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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第三部 第十二章
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不和の侯爵 ~その害意を貫く希望~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)


   ◇◇◇   ◇◇◇


 ふっと意識が戻る。


 何も考えずに瞼を開くとそこには冷たい床に深く彫られた魔術紋様とその上に舞う自分の長髪、そして少し離れた位置に砂時計のような物が見えた。

 何だここは、と考えてエリオットは最後に見た物を思い出す。

 何かに取り憑かれたように光の無い漆黒の瞳。

 あぁそうか、自分はあのまま意識を失って、多分神を降ろす為に何かしらの術を掛けられている最中なのだろう。

 両腕は後ろに回され、手首は丁寧に固定されており縄を触ることすらも出来そうに無い。

 足首もご丁寧にしっかり縛られている。

 だが……うまくやれば外せそうだ。


 なるべく首や体を動かさないようにして、視線だけでまずは周囲を観察する。

 薄暗い部屋はたった一つの光源だけで照らされていて、その光源は魔術紋様の陣に重ならないように少し離して置かれたテーブルの上にあった。

 そして……光源をぼんやりと見つめている黒髪の男。

 あれから何時間経ったのかエリオットには分からないが、放置しておいて進む類の魔術なのだろうか。

 あの砂時計が怪しい、そう考えたエリオットはフィクサーに気づかれないように少しずつ体を動かして砂時計を倒そうと試みた。

 だが、


「それ倒したらお前元に戻らなくなるぞ」


 視線を光源宝石に向けたまま呟く黒髪の男。


「それはお前だからな」


 戦慄が走るようなことを軽く言う。

 術式がよく分からない以上、下手に手を出すのはまずいということか。

 陣を壊して止めることも出来ると思うのだが、止めた際に何がどうなるか分からなくては実行するに出来ない。

 だが、このまま好きにされても結局はおしまいなのだ。

 最終手段としてそれは残しておこう。

 エリオットは静かに深呼吸し、すぐ傍で力無い瞳をしている男に声を掛けた。


「随分、余裕そうだな」


 最初の取っ掛かりのつもりで思ったことをまず述べる。

 するとフィクサーはやはり光源に目を向けたままで口を開いた。


「正直、拍子抜けしている」

「事がうまく運び過ぎて、か?」

「あぁ。お陰でもうすぐ達成出来るっていう実感が湧かなくてさ」


 手首の縄に触ることは出来ないが会話の最中にうまく体を曲げて足の縄に触れることが出来たエリオットは、それをそのまま分解して壊すことで解いて、まず両足を自由にする。

 転がっていた体を少し捩じらせながらも起こし、どうにか床に腰をつけるような体勢まで直してから、未だに目を合わせようとしない男に言ってやった。


「達成出来るってのは……体を元に戻せるって言う意味なんだろ」

「やっぱり聞いていたのか」

「あぁ。ついでに頼まれたよあの女に」


 ここでようやくエリオットに生気の無い顔を向けるフィクサー。

 やはりルフィーナが絡むと、気力が無くとも多少の反応は見せるらしい。


「何を?」


 言葉の続きを急かすように相槌を打つ男に、エリオットは聞き間違えたりさせないようにしっかりとその答えを置く。


「お前を殺せ、とな」


 自分を散々コケにしてくれた男がこれでどんな反応を見せるのか少し楽しみだったのだが、聞こえているはずのフィクサーは無反応のまままた視線を光源宝石へと戻した。

 そして、


「そうか」


 一言だけ発したかと思うとゆらりと椅子から立ち上がって、懐から取り出されたのは……あの樽型の柄のダーク。

 何故ここで短剣を出す?

