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この箱庭よりも大切な人に  作者: 蒼山
第三部 第十章
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涙 ~滅紫の歴史~ Ⅰ

挿絵(By みてみん)


  ◇◇◇   ◇◇◇


 クリスやエリオットが生まれるよりもずっと昔のこと。

 あの日、あの時、それは偶然だった。


 金色の細く長い髪を乾いた風に靡かせ、白い布を羽のように幾重も折り重ねて作られた衣を纏う女はいつものように命令をこなす。

 女神の末裔と精霊武器により壊滅させられていた一つの種族とその村。

 止められれば良かったのだが一足遅く、草一つも育たないようなものへと変貌していたその地を、彼女は静かに癒していた。

 黄金の腕輪を付けたその腕を一振りすると女の周りからみるみるうちに苔、草、花が咲き乱れ、やがて樹までもが時を早送りするように伸びていく。


 そこまではいつも通り。

 最後に残ったこの世界を保ち護る、その為に彼女はその身を神に捧げていた。

 黄金の腕輪から与えられる力に、その身が耐えうる限り、神の手足となる。

 しかしその、人間では成し得ない光景を目の当たりにしてしまった一人の男が居た。


 荒地の中で息を飲み、見つかるまいと物陰に隠れていた彼だったが、微かに物音を立ててしまい女に気付かれる。

 女は相手の姿を見て取り乱した。

 本来自分の行いに干渉させるべきではないと女が考えている、この世界の民に見つかってしまったのだから。

 身体的特徴からして彼がエルフなのはすぐに分かった。

 つまり、敵である女神の末裔では無いということ。

 何故こんな何も無くなってしまった場所にエルフが……それは今まさに彼女が行っていた『世界の修復』を調査するために来ていたのだが、彼女がそれを知る由も無い。


 無情な神は彼女に言う。

 存在を知られては今後の行動に支障が出る。

 殺せばそれで済むのだ、と。

 だが女は、首を横に振りそれを断る。


 エルフの男から見れば不思議なものだった。

 女は一人で顔を強張らせ、首を振って後退していくのだから。

 恐れるものでは無いかも知れない、そう思って男は完全に女の前に姿を現す。

 ブリガンダインを着込んだその男の、エルフにしてはとても珍しい黒い髪は長く、瞳までもが漆黒。

 彼を女越しに見留めた神はふと思いついた。

 少し試してみよう、と。

 命令を聞かない女の体に神が無理やり降りたことで、女の雰囲気ががらりと変わる。

 急に近付いてくる金髪の女に不安を感じた彼は、自分でも気付かないうちに少しずつ後ろへ下がっていた。


「な、何だ?」


 先程までの人知を超えた光景もある。

 突然変わった雰囲気も相俟って、彼の中に芽生える恐怖。

 女一人にここまで気圧されてどうする、とそこで踏ん張ったのが彼の最大の過ちだったのだろう。

 近づいてきて薄く笑う女は、武器一つ持たずに男にそっと触れる。

 そこから彼女に降りた神が行ったのは『創り変え』。

 一度彼を全てばらし、再度紡ぐ。

 それをされた瞬間の男の意識は途絶えた、というよりはそもそもその瞬間、男は男でなくなっていた。

 別に遊んでこんなことをしたわけでは無い。

 女神の自壊に巻き込まれて本体を失った際に急遽作り上げた遺物、金の腕輪の中に潜む神は、この世界で動く為の新しい器が欲しかっただけなのである。

 遺物の中に閉じこもったままの、自由に手足も動かせぬ環境は流石に不便だ。

 神である自分の膨大な質量の精神が、永遠に入り続けても耐え得る器が欲しい。

 この黒いエルフは、見たところこの世界の長寿な種族であるハイエルフの中でも突然変異。

 素材は悪くない為、自分の器として創り変えやすいかも知れない。

 

