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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第一部 第五章
12/138

対峙 ~最後に笑うのは誰か~ Ⅱ

 その先はエリオットが案内して無事に一つ目の村跡まで辿り着いた。

 大型竜が通ったような、と言う表現は聞いていたが確かにそう言われたら信じるくらいの凄惨な状態であった。

 大きな爪で切り裂かれたような家屋は、もはや人が住めるようなものではなく、雪が降りしきる中を軍人達が黙々と作業にあたっている。

 大半の遺体は既に回収した後なのだろう、表にそれは見当たらない。

 多分今は崩れた家屋の中を探していると言ったところか。

 生存者が居なくては何が起こったのか把握すら出来ないのだから。


「俺は外で待ってる、特に情報がなければここに長居は無用だ」


 そう言ってエリオットは近くの針葉樹に寄りかかる。


「エリオットさんは来ないの?」

「面倒臭い」


 レクチェの質問にぶっきらぼうに返答して懐から取り出したのは一枚の緑色の、おそらく茶葉。

 眠気覚ましに使われるその葉を美味しくも無さそうに咥えて噛んで、右手をひらひらとさせた。

 さっさと行け、と言うように。

 無論、エリオットは本当は面倒臭いのではなく、軍関係者の居る場所には入りたくても入れないのだろう。


「じゃ行きましょうか」


 ルフィーナが促すとクリスとレクチェはそれにゆっくり着いて行く。

 すると、クリス達が村跡に入ってきた事に気付いた軍人の一人が駆け足で近づいてきた。

 下に軍服を着ているとは思うが、茶色い防寒着が着込まれていてその詳細は分からない。

 硬そうな黒いブーツだけは、一般人のものと見比べて違和感を放つ質感だ。

 黒い帽子の下に短い赤髪が見えるその男性は、太い眉の尻を釣り上げて声をあげた。


「ここでは旅人に渡せる物資は無いぞ!」


 どうやら色々と勘違いされているようで、ルフィーナが丁寧に会話をすすめる。

 後ろで聞いているとこの村が壊滅したのは一週間以上前で、クリス達が知りたいローズの行方など知るはずもなく、彼らは原因も分からぬこの大災害を竜巻か竜の仕業として断定する直前のようだった——




