ライトモチーフ ~藍に染まる願い~ Ⅲ
◇◇◇ ◇◇◇
結局、その心の内を明かすことなく死を迎えた、もう一人の異常者。
幼い頃の彼は、今のように何かに悪意を向け続けるような子供では無かった。
いわゆる「外に作られた」子ではあったが、本妻に跡継ぎが恵まれない状態だった為に風当たりも悪くなく、そもそもその辺りの事情を当時の幼い彼はよく分かっていない。
年の近かった少し生い立ちの複雑な、同じエルフである黒髪の少年と平穏な幼少時代を送り、そしてそのまま何事もなく成長する……はずだった。
けれどもその生活は、父親の正妻に一人の子が出来てしまったことで急変する。
これが男児ならばそこまでややこしくはならなかっただろう。
だが生まれてきたのは女児。
彼とその娘とどちらを跡継ぎにすべきか、里の意見は真っ二つに分かれて、彼らの住む里に根強い対立を作り出した。
その娘が物心つく頃には流石に自身の置かれた状況を把握する彼。
異母妹さえ居なければこんなくだらない争いなど起こらなかったのだ、と。
しかしその疎ましい存在は何も考えずに彼を兄と慕い着いてくる。
しかもそれを追い払おうとすると、お節介な友人が非難するものだから面倒臭い。
好きにすればいい。
彼がそう思って放っておいたら、気付けばいつも三人で居る構図が出来上がっていた。
周囲の考えや視線など関係無しに当人同士の距離は縮まり、その架け橋となっていたのは間違いなくその友人だったのだろう。
そのままそれが続けばどんなに良かったか。
感傷に浸るなど自分には似合わない。
だから誰にも言わず、彼は独りで想うだけにしていた。
――その、叶わない願いの一つを。
身長もそれ以上伸びなくなり自他共に成人だと判断されるようになった頃、彼がそれまで見て見ぬ振りしていた問題が再度大きく浮かび上がる。
彼と異母妹の父親はその里の長であり、いずれはどちらかが後を継がねばならないのだ。
彼はそんなものに興味など無かったが、彼の母はそうでは無かった。
正妻とその娘に敵意を剥き出しにしては彼を跡継ぎに推す。
更に鬱陶しいことに、彼の類い稀なる才故、母親に同意する者が多かった為、彼の異母妹と、父の正妻の立場の無いことといったら無いだろう。
そこへ重なるように舞い込む人間関係の面倒臭さ。
薄々気付いてはいたが彼の友人はその異母妹にいつからか好意を寄せており、告白したはいいがバッサリと「異性として見られないの」と振られたと嘆いている。
男として見られていないことなどすぐ分かるのによくも告白出来たものだ、と彼は内心思うだけでなくきっぱり友人に言ってやった。
しかし何故だろうか。
落ち込む友人を見ている自分はどうもほっとして落ち着いている。
その理由は考えればすぐに分かり、気付いてしまった事実は彼を自己嫌悪させ、自覚するに堪えない感情が最終的に彼を外の世界へと送り出すこととなった。
自分がこの場から去れば跡継ぎの問題も同時に解消されるだろう。
彼は縋るように止める母親を冷たく一瞥してから里を去る。
が……何を思ったか友人までもが彼の旅立ちに着いてきた。
傷心中だった友人はどうやら異性よりも同性の友を選んだらしい。
彼は、コイツ本当に馬鹿だなと思い、それもきっぱり口に出す。
それでも何だかんだと理由をつけて着いてくるその友人と、それから本当にずっと共に歩くことになろうとは……彼はその時は夢にも思っていなかった。
その後生活の拠点を得て、任務の最中でビフレストと接触し、そこから悲劇は始まる。
二人の体はエルフでもヒトでも無いよく分からないモノへと変えられ、友人に至っては何を触っても感覚が無い、と自身の異常に震えていた。
自分にも何か異常が出ていないかと彼は確認したが特に見つからず、災難ではあったがまだ運が良かったほうなのかと正直安堵する。
身体の異常に未だついていけていない友人を宥めながら、あの里を自分が出て来てしまったからこんな目に遭わせてしまった。
そう思った時だった。
彼の中で一瞬にして黒いものが噴き出す。
大体において、里を出る原因になった連中が悪いのではないか。
そう考え始めたらもう止まらなかった。
両親も、対立に油を注いでいた連中も、全て許せない。
そして里を出ようと最初に思わせた自己嫌悪のきっかけも。
腹に渦巻くそれらをどうにか抑えていた彼だったが、友人のとある願いを聞いた時ついにその悪意を出してしまう。
「いいですよ、手伝いましょう。代わりに……私のも手伝って貰えますか?」
一度出したものはもう引っ込められず、溢れ出す藍の言の葉は彼の足元をみるみるうちにその色で染めていったのだった。
