不和の侯爵 ~その害意を貫く希望~ Ⅱ
ブリーシンガの首飾りを手にしたクリスは、一先ずそれを自分の首にかける。
流石に遺体から外した物を身につけるのは若干の抵抗があるが仕方ないだろう。
クリスは今はそれらを我慢し、ポーチからニールを出してやる。
そう、これからはまず大型竜を最低一匹仕留めて、ニールを元に戻すという大作業が待っているのだ。
幸いレクチェが先に行っているのならば、それくらい寄り道しても大丈夫だろう。
というか、クリスとしてはこの寄り道をしなくては、敵に勝てる自信が無いというのもある。
剣より槍が得意なクリスにとって、命令をあまり聞いてくれないレヴァではその切れ味以外に役立つ部分が無い。
クリスの肩に登った白いねずみを見てレイアが暗かった表情を綻ばせ、最後の忠告をクリス達にしてきた。
「あぁ、それと……出来ることなら竜に手は出さないでくれないか」
「えっ!?」
「襲われてしまった以上は仕方ないが、なるべく。ダーナは竜崇拝をしているからね。出来る限りここの竜達を殺さず、かつ解放をするという条件でこちらに協力をしてくれているのだよ」
「あ、は、はい……」
これから最低一匹からその血と肉を頂こうとしているクリスだったが、そうなると最低一匹というか、最大で一匹、しかもなるべく他の竜を巻き添えにしないように頑張らなくてはいけなさそうである。
それは普通に倒すよりも困難だと思われるが、
「まぁ行きましょ」
さくさくと歩いて行ってしまうルフィーナに呼ばれ、一旦その不安を留めてクリスはレイアを後にした。
すたすたと歩いていく目の前のエルフに着いていく。
中に入る穴が開いている状態とはいえ、そこに入ってすぐの位置に大型竜が居るというのは本来警戒しなくてはいけない状況のはずだ。
だがルフィーナはそんな素振りを一切見せずに平気に中に足を踏み入れる。
「だ、大丈夫なんですか」
なるべく小声で問いかけると、全くトーンを下げる気の無い返事が返ってきた。
「えぇ大丈夫よ、ここの竜は基本眠らされているから」
「ほええ」
「食事の時は術を解いて起こしてるみたいだけどね、でなきゃいくら広いとはいえこんな建物の中で飼育なんて出来ないわよ」
そういうことか。
確かに言われてみれば納得出来る話に、クリスの頭は誰に見せ示すわけでもなくこくこく頷く。
「それはここに居た時に聞いた情報ですか?」
「ん? そうね、フィクサーから聞いたの」
「やっぱり口が軽いんですねあの男」
フォウと喋っていた時に抱いた印象そのままの事実をルフィーナから聞いて、その印象を確信に変えるクリス。
ふふっと小さく笑う彼女は、これから殺す相手のことだというのに心から笑っているような自然な笑みを浮かべていた。
ルフィーナは正直、セオリーと同じで何を考えているのか読み取り辛い笑みやその他の表情が多いだけに、クリスにはその感情のこもった笑顔が逆に気になる。
と、そこで彼女の表情は真面目なものに戻り、それまで通り過ぎて来ていた大型竜の寝床に振り返って言う。
「ここから先が、部屋が連なってる通路よ。竜を一匹使わないといけないのよね。どうする?」
「取り敢えず他の竜を刺激しちゃまずいですし、一番この通路に近いそこの大型竜にしましょうか」
「分かったわ」
と、言ったものの、他を刺激せずにこの一匹だけを仕留めるだなんて出来るのだろうか。
かなり広い部屋なのだがそこに数匹並んで仲良く眠っている状況で、その一匹が暴れたらもう収拾がつかないことになりそうだ。
「一発で仕留めないとってことですよね……」
幸い魔術で眠っている状態だというのなら、動かないものを斬るだけ。
不便ではあるが切れ味だけは保障されているレヴァなのだから、頭を狙えばいけるだろう。
「大丈夫?」
クリスの不安げな表情を見てルフィーナが尋ねた。
「多分、いけます」
脳内で手順を確認してやはり不安を隠せないクリスだったが、肩に居たニールが気付けば人型に変わっていてそっと告げる。
「私のことは気にしないでいい。竜を仕留めた後にその傷口へ短槍を刺し込んでくれたら後はどうにかやってみよう」
クリスはそれにしっかり頷き、無抵抗の命を一方的に奪うという躊躇いを捨てて剣を構えた。
それを一度悩んでしまえば、そもそも肉は食べられなくなる。
クリスはお肉が大好きだ。
レヴァの刃渡りでは大型竜の首を一刀で両断出来るとも思えない。
更に、焼失させてしまってはその血肉を残すことが出来ないから……
多少暴れるだろうが頭を突くしか無いだろう。
どうにか武器の力を発動させないように。
背中から白い翼を生やすと同時に、背後の廊下を突風が伝う。
飛んで舞い上がったクリスは、寝ている大型竜の眉間目掛けて赤い刃を勢いよく突き刺した。
確かにその刃は深々と突き刺さっている。
だが即死はさせられなかったらしく、その瞬間、流石に目を覚ましてしまった竜。
その咆哮が建物全体を揺らすように響いた。
「ま、まずいわよ……っ!」
ルフィーナが悲鳴に近い声をあげる。
「と、とりあえず先にニールを……」
一先ず、眉間に突き刺したままのレヴァを暴れ出した大型竜から引き抜く。