 さて、時は数分遡り、クリス達が村に入って行った直後のこと。


「居るんだろ?」


 緑の髪と毛皮のコートにほんのりと牡丹雪を積もらせ、エリオットは咥えていた葉を吐き捨て呟く。

 その言葉に応える声は、彼の頭上から聞こえた。


「見つかっちゃいましたか、いつ気付いたッスか?」

「駅からずっと」


 音もなく木の上から降りてきたのは、腰まで届く長い茶髪をうなじで結わえた青年。

 全身を軽そうな白い装束で包み、耳のあたりには小さく名残羽が生えている。

 名残羽は空を飛べない鳥人の特徴。

 だがその身のこなしは飛べずとも羽のように軽い。

 愛嬌のある三白眼で、体格は同じくらいの身長のエリオットと比べてがっしりしていて屈強そうに見えるものの、その声は背丈の割には明るく甲高い。


「大丈夫ッスよ。見かけたから列車を降りて着いて来ただけで、自分の目的は貴方では無いッスから!」

「相変わらず適当だな……今回は何を?」


 のほほんと話す鳥人の青年に、今度はエリオットから問いかける。


「いやー、この壊滅事件の被害の検証結果がちょっと変ってことで、詳しく調べることになったんスよー」

「どう、変なんだ?」


 エリオットは顔色を変えずに質問を続けた。

 なるべく、動揺を悟られないように。


「んー、死体の腐敗の進行度が異常とか、よくわかんないッスけどね! とにかく各地の隊長サン達に手紙渡さないと……って!!」


 それを聞くなりエリオットは、陽気に話す鳥人の服に手を突っ込んで掻き回していた。


「手紙をよこせ!!」


 そしてこの寒空の中、彼の身ぐるみを剥がそうとする。

 慣れた強姦さながらの手さばきで、脱がせるのが難しそうな着衣をあっさりと解き、あっという間に彼のその下の生肌を露にさせた。


「ななな何を!?」

「どこに手紙を隠してやがるんだ!」

「教えたら取られちゃうんっしょ!? 教えるわけないッスよ!!」


 恥ずかしさというよりは寒さの為、両手で頑張って露出した肌を隠そうとするが無駄というもの。

 半泣きの鳥人は予想外の出来事にうろたえる。


「上半身に無いってことは、下か……気は進まないが……」


 彼の下半身にまで手を伸ばすエリオット。


「やっ、やめてください王子……」


 木の幹を背に押し寄られてその三白眼は潤み、エリオットが最後の砦を破ろうとしたその時、


「もう誰でもいいんですね、貴方って人は」


 クリス達は、先程の『ローズがここを襲ったのは一週間も前』という小さな情報だけ仕入れてガッカリしながら村の入り口に戻ってきたところだった。

 だけど、そこで待っていたのはエリオットが男の服を脱がしてその下半身に手を伸ばしている、という見るに堪えない構図。

 クリスのげんなりとした呟きに、エリオットはまたしてもお決まりの台詞を吐く。


「ちょ、これにはワケがっ!」

「どんなワケがあったら……」


 勿論怒ろうとしたクリスだったが、今回はそれを遮る手があった。

 ルフィーナだ。

 彼女はクリスを制し、目を凝らしてそちらを見る。


「色は白いけど造りは……隠密部隊の服ね?」

「ううっ」


 半裸にされていた鳥人が、泣きそうな声で呻く。


「情報を持ってそうだから取り調べてた、ってところかしら」


 ルフィーナの助け舟にエリオットがすばやく答えた。


「こいつ手紙持ってるみたいなんだ、一緒に探してくれ」

「あら、あたしがソコ脱がしちゃっていいの?」


 彼女は何だか嬉しそうな顔でエリオットに近づいて行く。


「いいなぁ、何だか楽しそう」


 レクチェが一瞬耳を疑うような言葉を口にして、じーっとその様子を羨ましそうな目で眺めている。


「手紙とやらはあちらのお二方に任せて、私達はご飯でも食べましょうか」


 屋根を借りたいところだが村の家屋は全壊しているので、エリオット達が何やかんやしている木の裏側へ行き、ほとんど雪避けにはならない木の下で食事を取り出した。

 徒歩による旅では食事はこれで精一杯。

 少しの焼き菓子を二人で分け合って、その喧騒が止むのを待つ。


「ずっと気になってたんだけど」


 食事も終わり、暇になったレクチェがふと話を切り出す。

 クリスは相槌は打たずに視線だけ彼女に向けて続きを待った。


「お姉さんって、どんな人なのっ?」

「え?」

「クリスさんもエリオットさんも、何となく、その人のことが凄く好きなのは伝わってくるから。でもクリスさんとエリオットさんって性格が随分違うのに、そんな二人に好かれるような人って、どんな人なのか気になってたんだ」


