対峙 ~最後に笑うのは誰か~ Ⅰ
クリス達はエルヴァンまで向かった後、そこから列車に乗って移動していた。
目的地である北方の大きな街ツィバルドまで直通の路線があるのだが、そこへ行く途中の小さな村や町が壊滅している為、現在はその直前である北山を過ぎた麓の無人駅までしか乗ることが出来ない。
それ以上を列車で進むことが出来るのは現場復旧及び調査に携わる国軍関係者だけだ。
ルフィーナの口利きでそこに加わるということも出来たようなのだが、軍関係者が居る中にエリオットを連れて行くというのは目立つ、というか見つかったら色々問題なので、却下となる。
列車を見るのが初めてのクリスは、その形と大きさの珍しさに魅了されていた。
黒い車体のペンキの剥がれ具合が妙に情緒を感じさせており、これがたった数人の運転手の魔力と魔術で動いているなどとても想像がつかない。
内装もしっかり造られており、主に四人一組で座れるように各スペースそれぞれ二人座りの長椅子が対面式に組まれていた。
クリスとレクチェは隣同士で座りながら、エリオットとルフィーナに向かい合う形になっている。
クリスの正面に座っているルフィーナは例の黒いマント一枚を羽織っていて、その中の服装は既に分からない。
これだけ見ると、練れば練るほど色が変わると喜んで謎の物体を練り続ける魔女みたいな格好だ。
布地自体は薄そうに見えるが何か特殊な物なのだろうか。
今は何やら本を読んでいて、列車に乗る前に着けていた黒い手袋は外している。
クリスから見てルフィーナの右隣にいるエリオットはというと、あの後結局一人出かけて買って来た厚そうなカーキベージュの毛皮の長いコートを着ていた。
前立てと裾回りや袖口には金の糸で模様の装飾がされており、どう見ても高い。
顔が安っぽいんだから安物にしておけばいいのに、とクリスは失礼なことを思いつつ、それでも口にしないように堪える。
「しかしお前ら、何でお揃いなんだ?」
車内で買った焼き菓子を食べ終えたエリオットは、眉を寄せ半眼で問いただす。
そう、クリスとレクチェはお揃いで、ピンクに染められたファーコートを着ているのだ。
首元からはポンポンも付いている。
ファンシー。
レクチェは以前買った服の上に着ているが、クリスはファーコートの下にいつもの法衣は流石に着られないので、今日は覗色のタートルネックに裾だけだぶっとした白いパンツと短いクリーム色のブーツを履いている。
薄い色が基調なのは、クリスが着ている普段の法衣が白いから、それに合う物しか持っていないのだ。
「似合いませんか?」
そう言ってクリスは自分の服装を見下ろす。
「いや、似合う似合わないは置いといて、お揃いな理由を聞いているんだ俺は」
焼き菓子の屑が微妙に付いた手をその高そうなコートで雑に払うと、彼はため息まじりにそう言った。
何か問題でもあるかのように。
「可愛かったからお揃いなんだよ! これより可愛いのが無かったんだもん、仕方ないよ、ねー」
レクチェが先に回答し、続いてクリスも同意する。
「そうですよ、これが一番可愛かったんです」
「そうか……」
それなら何も言うまい、とそれっきり黙ってしまったエリオットの反応に、クリスは少し不安になってくる。
もしかしてこれは、似合っていないのではないか、と。
「に、似合ってないなら脱ぎます……」
少し涙ぐんでしまったのを誤魔化す事は出来ず、それに気付いたレクチェが、脱ごうとしたクリスの手を握って止める。
「そんなこと無いよ! すっごく似合ってるから!! 普段あんなかしこまった法衣着てるんだからたまには好きなの着てもいいんだよっ!!」
その「好きなの」は、目の前で微妙な反応を示している男の財布で買った物なのだが。
クリス達の友情に根負けした費用元は、投げやりな言い草で、
「あーもう! 似合ってる!! でもお前にピンクはどうなんだって思っただけだ!!」
と、とどめを刺した。
「そうですよね、私なんかがピンクは似合わないですよね」
コートを脱いだ後、タートルネックで口元まで覆う。
