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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第三部 第十五章
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君の選んだ未来 ~この箱庭よりも大切な人に~ Ⅳ

 それからクリス達は各々の戻るべきところへ一旦戻り、その後の対応に追われていた。

 特にエリオットとレイアは、事件が表沙汰にはなっていないとはいえ戻った当初は多忙を極める。

 ただ、王妃が裏の事情を知っている為、上への釈明は容易であった。

 彼女が裏で行っていたことは決して悪意のあるものではない、溺愛する息子への過度の干渉だっただけ。

 息子の口から、ミスラの本当の目的がエリオットの体を乗っ取ることだったと聞かされた王妃は、彼の前でただ膝を折る。

 その胸中は、穏やかでは無かったはずだ。

 そして、今回の件は必要以上の騒ぎにならぬよう王妃が根回しをして、第三王子を救ったことになったレイアはクラッサの件で受けるはずだった処罰が帳消しになった。

 事を公にせずとも一部の人間にはエリオットが攫われたことは知られてしまっている為、「裏」での辻褄合わせとしてレイアの存在は適役だったのだろう。

 表向きのトラブルの対処は十日程度で終了。

 の、はずだったのだが。


「私はお前を王にしてやれぬかも知れぬ……っ!」


 そう言ってエリオットに泣きつくのは、彼の母、この国の王妃。

 夜遅くにエリオットの部屋を一人訪ね、エリオットにとっては問題の無いことを申し訳無いと言って嘆く始末。

 染め直されたエリオットの緑の髪が、彼女の肩にはらりと掛かった。

 魔術で金から緑の色に視覚操作して誤魔化している瞳を複雑な心境で母に投げかけ、彼女のアッシュブロンドの髪を撫で、宥める。


「先日も伝えましたが、もう私は王として人の上に立つ気概も無ければ資格もありません」

「そんなことは無い!」

「母上」


 自分の考えを曲げることの出来ない母に、エリオットは態度と視線と握力と声色、とにかく言葉以外の全てを総動員して「意思」を伝えた。

 向けられた眼差しの鋭さ、そして自分の肩に添えられた手の震えを感じ取り、王妃は閉口する。

 今までの自分の行いが、良かれと思ってし続けていたことが、間違いだなんて思いたくない。

 けれど……もう、どうしようも無いところまで来てしまったのだ。

 自分を誤魔化したくても、誤魔化せなくなってしまったのだ。


「すまぬ……」


 母親の心の奥底から湧き出た謝罪は、たった一言でありながらも息子の心を強く揺さぶる。

 望んでいなかった未来を押し付けられたことは、確かに不快だった。

 それでも、


「過ぎたことです。大丈夫、貴方の私を想ってくれているその気持ちは、きちんと私に伝わっています」


 彼女は、自分のたった一人の母親だ。

 彼女の一連の「行動」は無駄になったかも知れないが、その「想い」までは無意味なものにはしたくなくて。

 深い情を受け止めてくれた息子の胸で、王妃は泣き続ける。

 どれだけそうしていただろうか。

 流石にそろそろ離して欲しいな、とエリオットが思い始めた頃。

 落ち着いてきた王妃が、最初に言おうとしていたことの続きを話し始める。


「今……トゥエルが半数以上の臣下達の心を掌握しているのじゃ」

「半数以上、ですか」


 エリザに着いていた者達がトゥエルに流れたという話は以前聞いていた。

 だが、王妃の話から推測すると、エリオットを王とすべきだと考えていた臣下もかなりの数がトゥエルに下ったと考えられるだろう。

 いつの間に、とエリオットは表情を渋くする。

 自分が王になる気は無かったエリオットだが、王位を渡すならばエリザにすべきだと彼は思っていた。


「どんなにお前が優れていようとも、あの子はお前よりも本来の王位継承権は上。それにエリオット、私がどんなに意向を示そうと、お前がしたことを引き合いに出されてはそれ以上反論が出来ぬ……けれど」

「兄上は、正常では無い。それは母上が一番良く分かっている、そうですね」


 王妃は黙って頷いた。

 フィクサーやエマヌエルは、神が行った脳への直接の改変より身体異常を引き起こしている。

 同じことをされているトゥエルも、きっとどこかが壊れているはずだ。

 耐えられずに壊れてしまうような弱い器だったからこそ、神の器として選ばれなかったのだから。

 幼い頃のトゥエルはエリオットの食事に毒を盛るほど、どす黒い感情をあらわにしていた。

 エマヌエルは視力の喪失による逆恨みだったとしても、表面上は正常なトゥエルは違う。


「ミスラが言っておった。トゥエルは心が壊れたのだ、と。正確には感情を司る脳の一部分……改変をしたその頃からトゥエルは目に見えて他人に敵意をあらわにするようになり、その相手はどれも自分より何かが長けている者じゃった」

「大体は分かりました……」

「私はあの子が恐ろしい! あの子を利用しようとする者達ならまだ分かる。じゃが、真っ当な価値観を持っていたように思える臣下ですらも、何をどう吹き込まれたのか今はトゥエルに心酔しているのじゃ」