 女の体はビフレストとしての適性自体は高く、異常が出ることもなく創り変えることが出来たが、能力を与えすぎるがあまりにその自動的に傷を癒す力が干渉してしまい、通常の魔術を使用出来なくなってしまった。

 では、次は魔術に特化した器を創ってみよう。


 改変を終えて力無く倒れた男に、神はそのまま女の体を使って次は脳をいじる。

 魔術の根底となる知識を直接刻むことでどうなるか。

 これを体が受け入れられなくては、自分がその器に降りても長期間耐えることが出来ず、いつかは壊れてしまう。

 結果は……良いものではなかった。


「ダメ、か」


 耐えられないことは無いようだが、若干生じてしまった不具合。

 もうしばらくいじってみるか。

 突っ伏している男の傍でしゃがみ込んだ女……もとい神は、ふむ、と考えながら彼を酷く冷めた目で見下ろしていた。

 そこへもう一人の招かれざる客が現れる。


「何をしているのですか!!」


 女に気付くなり躊躇うこと無くその剣を振るってきた、白緑の髪と赤い瞳をもつ丸眼鏡の男。

 そしてこちらも同じくエルフであろう長い耳。

 瞬時に、足元で倒れている男の仲間であることが判断できる。

 しかし避けるまでも無い。

 振るわれた剣を片手一つで水と花に変化させ、その現象に驚いて動きが鈍った男の首を、女の体は掴む。

 ……ならばコイツはどうだろう。

 先程黒髪のエルフにしたことを、後から来た同族らしき男にも神は試してみた。

 しかしまたしても結果は良くない。


「もう少し、研究の余地があるね」


 不具合に固体差が出たのだから、やりようによっては成功するはずだ。

 そう考えた神は、一先ず女に体を返してやる。

 長居をしては、女の体の寿命が縮むから。

 自我を取り戻した彼女の第一声は謝罪。


「ごめんなさい……」


 目の前で倒れていた、愛するこの世界の民を……

 行われた操作が複雑すぎて自分の知識では彼らを治せないことを彼女は嘆いた。




 ――元々は女神の遺産がこの世界に降り注ぐ以前に、生まれて存在し続けているその女。

 彼女は現在ビフレスト、レクチェと呼ばれている者である。


 長く続いた神と女神の争いの末に、自壊した女神に巻き込まれて無理やり地に落とされた神は、自我を保つことに成功した。

 しかし、自分の体を「命」として紡ぐことまでは間に合わなかった。

 その神の精神が宿っているのは、先程の時点ではまだビフレストが身につけていた黄金の腕輪。

 女神の遺産が女神自身であるように、神もまた自身の体を一つの遺物に凝縮したのだ。


 その遺物が降り注いだ先は、とある女の下。

 その時代では希少と言える慈愛に満ちた心を持つ女は、その腕輪の言葉に耳を傾けてその身を喜んで差し出す。

 まだ言葉など持たぬが、想いだけは伝わる。


 どうぞ私をお役立てください。


 だがそううまくはいかなかった。

 神が常時宿るには器が小さすぎたのだ。

 彼女の精神と、神の精神が同時に入ることは大きな負担だった。

 入り続けるとすれば数十年程度なら保てそうではあったが、それ以上長い間受け入れられそうには無い。

 ただ幸運にも彼女は神の使いにならば成れるだけの才はあり、腕輪を通じて行われた体の改変は拒絶反応を示すことなくすんなり進み、力も他を寄せ付けぬほど大きなものとなる。

