君の選んだ未来 ~この箱庭よりも大切な人に~ Ⅴ
後味の悪さを残してお開きとなった円卓会議の後、夕方になってようやく一人の時間を作ることが出来たエリオットは自分の体に触れて試していた。
硬質な魔力による操作で、一瞬のうちに彼の爪が鋭く伸びる。
……成功したのはいいが伸ばした爪が凄く邪魔だったので綺麗に切った後、今度は身長をほんの少しだけ伸ばす、という操作をしてみた。
ほんの少し、とはいえど、ただ骨を伸ばせばいいというわけでは無い。
全てをほんの少しだけ同時に拡張するという、どのパーツにも影響のある操作だ。
これもどうにか成功する。
ただし、あまりの「負担」に彼の全身からは脂汗が滲み出ていたが。
やろうと思えば今のエリオットは、男の体から女の体に創り変えることだって出来るかも知れない。
スプリガンの際に行った作業は「治す」という意識の下で行っていた為に気付かなかったが、結局彼のやっていることは「創り変える」こと。
エリオットの「治癒」は、正確には「治癒」ではなく「再構成」なのだから。
そしてその力は「治癒」という枠には収まらない、創造の力。
物体がどういうもので構成されているのか把握し、それをどうすればいいのか演算出来たなら、全ては思うがまま。
ならば、自分の体内の「普通と違う部分」を探り当てさえすれば、不老の仕組みを普通の人間の状態へと戻すことなら可能ではないだろうか。
……だがそこで、エリオットはそれを実行することを諦めた。
エリオットは「元の形」は把握していても「不老の理論」までは把握していない為、肉体を戻すことはきっと可能だが、「不老にする」という行為はエリオットの知識がまだ及ばない。
エリオットにはこの先、何千、何万年かけてでも成し遂げねばならぬ大仕事が待っている以上、不老の体を戻してしまうことは、してはならないのだ。
まだその肉体は、不老でなくてはいけないのだ。
そこでエリオットに声が掛かる。
「その力をもっと早く使いこなせていたなら、第一王子を殺す必要は無かったかもな」
エリオットが自身の肉体で力を試している間、ずっと傍らで見守っていたのは、ユングだった。
エリオットと同じ『理』を見ていて、エリオットよりもずっと昔からそれについて研究して、物質の空間転移すらも容易に扱う男。
仲間の支援があったとはいえ、新たな魔術を自身で創造出来る男。
悔しいことに、エリオットはまだ彼に教わらなくてはいけないことが山ほどある。
故に、ユングは居残りさせられていたのだが、
「馬鹿だな。何でどいつもこいつも……肉親を疎むんだ」
エリオットの兄弟間のいがみ合いに、どうやら彼は口を挟みたいらしい。
「俺は別にただ疎んで殺したわけじゃあ……」
ユングが言っている「どいつもこいつも」は、セオリーのこと。
エリオットはセオリーが肉親を疎んでいたという事実は知らない為、そこではなく自分に直接言われている部分にだけ反論した。
すると、ユングが続ける。
「俺からすれば、贅沢な話だ」
黒い前髪の下で、黒い双眸が沈鬱なものになる。
エリオットは、ルフィーナから聞くまでユングが元々エルフであることを知らなかった。
レイア経由でセオリーがエルフであることは知っていたが、その事実を知った後も、ユングがエルフである考えには及ばなかった。
というのもセオリーと違い、ユングの髪と目の色はエルフというよりはヒトだったからだ。
ユングの生い立ち自体は知らないが、その言葉の含みと容姿の両方を鑑みたなら、きっと彼は孤独な時があったのだろうという推測だけなら出来る。
そして、確かにエリオットは今、後悔をしていた。
自分は、自分だけが、あの長兄を救えたかも知れないのに。
なのに彼にとどめをさしたのは、その自分なのだから。
けれど、後悔をしているということは、次は違う道を選ぶことが出来るということでもある。
勿論同じようなことが二度あればの話だが、エリオットにはこれからもう一度、同じようなことが待っている。
長兄ではなく、次兄との対面が。
「ああ、俺は馬鹿だった。次は……間違えないさ」
エリオットの返答を立ち向かう意志として受け取ったユングは、黙ってその王子に手をかざし、空間転移の魔術を発動させた。
行き先は、第二王子の部屋。