 確かに、どちらかと言えば真面目なクリスと、不真面目なエリオット……その両方に好かれるような人柄だなんて、なかなか想像出来るものでは無いだろう。

 どちらか一方に好かれた際、もう片方とはそりが合わない可能性のほうが高い。

 レクチェの疑問になるほどと思いつつ、クリスはその疑問に答えられない理由を述べた。


「……私は、近年の姉のことは全く知らないんです」

「一緒に暮らしてたわけじゃないんだ?」

「私達は孤児で、姉だけ引き取り手が見つかったもので。その後の姉がどう生活し、育って、あのような変態と知り合ったのか……全く分かりません」

「ううっ、そうだね、想像したくもないね、その辺り」


 自身の胸ばかりに視線を向けられている身として、強く嘆息するレクチェ。

 ただクリスとしては、胸に釣られているだけならば、姉にあそこまで執着しないのでは、と思っていた。

 クリスはまだ、エリオットとローズの間にあるものを、何一つ知らない。

 だから、その点については答えられない。

 けれど、今の姉がどうであれ、クリスには溢れんばかりの愛情が彼女から与えられていたのだ。


「エリオットさんとのことはよく分かりません。でも、少なくとも私が知っている姉は、とても優しい人でした。いえ、どちらかと言えば私にだけ優しい人でした」

「クリスさんがお姉さんを好きなように、お姉さんもクリスさんが大好きだったのかな」

「そうだと思います。私はいつも姉に守られ、助けられ、姉が居なければ何も出来ないような子供でした」

「……今は、違うよね?」

「姉が引き取られたことで、否が応にも自立する必要が出来ましたから」


 そう言って、クリスはその時のことを思い浮かべた。

 自分を悲しませまいとしてか変わらぬ笑顔で去る姉と、ただ見送ることしか出来なかった不甲斐無い自分を。

 今でも鮮明に覚えている。

 もしあの時自分が足手まといでなければ、姉は引き取られる必要も無く、二人で平穏に暮らせていたかも知れないのに。

 そして、引き取られた先で幸せな日々が待っていたのならば、絶対に姉は盗賊になど成り下がってはいなかったはずだ、とクリスは思う。

 あの別れはとても悲痛な、人生の分岐点だった、と。

 でも、


「そっか。別れは悲しかったけれど、クリスさんが成長する良いきっかけになってるんだね」


 レクチェはその分岐を肯定した。


「私も、記憶が無くて、凄く不安な時があるの。でもねっ、記憶があるままだったら、皆とは出会ってないんだよ」

「ま、まぁそうですけれど」

「それに、お姉さんがクリスさんと離れて、エリオットさんと出会ったから、今クリスさんとエリオットさんは一緒に居るんだよね?」

「そう、なりますけれど」

「二人が出会ってなければ、私は助けて貰えないままだったかも知れないんだよっ」


 クリスとローズが離れたことは、結果としてクリスの成長を促し、そしてレクチェをも救うきっかけを作ったのだ、と言っているのだ。


「私、お姉さんにもお礼を言わなきゃいけないな。絶対……助けなきゃね!」


 クリスの辛い過去を、辛いだけでは無い過去に昇華させて、彼女は笑った。




 ——結局手紙は、靴の中に入っていたらしい。


「ふぅん、流石にきちんと調べれば竜なんかの仕業じゃないって分かっちゃってるみたいね」


 泣きながら服を着直す青年をスルーして、ルフィーナは手紙を引き続き黙読する。

 軍隊長達にあてられた手紙の一つはビリビリと開封されてしまい、もはや渡すに渡せないことになっていた。


「機密文書を開封なんてされて……俺一体どんな処分を受けるんスか……」


 括られていた長い茶髪は脱がされた時に揉み合ったせいで随分と乱れている。

 服を着終えると彼はその乱れた髪を縛り直し、キッとエリオットを睨んだ。


「何てことしてくれたんスか! まさか王子は敵ッスか!?」

「いや違うけど、まぁなんだ、すまなかった」


 彼はエリオットを王子と呼んでいる。

 軍の遠征部隊に手紙を届けようとしていたくらいだ。

 城での繋がりか、更に交わす言葉の雰囲気からしてきっと顔馴染みなのだろう。


「王子様?」


 レクチェが少し前のクリスと同じような反応を示している。

 無理も無い。


「そうッスよお嬢さん、この御方はエルヴァンの第三王子ッス!」


 丁寧に説明する鳥人の青年は何故か誇らしそうだった。

 あんな目に遭っていても敬う対象なのか、軍部の人間というものは大変だ。

 レクチェはそれを聞いて少し驚いた素振りを見せたが、それでおしまい。

 エリオットの顔をもう一度見てからこう言う。


「三番目くらいだとこんなに育ちが悪くなっちゃうんだねー」

「レクチェに言われると傷つくなぁ……」


