対峙 ~最後に笑うのは誰か~ Ⅲ
意識を失ったクリスは右手に大剣を、左手には槍を携え、周囲に咲いていた花を軽い運動をするかのように薙ぎ払う。
振り回される武器が起こす風圧は凄まじく、その状況を確認したエリオットは急いでローズを抱きかかえてその場から離れた。
だが大剣を手放したにも関わらずローズの意識は戻らず、安全確保したところで声を荒げて叫ぶ。
「おいルフィーナ! この場合どうなるんだ!!」
「大剣の精霊が自己主張始めると思うんだけど……ッ!」
それに答える彼女も精霊の起こしている暴風に立っていられず地に手を付く。
この中で立っているのはクリスともう一人……ずっと虚ろな表情で立ち尽くしていたレクチェだけだった。
「……、……」
「れ、レクチェ……」
周囲には聞き取れないがレクチェは何やら喋っていて、それに気付いたルフィーナが彼女を心配そうに見つめる。
しばらくしてクリスは静かに振り返った。
見つめる先は、この風にビクともしない金髪の女。
ただ黙って二人は対峙する。
少しの間をおいて、先に切り出したのはレクチェだった。
「……、止めます」
相変わらず何やら呟いて、辛うじてエリオットに聞こえたのは『止める』という単語。
虚ろな瞳のまま、彼女は歩いてクリスに接近していく。
すると、風に荒らされた草花は、その際に再度彼女の周りから再生し始めた。
「何だこりゃあ?」
膝を突いてローズを抱えたまま、エリオットはその光景にただ呆然とした。
どうして花が急に咲く?
彼女の能力なのだろうか。
一方ルフィーナは今にも泣きそうな顔でそれを見ていた。
「こんな時に……っ」
クリスとレクチェを挟んで対面側にいる、つまり少しルフィーナとは距離が離れているエリオットに聞こえるのはそれくらいの単語だけだった。
ルフィーナはこの現象について何か知っているのだろう。
微かに女エルフの肩と指は震えていて、そしてその震えを止めようとするかのように唇を噤んでいる。
レクチェは静かにクリスに近寄って行き、クリスはそれを見つめながら、眉間に皺を寄せつつ口元だけ歪ませ笑う。
その笑い方は先程までのローズのようで。
「こういうのを鴨が葱背負ってきた、って言うんだっけ?」
そう言ってクリスの体を借りた精霊は、左手の槍を思いっきり振り被ってレクチェ目掛けて投擲した。
しかし槍はレクチェを避けるように逸れ、ガランと音を立てて地に落ちる。
「ボクに使われるのは嫌だってのかい、ニール」
落ちた物言わぬ槍に自嘲にも似た皮肉を投げかけてから、槍を使うことを諦めたクリスが剣を振り回すと、その剣圧はまるで大きな爪のように地面と瓦礫にざっくりと傷跡をつけた。
そして縦にもう一振り。
鈍く轟く空気が裂かれるような音と共に、クリスの目の前の地が真っ二つに割れる。
けれどレクチェはその剣撃を、空に浮くことでさらりと避けていた。
彼女の背には翼のような形状の光。
宙を舞う雪が、その翼に触れて花びらへと変わる。
そんな神秘的とも言える光景を、エリオットもルフィーナもただ見ていることしか出来なかった。
レクチェの光の翼は羽ばたいたと思ったらそのまま大きく広がり、布のように形を変えてクリスを包み込もうとする。
「させないよねッ!」
咄嗟にクリスも翼を広げて後方へ飛ぶと、また大きな剣を薙ぎ払う。
今度は縦ではなく横一線の昏い剣圧を、レクチェは光の布でやんわり受け止めた。
そこで虚ろだった彼女の表情が、少しだけ苦悶を浮かべる。
対する女とは全くの異質な、形のある黒い翼をバサバサと動かして、精霊は相手の表情に満足げにしていた。
「ボクの力相手にそんなことするからだよ」
口端をにんまりと広げ、蔑んだ目で彼女を見るその表情は子供が造るものではない。
幼い外観とのあまりのギャップに恐怖さえ抱かせるような笑顔は、まさに悪魔に相応しいものとなっている。
光を放って浮いていたレクチェはよろめいて、地に降りた。
だが、右手で頭を少し抱えながらもクリスへの視線は外さない。
と言っても虚ろなので本当にクリスを見ているのかは、周囲には分かりにくいが。
「一旦異物を、排除します……」
クリスの攻撃をレクチェは光翼で受け止めたわけだが、二人のやり取りから鑑みて、この大剣の攻撃は受け止めて良い性質では無かった、と言ったところか。
