君の選んだ未来 ~この箱庭よりも大切な人に~ Ⅵ
◇◇◇ ◇◇◇
そして、クリスが様々なものを焼失させてから二ヶ月あまりが経過していた。
「いやもう色々笑えるわねぇ」
「あんまり笑い事じゃないと思うの、ルフィーナ……」
クリスは相変わらずライトの家で居候を続けているのだが、今日違うことと言えば昨晩から来ている来客だろう。
表情は変わっていないが間違いなく不機嫌な白髪の獣人は、妹の淹れたコーヒーを黙って飲んで、新聞が返って来るのを待っていた。
で、その新聞はというと今はルフィーナの手の中。
読みながらにやにやしている彼女の隣でレクチェが困り顔。
「先が無いって分かっていても婚約しなきゃいけないだなんて、相手も辛いことじゃないかなって……ね、お兄様さん」
「……そうだな」
呼称について突っ込みを入れる気力も無いらしいライトは生返事。
レフトがお兄様お兄様と呼ぶせいか、レクチェはライトのことを何故かお兄様と呼んでいて、それがもはや名前であるかのようにそこに、さん付けされている。
キッチンの窓から入る朝の日差しがこんなにも皆を優しく染めているのに、クリスを浮かない顔にさせるのはその新聞の内容が原因だった。
それが理由でルフィーナも前日から王都に来ているのだ。
「あの小さいのが体だけ大きくなって婚約よ? 中身は成長してないのに。あたしからしたら笑えて仕方無いんだってば」
彼女はエリオットの婚約式典に招待されており、そのついでに、彼女がその身を保護しているレクチェとミスラの体を診せるべくライトのところに立ち寄って今ここに居る。
赤瞳のエルフは口元にほのかな笑みを浮かべて新聞を閉じ、それはようやくライトの手へと渡った。
ちなみにこの式典、クリスは呼ばれていない。
しかしライト達は呼ばれている為、クリスは物凄く複雑なのだった。
呼ばれても困るし、それを察して呼ばないのだとは思うが……落ち込むことには違いない。
まず昼から列席がある為、ルフィーナとライト、そしてレフトは準備をし、三人とも普段とは違う、整った身なりで玄関口に立っていた。
「行ってらっしゃいっ」
クリス同様に留守番なレクチェが元気に見送り、クリスも一応手を振る。
少年のビフレスト……ミスラも同じく留守番だが見送ることもせずにダイニングルームでのんびりしていた。
呼び名が無い為、中身が戻っても変わらずミスラと呼ばれているこの少年、なかなかのマイペースである。
ドアは開かれた途端に外の綺麗な空気を室内に舞い込んで、その先に清々しい青空を覗かせた。
式典には相応しい、憎らしいほどの晴れの日。
トン、と革靴のつま先を床で鳴らし、最後に残ったライトはぼそりと一言だけ残して去って行く。
「気をつけて行くんだな」
「はい」
相変わらず尻尾が気になる後ろ姿。
その姿が見えなくなるまで開けたままのドアを、閉めたところでレクチェは先程の彼の言葉の意味を聞いてきた。
「クリス、どこか行くの?」
「そうですよ、ここに居ても役に立ちませんから」
「えっ、ええ!?」
大きな金の瞳を更に大きく丸くして、そこに映すのはクリス。
基本的にルフィーナと過ごしながらエリオットに協力することになったレクチェは、エルフに見られる軽装の上に宍色のマントを羽織っており、驚きのあまりかその裾から伸びた手はクリスの二の腕を掴んでくる。
「クリス、一人で行ったらもっと役に立たなくないかな!?」
「凄く失礼ですよレクチェさん」
こほん、と咳払いをしてクリスは彼女の指摘にきちんと答えた。
「大丈夫です、一人じゃないんで」
「あ、そ、そうなんだ……」
今後の自分に出来ること、それを探した結果がこれ。
エリオットの指示を受けて動く人間など山ほど居るのだから、クリスにしか出来ないやり方でこの世界の未来を探そうと思ったのである。
自分の二の腕を掴んできたレクチェの手をそっと離させ、握り、慣れることの出来ないビフレストへの不安感を受け止めながら、目の前の優しい人に笑いかけてクリスは言った。
「私も何かを、したいんです」
その言葉に、レクチェもにっこり笑う。
「そうだね」
それ以上の会話は必要無かった。
「私もまずはお兄様さんにお礼をするべく、今のうちに掃除でもしようっ」