 今の彼は、呼吸をするように嘘を吐き出すにも関わらず、その容姿は兄弟の中でも随一。

 見た目も声も所作も美しい彼を疑うことはもはや容易では無いのかも知れない。

 一応エリオットも彼と大差ないパーツを持っているはずなのだが、気品が無いとこうも印象が変わってしまうのだった。

 エリオットの体がたとえ治せたとしても、エリオットがしてしまった「事実」は消せない。

 兄殺しという汚点を知り得る者が居て、その者達がトゥエルについている以上、エリオットは勿論のこと、エリザに王位を渡すのも難しいだろう。

 何故ならトゥエルは、現時点では正当な王位継承者、その第一位なのだから。


「母上。兄上は幼い頃とは違い、自分の本音を隠すことを覚えてしまっている。現状では兄上の異常を皆に伝える手段はほぼ無いと思われます」


 エリオットは、事実を母親に告げる。

 ばっさりと斬られたような酷い顔をして王妃は息子の顔を見た。

 だが、そこにあった息子の顔は、決して憂うものでは無かった。


「だから……そのまま、王になって貰えば良いのです」


 彼の瞳の奥は、力強く、未来を見据えるものだった――




 後日エリオットは、自分の部屋に関係者を集める。

 先日ニザフョッルで宣言した通り、彼は今後、関係者をひたすらこき使う気でいるらしい。

 事前に得ていた……正確には、無理矢理得た連絡先に、「来なければぶち殺す」の追伸付きで城に呼び出された関係者達。

 時間指定は午前であったが為に、皆、前日から王都入りしていたに違いない。

 いや、一人だけその必要の無い、空間転移が可能な者も居るが。


「とりあえず、何でコイツが居るのか聞いてもいいかしら?」


 第一声はルフィーナ。

 彼女の不満の先は呼び出されたこと自体ではなく、一緒の部屋に居る黒髪の男フィクサーだった。

 といっても目的を達成した今は本名で呼ぶべきであり、その名はユングという。

 予め椅子とテーブルを増やしておいた室内で、彼らは円卓を囲みつつ、その面々を把握する。


「当然だろ、むしろ今回の話で一番重要なんだソイツは」


 ルフィーナが嫌がっていることを分かっていながら、堂々とエリオットは答えた。

 それに対し、予め理由を聞いているレイアが口を挟む。


「仕方がないのです。今回皆様にお越し頂いたのは、トゥエル様の異常についてなので」

「トゥエル……エリ君のお兄さんの?」

「あぁ。俺がこの体になって、城に居られるのは長くて十年。となると、王位を継承するのは兄上になるからな」

「エリザちゃんも名前挙がってなかったかしら?」

「姉上や俺んとこにいた連中は諸事情で、大半が兄上に流れたんだ」

「あらまぁ。あれだけエリ君、ご両親にプッシュされてたのに」


 ルフィーナはユングが居ることを仕方なくも受け入れたらしく、興味は既にトゥエルの異常に移っていた。

 割とあっさり受け入れてくれたことに、黒髪の男は一人こっそり喜んでいるとかいないとか。

 この男は恋愛に関してうざいポジティヴさがあるのが傷だ。

 ルフィーナの隣に座っているレクチェが、挙手をした後に次の疑問を述べた。


「トゥエルさんの異常について、って結局どういう話なのっ?」

「エリオット様は……トゥエル様の異常を治そうとしております」


 神の改変により異常が出た者を、神ではないエリオットが治そうとしている。

 その事実に、皆が驚いた顔を見せていた。

 何故ならそれはレクチェ以外の皆が「無理だ」と諦めていた、理想の解決方法なのだから。

 レイアは続いてもう一つ、エリオットの意図を述べた。


「少し前の話になりますが、エリオット様がエマヌエル様を討ったことで、城内の情勢が変わってきています。元々エリオット様を快く思わない者達が、その件を突くことでトゥエル様を持ち上げようとしているのです。ですが……エリオット様はそれを逆に好機と捉えました。持ち上げさせてしまえば、自分が去っても問題が無くなる、と」