斬るだけで相手に腐敗の呪いが掛かるような剣なのだ。
傷の大小よりも、受けてしまうこと自体が危険だと想像するのは容易い。
幸い、レクチェは以前ライトが行った治療のように、その「呪い」の異物を自身で排除出来るらしく、光で自分を包み始めたが、そうはさせぬとクリスが彼女に真っ直ぐ向かって叫んだ。
「そんな隙を逃すとでも思ってるの? これでおしまいだよ!」
剣を両手に持ち替えて、風圧ではなく剣そのもので彼女を光のヴェールごと切り裂こうとする。
しかしその振り上げられた剣は下りること無く、そのまま止まった。
ルフィーナがまた動きを封じる魔術を使ったのだ。
「させない……ッ」
いつになく険しい表情でクリスを睨みつける彼女。
レクチェも魔術が掛かる範囲にいるはずなのだが彼女の体は特に術に掛かった様子も無く、彼女はこれを好機として自身の治療を一旦止め、再度光翼を広げてクリスを包み込もうとする。
光に包み込まれて精霊とクリスがどうなるのかは分からないが、あれは彼女の「攻撃」と取るべきだ。
――まずい。
光に飲まれそうになるクリスを見て、エリオットは無意識に腰元の銃を抜いていた。
パンッ! パンッ! と響く二発の発砲音。
その音と共にクリスの意識も戻る。
だが、クリスは目の前の状況が全く把握出来ずにいた。
「こ、これは……」
とにかく手が痛い。
次に足元には、足から血を流して倒れているレクチェ。
そして大剣が落ちている。
それらの情報を繋ぎ合せて、少しずつ思考を整理し始めたところに、
「おい、大丈夫か!!」
エリオットが銃を持ったまま駆け寄ってくることで、もうひとつのピースが埋まり、予想が出来てきたクリス。
この痛みはきっとエリオットにまた撃たれたのだろう、と。
だがレクチェに関してはどういうことか今ひとつ分からない。
彼女はクリスが意識を失う前までの不思議な光を既に纏ってはおらず、虚ろだった目には光がきちんと宿っていた。
ここまでは良いことなのだが、彼女の足の怪我の理由が想像出来ない。
先程までは彼女の力で雪すらも『春』に変化していたが、今は雪はただ降り積もって、咲いてしまった草花を白く塗り替えていた。
「痛いよぅ……」
彼女は涙ぐんでクリスを見ており、もしかして自分がレクチェの足を攻撃してしまったのだろうか、とクリスは不安になる。
そこへルフィーナも駆け寄ってくるとレクチェの足をすぐに看て、マントを無理に破ってレクチェの足に捲き、血留めの後に治療魔術の準備を始めた。
「エリ君、後でじっくりお仕置きね」
「えぇー!?」
どうやらクリスの手と同様にレクチェの傷もエリオットがやったようだ。
じと目で彼を睨むルフィーナの様子が、それを物語っている。
「相変わらず荒療治で助けてくれますねぇ……」
痛む手を撫でながらクリスも彼を見た。
すると渋い表情でエリオットは言う。
「今度は手加減してないんだけどな」
「え」
かなり酷い話ではあるが、クリスの手は少なくとも骨は折れたりしていない。
変化すると確かに身体能力は跳ね上がるが、ここまで頑丈になっているとは、と改めて自身の手を見つめる。
「でも痛かったけど、私相手だからこそ無茶も出来て、剣を折らずとも手放すことが出来たんですものね」
少なくとも、エリオットはローズを撃つことなど出来ないだろう。
結果としては良し。
クリスは、傷の不満よりも今は姉を救えたことを喜ぶことにする。
「……そういえば姉さんはどこです?」
周囲を見渡す。
すると、メイド姿のローズが少し離れた物陰から歩いて来ているところだった。
「お、気がついたみたいだな!」
エリオットもそれを見て表情がぱぁっと明るくなる。
けれどその声を聞いたルフィーナの反応は、目を見開き、まるで信じられない、と言った風の驚き方。
操られていたのにそんなにすぐに目を覚ますはずがない、と言ったところだろうか。
だが操られたばかりでもクリスはすぐに意識を取り戻している。
クリスは彼女のその反応に深く疑問を持たず、姉に駆け寄り、その胸に顔をうずめる。
「姉さん……っ!」
泣いてしまいそうになっている顔を、強く擦り付けて。
ずっと会いたかった、探していたその人が、今目の前に戻ってきた。
その事実が、クリスの耳に他の言葉など入れさせない。