そう言ってレクチェはダイニングルームへ向かい、響くように聞こえてくる明るい声。
「ミー君! お掃除の時間だよっ」
「……わかった」
神という存在が消え、自身で力の生成や補給が難しくなっている不完全なビフレスト達は、定期的にライトのところに通うことで体を維持している状態だ。
いそいそと掃除を始めた二人に背中を向けて、クリスはクリスで自分の旅の準備を始める。
基本野宿思考で野生児なクリスは最低限の荷しか必要とはしないので、コンパクトな包みに荷造りして終了。
ここには度々戻ってくるので、その他の大して量も無い私物はそのまま部屋に置かせて貰うことになった。
「っと」
いつもの法衣は露出が気になるので、旅をするならマントは必須。
壁に立て掛けてあった自分の身長と変わらぬくらいの大きな剣を背負い、次にずっと棚に飾ってあるだけだった装飾の多い形見の短剣を腰に携える。
「あー……重い」
でも短剣だけでは心許無いから仕方が無い。
力があった頃は楽だった、なんて昔を懐かしむクリス。
比較的早く終わってしまった準備にどうしようかなと思いつつ、でも明るいうちに出たほうが色々と都合が良いだろう。
そう考えた結果、クリスはレクチェ達に留守番を頼んで、住み慣れた家を後にした。
普段よりも出店の数が多い大通り。
その先の広間は、一般人が見物出来る催しはもう終わったらしく、賑やかであったことが見てとれる跡だけが残っていて、逆に物寂しさを感じさせる。
クリスは、広間の道の向こうに見える城を見つめる。
出す足が鈍り、ずるずると時間だけが過ぎ、太陽の高さからしてそろそろライトから聞いている最後の『チャンス』の時間が巡ってきた。
実はクリスは、エリオットに出発の日取りを伝えていないのである。
ライト達はああいう性格の為、自分で言うべきだと黙っていてくれた。
しかしその気遣いも虚しく、結局今日まで言えずにきてしまったのだ。
別に言わなくてもよくないか、なんて考えまでクリスに過ぎる。
しかし世話になっておいて黙って去るのは失礼な話だ。
ややこしい間柄とはいえ、その辺りのけじめはきちんと、とも思うのでこうしてその場で足踏み状態なのだった。
広間も通り過ぎ、城門付近でうろうろしていると、流石に門兵がクリスの存在に気がついてちらちらと見始めている。
このまま夜まで時間を潰してしまえば『チャンス』もなくなり、仕方ないと自分に言い聞かせることが出来てしまう。
なかなか勇気の出ないクリスは、本当はそれを選びたくてこうして悩むふりをしているのかも知れない。
そこで、後ろからふっと、背中を押すように声を掛けられたクリス。
「何してるのさ、早く行きなよ」
聞き覚えのある、ほんのちょっぴりだけ懐かしいヘルデンテノールは、至極あっさりとそう言ってくれる。
その声に振り返り、その姿を確認し、その突然の再会にクリスの声は裏返った。
「ふぉ、フォウさん!?」
「久しぶり」
立ち襟が目立つ、ベルトや紐で細部を調整された端整な白い服を着ているムッツリスケベ。
「何なんですか、挨拶も無しに去ったかと思えば突然現れて!」
何事も無かったかのように話しかけられているが、クリスはあの時のショックを未だに覚えている。
居るものだと思って話したらもう旅立ったと聞かされた、何と例えようも無いもやもやした気持ちを。
まずそれを思い出し、積もった不満をぶつけるように叫ぶと、三つの瞳をへにゃっと緩ませ彼は言う。
「そうだよね、ちゃんと挨拶はしなきゃね」
「……っ!」
クリスは、されて嫌だったことをしようとしていた。
気付かされると同時に、失っていた冷静さを取り戻した少女はまず礼を伝える。
「ありがとうございます! 実はこの展開全部予測していて、この私に直接分からせるために挨拶無しであの時旅立ったんですか!?」
「うぅ、そうだと言いたいところだけど、そこまで具体的に見えたりしないから俺……だからほんとその件はごめん」
「ま、まぁいいですよ! 結果オーライです!」
ずっと踏ん切りがつかなかったけれど、あの時の自分の受けた気持ちを考えたら弱音を吐いていてはいけない。
やることは……しっかりやってから行かないと。
両手をぎゅっと握って根性を振り絞り、クリスにもう迷いは無かった。