彼は知らなかった。
――それこそが自身の異常であることを。
元々小さくとも存在していた感情故に分かり難い変化。
本人ですら気付かないのだ、身近に居た友人でも「凄く鬱憤がたまっていたのだろう」と思うくらいのもの。
ただ敢えて言うならば異母妹に対する行動だけは異常と呼べるほど逆転していた。
だからこそその変化を、彼女だけはどこかでおかしいと感じていたのである。
そして、その部分をほとんど見ていない友人はずっと傍に居ても気付けなかった。
もしこの三人のうち誰か一人でも、改変による不具合によって彼の心が壊れていると気付いたなら、流れは変わっていただろう。
それほどに彼のその後の行動は、様々な被害をもたらしている。
里を半壊させ恨みの種を残し、殺しそびれた異母妹を友人の計画に巻き込み、湧き出す悪意や害意のままに他人の血で手を染める日々。
気付けば彼は、これが自分なのだ、と自然と受け入れるようになっていた。
力を得たことで箍が外れただけ、そう結論づける。
一度は両親達への復讐を成し遂げたことでおさまっていた彼の中の悪意だが、別に彼の異常が治ったわけでは無い。
またそれが噴き出すのは時間の問題だった。
今はまだいいが、友人の異常が治って「日常」に戻った時には、二人まとめて八つ裂きにしてしまいそうだ。
何故ならこの一件が終わって戻る「日常」とは、利害が絡む今の事務的な関係ではなく、彼が苦悩する、里から逃げ出したかったほどの「過去の関係」に戻ること。
本当に戻りたい関係にはもう戻れないのに、どうしてまたあの頃に……虫唾が走るような関係に戻らなくてはいけないのか。
異常が治り幸せに暮らす友人も、この一件が終わることで解放されてしまう異母妹も、見たくない。
自分だけがその関係を不快に思っていること自体が、もう嫌だ。
一人でそんなことを考えては笑いが止まらない彼は、既に完全にその悪意に喰われているよう。
友人の目的を手伝っているにも関わらず、それが叶わなければいいと彼は思う。
しかしどんなに異常によって悪意が膨れ上がろうとも他の感情が消えているわけでは無い。
大半の悪意は、彼が本来持っていた理性によって抑えられていた。
それどころか彼はそんな醜い自分に嫌悪までして、それによって自身にも悪意を向けてしまう。
消えて欲しい者がまた増えた。
結局何がしたいのか、自分自身でも分かるようで分からない。
ただ言えることは、本来の願いとは全く重ならない望みが自分の中に存在しているということ。
己の中の矛盾を自身で飲み込むことの出来なかった彼が最終的に選んだのは、流れに任せることであった。
悩むということはどちらに転がってもいいのだろう、彼はそう考える。
自分が死ぬか、異母妹と友人が死ぬか。
どちらでもきっと自分は楽になれる。
普通に考えたならそれで楽になれるはずなど無いのに、長い間常に渦巻く悪意による不快感で彼はもう色々なものが磨り減っていた。
でもあの友人のことだ。
自身が死ぬよりもそれを見届けさせるほうが堪えるだろう。
ならば友人は生かしておこう。
憎い異母妹を殺してから自分も死ぬ、しかしそこまで考えたところでそれは流石に無駄だと気付く。
どちらが死んでも同じ解放には変わり無いが、片方だけ死んでも解放されるのだからわざわざ二人で死ぬ必要も無い。
そして、異母妹も憎いが、そんな醜い自分も憎い。
ではどちらを殺そうか。
自殺を選べなかった彼は、もし自分が殺されればそれでよし……
死ななければ異母妹を殺し、希望を得た直後の友人に絶望を与えてやる、と自分勝手に決める。
だが、普通に考えたなら自分が殺されることなど滅多に無い、と彼は思った。
女神の末裔ですら始末してきたにも関わらず、あと他の誰が自分を殺せるというのだ。
結論としては、もはや自分の片割れとなっているあの友人しか居なかった。
とはいえ友人が自分を殺そうとするとは到底思えない。
友人の目的の達成が近づいてきて、少しは彼の逆鱗に触れるようなことをしてみたが鈍く甘い友人相手にはそれも無駄。
そんなところに目に留まったのがあの最後の女神の末裔だったのである。
元々、何も考えずに正しいと思ったことを押し付けるあの子供はいけ好かなかったが、大切な者を傷つけてやった時に見せたその異常なまでの負の感情に、彼は嫌いだったにも関わらずある意味惚れ込んだのだろう。
自分の悪意に通じるものを持ち合わせている、と。
それからは煽りに煽ってやった。
面白いくらいに黒く染まってゆく幼き者を見るのは、自分がもう一人居るようで心地良い。
