同調 ~賽は投げられた~ Ⅲ
「もうアイツらは止まりはしないわ。だから止めるには殺すか……エリ君が先に死んでやるしか無いのよ。エリ君が死にたいのならそっちでもいいけど」
「……っ」
「そんなこと無いわよね。あたしとしては神が降りるのは絶対に避けたいの。いい? フィクサー達をあんな風にした存在が、果たして大人しくしてくれるかしら? 今度は何をするかしらねぇ」
話を聞きながら、クリスは憤りを覚えていた。
最初から最後までクリス達を惑わせてきた存在が、実際にやろうとしていること。
それは、自分が元に戻りたいというだけで様々なものを踏み躙り続けるものだった。
悪意が見える分セオリーにばかり目がいっていたが、クリスは自分が馬鹿だった、と思う。
あの男と共にいる者がまともなわけが無いのだ。
いや、むしろそれ以上にタチが悪い。
平気で嘘を吐き、騙していたのだから。
「俺に方法を教えられないわけだ……」
エリオットは笑っていた。
多分それは自嘲。
フィクサーにまんまと騙されていた事実を知れば、確かに笑うしか無いだろう。
彼は天井を仰ぎながら言う。
「レクチェに降りていたこともあったんだろ? そっちはもう無理なのか」
「神が降りる、ということは一つの器に二つの精神が入るということよ。そんな負荷行為、既に体が安定していないレクチェに出来るものでは無いわね。でもレクチェに降ろしてエリ君どうするつもり?」
もしレクチェごと殺すというのならば、とその先の言葉を言わずとも空気で感じさせるルフィーナ。
そしてそれはクリスだって全力で止めることだった。
エリオットは不都合な異常といったものが見当たらないのだから、何やらあるらしいフィクサー達と違って元の体に戻る必要はそこまで無い。
ただの復讐でレクチェを手に掛けるのならば……それは賛同できない。
エリオットはクリスとルフィーナの視線を浴びながら静かに答えた。
「いや、何もしないさ。一応聞いてみただけだ」
「正しい判断ね。だから言ったでしょ、諦めなさいって。フィクサー達が考えている方法でやるのは、後のことを考えると周囲に与える被害が大きいの。だって今までで一番の力を持ったビフレストに降りるということは、レクチェの時以上にやりたい放題出来ちゃうじゃない。独自に他の方法を探すのならそれは止めないわ」
「あぁ」
笑っていても悔しさが滲むような複雑な彼の表情。
翡翠の瞳は悲しげに濁り、乱れた髪が肩に這う。
ルフィーナは席を立ち、背後にあった大きな窓辺に寄って外の景色を見つめて言った。
「あたしはフィクサーにエルフでは無くなった以外の異常があるだなんて知らなかった。でもそれなら全部辻褄が合うから、そこは嘘じゃないと思うわ。正直、目的を達成させてやりたい気持ちは無いことも無い」
その言葉にぴくりと反応するのはレイア。
彼女からすれば若干なりともフィクサー達寄りであるルフィーナの今の発言は聞き捨てならないのだろう。
「でも」
ルフィーナはクリス達を見ていない。
だからレイアの反応を見たわけではない。
その上で赤い瞳のエルフはもうとっぷりと暮れた窓の外を眺めながら言う。
「やりすぎよ」
他の誰も何も言わなかった。
「幼馴染だろうが異母兄だろうが関係無いわ。自分勝手な目的の為に踏み躙ってきた命は数知れない。そして今やろうとしている方法では降ろした神が何をするかも分からない。なら……」
一瞬言葉が詰まりつつも、彼女は大きく息を吐いてその先を言う。
「せめて一思いに殺して止めてやらないとね」
淡々と。
クリス達に背中を向けている彼女はどんな表情をして今の言葉を紡いでいるのだろうか。
窓際を掴むその手が強く握り締められている、それだけがルフィーナの感情を物語っているようだった。
「まぁあたしじゃ無理そうだからエリ君にお願いしてるんだけど」
そう言って振り返った彼女の表情はごく普通の苦笑い。
笑い返す者はおらず、ただ俯いたままのエリオットが短く、
「分かった」
と、嘆くように呟く。
それで話は終わり、各々解散。
最後の皆の表情は、クリスの脳裏に深く刻まれることとなった。
そしてエリオットとレイアは城に戻り、エリオットの部屋の前でレイアが言う。
「王子、大丈夫ですか?」
薄暗い明かりに仄かに照らし出されている彼女の顔は、エリオットのほうが「大丈夫か」と問いかけてやりたくなるくらい辛そうに歪んでいた。
「大丈夫じゃないと言えば嘘になるが問題無い。あの連中をぶっ殺して、別の方法を考えるだけの話だからな」