「次は俺の番だぞー」
エリオットの野次も、同様。
堪えきれなくなった涙腺は、ローズの胸を涙で滲ませていた。
そこへ、頭上から掛けられた姉の言葉。
「心配かけてごめんね」
他の声は届かずとも、絹糸のように柔らかく語りかける声だけははっきりと聞こえる。
クリスがずっと聞きたかった、優しい声だから。
ローズはクリスの頭をくしゃくしゃと撫でた後、抱きついていたクリスをゆっくり体から離す。
「さて、と……」
「?」
クリスがまだ名残惜しそうにしている中、そう言ってローズはエリオットのほうに歩いていく。
「おお、ローズ。ちゃんと俺のことも思い出してくれたんだなー」
満面の笑みで、ハグを要求するが如く両手をいっぱいに広げて待ち構えるエリオット。
それを見てクスッと笑うと、ローズはそのままエリオットの腕に包まれた。
「……!」
声にならない声で、今度は彼が相方との抱擁を堪能していた。
クリスは苦笑いでそれを見つめる。
謎はいくつか残ったままだが、姉は戻ってきたのだ。
以前エリオットが言っていたように、自分達の目的はコレだけだ。
そしてそれが達成されたのだから他に無理に立ち入る必要など無い。
疑問に蓋をし、ただその再会を喜ぶ。
ローズはぎゅっと抱きしめられたままだったが、ふと少し彼の胸から顔を離し、
「これはオマケ」
そう言ってエリオットの頬に軽くキスをした。
「ね、姉さん!?」
驚くクリスと、不意打ちのキスに喜ぶエリオットに微笑して、ローズはその腕からするりと抜ける。
そして、
その傍に落ちていた大剣を持ち上げた。
クリスはただ、頭の中が真っ白になった。
姉さんは一体何をしているのだ、と。
「甘いよ、救いようの無いくらいね」
そう言って大きな剣をよいしょ、と肩まで上げて担ぐとローズは彼らを見た。
その笑顔は先程までのものとは違う、厭らしい笑み。
バサッとその背に真っ白な羽を具現化させると、少しずつ地面から浮いて行く。
クリスは思わず、飛ぼうとする姉の足を掴んだ。
「待っ……」
待って、だなんて言う意味など無い。
コレは姉ではない、とにかく離してはいけない。
けれどクリスは先ほど頭を撫でてくれたばかりの姉が偽者だったなんて思いたくなくて、まるで駄々をこねる子供のように泣きそうな、訴える目で姉を見上げた。
だが、
「嬉しかったでしょ? サービスしてあげたんだから離してくれないかなぁ?」
クリスを見下ろす姉は、その時笑顔すら消えてただ酷く蔑んだ目つきをしていた。
あまりのことに言葉が詰まってしまうクリス。
剣を手放せば解放されるのでは無かったのか。
そんなショックでもクリスが動けたのは、それ以上に『行ってほしくなかった』からなのだろう。
「姉さんを、返して……」
そんな願いなど叶えてくれるはずが無いのに、その唇はただ乞う。
「んー、無理だね」
そしてローズの姿を借りた精霊は、自身を掴むその手を斬り離そうと、大きく剣を振り被る。
斬られる、けれどこの手を離すことなど出来るわけが無い。
クリスが涙で滲んだ目を瞑って半ば諦めたその時、キィン! と目の前で金属と金属がぶつかり合う高く鈍い音がした。
大剣によって斬られるはずだったクリスの手との間に割って入ったのは、一本の槍。
意識が戻った後のクリスにはどこに行っていたか分からなかったその槍が、今何故かここに飛んできたのだ。
何を考えるでもなく、その槍を手に取ってローズの持つ大剣に斬り当てる。
飛び立つ余裕を作らせないくらい、何度も、何度も。
槍撃を剣で受けるしかないローズは、仕方なしに攻防を続け、少しずつ後ろに下がって行った。
「……死ぬ気でニールを投げてくるとか、有り得ない……っ」
大剣の精霊が、ローズの口で苦々しく呟く。
「……?」
クリスは槍を振るいながらも、思わず周囲に意識をやってしまう。
本来攻防に集中しなければいけないのだが、その呟きが引っかかったからだ。
そして……視界の端に、赤い血溜まりを見つけてしまう。
「!!」
クリスの意識は一瞬だが完全にその『赤』に向いてしまい、その隙を相手が見逃すはずもなく、大剣で槍を大きく捌かれた。
そのままの流れでローズは即座に後ろに飛びのき、再度羽ばたいた。
「獲物も逃げちゃったし、今日のところはソイツの根性に免じて引いてあげるよ」
