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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第三部 第十二章
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不和の侯爵 ~その害意を貫く希望~ Ⅲ

「セオリー……っ!」


 それまで全く気配を感じなかった。

 ということは空間転移をしてクリスの後ろに現れたのだろう。

 セオリーはクリスに短剣の刃を当てた状態で、もう片方の腕を前に出してきた。

 何かを促すような合図だったのか、その腕の動きの後に彼の後ろから数人が小走りで駆けてきて、大型竜の居る広い空間へ向かう。


「彼らが寝かしつけてくれるまでそのままでお願いしますよ」

「まぁ、いいけど」


 険しい顔で、クリスの頭より上の辺りを睨み付けるルフィーナ。

 その垂れ目はいつもよりつり上がっていて、クリスは彼女を見ながら自分を見ているような錯覚に陥りそうだった。


「ところで、この子供はさておき何故貴方までここに来ているのですか?」


 ルフィーナに睨み付けられていることなどお構い無しに、セオリーは抑揚無く問いかける。


「? 聞くまでも無いでしょ」


 怪訝な表情で具体的な回答をしなかった彼女に、セオリーの口から、クリスにはよく分からない単語が連発された。


「おや、ではそんなに○○○を××して欲しかったと」

「○○○を××?」


 よく分からない単語に思わずクリスは復唱して問いかける。

 ルフィーナは何やら困惑しているようだった。


「私はきちんと忠告をしたと思うのですが、それでも逃げずに来るということはむしろされたいのでしょう?」

「そんな訳あるかっ!!」

「あの、さっきの○○○と××って何です?」

「クリスはそれを口に出しちゃダメっっ!!」


 セオリーが言っているのは以前の地下牢での拷問の続きのことなのだが、その内容をクリスに理解しろというほうが無茶だろう。

 二人の会話について行けないクリスの表情が訝しげになる。


「○○○と××……」

「意味も考えなくていいから!! この男と会話することがもう無駄なのよ!!」

「それもそうでした!」


 そう、いつもセオリーの言葉に耳を傾けてロクなことがあった試しが無い。

 不信感や憎しみを煽られたり、今だって事実、ロクな話ではないのだから。

 エリオットがいつもセオリーの話をぶった切って攻撃しているのは、ある意味とても正しい行為だったとも言えた。


「何だか失礼なことを言われている気がしますが、まぁいいでしょう。そろそろあちらの作業も終わったようですし術を解いて構いません」


 セオリーがルフィーナに命じる。

 だがそれでも石のような硬く冷たい感触はクリスの首筋に残ったまま。

 黒く光る短剣の先が、その存在を誇示していた。

 ルフィーナはクリスを、というよりはクリスの斜め後ろにいるセオリーを睨んだまま、そっとロッドを床から外す。

 薄らと光っていた魔術紋様は消えて術は止まったようだが、特に先の大部屋で竜が動くような物音はせず、あの者達が「寝かしつける」ことに成功したのだろう。

 セオリーはそれらを確認した後に、クリスの首に当てていた短剣の刃を意外にもあっさりと外してクリスの背中を押した。


「えっ」


 これではまるでクリスを逃すようなもの。

 ルフィーナも彼の行動の意図が掴めなかったのだろう、やや驚いた様子でそれらを見ていた。


「あまり無茶をしないのであれば、どうぞお好きに」


 黒紅のマントを翻してクリスに無防備な背中を晒すセオリーが通路の奥へ戻って行く。

 今までならば何も考えずにその背中に斬りかかっていたが、クリスはそれを堪えて、ロッドをスカートの下に仕舞っているルフィーナに駆け寄った。


「何であの男はあっさり私達を見逃したんでしょう?」


 その背中が小さくなり行く様を見つめながらクリス達は小声で話す。


「……見逃すことがアイツにとって一番最善の選択だからだと思うわ」

「この状況で、見逃すことが……?」


 フィクサーの目的がどうなっても構わないからなのか、それとも他に何か理由があるのか。

 見当もつかない。

 しかし理由はどうあれ今あの男が自分達を放っておいてくれるのならばこれほど有り難いことは無かった。

 一体神降ろしとやらにどれだけの時間が掛かり、いつまでをタイムリミットとするのか分からないのだから、出来ることならばあんな面倒な男の相手などしていたくないのである。