 神は言う。


『私の創ったこの世界を、女神から護っておくれ』


 彼女は素直にそれに従った。

 何故この世界が滅ぼされようとしているのかも、そして神の本質も知らぬまま。

 神と女神の遺産がこの地に降り立ったと同じ日に、レクチェはビフレストとしての使命を受け、生まれ変わったのだった――




 それから度々、神とレクチェの価値観は食い違う。

 全てに無償の愛を注ぐ彼女は、この世界を自身の箱庭として愛しているだけの神との相違に気付くのにそれほど時間は掛からなかった。

 それに対し時折抵抗を見せる彼女だったが、結局神の意を通さねば体に降りられて使われてしまうだけ。

 彼女は知る。

 この神はただ創造主なだけで、信仰するような存在では無いのだ、と。

 だがそれでも女神の遺産による世界への破壊干渉は止めねばならぬ。

 多少の不満は飲み込んででも遂行しようと彼女は誓った。


 けれども、


 まさか自分以外の人間を、当人の承諾無しに創り変えるなどとは想定外であった。

 命令を聞かない自分のせいでこの被害者が生まれてしまったのだ、と彼女は自分を悔やむ。

 自分が素直にいうことを聞いていたら、他の体など必要無かったのだから。

 真相はそうでは無いのだが少なくともレクチェはそう受け止めており、以後自分を散々な目に遭わせることとなる彼ら……フィクサーとセオリーを決して責めようとしなかったのはこの時の罪悪感が無いと言っては嘘になるだろう。




 フィクサーとセオリーが植えつけられた能力は、ビフレストとは違う。

 レクチェにうまく使えない魔術を極めた体と脳は、後々利用価値が出てくる。

 そう踏んで一先ず置かれた彼らの行動は、ルフィーナが話した通り。

 彼らは女神の末裔と手を組み、レクチェを捕らえることに成功した。

 レクチェと繋がっている、神と接触する為に。

 だがその時には既に、レクチェの元に神は居なかった。


 彼らをあのような目に遭わせた神に、レクチェは小さな反抗をしていたのである。

 この世界は護るが、命令を聞く気はもう無い。

 神が宿る腕輪を、彼女は……壊していた。


 とはいえ、今ならもう分かる通り、器を壊したところで中身がどうにかなるわけでも無かった。

 レクチェの誤算。

 拠り所を失った神は、次に一旦仮の器として、とある少年の中に入っていた。

 以前ニールとダインを取り込んでしまったクリスのように、たまたま入りやすい性質を持っていただけの少年に。

 女神の遺産と呼ばれる精霊武器の精霊も、元を辿れば女神本人。

 実体の無くなってしまった存在という意味では、神と精霊達はとても近い存在なのだ。


 少年は自然に吸い込まれるだけあって器としての耐久度は高かったが、女のビフレストと違い、神の力を上手に操ることの出来る肉体は持ち合わせていなかった。

 その少年に入って神がまずやろうとしたことは、今度こそ本腰を入れて器を創ること。

 膨大な知識を使い、大陸統治国であるエルヴァンに取り入って言葉巧みに事を進めていく。

 最初から力も持ち、壊された腕輪の欠片と照らし合わせることで器としての適性も安全に確認出来た成功例が生まれたのはつい最近。

 あとは壊さないようにゆっくりと、その器に、世界と魔術の理を直接刻み込んでゆく。


 最後の仕上げは、『その結論』に行き着いた彼らが上手にやるだろう。

 知識は与えたのだからきちんと理に適った方法で、勝手に降ろしてくれる。

 そうすれば……目的の達成をする為にとても便利な器が、確実かつ安全に手に入るのだ。

 

  ◇◇◇   ◇◇◇

 

 金髪の女のビフレストはゆっくりと目を覚ました。

 一瞬自分が今どこに居るのか、それまで何をしていたのか混乱したが、すぐに記憶は鮮明なものとなる。

 そう、あの深い憎しみが潜む悲しい目をした黒いスーツの女性に、槌をぶつけられて意識が飛んだのだった。

 何が理由でそうなったのかは知らないが、あの目はとても悲しい。

 他人を恨み復讐を生きる糧にするのは、楽かも知れないが達成したその先にあるものは空虚とそれによる絶望だとレクチェは考える。

 復讐しても何も生まれない。

 達成するまでは良い。

 だがその後に堕ちてしまう深さを考えると止めずにはいられなかった。


 彼女は今どうしているのだろう?


