同調 ~賽は投げられた~ Ⅰ
◇◇◇ ◇◇◇
一方エルヴァンの城内では、もう一人の王子の部屋で、雲行きの怪しいやり取りが行われていた。
エリオットがエマヌエルを殺したことで、彼の周囲の均衡が一つ、崩れたのである。
エリオットに出来たウィークポイントを突くべく、臣下の一部がトゥエルをこの機に確実に持ち上げようとしている。
そんな臣下達に自身の考えを述べるのは第二王子。
現在の、王位継承権第一位の人物。
「好きにしたらいいさ。ただ、俺はとても無力だ。それでもいいのなら俺を飾ればいい。お前達の為なら……嫌じゃない」
とても、美しい笑顔。
弟であるエリオットと顔立ち自体は似ているはずなのに、次兄であるトゥエルは弟よりも見目が良かった。
少し華奢な体格、それと多分、表情の作り方の差なのだろう。
見る者を癒すような柔らかい目元を作り、トゥエルは彼らの前に立っていた。
お飾りの王にでも何でもなってやる……
第二王子のその言葉に、青い血筋ではあるものの王にはなれぬ者達の心が浮つく。
この人形のような王子を操り、限りなく自分達に都合の良い国を作り上げることが出来る、と。
そこには個人の欲しか無く、どう贔屓目に見ても彼らは国とその民にとって害にしかならないだろう。
けれど第二王子はそれを分かっていながら許容した。
「幼少の頃、両親に愛想をつかされた俺をそれでも慕ってくれているお前達に、何か返すことが出来るのならばそれくらいだ」
トゥエルは耳当たりの良い声でそう言っては、過去を憂うように瞼を緩く伏せる。
見ている側がとろりと溶けてしまいそうなその言葉と所作に、臣下達は一瞬だが心を奪われていた。
昔からトゥエルやエリザには、一人で何でも出来てしまうエリオットをよく思わない臣下が取り入り、派閥を作っている。
だがトゥエルはエリザとは違い、エマヌエル同様に問題行動が多かった王子だ。
なのに何故、未だ彼に取り入る者が居るのか。
それは、エマヌエルとは違い、自分に取り入ろうとする者達にトゥエルは滅法甘いからだ。
加えてその優しい声音、表情。
一度彼の「甘さ」に触れてしまえば、彼が王なら自分は安泰だと錯覚してしまう。
麻薬のような言葉が、臣下達を蝕む。
この人物の性格が歪んでいるとは思えない。
斬り捨てられた者達はきっと何かが悪かったのだ。
間違っていたのだ。
何故なら、自分はこんなにも優しく丁寧に扱って貰えているのだから。
そんな風に、理由付けしてしまわずには居られない。
誰だって、自分に優しい相手のことは良い人だと思ってしまいがちになる。
そんな馬鹿な人間が、トゥエルは大好きだった。
エリオットがエマヌエルを殺した。
これには少し驚いた。
ずっと反撃しなかった弟が、ついに反撃したらしい。
どのような言い争いの果てにそうなったのかは知らないがトゥエルにとっては好都合だ。
何をされても反撃していなかったからこそ、トゥエルよりも本来の王位継承権は低くても優位な立場に在れたのに、ついに「同類」に堕ちて来てくれたのである。
エリザに着いていた者達も、何だかんだで扱い難い王女より、扱いやすいトゥエルの下に流れてきた。
かといって、トゥエルは何もする気は無い。
いや、する必要が無いと言ったほうが正しい。
やりたい奴等に任せて放っておけばいいのだから。
そもそも王とは、他人が居てこそ成り立つものだ。
どんなに親と才能に愛されようとも、重臣達に認めて貰わねばやがて王となったところで王として機能出来ない。
弟は一人で何でも出来てしまうからその点を理解出来ないのだろうとトゥエルは皮肉に思う。
第二王子トゥエルは、エマヌエルとは違ってミスラと接触しておらず、人の心音が聞き取れるほど聴覚が発達したりもしていない。
幼い頃に直接脳に刻まれた映像の意味も知らない、ただのヒト。
だからこそ、自分の無力さを知っている。
他人の有り難味を知っている。
だがそれは決して純粋なものではなく、とても悪徳に満ちた感情で作られていた。
美しさも優しさも上辺だけであり、その内面はとても暗い。
思ってもいない言葉を平然と吐き、それに騙される可愛い馬鹿達だけを愛でる。
自分の傲慢を突き通す為に嘘を吐くなど、大人になれば容易いこと。
別に彼は気狂いしているわけでは無い。
ただ少し、幼い頃に心のどこかが歪んでしまっただけなのだから……
◇◇◇ ◇◇◇
さて場面は戻り、レクチェが居ることに驚いたエリオットと、その遅い驚きに呆れていたクリスはというと。
エリオットのほうはそれからしばらく驚いた表情のままで金魚の如く口をぱくぱくさせていた。
情け無いまでに、間抜け面。
次兄に表情の作り方を習ったほうがいいかも知れない、この弟は。
「あ、あのぅ……」
早く正気に戻ってくれないものか、とクリスが声を掛けると翠の瞳の焦点がようやく合って来た。
「とりあえず話させて貰っていいか!? 今度は色々優しくするから!」
優しくする、という言葉に「色々」が付くだけで何だかとても不健全なものになる。
今にも椅子を立って隣の部屋に向かいそうな勢いのエリオットに、クリスは言い難い事実を告げた。
「それが……ここに来た時には瀕死の状態で、まだ目を覚まさないんです」
「んな……」
目の前にぶら下がって来た餌が一瞬で去ってしまった気分のエリオット。
絶句し、その表情がみるみるうちにガッカリしたものに変わる。
やはり思考回路が追いついていないと見える彼は、先程よりはまだマシだがそれでも普段を考えると随分遅い反応を返す。
