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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第三部 第十四章
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黄昏 ~この世を治める者の運命~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)

 クリスが無自覚ながらも姉の仇を討つ少し前のこと。


 自然光の届かない部屋でその準備は整った。

 傍に立っているビフレストには分からない魔術紋様を組み合わせた陣は、神ではなく女神による理の形に近い。

 ただの人間でありながら女神の遺産の知識を独学で自身に詰め込み続けた部下と共に、精霊武器に精霊が宿る為に使われている形に改良を加えた紋様は、彼らの完全なる創作魔術。

 この方法で降ろしたならば自由にあの存在は器から抜け出せない。

 確実に定着させ、逃がさず、そして一方的なリンクを施しているこの身体でやり合う。

 器の中身は抜いたから他のビフレスト達のような不調も出ないだろう。

 無理やり押し込めるのではなく、本当に空っぽの器に入れてやるだけ。


 最後の仕上げに熊の皮の灰を対象に振り撒き、セアンスに近い儀式形態で魔術紋様を器の額に刻んでから、フィクサーは自分の両手の平にそれぞれまた別の紋様をなぞり、拝むようにその紋様を合わせた。

 冷たい床に描かれている陣が強く光りだし、卓上の光源宝石など不要になるくらい部屋を赤く照らす。

 集まり始める空気に懐古を感じる二人は、その存在を見知っているからこその体の反応であることを充分理解していた。

 彼が儀式を行っている今、遠方のとある場所でも僅かではあるが異変が起こる。

 今喚んでいる存在の、現在の器となっている少年の身体からそれが抜け出たからだ。


 来て欲しくない。

 自分で喚び降ろそうとしているにも関わらず、そんなことをほんの少しだけ思いながらフィクサーはその漆黒の瞳を細めて、やがて閉じる。

 しかし目を閉じても感覚で分かってしまう、成功したことが。

 合わせていた手の平を離しゆっくりと瞼を開くと、先程まではぴくりとも動いていなかった器が床に手をついて体を起こしているところだった。


「ソレが欲しかったんだろう?」


 自分のペースに持っていく為にフィクサーは先に声を掛ける。

 だがソイツはすぐに答えない。

 まずは器の調子を確かめているようで首を回し、肩を回し、そして、


「っ!!」


 魔力を放出したのか、器を中心に光と風が室内に巻き起こる。

 次の瞬間に、神の器の身体が金色に輝いたかと思うと、その長い花緑青の髪が一気に金色に染まり上がった。

 ちょっとだけ「あ、ビフレストのその色って自分で染めてたんだ」なんてことを考えつつ、それでも対象から目を逸らさないフィクサー。


「ご苦労様」


 ようやく神が発したその声は、間違いなく器であるエリオットのもの。

 声質は変わっていないようだがフィクサーに向き直った彼の瞳は、髪と同じ金色に変わっている。

 表情もエリオットのそれではなく、どちらかと言えば……


「お前、あのガキか」


 そう、フィクサーにはとても覚えのある無気力そうな表情。

 一番最初にこの世界の創造主と会った時は、女のビフレストに降りたのを一瞬見ただけ。

 そんなもの流石にどんな表情をしていたかなど覚えていないが、今のエリオットの作る表情はミスラと同じだとフィクサーは気付いた。

 ここ百年程度ちょっかいを出してくるあの少年のビフレスト。

 てっきりアレは単に命令を受けて動いているだけなのだと思っていたが、ずっとあの少年の中に存在していたのかと彼は驚く。


「その言い方だと少し違うが……君がどう思おうと構わない。好きに捉えるがいい」


 それだけ言って、エリオットだったものは立ち上がり周囲を見渡した。

 が、すぐに状況に気付いて眉を顰めながら次の言葉を紡ぐ。


「要求は?」


 あっさりと従おうとする神に拍子抜けしそうになるが、ここで気を抜くのはまだ早い。

 乾く口を潤すように閉じて固唾を飲んでから、強めの口調でフィクサーは答えた。


「要求自体は簡単だ、俺を元に戻せ。だが……その前に確認しておかなきゃならないことがある」

「ふむ」

「お前の目的は何だ。それ次第で俺は全てを諦める覚悟でここに居る」


 神の器となった男はその問いに微動だにしないが、代わりにフィクサーの背後で見守るビフレストがぴくりと体を震わせる。

