積極的なので、恋愛には疎いクリスも、聞かずとも分かる。
エリザ王女はライトを異性として気に入っている、と。
だがライトはそのスキンシップに全くの反応を示さず、さらりとその誘いをかわした。
「遠慮しておこう」
身も蓋も無い断り方だったが、王女はその言葉にまたうっとりとした様子。
ふいっとライトはクリスに視線を戻し、話を切り出した。
「クリス、色々話したいことがあるんだが時間は空いているか?」
「えぇ、途方もないほど空いていますよ」
そう答えてからクリスはハッと気がつく。
これはまずい、と。
ライトの視界の隅にその不都合が、つまりクリスの正面にはライトだけではなく王女もいるのだ。
王女は、クリスと彼のそのたった少しのやり取りを見て顔色を変えていた。
慕う人の白衣を掴むその細い指は震えている。
「お二人はまさか、そういう関係なのですか……?」
直前の王女の突っ走り具合を考えたなら、想定通り過ぎる勘違いに勘違いを重ねた勘違いが飛び出した。
このタイプには、ハッキリ言わないと伝わらない。
「勿論違います。ライトさんからも何か言ってあげてくださいよ」
そうすると彼は斜め下の王女を見下ろして、
「……お前は俺がこういうのが趣味だとでも?」
と、尤もだが何か引っかかる言い方で遠まわしに否定した。
王女はそれを聞いて安心したのか、笑い流して彼の腕に抱きつく。
「そ、そうですよね! こういうのが趣味だと思いはしましたが勝手な憶測で失礼なことを申してしまいました!」
色々な意味で失礼なことだろう。
いちいちスキンシップの激しい人だなぁ、と思いつつもそれは口には出さないでおくクリス。
そしてそのスキンシップに慣れているのか元々気にしない性格なのか分からないが、やはりライトは王女を華麗にスルーしてまたクリスに話しかけた。
「どこか落ち着く場所で話がしたい。どこがいい」
「えっ、じゃあ私が貸して頂いている部屋がすぐそこにありますので……」
言いかけたが、キッと王女が睨むのでクリスは思わず口篭もってしまう。
「邪魔をするな、エリザ」
流石にその反応で気付いたライトがそれを制し……いや制しているどころではない気もするが、とにかく彼女を窘めた。
「そ、そんな……いくら何の関係も無いとはいえ、部屋で二人きりだなんて……」
ライトの少しキツい物言いに、よろよろとその場にへたりと座り込む王女。
ライトは少し困った様子の顔を上げて溜め息をついた後に、王女に視点を下げてこう言った。
「俺が部屋で子供と二人きりになるなり事に及ぼうとすると思うか?」
「少し、思います……」
「……とにかく、気に病む必要は無いから大人しくしていてくれ。紅茶はまた今度だ」
どこから突っ込んでいいものか分からないので敢えて突っ込まないでおこう。
王女の返答をやはり華麗にスルーして、ライトは上手くその場を収めたのだった。多分。
彼は腕に絡みついたままの王女を半ば無理やり乱暴に引き剥がすと、既に彼女など見えていないかのように会話を続ける。
「では部屋に案内してくれ」
一国の王女をその扱いでいいのか? と思うが、王女は何故かそんな冷たい彼の態度にすら喜んでいるようで、剥がされた手とライトを交互に見ながらうっとりしていた。
クリスは何だか夢見心地の王女に取り合えず挨拶をした後、部屋へライトを案内する。
回廊沿いの、白地に金で縁取られた豪華なドアを押して開け、後から続くライトが入ったのを確認して閉めた。
いくつも同じようなドアがあるが、ここはクリスに割り当てられた部屋のドアだ。
「お話とは何ですか?」
先にちゃっかり椅子に座っているライトの向かいの椅子を引きながら話を切り出した。
「まず一つ目、エリオットの容態は安定している。動けはしないが目を覚ますだけなら明日にも覚ますだろうよ」
「は、早いですね……」
思わず拍子抜けしてしまうクリス。
正直なところ、数日くらいは峠を彷徨うのだろうかと思っていたのだが。
「確かに酷い怪我ではあったが、所詮ただの怪我だ。この前の呪いを解くのに比べれば全然楽だからな」
何でもないことのように彼は言う。
「生きていれば、どんな怪我だって治してやれるさ。一人ならディビーナの量も足りる。ただ、俺の元に来る前に死んでしまってはどうしようも無い、今回の件は遠征部隊の連中に礼を言うんだな。数人がかりでエリオットの容態維持を勤めていたらしいぞ」
机に頬杖を突いて、彼は特に興味も無さそうに説明だけ淡々とする。
「そうですか、後でお礼を言って来ます……何というか、旅に一人欲しい人材ですね、ライトさんって」
率直な感想を述べる。
治癒士は確かに旅においてのパーティーに必須だと今回本当に実感したのだから。
しかし、
「それは無理だな」
と、あっけなく否定された。
「何故です?」
「俺は獣人だが、戦闘には向いていない。着いて行くのだってゴメンだ、疲れる。走るくらいなら死んだほうがマシだ」
「そ、そうですか……」
脱力感を覚えながら、その言葉に辛うじて返答をした。
その反応でこの話題は終わったと判断したらしいライトは、頬杖を突いていた手を手の甲から手の平に返して突き直し、次の話に進める。
「で、次は二つ目。事の粗筋を教えて欲しい。結局無理にローズに向かって行ってあのザマなのか?」
「いえ、違います。それは……」
クリスは、以前ライトの病院を出てから今までの話を事細かに説明をした。
「……なるほど、大体は把握した」
一呼吸置いて何やら考えた素振りをした後、彼は再度続ける。
「その研究施設に置き去りにされていた女は、少なくとも俺は何の種族か判別出来ないし、伝承などの知識を探っても思い当たる節は無いな」
「そうですか……」
「しかしそれはクリス、お前も似たようなものだ」
眼鏡の下の鋭い目がクリスをじっと見据えたかと思うと、すぐに気を緩ませ視線を外す彼。
確かに彼の言う通りだった。
もしレクチェを得体の知れない者扱いするなら、クリスだって同じくらいの扱いをされるべきなのだから。
彼女と違って記憶が無いわけではないが、いや、なのに、クリスだって自分のことを何一つ分かってなどいなかったのだ。
「それよりも気になるのは、エリオットの師匠だったエルフだな。気付いたら居なかったんだろう?」
「そうなんですよ! あの大変な時にレクチェさんと一緒に消えちゃうし! 本当ワケが分かりません!!」
「彼女は彼女で思惑があって動いているんだろうな」
ふーむ、と少し考えた仕草をするがそれは長く続かず、彼は両手を白い陶磁の机に突いて立ち上がり言った。
「考えてもまだパーツが足りなさそうだ。今後は一人で旅することになると思うが、悩んだらまた俺のところにでも来るといい。話くらいは聞いてやるし、食事とベッドくらいは与えてやる」
「ありがとうございま……って、え? エリオットさん、旅を続けられるほどの回復は望めないんですか?」
「そうじゃない、考えてもみろ。ここは城で、あいつは一応王子だ。家出から戻ってきた以上、簡単に旅に出られるわけが無いだろう?」
「……そ、そうだった……」
城内の皆が自然に帰還を受け入れているから抜け落ちていたが、彼はいわゆる家出青年だ。
ライトの言葉にクリスは呆然としながらも状況を再確認する。
「そういうこと、だ」
じゃあな、とライトが去った後、しばらくクリスは固まっていた。