クリスとしては顔全部被ってしまいたいくらい切ないが、そこまでの長さはこのタートルネックには無い。
「エリ君もうちょっと優しくしてあげられないのかしら? 今のは酷いわ」
本からは目を離さずに嗜めたのはルフィーナ。
「俺が悪いのかコレ!?」
女二人に責め立てられた王子は、あくまで自身の責を認めることは無かったのだった。
乗客の少ない列車は、現在の一般運行の終点である無人駅まで何事もなく到着した。
途中途中で降りる客は居たものの、終点まで乗っていた乗客はほんのわずか。
クリス達が降りた後、列車は軍関係者だけを乗せたまま、その先へ走り去った。
彼らはこれから壊滅した村や街の状況把握や復興に追われるのだろう。
この無人駅は、エルヴァンの北の山を越えたところの麓にある。
錆びた小さな駅の周囲には雪が積もっており、歩くには少し苦労すると思われる。
とりあえず今は雪が降っていないので、それだけでも幸運か、と一同は諦めることにした。
が、
「……寒い」
ピンクの手袋を着けた両手で露出した頬を温めながらレクチェが呟く。
皆吐く息白く、なかなか駅から出る始めの一歩が出ない。
つまりは、諦めきれていない。
「私寒いの苦手なんですよ。南で育ったもので」
「お姉さんが暖めてあげようか?」
一人薄くて寒そうな黒いマントを羽織ったエルフが、泣き言を言うクリスににっこりと笑いかける。
「いえ、いいです……」
後じさって拒否すると彼女は残念そうな表情を見せながらもそれを気に留める様子は無く、駅から一歩出てまっさらな白い地に足跡をつける。
歩きやすそうな低めのヒールの黒いブーツがマントの裾からちらりと見えた。
さくさく、と彼女が進むのを見て、クリスとレクチェもそれに続く。
エリオットは最後尾で、後ろを気にした様子で着いて来た。
進む先は針葉樹がぽつりぽつりと立っているだけの真っ白な平原。
うっすらとはいえ積もった雪のせいであるはずの道も消え、どちらに次の村や町があるのか土地勘の無い者には検討もつかないだろう。
「ルフィーナはこのあたり、知ってるのか?」
あまりの寒さに毛皮のコートの襟を立てて首元を覆ったエリオットが問いかける。
「ぶっちゃけて言うと、いつもは列車で通り過ぎちゃうから大まかな方角しか分からないわ」
「じゃ、俺が先頭を歩く。着いてこいよ」
その長いコートをなびかせてルフィーナを追い越し、結局エリオットが先頭になる。
「ここからツィバルドまでの道のりで他の町村は二つある。何もなければ一時間くらいで一つめの村に着くだろうよ。二つめの町は、一つ目に着いたらもう目と鼻の先だ」
そう言って足取りを早めた。
寒いのでクリスは首を窄め俯き、その足跡を辿るように着いて行く。
歩幅に差があるのでどう頑張っても新しい雪を踏んでしまいパンツの裾に雪がこびり付いてしまう。
裾に付いた雪は体温で水に変わり足を濡らした。
要するに、とても冷たい。
風除けになる木々も少ない為、平原に薄く積もった雪を強風が舞い上げては守りようのない顔に容赦なくぶつけてくる。
しばらくして頬の感覚がなくなり寒さを感じなくなってきた頃、先頭のエリオットがその歩みを止めた。
「……何か居ないか?」
その言葉にレクチェ以外が瞬時に警戒を強める。
周囲は視界も広く、隠れられる障害物は限られている。
少ない木々に、ところどころでぎりぎり隠れられる程度の岩。
見渡したが誰も居ない。
だが、誰もそれを気のせいだとは言わない。
お互いにその実力を認めているから、勘違いなどと流したりしないのだ。
「あっ、あそこにうさぎさん」
レクチェさんが嬉しそうに、木陰からひょっこり顔を出した真っ白の野うさぎを指す。
だが皆は警戒を解かない。
「……他に何か居るの?」
強張ったままのクリス達の表情からそれを読み取った彼女は、改めて周囲を見渡した。
確かに誰も何も見当たらない。
雪は止んでいるにも関わらず、風が積もった粉雪を舞い上げるおかげで視界は白く霞む。
そんな冷風に瞬きをさせられた次の瞬間、彼らの目の前には見覚えのある人物が立っていた。