「ですが、まさか王子の体に神を降ろすだなんて大それたことをあの男達が考えていたとなると……」
「っと」
エリオットは右手でレイアの口を塞いでそれ以上喋るのを止める。
アゾート剣の監視が音を拾っては面倒だからだ。
口を塞がれてレイアもすぐそのことに気付いたのだろう、エリオットがそっと手を離した後はその琥珀の瞳が真剣な眼差しに変わる。
「失礼致しました」
「いや、いい」
辺りを見回したいところだがその動作がもう怪しい。
仕方ないのでエリオットは傍を通ったメイドに遅い夕飯を頼んでから、そのまま別の話題を話し始める。
「起きている時よりも、寝ている時の護衛を強化したい」
エリオットの体そのものが連中の狙いであり、フィクサー達が空間転移を使える以上、王妃がレイアに指示しているような半端な警護では全く意味が無い。
それはレイア自身も分かっていることなのだが、腕が立つとはいえ女であるが故に、夜にエリオットの傍に居るというのは周囲の目があるという意味でアウトなのだった。
城外であればそれも気にならないが城内となると、エリオットの部屋の前で番をしているはずのレイアが居なかったら勘繰られること間違いなし。
自分の素行が先日のリアファルの件も含めて、このように行動に影響が出てくるだなんてエリオットは正直思ってもいなかった。
「しかし私は……」
夜に室内警護に回れという指示が出ていない為、困ったような反応を示すレイア。
「知っている。でもそんなこと構っていられないだろう」
「で、では夜だけこっそりクリスを呼びましょうか?」
「え?」
予想だにしない提案にエリオットは思わず問い返す。
「私がドアの前を離れるわけには参りませんので……だからと言って他の者では多分役に立たないでしょうから」
「……まぁそうだが」
「まっ、間違いを起こさないというのであれば私はその件には目を瞑らせて頂きます」
苦渋の決断、といった表情で彼女は王子にそう告げた。
エリオットは本当はレイアに「噂覚悟で見張っていろ」と酷い命令をするつもりだったのだが、先にクリスの名前を挙げられてからレイアに命令すると、更に酷くて失礼な意味合いを兼ねてしまう。
多分「私なら間違いが起こらないのですね」と、口には出さずとも落ち込むのが目に見えていたから。
「うーん、いっそ俺がドアの前で寝るか」
「何を言っているのですか!!」
半分本気の発言。
だがレイアは冗談と受け取ったらしく、叫んだ後にふっと笑って、
「……弟も付き添えば問題ありませんね? クリスにもこちらから連絡しておきますので明日以降はそうしましょう」
「おー、それもそうだな」
ガイアも一緒に部屋に居るのならば夜が楽しみになるかも知れない。
何だかんだで会話していてその場を明るくしてくれる奴だから、と明日からの想像をして、エリオットのやや落ち込んでいた気分に少しだけ晴れ間が射す。
「ま、着替えて来いよ」
「はい、そうさせて頂きます」
私服姿のままのレイアを部屋に戻るよう促し、エリオットも自分の部屋のドアを開けて足を踏み入れる。
と、そこで部屋に居るはずの無いものが悠々と座っていて、思わず悲鳴をあげそうになるエリオット。
辛うじて悲鳴を出さずにいられたのは、部屋に入った途端に真横から目の前に飛び出てきた人物によって口の中に押し込まれた何かのおかげだった。
「っ!!」
「間違っても矢尻を舐めないようにしてくださいね、この精霊武器は即死級の毒がありますので」
だったらそんな物を口の中に押し込むな。
視界の半分くらいが綺麗な装飾の弩によって埋まっているが、エリオットはそれを持ち構えている人物が誰なのか声だけで分かる。
散々耳元で囁かれ続けてきたのだから。
弩を構えて薄らと冷たい笑みを浮かべる男装の麗人の背後で、エリオットの椅子に座って足を組む黒髪の男が侮蔑の言葉を放つ。
「よう、調子はどうだ? エリオット・エルヴァン」
つい先刻「殺せ」と師に言われた相手が、そこに居た。
口の中に弩の先端を押し込まれているのでただ睨み返すことしか出来ないエリオット。
黙って耐えていると、
「おっと悪い、喋ることが出来なかったな」
「分かってやっているくせに、フィクサー様は相変わらず性根が腐っておいでですね」
上司の性根が腐っていることをとても嬉しそうに指摘するクラッサに、フィクサーの表情筋がぴくりと動く。