今のエリオットは彼との正式な接触は不可能である為、この方法で無理矢理にでも押しかけるしか無い。
無事エリオットを送ったユングは、一人、第三王子の部屋で差し込む夕陽を浴びながら立ち尽くす。
――神を降ろさずとも『エリオット』ならいつかやれるかも知れない。
方法はきっと他にもあるはずだ――
レクチェが思い描いていた未来は、絵空事ではなく、実現可能な未来だった。
出来る、と信じることは難しいのに……出来ない、と思ってしまうことは何て簡単なのだろうか。
難しい操作だから神にしか出来ない、と思い込んだユングの「簡単な」選択は、失うもののほうが多かった。
死んだ者達は、帰って来ない。
自分の体が元に戻ったところで、『彼ら』が居なければ喜べもしない。
ユングはそこで自嘲し、思う。
自分も救いようが無いほど馬鹿だったのだ、と。
皆が皆、馬鹿なことをし続けた事の顛末が、今なのだろう……
そしてエリオットは、ユングに空間転移をさせられた先で久しぶりに次兄の顔を見ていた。
彼は、エリオットのおかれている状況などを知らない。
だから突然室内に現れたことに驚き、声も出せずに固まっている。
アポイント無しで王子の部屋を訪れるような者はほぼ居ない為、まだ夕方ではあるがやや着崩した衣服を纏う、第二王子。
室内はエリオットの部屋とは違い、同じ豪華でもやわらかく、心を落ち着かせるような配色だった。
昔自分に毒を盛ったりしていた男の部屋とは思えない、温かみのある室内。
この部屋だけでその持ち主を想像したなら、間違いなく「気品があり、優しい人」を連想するだろう。
だが、裏でじわじわと侵食するように、自分につく臣下を増やす男が、ただの優しい人間のはずが無い。
良い悪いは別として、腹に何か飼っているのは間違いない。
そう身構えて、エリオットはまずは自分から声を掛けた。
「お久しぶりです、兄上」
その言葉で、ようやくトゥエルには目の前の、超常現象を起こした人物が自分の弟だと確信出来たのだろう。
トゥエルは椅子に座っていたところを立ち、弟を歓迎した。
「……何かの魔術なのか? 驚いたな」
声色も、表情も、その言葉の内容以上に崩れることは無い。
突然の来訪に対し不満を述べることも無く、兄自ら、エリオットの側の椅子を引いて、腰掛けることを手で促す。
エリオットはこの時点で、フォウを雇い続けなかったことを後悔していた。
まずい、表情からこの男の考えていることが一切読めない。
いや、声色と表情がきちんと噛み合っているが故に、そのまま信じてしまいそうになる、というべきか。
何の悪意も無く、自分を受け入れているようにしか見えない兄に、エリオットは困惑する。
促されるままに椅子に腰掛けると、トゥエルも自分の椅子に座り直して悲しそうに微笑んだ。
「ところで……こんな風に突然やって来た、ということは……俺も殺すつもりなのかな」
「え? いや……」
「いいんだ。俺はお前には文句を言えない。過去に殺そうとしたからには、される覚悟もすべきだ。無駄な抵抗はしないよ、俺はお前のように武芸は達者では無い」
素直に受け入れているのか、もしくは諦めているのか。
流石に多少なり罵倒されるものだと思っていたエリオットは拍子抜けをしてしまう。
これがトゥエルの本音なのか、嘘なのか、どちらとも取れないだけに会話の糸口が見つからなくなっていた。
兄とは向き合うべきだと思っていたが、相手が既に納得しているものをどうやって掘り返すことが出来るのだろう。
これはある意味、完全なる防御だ。
トゥエルは、エリオットから少なくとも言葉という武器を奪っていた。
先に受け入れられては、それ以上言い争いようが無いのだから。
トゥエルにはきっと、自分が異常だという自覚は無い。
だから、その点を伝えて治そうとしても逆に不快に思わせかねない。
全部を伝えるわけにはいかないが、大人しく受け入れてくれるのなら、という思いでエリオットは出来る限りを言葉にする。
「私は仕返しに来たわけではありません。ただ少し、兄上に用があります。既に一人殺している身の自分を信じて貰うのは難しいかも知れませんが、少しだけ、私にその身を預けては貰えませんか」
エリオットの言葉に、要点は一切無かった。
具体性の無いものを信じろ、というかなり難しい話である。