 その理由を想像してごくりと唾を飲むエリオットに、フィクサーの体が向いてゆっくりと近付いて来る。

 これではまるでエリオットを刺そうとしているような感じだ。

 術はどうした。

 神降ろしはどうした。

 壊れた人形みたいな動きをしている目の前の男に、別の意味で恐怖を感じたエリオットは、近付いて来るフィクサーから逃げるように足と尻を使ってずりずりと下がる。

 俯いたまま近づいて来ていたフィクサーはようやくその顔を上げてエリオットと目を合わせたかと思うと、急にその瞳に力を宿らせ口を開いた。


「お前を殺して俺も死ぬっ!!!!」

「何言っちゃってんの!!!!」


 死に物狂いで体の反動を使って立ち上がり、逃げようとはするがこの腕ではドアも開けられない。

 というかそもそもこの部屋にはドアが無く、ひたすら室内を逃げ回るのみ。

 つい魔術陣の外に出てしまったが、特に異常が出るわけでもなかったので、一旦陣の外に出たなら魔術は中断されるだけで済むのかも知れない。

 思わぬ情報の収穫を体を張って得たエリオットだが、まずは目の前の危機を回避しなくてはいけなかった。


「一人で死ねよ!!」


 ちなみに今の状態でフィクサーが一人で死んだ場合、リンクしているので結局エリオットも死ぬ。

 また腹を切れば早いところを、そうしないのは……


「ルフィーナに色々したお前を八つ裂きにする前に死ねるか!!」


 心中の手順は、その動機によって変わる。

 この場合、心の狭い彼はエリオットをあっさりと死なせる気など無いのだ。

 しばらくぐるぐると回り逃げるエリオットと追いかけるフィクサーとで収集のつかない事態に陥っていた室内だったが、追いかけ疲れたのかフィクサーの足がふっと止まる。


「っ?」


 体力は無いほうでは無いがエリオットも流石に息を切らしているので、気を払いつつも足を止めることで休んだ。

 フィクサーはエリオットよりも息が上がっているようで、そこで靴を脱ぎ始め、その足を思いっきり振り被り……

 壁を蹴る。


「~~~~ッッ!?」


 彼の体とリンクさせられているエリオットは足の指がひん曲がるような感覚に思わず転げ回った。

 大した怪我ではないのに悶絶するほど痛いその感覚に、涙目でただ悶え続けるエリオット。

 そんな彼にフィクサーがゆっくり近づいてきて言う。


「逃げそうになったらやってみろってクラッサに言われたんだが、本当に効くんだなコレ」


 フィクサーの口元が薄く笑うように横に伸びていた。

 スーツ姿で片足だけ靴下状態の男に、短剣を構えて見下ろされるという大変シュールな状況。


「だっ、ばっ、当たり前だ! 足の指をぶつける痛みは尋常じゃ……!」


 痛みを他人事のように言う黒幕に思わず叫んだ王子だったが、そこまで言ってようやく気付く。

 ハッとしたエリオットの顔で、フィクサーも彼が何に気付いたのか分かったのだろう。


「そういうことだ」


 エリオットが何か言う前に、肯定だけした。

 エリオットにはずっと分からなかったその身体異常。

 痛みを感じないのならば無茶苦茶な戦闘方法も納得がいくというもの。

 しかしただ痛覚が無いだけでここまで必死に元に戻ろうとなどするだろうか。

 となると痛覚ではなく……


「触覚が、無い……?」


 問いかけるような確認ににっこりと笑ったフィクサー。


「覚悟はいいか?」

「良くないっ!!」


 振り下ろされたダークをすれすれで避け、勢いよく床に刺さったその短剣。

 この男の目的は元に戻ることではなかったのか。

 何でどうして心中しようとする。

 神を降ろされても困るが、今すぐ殺されるのも困る。

 時間を貰えないという意味では今すぐ殺されるほうが困る。


「俺を殺してどうするんだよ! 元に戻りたかったんじゃないのか!?」


 何か色々見失っている気がする目の前の男をどうにか説得しようと、エリオットは彼を本来の目的と再度向き合わせてみた。

 だが情け無い顔をしてフィクサーは言う。


「戻ってもそこまで嫌われてたら意味が無い!!!!」

「ぶっ!!」


 初めて出会った時と変わらない間抜けさを披露してくれるフィクサーに、エリオットは突っ込まずには居られない。


「か、監禁までしておいて……」


 昔のことは知らないがこの四年間拘束していたのだから、普通に考えて良い関係だとは思えない。

 先程からざっくざっくと振り下ろされるダークの刃を必死に避けながら言い放たれたエリオットの突っ込みに、フィクサーはそこで王子の予想とは違う表情を見せてきた。

 それは、きょとんとした顔。


「監禁? 彼女の部屋に鍵なんて掛けてないぞ」

「へ? じゃあ何でルフィーナは逃げなかったんだよ」

「彼女が居させろって言ってきたのに逃げるも何も」

「!?」


 フィクサーとルフィーナの事情を把握しきれていないエリオットにはさっぱり分からない事実だった。

 というか、彼らの関係性はきちんと聞いても理解が出来ないレベルかも知れない。

 状況が全くつかめなくなってきたエリオットだったが、だからといってハイソウデスカと殺されるわけにもいかない。

 目の前の暴走男をどうにか宥めようと、焦りながらもフォローになりそうな事実を口にする。


「と、とにかくだな! アイツは単にお前が神降ろしだなんてバカなことをするのを止めたくて俺に殺せって言ってきたんだ! お前の身体異常の話を聞いた時とか、な、泣いてたし、嫌われてるわけじゃ無いんじゃないか!?」