さっぱりきっぱり挨拶して、いつまでも子供のままだった、お守りされっぱなしの自分と別れを告げてくるのだ。
「しかし、よくこんな日を選んだよね」
「うっ、いや……きりが良いところでって思ってたんです。事前に言えたら良かったんですけど、ずるずるしちゃって」
この日を選んだ理由までは見えないようだが、クリスがこれから旅立とうとしていることは分かっているらしくそれを前提で話すフォウ。
「ま、行ってらっしゃい。待っててあげるから」
「はいっ」
そしてさらりと促す。
のほほんと手を振って見送ってくれたフォウに軽く右手で挨拶だけしてから、いつも通りの受付を済ませたクリスは、何故かいつも以上に早く応接間の一つに案内されてその部屋で待機した。
日が日だけに他の来客も多い中、随分手際が良いなと思って待っていると、まず来たのはタキシード姿のレイア。
「……来るんじゃないかと聞いてはいたんだが、相変わらず自由だねクリスは」
「あー、いや、あは……」
こんな日に遠慮なく尋ねてくるクリスに呆れ顔で溜め息を吐く鳥人。
でもそんな反応も当然だと思うので返す言葉も出ない。
クリスが困っているとレイアから先に切り出してくる。
「一応聞くが、その格好を見る限り……そういうことでいいのかい?」
どうやら見た目ですぐ旅に出るのだと分かるようだ。
黙って頷くと、ほんのちょっぴりだけ彼女が安心したような表情を見せ、でもそれがすぐに難しそうなものに変わる。
レイアは数秒固まっていたが自己処理が出来たのか、スッとクリスの背中の剣に目を向けて話題はそちらに向けられた。
「その剣で、良かったのかな?」
「正直扱い辛いですけどこれが一番らしいんで。ので、普段使いはこっちにしようかなって」
背中の剣は実はレイアから貰った物だった。
いざ背負ってみるとクリスの身長と同じくらいの為、見れば見るほど扱えるのか心配になるのだろう。
普段使い用である短剣を腰から抜いて見せると、レイアは目を丸くして少女の手元に注目した。
何か驚くことでもあっただろうか、とクリスが首を傾げて見上げると、その理由をレイアが述べる。
「クリスがそういう剣に興味があるとは思わなかったよ。もしかして名前に惹かれたとかだろうか」
くすっと笑って言うレイアだが、言っている意味はまだよく分からない。
「ど、どういうことです?」
昔にエリオットから姉の形見だと言って貰った装飾剣をまじまじと見つめ直して、クリスはその刃とレイアとを交互に見た。
柄も鞘も装飾が綺麗で、抜いてみれば剣身の手元は幅が広い、一般的なサイズの短剣。
少し歪んだ刃が特徴的だが……何か素敵な名称なのか。
「その剣はどちらかと言えば美術品としての価値が高い物でね、勿論使い勝手も良いんだが……ほら、ここには竜が掘ってあるだろう? この剣の中でもこの装飾がある物は最高級品なんだ」
「いや全然竜に見えません」
クリスにはそれが全く竜を模っているようには見えず、作り手のセンスを疑う。
じぃっとその部分を見ながら、でも高い物ならば姉には似合う、と少女は思っていた。
そこで続けてレイアの説明が降ってきた。
「クリスって言うんだよ」
勿論、何のことかとクリスが顔を上げるとレイアは、
「その顔だと名称を知らないのに持っていたのかい。それはそれで珍しいね、高い物なのに。その装飾だとクリスナーガって呼ばれる一品さ。竜殺しの際にでも誰かから貰っ」
「姉さん、です」
「え?」
ローズの形見の品。
でもそれがまさかそのような名前の物だったとは、今ここで言われなければクリスはこれからもずっと知らずに過ごしていたかも知れない。
「これ、姉さんの形見なんです」
「そ、そうか……」
妹と同じ名前の短剣を持って、妹のために手を汚して遺物を集めていた姉は、どれだけ妹を想っていたのか。
自分が姉を想うよりもずっとずっと想われていたように、クリスには思えてならなかった。
そしてそれに気付くのが……あまりに遅すぎた。
クリスがぼろぼろと泣き出してしまったのでレイアは喋ることなく、ただ頭を撫でる。
死ななくていいはずだったローズを殺したのはあの男だと、クリスはルフィーナから後日聞いていた。
それを聞かなければ今日の旅立ちも立案されなかったかも知れない。
クリスは涙を拭いながら、
