器 ~翻弄される者達~ Ⅲ
◇◇◇ ◇◇◇
「居ないいいいいいい!!」
何が居ない、誰が居ない。
ニザフョッルの例の施設の、例の隠し部屋で、例の男が発狂したのかというレベルの大声で、手をわなわな震わせながら天井に向かって吼えている。
出てくるだけでシリアスが九割ぶっ飛ぶことがもはや定例となっていたフィクサーは、お仕事の合間にふんふんと鼻歌を歌いながらルフィーナの元に遊びに来たのだが、この通り。
彼女に与えていた豪華な部屋はもぬけの殻。
テーブルに一枚の紙が置いてあるのを発見した黒幕は、一旦叫ぶのをやめてその紙を手に取り、書かれていた文字を読む。
「なに……『アンタの好きにはさせないわよ♪ 大体分かったから行くわ~。今まで色々ありがとう、じゃあね☆』……」
達筆にも関わらず音符や星が飛び交う文章に一瞬だけ和まされるフィクサーだったが、すぐに内容を考えて首を振った。
この時期に敵が増えるだなんて本当にまずい。
ましてやそれが彼女だなんて尚更。
手にかけられないし、もし彼女の口からあの男にこちらの思惑がバレたなら……
そう考えてフィクサーは自身の拳をぎゅっと握る。
爪が鋭く伸びているわけでも無いのに、その拳からはすぐに血が流れ出て床に垂れた。
「また、甘いって言われてしまうな……」
勿論セオリーにだ。
気を許しすぎだ、と怒られてしまう。
そう言って俯いた彼は、ふっと床に垂れた血が視界に入ることでようやく自分の手から血が流れていることを知る。
「くっ」
自身の異常を視覚でも確認させられ、苛立ったフィクサーは歯を食い縛る。
そしてまた拳同様に口端から滲み始める赤い色。
加減が出来ない、分からない。
――それが、力を得た代償として、彼の身に降りかかった異常だった。
エマヌエルが視覚を失ったように、フィクサーが失ったのは触覚。
触覚が失われるということは、かなり広い意味で様々なものを失うことになる。
まず、痛みを感じない。
物を掴んでも加減が分からず、握り潰したり逆に落としたりしてしまう。
そして……愛する人に触れたとしてもその感触も温もりも一切分からない。
彼がセオリーと違い、元の体へ戻ることへの執着が強いのはこの異常そのものが原因だった。
戦闘だけでもかなりの障害があるこの異常。
剣を振るってもその先から伝わってくる振動を感じることが出来ないので、ただ振ることは出来てもそれ以上の繊細な動きが出来ないのである。
ましてや気を抜いたらすぐに落としてしまいかねない。
そのような武器、腕の立つ者相手には使わないほうがマシというもの。
フィクサーは考えれば考えるほど沈んでいく気分を無理やり止めて、セオリーの元へ向かう。
唯一自分の異常を知っている、彼の元へ。
だが彼は自室に居なかった。
となると人形を操る魔術を使う為の部屋にでも居るだろうか。
今度はそちらに足を運び、グレーの金属の重いドアを開けると、
「!?」
魔術の陣の中心で倒れている長身。
すぐ様駆け寄ってうつ伏せだったその体を仰向けにして寝かせたフィクサー。
胸に耳をあてて心音を確認し、取り敢えず生きていることは確認するが……
「何がどうしたんだコレは……」
反動が返って来るほどの術の破られ方をしたのならば、多分あの女神の末裔にやられたのだろうと考えられる。
だが、この様子は今までに無い。
あまりの痛みに悶絶して気を失ったといったところか。
しかし以前切り刻まれてもそんなことにはならなかったのに、それ以上の激痛が襲うようなやられ方だなんてフィクサーには想像がつかなかった。
ましてや、少なくとも一対一ならこの男があの子供に負けるわけが無い。
と、いうか!