 目覚めて最初に考えたのはそんなこと。

 誰が見ても、この女のビフレストは純粋過ぎるが故に大馬鹿者だった。

 そして次に考えたのはこの場所。

 全く見覚えの無い真っ白な部屋で、少なくとも記憶が飛ぶ前に居たはずの場所では無いことだけは分かる。

 ガス欠状態になりかけているはずの体を起こすと、そんなに重くもなく、力も足りない感じはしなかった。

 何故だろうか、と窓の外を見る。

 金色の大きな瞳が映した景色は、真夜中にも関わらず少し先には繁華街がありそうな魔術的な明かりが漏れていた。

 そして寒いわけでも暑いわけでも無い。


「王都、かな……?」


 景色を見る限り城の中というわけでもなさそうである。

 左手の薬指に填まっている指輪からは何の反応も返って来ないので、近くに神が居るとも思えない。

 では自分はどこの誰に救われたのだろうか?

 本当はあのまま壊れてしまいたかった。

 自分の信念を曲げて命令に従うことが辛い。

 自分で直接傷つけずとも、その命令に従うことで傷つく者達が居る。

 見ない振りをしていたそれをあの黒髪の女性に指摘された時、何よりも堪え難かった。

 でもそんなマイナス思考はすぐに振り払う。


 ――それが辛いのだったら、辛いと思う暇も無いほど出来る限り救い続ければいい。


 この指輪を渡されて再度記憶を取り戻した後、神は自分に降りて来ようとしなかった。

 あの少年のビフレストはほぼ力が無くて器としては不便にも関わらず、だ。

 ということは今後もこの体を奪われる可能性は低いのでは、とレクチェは考察する。

 多分、もう自分の体は神が降りられるほどの余力は残っていないのだろう。

 なら……今のうちに自分のやりたいことをしよう。

 自分の価値観と自分の信念に基づいて行動して、自分なりにこの世界と民を護ろう。


 誰だって落ち込むことはある。

 だが彼女は自分ですぐに切り替えられるスイッチを持っていた。

 悲しまないわけではなく、悲しんでもそれを自力で乗り越えられる強さがこのビフレストにはあるのだ。

 それが無い者にとっては……とても恨めしいくらいに。


 彼女はその白魚のような細く透き通った指で、そっと金色の指輪を摘んで外す。

 後から生成されたと思われる神の仮の遺物からの拘束を解くと、同時に力も薄れる。

 これが無いと力の供給は自然からのみになってしまうが仕方ない。

 まずは自分の二の舞、いやそれ以上になるであろう『あの人』に、事実を伝えなくては。

 それからルフィーナを悲しませる原因となっている彼らを止めよう。

 誰かを犠牲にして救われても、きっと正気に戻った時に辛いから。

 自分には彼らを治してあげることは出来なかったが、神を降ろさずとも『あの人』ならいつかやれるかも知れない。

 方法はきっと、他にもあるはずだ。


 ベッドから足を下ろし、薬の臭いの漂う部屋からそっと出る。

 緩くてちょっと長めのズボンを引きずりながら廊下を歩いていると、その景観からしてここが病院のような場所であることが分かった。

 まさか自分の体が一般の医者に診せられてしまったのか、と不安に思いながらも進んでいくと、病院というよりは生活の場のような部屋に出て、そこに居る浅黒い肌の獣人の女性と目が合う。


「あら~?」

「あ……こんばんは」


 キッチンに立って後片付けをしていた手を止めて、白髪の獣人の女性はレクチェに向き直ってほんわりと言った。


「お体の調子はどうでしょう~?」


 この人が自分を救ってくれたのか、と取り敢えずレクチェは頭を下げる。


「はいっ、おかげさまで! ありがとうございます!」

「お礼はお兄様に仰ってくださいまし~。わたくしは何もしておりませんので~」

「お、お兄様、ですか?」


 そんなレクチェが自分の置かれた状況を把握するのは、この数分後のことだった。

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