本当はすぐにそこへ短槍を出したかったのに、致命傷を受けた竜は暴れた為、それは出来なかった。
クリスは竜の大きな動きに一旦離れざるを得ず、更に竜の尾は鞭のようにしなったかと思うと隣に寝ていた別の竜に当たって連鎖の如く次々と大型竜が目を覚ましてゆく。
要は大惨事だ。
「もー!! だから聞いたのにっ」
クリスのお手並みに文句ありありの声を発するルフィーナ。
彼女のロッドの先が自身の足元に紋様を描き、最後にロッドをその紋様に突くことで他の竜達の周囲が光って動きがぴたりと止まった。
いつだったか見覚えのある効果の魔術。
クリスを巻き込まないようにだろう、今クリスが対峙している一匹だけは術の対象外らしくまだ動いているが、他の竜の動きは完全に封じられている。
暴れている手負いの竜に再度飛んで近づいたクリスは、腰の短槍を、竜の眉間の傷口に埋めるように刺した。
そこでようやくニールが動き出す。
が、その動きはクリスの予定とは異なるもの。
肩に乗っていた小さな獣人は急にクリスの肩で倒れ、そのまま下に落ちてしまったではないか。
「え、えっ」
焦るクリスを置いて事態は動く。
辺りには黒いもやが立ち込め始め、手元の短槍が、そのもやを打ち消すようにだんだん光と力を帯びてきた。
間違いなく、何かが起きている。
ここで手を離すわけにはいかない、と、クリスは右手に持っていたレヴァを鞘に納めて両手でしっかり短い槍の柄を握る。
そこからはモルガナの屋敷の時とほぼ同じだった。
目映い光を発しながらクリスの手元で別の槍が姿を現す。
短かったその槍の柄が伸び、矛が深々と竜の頭に埋まっていった。
短槍が長槍に変化するその工程により傷を広げられ、完全にとどめをさされた竜は、耳を裂くような断末魔の咆哮を響かせて力尽きる。
ほっとしたところでクリスは、手元まで深く竜の眉間に刺さっている槍を引き抜き、その形状を見た。
鋭い先端に鎌のような横刃、そして赤い宝玉、血にまみれてはいるが間違いなくニールだった。
ただ、そこに足りないものが一つある。
女神の遺産が持つ、独特な魔術紋様だ。
しかし心配は要らなかったらしい。
残っていた黒いもやは、やがて形を成す。
そう、一本角が目立つ銀髪の青年へと。
クリスは彼が紋様を彫りやすいように、宙に浮いていたところを一旦竜の頭に足を下ろして、銀髪の青年へ槍の先を向けた。
レヴァは刃を溶かすように紋様を彫っていたが、ニールはさっと爪の先で削る。
これでこの槍に精霊として宿る準備は終わったのだろう。
久しぶりに見た精霊の姿をしたニールは最後にふっと主に微笑んでから、その姿を槍へと重ねるように沈ませ、消えていった。
「終わり、ましたかね」
『あぁ。だがクリス様、一つ頼みが』
クリスが黙ってニールの言葉を待つと、彼はその後とんでもないことを言った。
『落ちてしまった私の容れ物を拾っておいてくれないか。あの医者が使うらしい』
「はいぃ!?」
ニールの声が聞こえていないルフィーナが驚いてクリスを見ているが、それを説明出来るほどまだ少女の頭は追い付いていない。
『あの体から出る為に貰った薬を使ったのだが、それの具合を調べたいらしい』
だから急にあのねずみの体は倒れてしまったのか。
納得したところでクリスは転がり落ちてしまったニールの仮の体を探して拾う。
下の床に落ちてしまっていたので流石にその体は随分傷ついているが……薬の具合を調べる為に解剖するのなら関係無いのだろう。
凄く気が引けるがその小さな体をポーチに仕舞ったところでルフィーナが問いかけた。
「何やってるのクリス」
「私も不本意なのですが……ライトさんの要望らしいので」
死に価値を残す、という意味では確かにこれも薬学に貢献することなのかも知れないが、やはり普通の仕事をさせないとあの人ちょっと危ない。
クリスは何となく、そんな気がした。
そして槍を携えてルフィーナに近寄り、取り敢えず今やるべきことを問いかける。
「残りの竜、どうしましょう?」
そう、ルフィーナは未だに残りの大型竜を拘束したままなのだ。
これでは動けない。
彼女はその問いに少し口唇を尖らせて考えた後に述べる。
「もう用が無いならこの拘束解いちゃいましょうか」
「いいんです?」
「建物が壊れようが知ったこっちゃないわ」
「……それもそうですね」
竜が暴れ建物を壊して逃げたとしてもダーナの意に背く結果にはならない。
ならばルフィーナの提案を受け入れても別に問題無いだろう。
竜が暴れてくれることでフィクサーの邪魔だって出来るかも知れないのだ。
クリスはなるべく大型竜の居る空間から離れて通路の奥へ進み、逃げ進む体勢を整えてから合図する。
「私はいつでも大丈夫なんで、ルフィーナさんのタイミングでやっちゃってください!」
「分かったわ」
ルフィーナもすぐに逃げられるように走る体勢を作った、その時だった。
クリスの背後にいきなり人の気配が現れ、それは出てくるなり少女の首に冷たい物を当てる。
「もうしばらくその術は解かないで頂けますかね、ルフィーナ嬢」
背後の存在の顔はクリスには見えないが、低く掠れた声は間違い無くあの男のものだ。
把握したと同時に、クリスの心臓は不快な速さで脈打ち始めた。