 心底素直に出た言葉に聞こえただけに、少しではあるがエリオットに同情したクリス。

 しかしそこへ思いがけない言葉が、被害者である鳥人から発せられる。


「とんでもない!! こちらの王子は素晴らしい方なんッスからね、第一王子や第二王子なんてもう比べ物になりません」

「む、はははもっと褒めろ」


 上の王子は更に酷いというのか。

 この国の将来が心配になる言葉だった。そこへ、


「ねぇ」


 と、手紙を読み終えたルフィーナがその会話に急に口を挟んでくる。

 その表情は、険しい。


「最後のほうに、一旦撤収して早急に王都に戻れって指示があるわよ?」

「えっ」


 それを聞いた鳥人の元々小さい瞳孔が更に小さくなる。

 ルフィーナは首を少し傾げながら話し続けた。


「多分……死体の状況から生存者が見込めないものと判断されたんでしょうねぇ。急いで届けないと不味くないかしら」

「あわわわわわ」

「破ってしまった手紙は私がこの村の隊長に渡しておくから、さっさと次のところ行きなさいな」


 返事をすることもなく、彼はすぐ様この場を跳び立った。

 羽でぱたぱた飛んだのではない。

 羽のようにふわりとジャンプして跳んだのだ。

 一瞬で見えなくなった彼に呆気に取られていると、エリオットが少しだけ彼のことを教えてくれた。


「あいつの姉ちゃん、美人なんだぜ」

「どうでもいい情報をありがとうございます」


 しばらく呆れ、そして、怒っていた気持ちもどこかへ消えたところへ、手紙を渡しに行っていたらしいルフィーナが村の中から出てきた。


「さ、行くわよー」

「はーい」


 あまり休めていないにも関わらず呼び声のほうへ元気よく駆けていくレクチェ。

 それを見て苦笑しながら、クリスとエリオットも駆け寄った。

 ……だがその瞬間、ルフィーナの背後から爆音が鳴り響く。


「何!?」


 背後の音に驚いて振り向く彼女とクリス達が見たものは、白い雪を掻き消すような黒煙。

 その下で何があったかはここから見えないが、とにかく何かが村の中で起きているのだ。

 クリスは背にあった槍を右手に構えて、村の中に急いで向かった。

 この村は特に大きいわけではない。

 爆煙が見える方角へ走るとすぐに村の中央が見えてきた。


 慌てふためく兵達の中、一際大きな声での指示が聞こえる。

 その声の方角へ目を向けるとエリオットが普段使っているようなハンディタイプではない大型の魔術銃器を肩に構えた数人の兵士達と、指揮官らしき風貌の男が居た。

 指揮官の指示通りに部下達は次々と銃器に火を噴かせているものの、状況は好転しない。

 焦りからか部下を叱咤しようとまた口を開いた指揮官らしき男は、その言葉を最後まで発する事は無く絶命する。

 シュッ!! と空気を斬るような音と共に、彼の体と地面は縦に一刀両断されたのだ。


 何が起こったかも分からない。

 二本の足で立つことも出来なくなった上司が倒れたと同時に、糸が切れたように兵達が悲鳴をあげて逃げ出す。

 が、


『……逃がすわけないよね……』


 今のこの騒動では誰が言ったかも不明だが、ただ女性の声であるとだけは判別できた。

 その声がしたと思った途端、クリス達のほうへ逃げてきた兵達の体が、上半身と下半身に分割される。

 これも何が起こったのか分からない。

 まるで彼らは壊れた人形のように崩れ落ち、動かない。

 辺りは自然のものではない暴風が吹き荒れ、建物はただ次々に再度破壊されていく。

 悪夢でも見ているかのような惨劇に気をとられていると、エリオットがその土煙の先へ進んでいくのが見えてクリスは我に返った。


「え、エリオットさん……これは!?」

「ボーっとしていないで、レクチェをお願い」


 ルフィーナがクリスに、放心状態になっているレクチェを引っ張って渡してくる。

 セオリーと戦った時とは違い、多数の死体はどれも肉が爛れ始めていてとてもじゃないが彼女に見せられるようなものではかった。

 目を背けたくなるような酷い有様。

 レクチェは肩と手が小刻みに震えていて、これでは連れて歩くことも儘ならない。


「大丈夫ですか、動けますか?」


 焦りを抑えてその手を握りしめ、レクチェに問いかける。

 返答次第ではエリオット達を追いかけることも出来ない。

 そう思ったのだが、その返答は予測していたどれとも違うものだった。


「私……これ、止めないと……」

「えっ?」


 彼女の視点は既にクリスと合っていない。

 その途端、彼女への嫌悪感のようなものが今までにないくらいのクリスの中で急増し、更に握っていた手が熱くなり思わず振りほどいてしまう。


「……っ!!」


 ――いますぐ、そのほそいくびを、しめてやりたい。


 今自分は何を思った?