「なるほどねぇ、エリ君がその体になってしまった以上、エリ君が次期王の有力候補として居続けるのは困るものね」


 ルフィーナが、合点がいった、というように溜め息を吐く。

 しかしそこで足を組み替え、彼女は皆が思っているであろう不安な点を突いた。


「でもエリ君、治せるの?」


 エリオットは黙って、かわりに別の人物に視線を向ける。

 その人物はまるで空気のようにレクチェの左隣に座っていて、それまで一言も発していなかった人物。

 だが、その存在自体は異質である為、皆が皆、触れたくても触れられないでいた。

 神が降りていた時に被っていたフードは被っていないものの、綺麗な金の髪と瞳、そして大人達の話に混ざるには幼すぎる容姿。

 エリオットの視線を受け、過去にミスラという名前で動いていた少年は話し出す。


「少なくとも、僕に降りていた時の神には不可能な操作だった。足すことは容易でも、引くことは容易では無いからだと思う」


 つまりその操作はとても困難だ、ということになる。

 たとえ方法を把握している神であったとしても、力が不安定である少年の体では成し得なかった、と。

 けれど神は、エリオットに降りた時にそれを成功させてもいるのだ。


「だからそこの黒い奴呼んだんだよ。実際に直接異常を治された奴に話を聞いたほうがいいだろ?」

「黒い奴って何だ、黒い奴って! 俺は今日は黒スーツを着てないぞ!」


 そこでユングが席を立ち、エリオットのほうに前のめるようにテーブルに手をつく。

 確かに今日のユングは、黒スーツではなくどこからどう見ても普通の服装だった。

 平凡過ぎてどこを拾えばいいか分からないが、敢えて言えば腰巻が少し上等な物だ、というくらい。

 ただ、彼はそもそも髪と瞳の色が黒いので、黒いスーツを着ていなくても黒いものは黒い。


「お前だって俺の名前マトモに呼ばねーだろ! だから死んでも名前なんて呼んでやらねえよ!!」

「何だよちゃんと名前を呼んで欲しかったのか? じゃあ呼んでやる、エ、リ、オ、ッ、ト!!」


 何だかんだで似た者同士が絡むと、収集がつかないことになってしまう。

 まるで子供のような男二人の言い争いを、周囲は溜め息まじりに見つめる。

 そして、


「ユングうざい。座って」

「はい」


 ルフィーナに諌められ、大人しく座るユング。

 やはりルフィーナを呼んだのは正解だった、とエリオットは心から思う。

 とりあえず名前で呼んでやることにして、その名前を呼ぶ。


「……で、だ。フィクサー」

「違う、ユングだ」

「面倒臭えなコイツ!」

「気持ちは分かるけれど落ち着いてエリ君。話が進まない」

「逆にルフィーナが居ると話が進むねっ」


 ほわほわと、険悪な空気を読めていない表情でレクチェが言うと、ルフィーナもその笑顔につられるように笑う。

 色々言いたいことはあるがルフィーナの指摘は正しいので、エリオットもその面倒臭さは諦めることにした。


「えーっと、ユング。お前、確か兄上の異常が精神異常だって言ってたろ。あれは何でそう思った?」

「単純なことだ。生まれたばかりだったお前達は知らないかも知れないが、俺からすれば突然お前の兄達の悪い噂が流れ始めたからな。そして後に知ったお前の状況と、ルフィーナの資料、俺の不具合……それらを総合すれば、俺にはお前の兄達にも改変によって何か不具合が出たとしか思えなかったんだよ」


 一目で分かるエマヌエルの異常と違い、トゥエルの異常は分かりにくい。

 けれどトゥエルと大差無い年齢のエリオットやレイアとは違い、ある程度の年月を生きていて、更に裏の事情を知り得ている彼からすればその変化と理由に気付くことが出来るのだろう。


「……分かった。でも、精神異常の場合、どこをどう治せばいいんだか俺には分からないんだが……どう思う?」


 過去敵対していた相手に問われていながら、ユングは真剣に考える。

 本来ならばエリオットのために真剣になるなど死んでもごめんなところだったが、室内にルフィーナが居る以上、彼に手を抜くという選択肢は一切存在しなくなっていた。


「精神異常であっても、結局は脳という肉体。お前がどうやって他人の体を創り直しているのか、その作業の感覚は知らないが、脳のあたりで『違う』と思う部分を修正してやればいいんじゃないのか」


 フィクサーの言う表現に、エリオットは『他人を創り変える操作』を思い出す。

 そう、エリオットは一度、異常が生じていた者達を片っ端から治したことがあるのだ。

 脳や触覚などという細かい部分では無いにしろ、全身が水晶化してしまった多数の肉体を元通りにしたことが。

 あの時の感覚で他人の一部を創り変える……出来なくは、無い。

 エリオットは光明が見えたところで、ほっと肩の力を抜いた。

 だが一人、表情を強張らせたままの者が居る。


「……ねえ」


 ルフィーナは、表情を無理やり笑顔にして、その先を紡いだ。


「セオリーも、兄さんも、それがあったりしたと思う?」


 ユングは、セオリーの異常はずっと無いものだとばかり思っていた。

 当人が無いと言っているし、特に変化も無いのだから、そうなのだろう、と。

 だが「異常さえ出なければ器として使っていた」と神に言い放たれたからには、セオリーにも何かしらの異常が無ければ辻褄が合わないのである。

 しかしそれをルフィーナが先に切り出したことで、ユングは傍観に回る。

 心はなるべく、落ち着かせながら。

 泣きそうに笑っているエルフの問いかけに、心苦しそうにしながらも女のビフレストが告げた。


「無いはずは、無いと思う。もし本人の実感出来る部分で何も異常が無かったのであれば、精神異常だったんじゃないかな……」


 それを聞けば、セオリーの行動はルフィーナにとって全て納得のいくものだろう。

 事の内容からか、レクチェの言葉に返答する者は居ない。

 ルフィーナは、亡き異母兄を想ってか、両手で顔を覆って俯いていた。

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