「教えてくださり、ありがとうございます。知ることが出来て……良かったです」
短剣を鞘に仕舞い、レイアの黒い靴がぼやけずに見えるようになったことを確認し、しっかりと顔を上げた。
クリスと目が合うと彼女は改めて連絡事項を告げ始める。
「クリスが訪ねて来るかも知れないことは予想していたし、先刻前にライトからも聞いていたんだ。スムーズに時間を作って間もなくこの部屋に来ると思う。ただ……ほんの数分だよ」
「問題ないです、いつも迷惑かけちゃってすいません」
「もう慣れたさ。でも……それも今日で終わりなんだね」
間違いなくレイアはクリスの件で必要以上に仕事が増えていただろう。
それでも少し名残惜しそうに彼女は言葉を置いた。
と、そこで応接間の白いドアが大きな音を立てて勢いよく開かれ、
「ほんっとすまんかった!!!!」
入るなりスライディング土下座をするその人影。
「何が!?」
ずさーっとクリスとレイアの間に割って滑ってきたソレは、婚約式典真っ最中のこの国の王子様である。
情けない行動に出たその男は、装飾品のごっちゃりついたヘアバンドで括られた緑の髪を床に垂らしたまま、顔も上げずに続けた。
「呼ばなかったの怒ってんだろ!? いや俺も悩んだんだ! でも呼んだら呼んだでやっぱり気まずいかなとかそういう配慮のつもりだったんだけど、呼ばれなくても傷つくよなぁとか思ってっ!!」
「あ、あぁ……」
この部屋は確かに綺麗だが、いくらなんでも床にその白い布が多い衣装を擦り付けてしまうのはまずくなかろうか。
これからその服でまた人の前に出るのではないのか。
平伏状態のエリオットを呆れ顔で見下ろしつつ、レイアはゆっくりと音を立てず、クリスに視線だけで挨拶して部屋を出て行く。
「それはもういいですから、その服汚したらレイアさんが怒りますよ」
「うおお、そうだ」
と言いつつがばっと上体を起こして立ち上がったエリオットだったが既に遅し。
膝のあたりの掛け布が見事に擦れていた。
どれだけ勢いよくスライディングしたのかお察しだ。
無駄とも言えるが服の埃だけ大雑把に払ったエリオットは、やっとクリスを改めて視認しその瞳をまぁるくする。
「……えーと」
フォウもレイアも、クリスの服装で旅立つと分かったのならば、彼が気付かないはずが無い。
「そういうことです、お世話になりま」
「いや、ちょっと待て。色々落ち着け、お前も俺も」
クリスは落ち着いているのだが、落ち着いていないエリオット的にはもはや何も見えていないのだろう。
理解が追いついてきたらしい彼は、いい大人とは思えないほど顔色を変え始めて、それでもどうにか落ち着いて言葉を出そうとしているのか、続く限りの息を吐き続けた後に、
「何がしたいんだお前は」
クリスの行動の意図を尋ねて来た。
「ここに居てもすることが無かったんですよ」
「おおお俺の手伝いとかあるだろ!?」
「それ、レイアさんでいいですよね」
勿論その点に関しては反論出来るわけもなく、そこで彼は黙ってしまう。
「別に逃げ出そうってわけじゃないんです。自分に出来ることを探しに行くだけなんで、たまには戻ってきますし」
これは半分嘘。
クリスは本当はちょっとだけ、この場から逃げ出したい気持ちもある。
だから旅立ちにこの日を選んでしまった……色々なものと気持ちの整理をつけたくて。
でも気付いているであろう彼はその点を嘘だ、と指摘はしなかった。
代わりに、
「お前に出来ることを、どうやって探す気なんだ?」
もっと現実的な部分を突っ込んでくる。
だが甘い、その程度で揺らぐようなクリスの旅立ちでは無い。
「今残ってる手がかりを使おうかと」
「手がかり……?」
そこでもぞもぞとクリスのマントの中から現れたのは白くて小さなねずみ。
呼んでもいないのに自分の出番をここぞとばかりに飛び出してきてくるりと変化。
白い髪に白い肌、赤い瞳の小さな獣人は小さな顔を最大に引き伸ばすように笑って、クリスの頭の天辺でエリオットに言い放つ。
「天下を取るのはボクってことだよ!」
「違います」
そう、現時点で残っているのは皮肉なことにこの精霊だけだった。
相変わらず暴走しそうな、でもその器ゆえにちっとも暴走が怖くないダインにきっぱり言ってやって、クリスはエリオットに説明する。