白緑の短く下ろした髪に、切れ長の赤い瞳。
それは以前セオリーと名乗っていた長身の青年だった。
違うところといえば、何故か今日は上下とも黒いスーツだ。
この雪山では、とても寒そうである。
今日の彼はいつもの余裕の表情ではなく何故か眉間に皺を寄せて、険しい顔でクリス達を見据えていた。
「何を……しているのですか」
誰に、何に対して言ったかは分からないがご立腹の様子。
彼の呟きに誰が答えることもなく、そのノイジーな声だけが続く。
「折角助かった命を、粗末にしないでください」
言葉の本来の意味だけであればクリス達を心配しているかのようだ。
勿論そんなわけが無いと誰もが分かっていることだが。
この寒い雪原では異物のように見える黒いスーツの男は、クリス達の方向にその腕を伸ばし、空中で円を描こうとする。
が……
「させないわよ!」
セオリーが円を描ききる前にルフィーナが横一線に腕を振り、彼の術が掻き消された。
以前クリス達が不意打ちにあったあの空間移動の魔術を容易に打ち消し、『師匠』としての貫禄をクリス達に見せ付ける。
エリオットは少しずつセオリーから距離を取るように後じさって、気付けばルフィーナと位置関係が交代していた。
「……俺はアレとやり合いたくないぞ」
彼女とすれ違い様に、エリオットが呟く。
「情けないこと言わないの」
そう答えてルフィーナはマントの中から折りたたみ式のロッドを取り出した。
一振りで組み立てられたその銀の棒の紋様は仰々しく、先端にだけ握りこぶし大のクロムイエローの石がはめ込まれている。
ロッドをセオリーに突きつけて、彼女は切り出した。
「どうして欲しいのか言ってみなさいよ」
堂々と、凛々しく。
「いえ、こんな危険なところまで来て欲しくはないだけです」
「言いたいことは分かるけどね、成り行きなんだから仕方ないじゃない」
最初に鉱山跡に行った時、クリス達が向かうことを彼に伝えたのはルフィーナしかいないはずだ。
となるとこの二人は知り合いと言うことになる。
だが、危険を冒して欲しくないと言いつつその顔は相手の身を案じるようなものではない。
「見れば分かるでしょう? 会議中だったのに慌ててこちらに飛ばしたのですよ。大人しく帰って頂きたいのです」
「か、会議……?」
スーツで会議をするような仕事に就いているのか、とてもではないが想像が出来ない。
クリスもエリオットも思わず顔を見合わせる。
「この先は危険だ、ということはこの辺りにローズって子が居るってことよねぇ」
ルフィーナは不敵な笑みでセオリーに言葉を投げかけた。
それを聞いてエリオットの目の色が変わる。
「邪魔……すんなよッッ!!」
もうすぐ会えるという想いからか、堰を切ったように叫んでエリオットは素手のままセオリーに飛び掛った。
固く握られた右拳が思いっきりセオリーの頬を打つ。
無謀過ぎる素手での攻撃に驚いたクリスも、一先ず援護しようと慌てて背中の槍に手を掛けて布を振りほどく。
エリオットの一発目は命中し、セオリーの頬に痕を作っているようだ。
が、
「エリオットさん!」
レクチェが小さく悲鳴をあげた。
二撃目を繰り出そうとしたエリオットの左拳には、反撃するセオリーから突き立てられたナイフの刃。
しかしナイフは拳に傷すらつけられずどろりと刃が溶け、そのままエリオットの拳はナイフごとセオリーの右手をひしゃげさせた。
理屈は知らないがそういえばクリスも以前彼に素手で武器を壊されたことがあったことを思い出す。
「この……っ」
右手を押さえて、セオリーが短く呻いた。
エリオットの不意打ちによる素手での攻撃はどうも彼に効いている。
けれどセオリーは、もう少しでエリオットに馬乗りにされそうだったところを素早く転がり逃げて立ち上がり、後ろに大きく飛び退いた。
「以前の銃同様に、興味深い戦い方ですね」
じり、と距離を詰めるエリオットから離れるようにセオリーは一歩ずつ下がる。
もう寒さなど誰も感じていないように、互いに視線を正面の敵に投げかけていた。