しかしあの通り。
何故か急に腑抜けていたその少女に苛立ち、当初の予定通り異母妹を殺すことで己の中に巣食う悪意から解放されようとした。
異母妹を殺したところで、異常のある彼はまた新たな悪意の対象が芽生えるだけだというのに。
けれどそれは予定外の流れで終わる。
片方などと言わず、あの子供は両方を手にかけた。
異母妹に手を出されたのを見て気を取られた瞬間に刺されるという、皮肉な結末。
あぁやはり見立て違いではなかったらしい。
その中に自分以上の黒い感情を見出した彼は、満足して逝く。
――憎くて憎くて堪らない程、焦がされた胸の内。
その苦痛は、彼らの関係では永遠に解き放たれることの無いもの。
相手が居る限り、心を殺し続けなくてはいけない。
そんな想いを喩えた花言葉の通りに、本当に最後の瞬間まで彼女の存在によって命を絶たれることになるとは思っていなかったが……
彼はきっと心の奥底で分かっていたのだろう。
自分の死を惜しまないことこそが、最良だったのだ、と。
◇◇◇ ◇◇◇
ふっとルフィーナが目を覚ましたのはあれからさほど時間も経っていない時。
急に現れては壮絶な蹴りを放ってきた精霊のその一撃だけで意識はすぐに飛び、その後何が起こったのかルフィーナには分からなかった。
赤い瞳のエルフは立ち上がり、周囲を改めて確認した。
自分の足元は随分血で染まっており、そこら中が崩れて瓦礫の山となっている。
といってもその瓦礫の半分くらいは異母兄から逃げる為に自分が壊した物なのだが。
次に見渡した先は、自分が意識を失う前にクリスとセオリーが居た場所。
そこにあったものを……全てがおしまいになってしまうのだ、と彼女は茫然として見つめる。
あの日、あの時から憎しみの対象となっていたその存在の死を、ルフィーナは確かに望んでいた。
けれどもあの状況ではその憎しみを優先など出来るわけが無い。
クリスとセオリーと、二人を足止めすることが最善だったはずなのに、その結果は何故か最悪なものになっている。
自分が意識を失った後、二人はどうしてこうなったのか。
そう簡単にやられるわけが無いだろう、この異母兄が。
重傷を負った異母妹に気を取られたからなどという、彼女自身にとっては全く想像のつかないことに頭を悩まされ、その場でただ一人項垂れた。
隙間風が甲高い音をたてて彼女の朝焼け色の髪を撫で、虚しさを更に掻き立ててゆく。
感極まって溢れてくる涙は何を想って出てきているのか、それすらももうルフィーナには分からない。
心当たりが……沢山ありすぎて。
もはや自分に出来ることは何も無いだろう。
せめてその死に顔を見て嘲笑ってやろうと無残に転がっている異母兄に近寄ってみた。
どんな悔しそうな表情で死んでいるのかと思いきや、その顔はいつも通りの、クリスに言わせれば『ムカつく笑顔』。
ようやく異常から解放された男は、気持ちだけは安らかに逝っていた。
「最っ低」
ソレを見下ろしながら低く呟かれる一言。
自分はこんなものを見る為にここまで生きてきたのでは無い。
自分の全てを奪った男の悶え苦しむ様を見るまでは死ねない、とそれだけを支えに生きてきたのに一生叶わぬものとなってしまった。
一体これから何を支えに生きてゆけばいいのか。
砕け散った心の中の柱と同じようにルフィーナの足は折れて膝をつく。
ビフレストの女が皆の怨みつらみ憎しみの感情を、悲しみ危惧していた結果の一つがそこにあった。
負の感情による支えは、終わった時、見失った時、その者の生きる気力までもを奪ってしまう。
……何故なら、後に何も残ることの無い目標だからだ。
「そういえばね」
ふっと、空っぽになったルフィーナの思考の隅に残っていた一つの疑問が彼女に口を開かせる。
「アレ、本気なのか冗談なのか判別付け辛かったわ」
既に聞こえているはずの無い相手に語りかけている彼女の姿はとても滑稽で、そして常人にとっては恐怖を感じさせるものだろう。
心が病んでいるのかも知れない、そう周囲に思わせる不安定さ。
ただ、今は彼女の周囲にはそれを判断する者は存在しない。
大きな血溜まりへ下半身をぺたりとつけて、汚れ、二人の瞳と同じ緋色に染まり濡れるのも構わずに、その場から動く様子の無くなったルフィーナはまた独り言を続けた。
「今までで一番笑えなかったけれど、冗談でいいかしら?」
笑えないと言いつつ、彼女はそれを考えて笑う。
ルフィーナの思考の中にあるのは以前渡された花束が示す言葉。
「そうでないと……すっごい馬鹿だもの」
もうその瞳は彼の顔など見ていない。