けれどトゥエルは少し推量した後に、静かに瞼を閉じた。
「分かった。好きにするがいい」
まだ、トゥエルはエリオットが自分を殺す気でいると思っているのかも知れない。
僅かに指先を震わせながら、それでも彼は受け入れようとしている。
怯えを隠し切れていない、痛々しい許容。
申し訳なくなるが、エリオットは殺そうとしているわけでは無い。
今だけ、その点に関しては我慢して貰うしか無いだろう。
エリオットは席を立ち、次兄に近寄って行く。
そして、トゥエルの額に触れようとしたその時だった。
ヒュッ、とトゥエルの右腕が伸びた。
袖の中に隠し持っていたらしい短剣が、鈍く輝いている。
間一髪で後退してその刃を避けたエリオットだが、服は破け、その下の肌からは少し血が滲んでいた。
トゥエルは舌打ちをし、椅子を後ろに押して立ち、しっかりと体勢を整える。
「あの至近距離で避けるとは、神童と称されていただけある」
「……こんっのヤロウ……ッッ!」
エリオットが避けていなければ、心臓をまっすぐ貫く、躊躇いの無い太刀筋。
流石のエリオットも即死させられては自分を再構成しようが無い。
警戒はしていたつもりだったが、それでも気を緩まされていたことに、エリオットは目の前の相手を空恐ろしく感じた。
先程の震えすら演技だったのかも知れない。
どんなに分かっていても、視覚が脳に訴える情報は強い。
この男のどこに異常があるのか、正直なところエリオットには全く分からなくなっていた。
他の臣下達の言う通りもしかしてどこにも異常などなく、ただひたすら腹黒いだけなのではないのかと思うほど。
王妃やユングに話を聞かされなければ、エリオットはやはり以前同様「兄は性格が悪い」で済ませてしまっていただろう。
セオリーもそうだったように、この「異常」はとてつもなく厄介な不具合だ。
「素直に殺される馬鹿が、どこに居る?」
にこりと笑う、美しい異常者。
僅かに血を吸った短剣までもが、彼の手元でその美しさを引き立てていた。
血の赤も、金属の鈍色も、彼の傍にあったなら全ては「飾り」となる。
臣下に「お飾り」としてまつり上げられようとしている男は、そこに立つだけで周囲を「飾り」にしてしまうような佇まいだった。
これは彼の異常故のことなのか、それとも本来持っていた資質なのか。
どこまでが彼の異常で、嘘で、仮面で、本質なのか、判断させぬ深い底。
彼の「異常」を治した時、彼が一体どういう人間に戻るのか……想像すらつかない。
クリスを元に戻そうとしていた時よりも遥かに不安に掻き立てられる、とエリオットは思っていた。
「別に今更お前と殺し合いなどするつもりは無かったというのに、随分乱暴に育ったものだな」
「だから、殺すつもりは無いって言ってんだろ!」
エリオットの罵声が響くと、トゥエルは耳についたその音を不快と言わんばかりに眉を顰める。
「だったら何をしようとしている、体に触れようとするだなんて。信じろと言うほうが無茶では無いのか」
確かに。
この状況では、エリオットのほうが無茶を言っている。
だが直前で本性を現してくれたお陰で、エリオットもやりやすくなっていた。
弟王子は元々、相手の言い分を蹴ることのほうが得意だ。
先程までは蹴るボールが無くて困っていただけなのだ。
「別に俺は王位なんて求めちゃいない。けど俺にはその前に、やらなきゃいけないことがあるんだよ……ッ!!」
反撃してきた相手に遠慮など無用と言わんばかりに、エリオットは次兄を無理矢理押さえ込んで馬乗りになる。
隠し持っていた武器など、魔力で壊してしまえばすぐに役立たずになるのだから。
エリオットを見上げているトゥエルの形相は、これがきっと今の彼の「本音」なのだろう。
僻み憎しみ篭った目からは、先程までの美しく優しい印象など微塵も感じられなくなっていた。
自分より強い者が憎い。
自分より賞賛を浴びてきた弟が疎ましい。
嘘で固めた彼の心があらわになる。
けれど、被害者であるこの兄を責めても仕方ない。
真に責めるべき相手は、クリスが焼失させた。
ならあとは……
「手が滑っても知らねぇぞ、大人しくしやがれ!!」
自分の代わりにそれを成し遂げてくれた大切な人の為に、その途方も無い尻拭いをし続けるのみだ。
だが、彼の暴言はどう贔屓めに聞いても悪役なのだった――