「な、何で瀕死!?」
「よく分からないんですが、セオリーが私に見せたいと言って傷ついた彼女を連れて来たんですよ」
「趣味が悪いな……」
「本当にそうなんです! いつもいつも人の神経を逆撫でするようなことばかり言ってきて!」
まるでクリスを引っ掻き回して遊んでいるよう。
その不満をクリスが訴えると、エリオットはポニーテールを揺らすように首を振った後、片手を口元に当てながら考え始めた。
「俺がここに居るのにレクチェが必要無い? まだ俺が素直に従うとでも思っているのかアイツらは……どういうことだ」
ぶつぶつ独り言を言ってはたまに頭を掻いていて、考えがまとまっていないのが分かる彼の仕草。
「一応、顔だけ見ます?」
情報量としては限りなく少ないだろうが提案してみると、エリオットは眉を顰めたままで頷いた。
クリス達は部屋を出て、隣の部屋までの短い距離を足早に進む。
少し前までクリスが体で全力ガードしていたそのドアを開けると、ほぼクリスの部屋と同じ造りであるその部屋の窓際のベッドで、死んだように眠っているレクチェが二人の瞳に映る。
クリスはその様を見るだけで息が詰まりそうな思いだった。
少し足が止まってしまったクリスの肩をぽんと叩いて、エリオットが進む。
横たわったまま動かない彼女をじっと見下ろして彼は言った。
「やったのはセオリーじゃないな、クラッサだろう」
「えっ」
クリスはてっきりセオリーがこんな目に遭わせたのだと思っていただけに面食らう。
まだ明かりもつけていない部屋で、深い闇に包まれたような二人のビフレストの姿に、少女は少しだけ不安を感じさせられていた。
「知ってるだろうがクラッサは精霊武器を使えるからな。で、レクチェがここまでダメージを負っているなら精霊武器以外有り得ない」
「そういうことですか……」
確かにレクチェやエリオットに正面から立ち向かうには精霊武器以外有り得ないだろう。
それだけ言ってくるりと体をクリスに向けた彼は、クリスを通り越し部屋の外に出た。
追うようにクリスもレクチェを後にし、廊下で立ち止まったエリオットと目を合わせる。
「もし目覚めたなら教えてくれ」
「はい」
「それとルフィーナがレイアの実家に居るから、三日後の日没に彼女の家に来てくれ」
「は、はい?」
今凄く大事なことを言われなかっただろうか。
内容の割にはあまりにさらりと言われ過ぎて、聞き間違いだったのではないかと思わず問い返すクリス。
すると、やはり間違いでは無かったらしい。
少しだけ周囲を確認した後にその跳ね気味な前髪を掻き揚げて、再度エリオットは説明した。
「無事に逃げ出したルフィーナがレイアの実家に匿われているんだよ。あそこなら連中の監視も無いし、多分今のところバレていない」
「ふおおおお」
ルフィーナが無事に今、この近くに居る。
そう思ったら気持ちが昂ぶるあまりにクリスの口からは変な声が漏れてしまった。
そんなクリスをとても怪訝な目で見るエリオットは、その気持ちを視線には表しつつもそこには触れず、続ける。
「見た感じ、俺に着いていた監視も基本的には中まで入って来ないみたいだ。あの件を知ってるってことはてっきり中にも、と思ったんだがな。場合によるらしい」
「あの件ですか?」
「あぁ、いやこっちの話だ」
クリスが問いかけるとエリオットは慌てて右手を振って誤魔化した。
あの件、とはルフィーナとの些細な情事のことであり、クリスに話すような話題では無い。
むしろエリオット的には知られたらとっても困ることだ。
エリオットが少し挙動不審なのでクリスとしてはもう少し問い詰めたいところだったが、そこで病院の正面玄関の方角からドンドンと強く叩く音が聞こえて話は中断される。
その音に心当たりがある王子が、肩を竦ませた。
「やべ……」
「夜分にすまない! 王子が来ていないか!?」
遠くから聞こえるものの、間違いなくレイア。
「エリオットさん、また何も言わずに抜け出してきたんですか……」
クリスのじと目を苦笑いでかわし、エリオットは正面の方へ急いで駆けて行った。
物音に玄関へ集まって来ていたライトとレフトに軽く挨拶して、彼は勝手に正面の鍵を開ける。
勿論、その途端にレイアがバッと中に入ってきてエリオットとご対面。
「…………」
無言でエリオットを見上げていた彼女の表情がみるみるうちに鬼のような形相へと変わっていくその様は、やはりいつ見ても怖い。
「すっ、すまん」
「せめて一言言ってから出てください!!」
殴りたいのを必死で耐えるかのように彼女の握られた右拳がぷるぷる震えている。
しかしちゃんと今回は耐えたらしく、その拳がエリオットに当たることは無いまま彼らはどたばたと慌ただしく帰って行った。
その様子がとてもいつも通りでおかしくて、クリスは彼らの背中が見えなくなるまで笑顔で見送ってから家に戻る。
すると、同じように見送っていたライトがぼそりと呟く。
「憑き物が落ちたような顔をしているな」
口元だけちょっと笑って見せた彼に、
「はい!」
クリスは元気良く返事をした。
このページの章扉絵(背景部分の飾り枠)には個人配布の素材を使わせて頂きました。
りるこ様のRIRU-DECO フリー素材集No.3↓
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=37686911
ちなみに扉絵に描かれているキャラクターは、トゥエルです。