「あの大剣も回収したいんじゃないのか? 何故行く手を阻むんだ」
据わった目で、そう問いただすエリオット。
セオリーは外観は傷ついているが、以前と同じようにその怪我を気にする様子もなく答えた。
「貴方がたにわざわざ死に逝ってほしくはない、それだけです」
そして続ける。
「だからその足を砕いてでも止めます」
左腕をかざして即座に宙に何やら文字を書いたかと思うと、彼の人差し指の先が軌跡を描いて光りだす。
術式に詳しくは無いクリスには特定出来ないが、その光はそのまま周囲の雪を地面から蹴散らし、クリス達の足元は一気に割れ崩れ始めた。
「きゃあ!」
その揺れに立っていられずにレクチェが膝をつく。
「させないって言ってるでしょ!!」
前で暴れていたエリオットの後方で待機していたルフィーナがそう言ってロッドを地に突くと、地響きはピタリと止まって、それ以上は地面は崩れなかった。
このまま崩れ続けていたらこの場に立つことも敵わず亀裂に落ちていたかも知れない。
「相変わらず人の邪魔だけは得意ですね」
「お前も邪魔ばっかりするじゃねーか!」
その隙をついてエリオットがセオリーに掴みかかる。
取っ組み合い寸前のように彼の両手がセオリーの両手首を掴んで動きを封じ、睨み合う。
「クリス、今よ!」
「はい!!」
クリスはすぐに、不安定になった大地を上手に蹴って、動けなくなったセオリーに思いっきり斬り掛かる。
そして、真正面で組み合っているエリオットのことなんて考えずに槍の刃を横になぎ払い、彼の首を容赦なく落としたのだった。
ごろりと転がるその首と、頭を失った胴体からは……血でも噴き出すかと思ったら何も出ない。
クリスの槍を間一髪でしゃがんで避けたエリオットの顔は蒼白だ。
「お、お前……」
エリオットは死体を掴んだ手を離して、ギギギと首を回し、目で何かを訴えている。
「エリオットさんなら避けてくれるって思っていましたから!」
「嘘だッッッ!!」
悲鳴にも似た叫びで怒りを訴える仲間を無視して、クリスは自分が斬ったソレに目をやる。
ソレはまるで機能を停止した人形のようになって転がっていた。
そして程なくしてソレは粉となり、風に舞い雪に混じる。
「随分高性能な人形ですね」
「普通に首切ったくらいじゃ動くわよ」
「本当ですか!?」
ルフィーナの言葉に驚きを隠せない。
では何故今回は倒せたのだろうか?
問う前にその疑問の答えを彼女は話す。
「貴方が今持っている武器はね、この世界の全てを否定しているの。分かる?」
先程の衝撃映像で震えているレクチェを優しく撫でながら、とんでもないことを。
「あの人形に掛かっていた魔術ごと切断したから動かなくなったのよ。今頃本物は人形の受けた痛みをそのまま味わって悶えているんじゃないかしらね」
可哀想に、と全然同情しているとは思えない恐ろしい笑みを浮かべながら赤い瞳の魔女は小さく呟いた。
レクチェは俯いていてルフィーナの表情は見ていないが、きっとそれを見ていたら更に震えたことだろう。
一面はセオリーの魔術で地盤が不安定になっており、またいつ崩れるか分からない状態である。
クリス達の周囲は雪も無くなり土が露になっていて、強い風が止んだかわりに、先程の戦闘で露になった土をまた隠す為かのように雪が深々と降り始めた。
「さ、早く行こうぜ」
そう言ってエリオットはルフィーナの前で蹲ったままのレクチェに手を差し伸べる。
彼女は唇を真っ直ぐ結んで、その手を借りて立ち上がった。
「取り乱して……ごめんなさい……」
両手を胸の前で握って、申し訳無さそうに謝る。
「仕方ないさ、か弱い女の子の見るもんじゃない」
苦笑しながらそう答えたエリオットは、その後クリスに振り向きこう毒づく。
「流石に俺もビビったからな! 誰かのせいで!!」
「助けてあげたんですよ、感謝してくださいね~」
そんなの知ったことではない、と軽く流してクリスは服を正した。
雪が降っているのだから急がないと更に苦労するだろう。
ひょい、と割れた地面を飛び越えて、また、歩き出す。