 何か罠がある可能性は残したまま、クリス達はこの広すぎる施設を急いで駆け回った。

 でも、


「どこにも居ないわね」

「……っ」


 居ないから勝手にしろと放っておかれたのか。

 ならば外でレイアを迎え討っていたクラッサや、ここをわざわざ護っているようなセオリーの存在に理由がつかない。

 それに、先に来たはずのレクチェとこの施設の中で遭遇しないのは何故なのだろう。

 焦りや苛立ちが収まらず、元々無い余裕が更に無くなって、目つきが悪くなってくるのが自分でも感じ取れるクリス。

 そんな少女に気付いたルフィーナが、落ち着かせるようにその右手をクリスの頭の上に置いて言った。


「一応もう一箇所あるから、そこで最後。逆に言えばそこで見つからなかったらあの男から問い質すことになるわ」

「はい……」


 身軽そうなショートドレスのスカートを振って彼女が走ったその先は、随分ユニークな部屋。

 こんな物騒な建物だというのに随分と可愛い小物に溢れている。

 あと、怪しい魔術的なアイテムも多く、室内の雑貨の統一感が全く無い。

 ちょっと謎だ、と思いながらクリスがその部屋を見渡していると、ルフィーナはその部屋の戸棚を開いて、その中にある一冊の本を抜いて別の棚に入れた。

 するとギギ、と音を立てながら現れる隠し扉。


「ここ、フィクサーの部屋の一つね。ここから地下に行けるのよ」

「あ、あの黒い男の部屋なんですか……」


 どんな趣味をしているんだ、とクリスが萎えた。

 ちなみにフィクサーの趣味というよりは、彼がルフィーナにプレゼントする為に買い漁っては「要らない」と拒否された物達の置き場だったりする。


「とは言っても地下なんて私の部屋と牢屋くらいなんだけど」


 扉を開いて地下に続く階段を下りながらルフィーナの声が響く。

 やがて一番下へ辿り着き、ルフィーナが使っていたらしい部屋に入ったが、こちらには変わった部分は何も無し。

 言うなれば、豪華な家具や小物がいっぱいで随分と居心地の良さそうな部屋だなとクリスは思った。

 てっきり牢屋に拘束されていたのだと思っていたクリスとしては何だか微妙な気分である。

 いや、良い待遇だったのは決して悪いことでは無いのだが。


「こっちが牢のはずよ」


 彼女の案内に着いていくと、やがて床にびっしりの魔術紋様がぼんやり光って見えてきた。

 何だろうこれは、と足元を見ながら歩いていたクリスの頭が、ルフィーナの背中にぶつかって一旦立ち止まる。


「いたっ」


 足を止めたルフィーナの進む様子が無い。

 クリスが彼女の背中を避けてその先を見ると、檻の開いた地下牢は、床どころか壁、天井、一面に魔術紋様がびっしりと描かれて光り、発動していた。

 この場に、何か大掛かりな魔術を仕掛けているのが一目で分かる。


「やられたわ……」


 そう言うルフィーナは笑っていた。

 だがその笑顔はどちらかと言えば、引きつっていて。


「どういうことです?」

「きちんと全部……手は打ってあったのよ……」


 右手を額に当て、ゆらりとルフィーナは壁に持たれかかりながら呟く。


「あたしの心配なんか無用だったのかしら、これなら別に止める必要なんて……」

「ちょ、ちょっと待ってください、何を言っているんです!?」


 止める必要が無いだなんて、いきなりどうしてそんなことをルフィーナが言い出すのだろう。

 この一面の魔術紋様に一体何の意味があるのか。

 分からないクリスは、彼女のワインレッドに染まったドレスを掴んで揺すって叫んだ。

 微かにルフィーナの体が震えているのがその手に伝わってくる。

 しばらく茫然自失としていたルフィーナはようやく落ち着きを取り戻したところでクリスに説明をした。

 この魔術紋様の意味を。


「多分エリ君達が居る場所は、空間ごとこの魔術紋様で封印されているわ。封印したのは、セオリーでしょうね」

「そ、それだとどうなるんです?」

「アイツがこれを解かない限り、エリ君を助けることも出来ないし……もしエリ君に神降ろしが成功したとしても、その体は自由に封印から出て来られない」


 何となく分かるんだけれど、何となく分からない。


「え、ええと……つまり」


 もごもごしているクリスにルフィーナが更に補足する。


「この魔術紋様によって、あたし達の邪魔を防ぐのと同時に、神がもし命令を聞かずに何かしでかそうとした場合に封印する準備も兼ねているのよ」

「それじゃあ、最悪の場合はフィクサーは神様と心中ですか?」

「状況に応じて、もし体を元に戻せないなら道連れにしてやる、と思ったのかも知れないわね」


 はは、と乾いた笑いがクリスの口から擦れるように漏れた。

 そんなことにエリオットを巻き込まないで欲しい。

 自分一人でやってくれ、とクリスは心の底から思った。


「セオリーに、封印を解除させればいいんです、ね?」


 ニールを持つ手に力を入れてやるべきことを確認するクリスに、ルフィーナからストップがかかる。


「待って。下手にそれをしたら最悪の場合の神への枷も一緒に壊すことになるのよ」

「だったらどうすればいいんです!?」

「どうしようも無いわよ!!」


 ルフィーナの目的は厳密に言えばエリオットを救うことでは無い。

 フィクサー達を含めた様々な者達に今までずっと横暴な行いを繰り返してきたであろう神的存在が降りるのを止めることだ。

 だから彼女からすれば助けるのが間に合わなかった場合、この封印を壊してしまっては更に酷いことになる。

 もう間に合わないかも知れないのならば、現時点では封印は解かずにそっとしておくのが最善だ、と。

 けれどそれでは、どう足掻いてもエリオットは助からない。

 ルフィーナは壁にもたれていた体をずるりと下げて、床に腰をつけてしまった。


「ごめんなさいクリス、あたしには選ぶことが出来ない」

「一応確認しますけど、この魔術紋様をただ破壊しても封印の解除は出来ないんですよね」

「そうね……貴方の武器なら高度な魔術の切断も可能でしょう。でもそれをしたらきっと空間が元に繋がらなくなるだけでおしまい。無理やり解くのはオススメしないわ」

「分かりました。私はセオリーを探します」


 足元で今も光り続けるその紋様が苛立たしい。

 意味も分からないその形が織り成す効果が、今は不安定でありながらもこの世界の民を護る唯一のものとなっている。

 けれど、その中にエリオットは入っていない。

 ルフィーナがフォローしない状況で、クリスはセオリー相手に勝ち目がある気がしなかった。

 だからこそルフィーナは、セオリーを探そうとするクリスを止めようとしないのだろう。

 勝てるわけが無い、と。

 レクチェはどこだろうか。

 いや、他人に頼っていても仕方ない。

 まずはこの足を動かさなくては。

 クリスは、蹲ってしまったルフィーナに背中を向け、通路を抜けて階段を駆け上がり、もう一度建物の中を走り回った。

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