涙 ~滅紫の歴史~ Ⅲ
さてクリスも準備をしないといけない。
短槍は腰に下げればいいだろう。
ニールも連れて行かないといけないが、どこに居るのか分からないあの小動物。
そういえば今晩は一緒に眠りに来なかったような、とクリスは一応辺りを見回して、居ないことを確認してから尋ねてみる。
「ニールはどこに居ます?」
「ここですわ~」
レフトが胸元をちょっと開いて見せると、そこからもぞもぞ出てくる白いねずみ。
「またそんなところに!?」
その白いねずみはクリスの叫びにぷるっと震えながらも、ゆっくりとその体を人型へと変化させた。
大きな胸の谷間に鎮座している小人を見て何だか複雑な心境になってしまっているクリスに、ニールから話を切り出す。
「すまないご主人、ここのほうが寝心地が良いのだ」
「そんなこと聞いてないです!!」
精神的に男性では無いはずのニールがそう言うくらいなのだから、やはり純粋に触れるならばレフトくらいぽにゃっとしているほうが良いものなのかも知れない。
全然関係無いところでへこまされているクリスだが、それどころではない、と無理やり思考を切り替える。
「えっと、レヴァと同じようなことってニールも出来ますか?」
「出来なくはなさそうだが、この体から出る必要があるだろうな」
「と、言いますと……」
どうやってねずみから出すのだろうか、この精霊を。
嫌な予感にごくりと唾を飲むその音が、深夜に自身の耳だけに響く。
「私の元の体を創るには、槍の材料が揃った瞬間にこの体を壊して貰えれば後はこちらで出来ないことも無い」
「う、うわぁ」
物の視点であるニールからすれば壊すなのだろうが、それは……壊すではなく殺す、が正しい。
ライトがどう思っているのか気になって彼の方をちらりと見ると、
「…………」
早くも目を閉じて黙祷していた。
「ごっ、ごめんなさい……」
ニールとダインの器を作ったライトには、どんなに詫びても足りないだろう。
これからそれを手にかけようとしているのだから。
しかしやはりそこでも干渉しない姿勢を見せるのはライト。
閉じていた目を開き、でもクリスとは視線を合わせないまま、
「好きにすればいい。お前の中に戻ってしまわないといいな」
危惧していることを伝える。
そう、チェンジリングを解除した際は先に器となる剣が出来ていたからクリスに戻ることは無かったレヴァだが、今回はニールが肉体から解放される瞬間にまだ器となる槍は存在しない。
ということは以前のようにクリスに入ってしまう可能性もある。
不安が過ぎったところに、レフトの胸の上でうまく座っているニールが無表情のまま言った。
「確かにその点の保障は出来ない」
「ええっ」
使い難いレヴァよりもニールが復活したほうがクリスとしては助かる。
とはいえ、その復活に保障が出来ないと言われてしまっては……
いや、今は藁にでも縋りたい。
多少の危険は承知してでもいくべきか。
しばらく推量した後、
「……分かりました」
クリスがもしもの場合の覚悟を決めたところで、気付けばレフトの胸からライトの手の上に移動していたニールは、ライトによってクリスの肩に乗せられる。
こんなことで時間をとられている場合では無い、とクリスはニールと共に一旦部屋に戻って準備をしようと足を動かし始めた。
だがまだクリスは出発させて貰えないらしい。
「馬鹿な奴! そのまま失敗してしまえばいいよ!」
「む……」
耳に障る言葉に引っかかって足が止まる。
ようやく自分の声がクリスに届いたと知り、ダインはまたそこで饒舌になった。
「ニールは良い子ちゃんだからアレを知らないんだ。そのままやっても失敗するよ! さぁ教えてやるからボクも戻せ!!」
どこまでも自分の元の体に執着する精霊。
しかし聞き捨てならないその台詞のおかげで、皆の視線がガイアの服、もといそこに居る小さな獣人に集まっていた。
この精霊はまだ何かを知っていて、それを知らなければ失敗してしまうということ。
「……分かりました、手短にお願いします」
クリスが承諾し、ダインの目の色が輝き、変わる。
同時に皆も驚きの表情をクリスに向け、その態度が『ダインを剣に戻すこと』の危うさを感じさせていた。
クリスだってダインとのやり取りはよく覚えている……周囲の人間は勿論、持ち手ですらも酷い扱いをするこの精霊の性格を忘れたことなど無い。
ダインは嬉しそうにその知識を簡潔にぺらぺらと話していった。
「レヴァを戻した時のようにブリーシンガの首飾りを使えばいいだけさ。持ってるんだろう? アレさえ持って行けばボクはお前の命令にきちんと従うし、何にも心配は要らないさ。だから、ねっ!」
「えーと、そのネックレスをどう使えばいいんです?」
「少なくとも身につけていたらもうボクらが君の中に勝手に入ることは無いだろうよ、その物がボクらに対して支配性を帯びているから」
いつも通り高慢な精霊を見据えながら、クリスは情報を整理する。
あのネックレスをつけていると精霊は従う、だからダインがどんなに我侭だろうとも心配は無用。
こういうことだろうか。
そして、身につけていれば精霊が勝手に入ってくることも無い、と。