瞼を開いてはいるが全く合っていない焦点は、現実を映すのではなく過去を遡っていた。
エルフにとってもかなり昔と感じられるくらいの過去を。
あの時渡された花束で、悪意を示す毒花以外のものは全部で三つ。
一つは赤く小さな蕾がいくつもの房となっている花。
次に雄しべの先が糸のように見える、チューリップが丸くなったような紫の花。
最後に花序が刀の鞘に似ているカラフルな葉。
これらが示していたのは、
「秘めた恋」「愛したことを後悔する」「かなわぬ恋」
どれも早い話が悲恋なのだ。
全てが締め括られる直前にあの花束を渡したのは、どういった感情からくるものだったのか。
何にしても当人はもう口を開くことは無い。
生きていても、彼は口を閉ざすだろう。
だが、ルフィーナからすれば、最後の一つだけ間違っている。
「……叶わないことも無かったからねぇ」
少なくとも、里が半壊したあの日までは。
里を出て行ってしまった兄を誰よりも嘆いたのは、間違いなく自分だ。
身に流れる血を呪ったのは、異母兄だけでは無かった。
もうこれから先はどうなるか分からない。
封印する術が無くなってしまった創造主が何をするか、また、あの女神の末裔によって世界自体が終焉を迎えてもおかしくなかった。
自分がクリスと敵対することで、最後の糸を切ってしまったような、ルフィーナにはそんな気がしてならないのである。
クリスが何故か持っていたあの長剣の精霊武器は、フィクサーを含む自分達が集めることの出来なかった最後の一本。
本人は槍がお気に入りのようだったが、あの剣は女神の意を真に受け継ぐ力を秘める、この世界の脅威なのだから。
「あの子は、どう終わらせるのかしら」
死んだ異母兄に問いかけるように言葉を投げかける。
返答は勿論返って来ないが、
「どうなったとしても、愉快なんでしょう? 兄さん」
生きていたならばその悲惨な状況を面白がるのが目に見えていた。
最後に兄と呼ぶことで決別を示し、ルフィーナは立ち上がる。
彼女の魔力は男の体をみるみるうちに凍らせて、次に転がっていたロッドを拾う。
ルフィーナはそれを持って先程凍らせた男の傍へ寄りそのロッドを振り上げて、勢いよく叩きつけるように何度も、何度も、下ろす。
砕けたのを確認してから次に彼女の手から溢れるのは炎。
氷片を全てその業火で燃やし尽くし、復讐を完了させる。
そう、これらの流れは以前この異母兄が両親達を殺した手法と全く同じものなのだ。
凍らせ、砕き、燃やし尽くす。
その炎に全てが狂ったあの日を重ねて、そしてあの日以前の気持ちも一緒に燃えてしまえばいい。
そんなことを思いながらぼんやりと揺らめく紅に顔を照らさせていた。
しかし残酷な現実は彼女の願いを叶えなどはしない。
やがて燃える物が無くなるが、それでもルフィーナはそこから動かなかった。
いや、動けなかった。
何故なら物は燃えども心まで燃やし尽くすことなど出来なかったから。
体も心も、そこから一歩も進めなくなってしまった彼女は遠い目をしてその先を見据える。
「あたしも馬鹿ね……」
一瞬過ぎった負の感情を振り切るようにその首を横に揺らし、それをしては悲しむ者がまだ生きている、と自身に言い聞かせた。
大変可哀想なことにその時思い浮かべられたのは黒髪の幼馴染ではなく、金髪のビフレストの女なのだが。
どこに居るのかは分からないがこれだけ探していないのだから、とルフィーナはクリスのようにセオリーから聞かずとも、レクチェの居場所の予想はついていた。
その無事だけを祈って今はもう少し、生きる気力を振り絞る。
【第三部第十三章 ライトモチーフ ~藍に染まる願い~ 完】
章末 オマケイラスト↓
四コマだと台無しになるので「本当に戻りたい関係」を描いてみました。
クラッサの時も四コマじゃなくて絵にしておけば良かったですね……
思いつくのが遅すぎた。
というわけでセオリー(本名スクイル)さんが退場となりました。
酷い男だった彼ですがルフィーナ視点の地の文であったように
昔は悪い人じゃなくて、むしろ彼の異常を考えたならよく耐えていたほうだったりします。
彼の異常には元ネタとなる悪魔が居まして、その悪魔の異名が第十二章の章題「不和の侯爵」。
司るのは悪意、害意、嫉妬、作中ではこれらの際にだけ感情を極端にさせ、
他のシーンではただの面白い奴(?)のつもりで書いてあります。
なお彼の本名は、北欧神話上で
ユング(フィクサー)の幼馴染であり召使の人名を軽くもじったものです。
何で普段ほとんど書かない後書きで裏設定を書いてるのかって? ……愛です。