女に弱いのか、それとも好みの女に弱いのか知らないが、本当に相変わらずな連中を見て気が削がれそうになってくる。
だがこんな風に油断させておいて、エリオットを文字通り道具として使おうとしているのだ。
「クラッサ、放してやれ」
「かしこまりました」
その指示によりゆっくりとエリオットの口の中の弩が下げられ、それでも狙う構えは揺るがない。
「王子、約束ですからその身を頂戴しに参りました」
上司と同じ、黒一色に包まれた麗人がウインク一つ。
そのモノクロに浮かぶ鮮やかな口紅と違和感のする火傷。
「なるほど、なぁ……」
フィクサーはさておき、クラッサは嘘など吐くことなく最初から言っていたではないか。
エリオットの体が欲しいのだ、と。
どうこの弩の射程から逃れるべきかと考えていると、椅子にどかりと座ったままだったフィクサーがようやく立ち上がって言う。
「来てくれるよな」
「今は行きたくないんだが」
ルフィーナと会っていたことがバレているのかいないのか。
まだ判断がつかないが、とりあえずぼかしながら軽く笑って断ってみる。
するとエリオットの笑いに釣られるようにフィクサーもその顔を無駄に爽やかな笑みに変え、
「ははは馬鹿言え、お前に断る権限は……」
懐から取り出したタル型の柄のダークを、
「無いんだよ」
そのまま自分自身の腹に突き刺した。
何をしているんだ、と思ったのも束の間、急にエリオットは腹部に鋭く熱い感覚を覚え、そのままそれが激痛へと変化する。
すぐに腹に手をあてると、みるみるうちに赤く染まってゆくエリオットの服。
「な、何を……」
「すまん、よく分からないから刺し過ぎたかも知れないな」
そう言いながらダークの刃でぐりぐりと自分の腹を掻き回すように動かすフィクサー。
その動きに合わせるように、エリオットの腹部に、悲鳴など通り越して声も出なくなるような痛みが襲う。
これは体をリンクさせられている。
フィクサーの体に傷がつけば、リンクしているエリオットの体も同じように傷がつく状態なのだろう。
いつこんな魔術を掛けられていたのかエリオットは全く気付かなかったが、もしこの状態でフィクサーを殺せば自分も一緒に死ぬということは理解出来る。
気が触れているとしか思えない行動をしている黒い男は、エリオットと同じ苦痛を味わっているのに平然としていて、やがて飽きたのかダークを勢いよく腹から引き抜き、
「くはっ」
エリオットだけが声を漏らし、血がまた互いの腹からあふれ出した。
白い床に広がっていく二つの血溜まりを確認して、構えていた弩を下ろすクラッサ。
エリオットは先程から傷を治そうとしているのだが、治してもすぐに怪我が怪我へと戻る。
多分フィクサー側の傷を治さない限り、何度やっても同じなのだと思われた。
「通常の武器は溶かすわ、怪我は魔術紋様無しで治すわ、そんなお前にどうやって対抗するかと言ったら……これしか無かったんだよ」
けほっ、と咳き込みつつフィクサーが言う。
普通なら有り得ない方法だった。
このような自滅してもおかしくないことをしてまで元の体に戻りたいのか。
エマヌエルと違って一見普通にしか見えないだけに、そこまで執着させる身体異常がエリオットには思い当たらない。
「フィクサー様、あまり放っておくと死にますよ?」
「そうだったな」
既に腹を抱えて痛みに蹲っているエリオットの元へ、平然と歩いて来る黒スーツの男。
だが彼の顔色は悪くなっていて、引いていく血の気がフィクサーにもダメージがあることを示していた。
ルフィーナの言う通り、殺すべきだと思わされるその狂気じみた行動。
だが心中するか、何か他に方法は無いのか。
考えようにも痛みが思考を埋め尽くしていて、エリオットは何も考えられなくなっていく。
前髪を掴まれて無理やり上げられた顔に、ダークの刃がそっと突きつけられたかと思うとそのまま頬に刺さる。
しかし頬の傷の痛みよりも、腹の傷がまずい。
遠のく意識の中で最後に見たものは黒く深い瞳。
「さあ……始めようか」
その言葉を最後まで聞くことは無く、痛みによって意識が遮断されてエリオットは目を閉じた。
【第三部第九章 同調 ~賽は投げられた~ 完】
章末 オマケ四コマ↓
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どうでもいい話ですが、次点で顔立ちが良い設定のフォウの描写は
「額の目による違和感を除けばよく整って~~」となっております。