 クリスは自分の中に芽生えた今までに無い殺意に、動揺する。

 そんなことを考えるものでもないし、そもそもそんな場合でもない。

 先程まで彼女の手を握っていた自分の手の不快感がたまらなく、ふとその手を見ると少し手のひらが赤くなっているような気がした。

 それは火傷のよう。

 不思議に思って再度レクチェに視線を移すと、彼女の足元がぼんやり金色に光っていた。

 その光は彼女を中心に少しずつ、地面を伝うように広がっていく。


 この光は、嫌だ。


 何となくそう感じて、広がる光を避けるようにクリスは後じさる。

 そしてその、クリスにとって不快な光は、目の前で奇跡のような光景を描き出し始めていた。


「嘘でしょう……」


 光り始めた地面からは、目に見える速さで草花が芽生え始めているのだ。

 御伽噺のように、彼女を中心に花が咲き乱れ始める。

 この寒い地で、雪も風も無いかのように場違いな春の花が。

 その光は無残に取り残された遺体にも帯び、その遺体をも草花で飾ってゆく。

 腐り爛れた死肉の面影は無くなり、遺体には柔らかい苔が生え揃う。

 村の中央広場はもはや全て草花で埋め尽くされた。

 瓦礫にまでも蔦が捲かれ、レクチェの周囲は数十年経った廃墟のようになる。


 ……長い年月をかけて行われる自然による再生が、今の一瞬でこの地に成されたのだ。

 その光景は、彼女が只ならぬ存在であることを証明している。

 彼女は自分の周囲を綺麗な草原へと変えると、まだ虚ろな目でこちらに振り返った。

 その視線に不安を感じながらもクリスは彼女に声をかける。


「れ、レクチェさん……?」


 名前を呼び、彼女はクリスと目が合っている。

 にも関わらず通じている気がしない。

 この時クリスは彼女にいつもの悪意だけではないものを感じていた。

 そう、この感情は恐怖だ。

 目を合わせているだけなのに少しずつ彼女から距離を取ってしまう。

 何の武器も持たぬ彼女を、本能的に恐れている。

 それに気付いて、愕然とする。


「……、……」

「え?」


 レクチェが何かを呟き、クリスへ足を向けたその時だった。

 歩いてくるレクチェの背後、つまりエリオットとルフィーナが走っていった方角から目映い光が走った。

 それを見てクリスは我に返る。


「こ、こんなことしている場合じゃないですね……!!」


 正気には見えないレクチェだったが、今はそれどころではない。

 勇気を振り絞ってレクチェの放つ光の地面に足を踏み入れると、その瞬間自分の体の中に異物のようなものが走り抜ける感触がして先に進むのを躊躇させられた。

 それでもクリスは気合でそれを堪えて次の一歩を踏み出し、レクチェまで駆け寄る。


「とりあえず皆さんの元まで急ぎましょう!」


 彼女の手を取ってクリスは走った。

 いつもは普通に握っていたその手が今は焼けるように熱くて、すぐにでも離したい……だが堪える。

 レクチェはまだどこか遠いところを見ているような目だったが、クリスに引かれて素直に着いて来ていた。


「私も貴女も、一体何なのでしょうね……」


 聞いているかいないか分からない彼女に、独白にも似た言葉を投げかける。

 返答は無かった。

 ただ彼女が走れば走るほど、周囲の家屋の崩壊跡はみるみるうちに自然へと還っていく。

 彼女を中心に草は茂り花は咲き乱れ、その彼女を引いている自分がこの現象を創り出しているような錯覚に陥った。

 先に進んで行った二人に合流するのは走って一分もせず、クリスは二人の後ろ姿を確認してほっとする。


「よかった……」


 しかし安堵と共に右手の痛みに気がついた。