以前のチェンジリングの際はクラッサがつけていたと思われるが、彼女の命令によりレヴァはクリスの体に戻らなかったのかも知れない。
……とはいえ、以前のニールやダインは意図してクリスの中に入ってきたわけでは無い。
となると、ただ命令して従わせるというよりは、精霊の無意識の動きですらも強制させられるくらい強いものなのだろう。
ただ、
「元に戻ることが出来そうで喜んでいるところ申し訳ないんですけど、私あのネックレス持ってないんですよ」
「ええええ!?」
小さい体なりの大声をあげて驚くダイン。
「いやー、剣に戻してあげられそうに無いですね」
「う、うそぉ……」
これからクラッサも居るであろう場所に行くのだから途中で彼女から奪い返せばいいだけなのだが、それを伝えてダインにわざわざ望みを与える必要は無い。
ポーカーフェイスが出来ないクリスは、もう笑ってしまいそうなのでふいっとダインから顔をそらし、肩に居るニールにだけそっと伝える。
「もしネックレスが手に入ったら、お願いします」
「了解した」
エリオットを助けるにはきっとまたあの連中が行く手を阻んでくることは間違い無い。
果たして攫われた先が本当にあの施設かどうかも分からないが、行くだけ行ってみてから考えよう。
そこに居なかったら、また別の場所を探せばいい。
まずは心当たりを潰していくのみだ。
きっとレイアもどこに居るのか確証が無いからこそ、先に一人で確認しに行ったのだろう。
「着替えてきます」
流石にパジャマでは行けない。
何度か着ることで、手際よく着られるようになった法衣。
洗っても少しだけ残っている血の染みが、クリスの今までの過去をそれ一つで物語っているようだった。
姉のことを話さないのなら徹底的にぼこぼこにしてやろうと思っていた、あのいけ好かない軟派男との出会い。
金に目が眩み、思わず一緒に旅することを選んでしまった、あの時から全てが始まったのだ。
人のことを馬鹿にするくせに、体を張って助けてくれたことは一度では無い。
それはあくまでクリスの姉あってのことで、ローズを優先するがあまりにクリスに敵意を向けてきたこともある。
でも……それを差し引いてもこの恩は有り余るだろう。
――自分はまだ彼に何も返していない、いつも与えられ護られてばかりだった。
今度は彼から拒絶されていないのだから、迷わず行けばいい。
クリスは着替えを終えて、ニールを再度肩に乗せ、短槍を右腰に下げた。
最後に手にしたのは、壁に立て掛けてある赤い剣。
これも腰に提げようと思って何となしに触れたその時、剣に普段以上の力が帯びて、輝いた。
「なっ!?」
そしてまたしても勝手に出てくる悪魔のような出で立ちの精霊。
レヴァはクリスの目の前に姿を現すなり、言う。
「貴方はとても不安定ですね」
相変わらず優しい女性のような声で、しかし顔は無表情。
「先日貴方が私に見せた火種はとても冷たかった。かと思えば今はとても暖かい」
「火種、ですか?」
「司るは『焼失』……心が願うままに焼き尽くす、それが私の力」
ニールから少し聞いている『焼失』について、レヴァの口から再度聞かされた。
何故ここでそれを、と思ったその後に、目の前の深緋の精霊は氷晶のような瞳でクリスを見つめて話す。
何となく、その外観に本質が表れているようなレヴァの色。
「火種次第で私の力は如何様にも使うことが出来るでしょう。私は決して俗に言う炎に縛られているわけではありません。ですが、貴方はコントロールしてそれを変えているわけでは、無い」
「…………」
「気をつけてください、仮にも貴方は私の主人です」
「はい」
また言いたいことだけ言って消えてゆく赤い剣の精霊に、仮の主人が溜め息を吐くと、肩のニールも一緒になって小さく息を吐いた。
「レヴァが自分からこれだけ喋るのは珍しい。そう呆れないでやってくれ」
「そ、そうなんですか……」
鞘に納まっているその剣を左腰に提げ、小さな相棒に言葉だけを放つ。
以前の火種が冷たいと言われた。
以前といってもレヴァの能力のようなものを引き出せたのは過去にあの一度しか無い。
ここでセオリーを斬った時だ。
あの時は確かに不思議な『焼失』だった。
あの時とは違う火種が今あるというならば、今レヴァを使えばまた違う『焼失』になるのだろうか。
「むずかしい……」
とりあえずニールが元に戻るまではこの剣以外には無いのだから我慢をしよう。
クリスの服にはニールが入って居られそうな場所は無いので、ポーチも提げて小さな獣人をその中に入れてやる。
今の時間からニザフョッルに向かうとなると飛行竜を使っても半日かかると思われた。
急いで行っても日は昇っている、か。
間に合う確証は無いが、とにかく少しでも可能性がある限りひた走って行こうとクリスは前を向く。
本当は泣きそうな程辛く、気が狂いそうなほどあの連中が憎い。
いつもなら感情任せに動いていた。
それを辛うじて耐えていられるのは、今のクリスの心には一つの支えがあるからだろう。
貰ったばかりの、優しい気持ちが。
いつも泣いてばかりのクリスの瞳から、涙が零れることは無かった。
【第三部第十章 涙 ~滅紫の歴史~ 完】
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