「ダインって何だかんだで色々知ってるみたいなんで、連れ回して何か出来ることを一緒に探そうかなって」
「ま、見つからなかったらボクを元に戻してぜーんぶぶっ壊せばいいわけだしー!」
どちらかと言えば後者を強く願っていそうなこの精霊、これ以上喋らせるとまたうるさくなりそうなのでクリスはポケットから取り出したチーズの欠片で一先ず黙らせた。
エリオットはかなり困り果てているようで、恨めしそうにクリスの頭上を眺めている。
「そんなに長くなりませんよ。数年でしょうか? 終わったからといって勿論王都に腰を据えるかというと別ですけど」
「数年……か。そうだな、俺も数年はここでやることがある」
「えぇ、知っています。だから、その時までしばらくお別れです……あっ、いや、すいません。多分私、半年に一回くらいは戻ってきます」
「意外と短ぇスパンだな!」
「だって寂しいじゃないですか」
「そりゃそうだけど!」
エリオットが力の限り、突っ込んだ。
確かに、永遠の別れとは程遠い旅で、拍子抜けするのも分かるだろう。
あまり話がまとまっている気はしないが、大体において挨拶して去るだけだったのだからこれでいい、とクリスは考えた。
まだまだ言いたいことは山程ありそうなエリオットの様子を確認した上でクリスは敢えて再度、最初に中断させられたその言葉を紡ぐ。
「今まで、お世話になりました」
子供だった自分との、保護者との、決別。
清々しくも何とも無かった。
ただ、寂しい。
もう、今までの二人の関係はどこにも無くなる。
クリスのそんな苦悩が伝わったのか、彼は直後にその辛そうだった顔をいつものようにだらしなく緩ませて悪態を吐く。
「ただでさえ気が重い日なのに更に被せてくるとは……どんだけ俺の胃をいじめたいんだお前は」
「そのキリキリがそのうち恋しくなりますよ」
「ならんわ! 俺の胃に穴があいたらお前のせいだ!!」
自分の選択自体に迷いは無い。
けれどここに来て、最後まで気を遣わせているのが申し訳なく思うクリス。
するとそこでエリオットは言った。
「一応言っとくが浮気したら許さんぞ」
「はい!?」
「お前、俺に言っただろ。もっかいあの言葉聞く気があるって。ならそれまでちゃんと待ってないと承知しねーから」
「なっ、こ、婚約真っ最中の人が言う台詞ですか!?」
別に他の誰かに無理やり心変わりする気などは無かったクリスだが、こう言われてしまうと自分の発言を後悔してしまう。
確かに、もう一度聞く気があるということは、待つと同意だ。
クリスは実は待つ気など無く、単に完全に諦めたつもりだったので、目の前の王子の図々しさに絶句するしか無くなっていた。
それを肯定と捉えたのか、満足げに腕を組む王子。
彼の視点では、王子が一人二人女を囲ったところで問題など無いのだろう。
今更のことだが、この男に対して何かを申し訳なく思うとか、そういう気持ちは不要である。
クリスは改めてその事実を心に留めたところで、言う。
「行ってきます!」
「またな」
沈みそうになっていた気持ちは、腹が立つほどに清々しくなっていた。
見送る彼にふいっと背を向け、応接間のドアを開け閉めし、クリスはその場を去る。
廊下に出た途端流れる空気は相変わらず、吹き抜け構造が多いこの城ともしばらくお別れ。
「折角神が女神の目的を達成しようとしてくれたって言うのに馬鹿だよね。どうせ滅びの道しか無いと思うけれど、それまでは付き合ってあげるよ」
肩で呟く白い小さな獣人の言うことにクリスは返事をせず、ダインも返事を待たずにねずみに戻ってマントの中の内ポケットに潜り込んだ。
もし救いの未来が見つからなかった時、クリスはまた選択を余儀なくされる。
いまいち仕組みは理解していないけれど、大樹を護る為にこの世界を滅ぼすか、諦めて大樹も世界も一緒に滅びるまで放っておくか。
少なくともそれを子孫に託すことなど出来ないクリスは、自分で『するか』『しないか』選ぶ時がやってくるのだった。
背負いたくない物を背負い込んで生きることになるかと思うと今から憂鬱だけれど……
「そうしない為に、頑張るんですよ、皆」
先程のダインの言葉の答えとなる言葉を、ようやく呟いた。
例えどんなことになろうとも、その差し迫る現実から目を背けないように。