 レクチェの手を繋ぎ引いていた手を慌てて離すと、手の平は火傷のように真っ赤になり皮がめくれているではないか。


「本当にもう、何が何だか……」


 湧く疑問はそこまで。

 それよりも状況把握だ、とクリスは思考を切り替える。

 ルフィーナはロッドを地に突いたまま、微動だにしていない。

 彼女の視線の先には光の柱。

 そしてその中央には、


「……姉さん」


 予想していたとはいえ、実際に姉の姿をこの目で見て、息が詰まりそうになる。

 ローズはその光の柱の中央で、ただ佇んでいた。

 黒く短いワンピースとタイツに白いエプロンを着け、襟には赤くて短いタイ。

 エアリーなショートボブの水色の髪には、白いフリルのヘッドドレスが飾られている。

 そして右手にはその衣装に似つかわしくない、大きくゴツゴツとした大剣。

 胸の高さくらいまである長さの刃は、一見すると女性が扱えるような代物ではない。

 というか、


「えーと、何で姉さんはメイド服を着ているんですかね?」

「趣味なんだとよ……」


 光の柱の中でローズと向かい合ったまま動かないエリオットが答えた。


「そうなんだよ、色々服を見たんだけどね、コレが一番可愛いと思わないかい?」


 その言葉に意気揚々と満面の笑みで続いたのは、姉。

 久しぶりに聞く姉の声は別れた時と何ら変わりない。

 だけど、言葉遣いとその表情が……クリスの知っている姉のものではなかった。


「エリオットさん、これは本当に姉さんなんですか?」


 思わず聞いてしまう、それくらいに違和感があるのだ。

 するとエリオットはクリスに振り返らないまま答える。


「何か、中身は精霊らしいぞ」

「やっぱりですか」


 自分にも覚えがある、精霊に体を奪われるその感覚。

 だがしかし、クリスは奪われたというよりは精霊に感情を誘導されるような感じだった。

 『こうしなくてはいけない』と湧き上がるその感情に従い、元々の意識とは別に動いてしまう。

 だが彼女の様子を見る限り、本当に乗っ取られているようだ。

 ローズに乗り移っている精霊は、その借り物の姿でおかしそうに顔を歪める。


「ボクはね、可愛いものが大好きなんだよ! これだけはこの世界で唯一価値のある物に見えるね!」


 無邪気なようで本質のドス黒さがちらりと見える、そんな笑顔。


「君もメイド服、着ればいいのに☆」

「お、お断りします……」


 言葉遣いは違えど、姉にメイド服を勧められるという状況に若干の目眩がするクリス。

 そこへ黙っていたルフィーナが口を開いた。


「クリス、いいから槍でその剣を折りなさい」

「おお、そうだ。早くやってくれよ!」


 エリオットにも急かされる。

 やはりクリスのほうを向かず、動きもせず。

 先程から感じている違和感をクリスは取り敢えず突っ込むことにした。


「あー……もしかしてコレって今、姉さんの動きを止めてる最中で、しかもその魔術にエリオットさんも掛かっちゃってるみたいなアレですか……」

「仕方ないだろ! 俺はローズの相手してたんだから! 動きを止めるには一緒に掛かるしか無いの!!」


 何とまぁ、期待を裏切らない。


「へぇ、お前ごときがボクを折るのかい」


 先程までの明るい声色とは打って変わって、ドスの効いた声がローズの口から発せられる。

 クリスは返答せずに槍を構えて変化した。

 ピンクのコートには全く以って似合わない黒い翼がその背に現れ、耳の上あたりから角が音を立てて生えてくる。


「君の姿は随分ボクらと似ているんだね。お姉さんは普通なのに!」