 そこでピタリと止まるフィクサーの腕。

 ようやく振り下ろされなくなった短剣の脅威から逃れたエリオットは少しだけホッとした。


「……何で彼女は神降ろしを止めたいんだ?」

「降りたら何するか分からない、とかそんなこと言ってたぜ」

「あー……なるほど」


 納得がいった、というようにフィクサーはダークを懐に収める。

 その表情も柔らかいものになっており、ルフィーナ効果はどれだけだ、とエリオットは正直げんなりした。

 しかし、その後フィクサーはエリオットの頭を掴み上げてにっこりと笑う。

 エリオットは何故笑顔を向けられたのか分からなくて、取り敢えず苦々しくも笑い返した。

 そこで暴走男はこう言い放つ。


「その辺りは考えてあるから大丈夫だ」


 直後に首の後ろに衝撃が走り、茶番はここで終了。

 そこでまたしてもエリオットの意識は途絶えてしまった。


   ◇◇◇   ◇◇◇


 さて、少し時は遡り、クリスが王都を発つ直前の話。


「俺は姉が居ない件等でまだ城に用事があるッス。もうしばらくしたらルフィーナ様が飛行竜を連れてここに来るんで……王子と姉を、よろしく頼みたいッス」


 ガイアはそう言ったところで、それまではあまり崩すことの無かった表情を歪み曇らせて口唇を噤んだ。

 フォウも居ない今、ガイアが城に呼ばれていては東の地までの案内が居ない状態。

 クリスの方向音痴ぶりを先日の旅で把握していたガイアがルフィーナに頼んでくれたらしい。

 のだが、


「まぁ呼ばれてなくても着いて行くつもりだったんだけど」


 クリスが普段飛ぶ高度よりもずっと高い上空で、竜の手綱を握りながら赤瞳のエルフが飄々と言う。


「そうだったんですか?」

「えぇそうよ。あたしはクリスやエリ君よりよっぽど関わりがあるからねぇ」


 クリスは彼女の背中にしがみついている状態なのでルフィーナがどういう気持ちを込めてそれを言ったのかは分からない。

 ただ、その言葉は以前の彼女と変わらない淡々としたもので、心の内を悟らせてくれないような印象を受けた。

 やがて曇っていた空は晴れ、太陽も完全に顔を出した頃……この風を切るのももうすぐ終わりだ、と目の前に広がる緑の無い山肌がクリス達に告げる。

 太陽に染まって濃度を淡めた茜染のような蘇比に輝くその山は、近づくにつれて本当に視界をその色のみに染めていった。


「あら」


 例のグレーの建物を見下ろしながらルフィーナが何かを見つけて反応を示す。

 釣られるようにクリスも下を覗き込むと、そこには見覚えのある人影。

 ニザフョッルの第三施設の傍で、立ち尽くすレイアと、その足元にはクラッサが寝かされているように倒れていたが、それは近づくにつれ、寝ているのではないことが見て取れる。

 地面の所々に飛んでいる血の色が、彼女達の間で何が起こっていたのか暗に示していた。


「あの黒髪のお嬢さん、戦闘要員だったのね。てっきり秘書みたいなものだとばかり思ってたわ」


 ルフィーナはそう呟きながら飛行竜をゆっくりと地に下ろしてゆく。

 しかしクリス達がその背を降りて地面に足をつけたところで、飛行竜はいきなり様子がおかしくなった。


「わっ」


 竜が暴れるので驚いてクリスは飛び退き、ルフィーナも手綱を手放しそうになる。

 だがそこでレイアが手綱を取り、すぐ様飛行竜の背に跨がってうまく竜を落ち着かせた。


「私も来た時にやってしまったんだがね、大型竜がそこに居るからか、主が離れると怯えるようなのだよ」


 彼女がそう言って視線を向ける先は、以前は綻び一つ無かった施設にぽっかり空いた入り口のような穴。

 そこから大型竜の顔が覗け、クリスは慌ててしまう。

 寝ているようだが、あそこを潜り抜けるのはかなりの勇気が必要だろう。

 いや、これからまたあの大型竜と最低でも一匹やり合わないといけないのだから、そんな弱気ではいけないのだが。

 クリスの反応を見つつ、レイアが続けた。


「それと実はビフレストに武器を壊されてしまって、私はこれ以上進みようが無くて立ち往生していたところなんだ」

「あー、だからレイアさんここから動いてなかったんですね」


 それだけ言うとクリスは、時間が無いので自分がやるべきことを優先させた。

 まずクラッサが例のネックレスを身につけているか確認しなくてはいけないのだ。

 彼女の遺体に近寄って膝をつき、胸元をまさぐる。


「な、何をしているんだいクリス」

「えっと、クラッサが持っているはずのネックレスが必要なんです……あ、あった」


 彼女の胸元から容赦なくそのネックレスを取り外す少女に、ルフィーナが溜め息を漏らした。


「やらなきゃいけないってのは分かるけど……クリスって結構そういうこと躊躇わないわよね。人形とはいえあいつの首あっさり斬ったり」

「私は、救いようの無い敵に遠慮も同情もしません」


 勿論クリスも、以前の東での反乱分子相手では、東の扱いを鑑みれば同情する要因があっただけに思うところはあった。

 だが、クリスにとってフィクサー達の行動理由は同情に値しないものなのだろう。

 その切り替えは、ある意味強くもあるが、危うくも……ある。


「そうなの。まぁ同情してたらこの先足元すくわれちゃいそうだし、いいことかも知れないけどね」

「そうですよ、ルフィーナさんアイツらに遠慮なんてしたらダメですよ」

「肝に銘じておくわ」


 二人のやり取りを聞きながら、レイアは一人静かに悩んでいた。

 本当にエリオットを助けたいのならば、クリスの言うように同情など無用だ。

 エリオットもきっと、助けたい誰かの為ならばその点は切り捨てる。

 だが、そこまで悩んだところで諦めた。

 悩んでも、多分自分は自分を変えられない。

 そう思ったから。

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