そう言い残すと空で翻し、あっという間に飛び去る。
だが追うわけがない、クリスはもう、見てしまったのだから。
「え、エリオットさん……!!」
血溜まりに沈んだ、姉の相方で恋人のその人を。
駆け寄ってその血溜まりにためらい無く足を踏み入れ膝をつき、彼の状態を確認する。
全身に内側から破られたように捲れた裂傷、特に酷いのは右腕付近で、抱き上げたら腕が千切れてしまいそうだ。
意識など勿論無い、生きているのかもクリスには分からない。
「どうしたら、どうしたら……」
半ばパニックに陥ったクリスは、彼の体の上にぽろぽろと涙を零しながら自分の服を破って止血を行う。
だがその怪我の前では止血など無意味にも等しい。
治療魔術を、クリスは使えない。
周囲を見渡したがルフィーナとレクチェは何故か居ない。
こんな時ルフィーナなら何か出来たかも知れないのに、無能な自分をただ責め続けることしか出来ない。
そう、自分がピンチの時はいつも彼が救ってくれていた。
先ほども、きっとクリスの手が切り落とされる寸前のところで槍を投げて救ったのだろう。
けれど自らを引き換えにしてまですることでは無いのに、何を考えているのか。
悲しいはずなのにクリスはだんだん腹が立ってきた。
「誰か、助けて……」
でないと、彼に怒ることも出来ないではないか。
その時、凛とした、力強い声が背後から聞こえた。
「生きてる者がいるぞ!!」
赤く腫らした目で振り向くと、そこには大きな馬に跨った一人の女性。
茶色く、そして長いポニーテールを揺らして、強い意志が感じられる形の良い眉と琥珀の瞳。
身に纏った半甲冑は赤を基調としていて綺麗なものである。
彼女の指示で後ろから続いてきていた兵達の中から衛生兵が割り出てきてクリスを引かせると、あっという間にエリオットを囲み、数人で結界のようなものを作り出す。
「まだ息はあるようですので、まずは状態を止めたまま運びます」
「わかった、良い様にやってくれ」
衛生兵の言葉に答えるポニーテールの女性。
近くで見ると髪の毛に隠れて黒い名残羽があるのが分かった。
どうやら鳥人らしい。
彼女はエリオットが後ろの馬車らしき乗り物に運ばれていくのを見届けた後、クリスに振り返って話しかけてきた。
「王子の連れはあと二人居ると聞いていたのだが、そちらは無事なのだろうか?」
「えっ、あ……分かりません……」
「そうか、ならば引き続き捜索させよう。王子とは別の馬車になるが君も一緒においで」
そう言ってクリスを別の馬車に乗るよう促した。
クリスは馬から降りた彼女に案内されるがままに一頭立ての軽装馬車へ行き、乗ろうと足をかけたのだがそこで止められる。
「待った、先に着替えさせよう」
びりびりに破いてしまった服は、残った布地もほとんどエリオットの血で赤く染まっていたのだ。
確かにそのまま馬車に乗ってしまっては酷い有様になるだろう。
彼女は兵に代えの衣類を持ってこさせ、クリスにそっと手渡す。
柔らかそうな生地だが、随分大きい白い長袖シャツと、綿のズボン。
それと大きめのタオル。
「すまない、与えられる新品となると寝巻きくらいしか無かったようだ」
申し訳無さそうに彼女は詫びた。
「いえ、ありがとうございます」
文句など、出るわけが無い。
「後で色々詳しく話を聞くことになるだろうから、それまで馬車の中だけでもゆっくり休んでおきなさい」
とても格好の良い女性だな、とクリスは思った。
伝えるべきことを伝えてきつつも心遣いを感じられる。
それでいて威厳を保つ、圧倒的なカリスマ性。
クリスは一先ず着替える為に変化を解いてヒトの形に戻った。
周囲が少しざわめいたが、鳥人の彼女が一瞥すると皆黙って元の作業に戻る。
かなり寒い中ではあるがクリスは着ていた服を全て脱いで、貰った衣服に着替えを済ませた。
その際に血を拭いたタオルに、もう白い部分はどこにも無い。
雪車のついた馬車に乗って程なくして馬が走り出す。
窓の外では、雪と、倒壊した家屋と、場違いな場所で寒そうに咲く花々と、それらが入り混じるとても歪な景色が流れ過ぎて行き……やがて真っ白な雪原へと変わった。
今までの出来事が全て嘘のように。
白く。
【第一部第五章 対峙 ~最後に笑うのは誰か~ 完】