 変化したクリスの姿を見て、その姉の姿をした精霊が感想を明るく述べた。


「私が、似ている……?」

「おいニール、お前の持ち主はイイ感じかい!」


 クリスに話しかけているようで、そうではない。

 引っかかる言葉を後にして話を先に進める大剣の精霊。

 ニールと言うのはこの槍のことだろうか、とクリスは判断した。


「こちらの精霊さんは貴方のようにでしゃばらないんですよ」


 答えない槍の精霊の代わりに、答えてやる。


「そっか、相変わらずマジメだなぁ」


 聞いたくせに興味は無さそうな反応。

 精霊はルフィーナによって動きを封じられているローズの体で、品の無い高笑いをしながらこう言った。


「ははは! 使いこなせもしない持ち主に黙って尽くすとか、ボクなら有り得ないね!!」


 その高笑いはローズの端整な顔立ちを醜く歪ませていて、クリスにとって我慢できるようなものではない。


「もう、黙ってください!!」


 槍の切っ先を姉の持つ剣に向けて突っ込み、思いっきりその刃に突き立てる。

 ガキィンッ!! と金属のぶつかり合う高くて鈍い音が鳴り響いた。

 これで剣が折れれば事態は収束するはずだった。

 が、それで終わるほど甘くも無い。


「ほら、使いこなせてないよね☆」


 剣はかすり傷ひとつつかない、だが槍先も刃こぼれしていない。

 思いっきり折るつもりで全力でぶつかって行ったクリスは、折れなかった故のその反動でバランスを崩して地に倒れてしまう。

 その瞬間ローズの姿をした精霊は、いまだ動けずに立ち尽くしたまま、クリスを見下ろして、薄らと笑う。


「この体の動きを止められてもね、『ボク』は動けるんだよ?」


 ローズからずるりと抜け出るように現れたのは、黒髪の鬼。

 槍の精霊は青年だったが、こちらは少年。

 肩まで伸びたさらりとした柔らかい黒髪に、天に向かう二本の角が生えている。

 「似ている」と本人が形容した通り、変化したクリスによく似た風貌を持った精霊は、クリスに覆いかぶさるようにローズの体から出てくる。

 一瞬の出来事に、体勢を崩していたクリスには防ぐ手立てもない。


「エリ君!!」

「だあああああああ!!」


 クリスが諦めかけていたその時だった。

 機転をきかせて、動きを止める術を解いていたルフィーナ。

 そしてその合図と同時に思いっきりローズに抱きついたエリオット。

 ローズの体から出てきていた最中だった大剣の精霊は、エリオットに勢い良く抱きつかれたローズの体に引っ張られ、クリスから離れる。


「……ふはっ」


 あまりのことにクリスは息が止まってしまっていた。

 新しく吸い込んだ空気が喉を冷やす。


「あー! オイシイ役目だぜー!!」

「ちょ、何すんのコイツ!! 離れてよ!!」


 見るとエリオットはまだローズに抱きついたまま、転がっていた。

 精霊は元の体の中に戻ったようでその姿は見えず、代わりにエリオットを押しのけようと必死なローズがいる。

 今なら剣を折らずとも、ローズの手から奪えるかも知れない。


「エリオットさん、そのままでお願いしますよ!」


 クリスは槍を持ったまま二人に駆け寄り、姉の大剣を取り上げようとした。


「あ、だめ!!」

「え?」


 ルフィーナの制止は間に合わず、クリスは姉の手から大剣を取り上げる。

 勿論、代わりにクリスが大剣を手にしているわけだ。


「……あっ」


 制止された理由が分かったが、それと同時にクリスの意識は途絶えた。

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