 フィクサー達に囚われていた間、レクチェと呼ばれるビフレストにとっては随分状況が変わっていた。

 フィクサー達と出会った時からそれは動き出していたのかも知れないが、レクチェにとっても神の行動は不可解であり最終的な目的が掴めていない。

 それをまず指摘し掘り下げるフィクサーの言葉に、彼女は様々な意味で驚かされる。


「何を心配されているのか知らないが、聞きたいならば話してあげよう」


 金髪の男はトン、と片足で床を鳴らす。

 するとその直後に床が盛り上がって椅子のように形どった。

 そこに堂々と腰を下ろすその姿は、それだけでフィクサーを圧倒させてゆく。

 だが負けるものか。

 ましてや見た目はあの馬鹿男だ。

 強く握った拳から血を滲ませながらフィクサーは次の言葉を待った。


「見せたはずだから世界の材料は知っているね」

「あぁ」


 金髪の男の言葉にフィクサーは自然とそれを想起する。

 生命。

 創る世界の大きさにより材料となる命は違えど、極端な話をするなら自分の体一つで小さな世界を創ることも可能なのだ。

 無論、それをする為にはエリオットやビフレストのような特殊な魔力が必要となるが。

 これは言い換えると、命そのものが元々一つの世界であるとフィクサーは解釈している。

 この世界の基盤となっている大樹も考えてみたなら一つの命。

 自分達は大樹という世界の一部であり、それは多分……この地を創った神も同じ。

 大小の差はあるかも知れないが皆、一枚の葉に過ぎない。

 そしてその葉の一枚一枚もまた、そこには小さな生命が存在している……その小さな生命達の世界。

 彼はそう推量していた。

 フィクサーの短い相槌を受けて、また薄い唇が開かれ続きを話す。


「元々この地はざっくり言ってしまえば私が材料ありきで創ったに過ぎない。あぁ理由など聞かないでおくれ、無いからね。力があればやりたくなる、ただそれだけのことだよ」


 この存在としっかり会話するのはこれが初めてのフィクサー。

 その価値観はどちらかといえば神ではなく一線を越えてしまった科学者のようだった。

 以前エリオットが推察していた神の本質像と大体同じ印象を、今の彼は受けている。

 やはり善良とは呼べない……穏当を欠く金髪の男の中身は、フィクサーとビフレストの反応が良くないのを察するがそれは無視した。


「次に私が創りたいのは、きちんと大樹と循環する地なんだ」


 この目の前の存在と、女神の末裔の元である女神との対立は大樹絡みだ。

 もう女神という一個体は存在しないにしろ、それとは関係無しに大樹のエネルギーを磨り減らして成り立つ小さな生命達には、エネルギーの循環が成されていない以上いつかは終わりがくるだろう。

 それがどれくらい先のことか、フィクサーは知らないが。


「彼女にやられてから色々考えてみたが、やはりそれがいい。やり方次第ではこの地をも補えるかも知れない」

「じゃあ害意は、無いんだ、な?」


 ゆっくりと尋ねるフィクサーに、神は首を捻って問う。


「元よりそんなもの無い。この地は私の物なのに何故私がそれを害そうなどと思う?」


 視野の違いだった。

 レクチェも度々感じていた違和感を、今フィクサーは具体的なものとして感じ取っている。

 ――コレは、この世界に住む個人に一切の興味が無い。

 だからフィクサーがどうなろうとも知ったことでは無いし、簡単に小さな命を弄べる。

 そもそも弄んでいるつもりすら無いかも知れなかった。

 こうやって器に入っていることで一見すれば対等な存在に見えるのに、それでも見据えている次元が一つ上だから会話が噛み合いそうで噛み合わないのだ。

 この存在は次に創る世界の為にこの地が多少荒れることになろうが気にも留めないと思われる。

 そこに住む生き物の血が大量に流れることになっても最終的にこの地が存在していたならば問題では無い、と。

 だがその目的自体はそこまで悪いものでも無いようで、むしろ何千、何万、何億年という先を見越したならば必要なことにも思えた。

 止める必要は……無さそうか?

 判断に迷うフィクサーは、最後にもう一つだけ問いかける。


「もう一つ聞くが、次に創る世界の……材料は何だ」

「それを集める為にこの体の立場が一番便利だと思ったのさ」


 ずっと、何にも興味を示さないような無気力な表情を浮かべていた金髪の男の顔が、そこでふっと微笑んだ。


「『彼女』は随分ばらけてしまっているからね。集めるにしても一苦労、管理するにしても一苦労。若干減ってしまっていたりもするが、それは誤差の範囲内さ。それでも私が創ったような他の生命に比べれば『彼女』の材料としての潜在性は別格なんだ」


 神と女神との対立に置いてもやはり次元が違うものである。

 元人間如きが聞いてすんなり受け入れられるような内容では無いことに、フィクサーは目眩を覚えていた。

 それは彼の後ろで黙って聞いているレクチェも同じ。

 ようは、『彼女』……多分女神。

 この世界を作った時と同様に、またしても同族であるような存在を材料にすると言っているのだ。

 現在は既に女神という一個体では無いにしても、人間の倫理や常識、一般的な価値観からすればまるで異常者である。


「確か君は『彼女』の中でも比較的重要部分のパーツを沢山持っていたね。後日城にでも献上しておいてくれないか」

「……断ったらどうする」

「私が君の望みさえ叶えたなら、断る理由など無いだろう」


 あっさりとフィクサーの真意を洞観し、組んでいた足を組み替えながらエリオットだったものは断言した。

 どうする。

 ただ座っているだけで威圧的なものを肌で感じ取らせる目の前の金髪野郎は、同じ器にも関わらず中身が違うというだけでエリオットとは随分印象を変えている。

 少年の中に入っていた時よりもそれを強く感じるのはきっと、器もきちんと中身に対して劣らない力を備えているからだろう。

 確かに自身としては断る理由が無くなったフィクサーだが、自分の体を元に戻してもルフィーナに死ねと言われるほど嫌われては全く意味が無かった。

 後ろに居るビフレストの女にちらりと目配せして彼女の表情を読み取ることで考えを固めようとしたが、彼女としてもどちらを選ぶべきなのか悩んでいるようで難しい顔をしている。

 実際は僅かな間悩んでいただけだったにも関わらず、やはり永く感じる時間。

 それは神としても同じらしく、フィクサーの返事を待たずにもう一つ話を切り出してきた。


「ところで君はどこまで元に戻りたいんだい?」

「どこ、って」

「生じた不具合だけを治したいのか、私が以前改変させる前まで戻りたいのか、それとも元々エルフとしては異質だった体をも普通に戻したいのか。だが後者の二つを選ぶ場合は君に与えた知識も奪わなくてはいけないが……どうする?」


 どこと聞かれて焦ったが、知識を奪うと言われるとどういじられるのか想像がつかず不安が残る。

 ましてやそれをされては後々の対処に支障が出そうだ。

 すぐに、


「不具合だけでいい」


 とフィクサーは短く答え、


「なら良かった」


 やや安心した素振りを見せて頬杖をつく金髪の男。

 何が良かったのだろうか、疑問を顔に出したフィクサーに対し神は言う。


「例が無い操作だからね、抜き取るなんて作業は失敗してもおかしくない。失敗してしまったら……私はここから出る術が無くなるだけに正直そちらはやりたくなかったんだよ」


 軽く笑って言ってくれるが、フィクサーにとっては笑えない。

 しかし話の内容から察するに、知識操作的なものはやはり実際にフィクサー達が魔術で使っているもの同様に、通常よりも難易度が高いようだった。

 洗脳的な操作をされる心配もあったが、それを簡単に出来るならばビフレストの女のように自我があることも無いか。

 神がどこまでを統べているのか少しずつ把握しつつ、もう一つの切り札がまだ気付かれていないことにフィクサーはほっとする。

 肉体の一方的なリンクは、多分この言い方だと知られていない。

 なら、外部から閉じ込められているという一枚のカードだけで交渉が進んでいるというわけだ。


「何はともあれここまで動いたご褒美だ。きちんと治してあげよう。それでいいね? ……お前も」


 すっくと椅子から立ち上がり、今までずっとスルーしていた自身の駒の一つに声を掛ける創造主の目がやや細まる。

 もしフィクサーを治すと言いつつ何か危害を加えようとしたならば、現時点でレクチェはそれを阻止出来る位置にいた。

 勿論、後々のことを考えたならフィクサーに危害が及んでは困る為、レクチェは命令されずともそれをする気でいる。

 そんな彼女の意をどこまで読んでいたかは分からないが、確認するように紡がれた言葉に、レクチェもそっと返事をした。


「はい、どうかあの日の過ちを……その手で正してくださることを望みます」

「過ち、ねぇ」


 神にすらも物申すビフレストの女の信念にあるのは、あくまでも世界とその民への深い愛情。

 それは創造主であろうとも同じことで、自らの過ちに対しきちんと誠意もって対処することこそが大事であると彼女は考える。

 彼女の言葉に引っかかるような呟きを残し、それでも神にとってはやはりどうでもいいこと。

 この体を手に入れた今は、ビフレストですらも扱いはその辺りの石ころと変わりない。

 そんなものにどう思われようとも神には関係無いのだ。

 だが一つだけ訂正する。


「この過ち……私にとっては些細なミスなんだがね。それが無ければそこの彼は、この体に近い運命を辿っていたんだよ。むしろ不幸中の幸いだったと思って貰ってもいい」


 あの日、もし体に不具合が生じなければ……その後神が不具合を治して更なる改造を試みようとした時に友人の邪魔が入らなければ……フィクサーの体は、今のエリオットと同じように神の器として使われようとしていた、と。

 それはフィクサーの体が、生まれながらにしてそれなりに適合者であることを示す言葉でもあった。

 何しろ、元々彼が神の改変の被害に遭った理由は、エルフとして突然変異のその姿を、器の素質有りとして見止められたからである。


「君は、ある意味とても運が良かったんだ」


 フィクサーに近寄ってきたその存在は、これから不具合を治してやる為に彼の頬にそっと手を触れる。

 触覚が無くとも視覚だけで充分気持ち悪いシチュエーションに引きつりそうな頬の筋肉を必死に止めて、フィクサーは恐怖を押し殺しながらそれに身を委ねた。

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