何故女神の末裔と一戦交えるようなことになっている。
フィクサーはだらりと気を失ったままのセオリーを見て頭を悩ませた。
クラッサの呼び出しで第二施設に人形を送ったことまでは知っているが、その戦闘はもう終わったと彼女から報告を受けている。
そしてその時に女神の末裔が居たという内容の報告は聞いていない。
あの子供が嫌いだと言っていたし、ちょっかいでも出しに行ったか……
そんなフィクサーの予想は大方当たっているのだが、それを正解だと彼に教えられる者が居るわけもなく。
キツイ印象を周囲に与えがちな鋭い目を閉じて倒れている友は、この瞬間だけは何の悪意も無い柔らかな表情をしている、とフィクサーに思わせた。
ルフィーナを探しに急ごうと思っていたが、倒れたままのセオリーを置いておくわけにもいかない。
床に寝かせたもののまだ起きる様子が無いので、自分より高い身長の彼を、感触が分からないなりに加減をしてベッドに運んでやる。
そこでようやく開かれる、赤い瞳。
タイミングが悪すぎるだろう、と思いながらもそんな悪態は吐かずにまずゆっくりと尋ねたフィクサー。
「話せるか?」
「……はい」
目を覚まして人の顔を見るなり渋い表情を見せる白緑の髪の男に、また話したくないことがあるのだろうな、とフィクサーは感じる。
だが、悠長なことも言っていられない。
「ルフィーナが居なくなった」
「!!」
「どうせあの男か子供か、どちらかに向かうと思うから両方で待ち伏せする必要がある」
「そう、でしょうね」
息も絶え絶えに相槌を打つセオリーは、多分倒れた時にぶつけでもしたのだろう、眼鏡にヒビが入っていて顔にも少し痕が残っていた。
とりあえずは現状を説明した上で、今度は先程の疑問を彼にぶつけていく。
「で、今度は何をしていたんだよお前は」
「…………」
「言え!!!!」
ここまで強くフィクサーが怒るのはきっと初めてのことだろう。
半分は怒りからきているかも知れない。
だがもう半分は別の感情で彼は怒っている。
セオリーもそれを分かっているからこそ、無下に出来ない。
体内がいつまでも焼け付く感覚に耐えながら、ベッドに横たわって天井を見つめたまま口を開いた。
「あの精霊武器の力を試したくなりまして、斬られてみました」
「お前、いつからそんなドMになったんだ!?」
それで失神するほど本体にまでダメージを受けていては世話が無い。
いくら人形だからといって、精霊武器に斬られては魔術自体をも斬られて酷いことになると分かっているのに。
その意図自体は事実なのだろう。
けれど相変わらず本心は別の部分にある、そう思わせる内容。
「使いこなせている、というよりはあの子供の感情に精霊武器がたまたま呼応した、というものでしたね」
「いやドM、それはいいんだが……」
淡々と言葉を紡いでいくセオリーに、フィクサーは一番大事な部分を指摘する。
「ストック、もう無いんじゃないのか?」
これまでに壊された人形の数は三体。
あの人形は、一朝一夕で作成できるような代物では無い。
黒いスーツ姿のフィクサーの言葉に、同じような黒スーツを着ているセオリーは、焼け付く苦痛からか額にいくつもの汗を噴き出させつつも口元だけは笑って返す。
「無くても問題ありません。それに次に会うとすれば、人形を操ることは不可能な時でしょうから」
「舐めてかかるなよ、まだ子供だろうが女神の末裔。しかも精霊武器はアレなんだからな」
「えぇ……最初にクラッサから聞いた時は驚きましたね。以前モルガナで見た時は結局その力を出さないので確信がもてませんでしたが、これで間違い無いでしょう」
そう言って体の熱さを誤魔化すように、ワイシャツのボタンを無理に千切ってさらけ出した胸元を掻く、白緑の髪の男。
その胸元も随分と汗ばんでおり、それが目に入ったフィクサーが静かに問いかけた。
「熱いのか?」
「えぇ。人形が焼失させられたものですから」
以前の時は斬られた刃が体内に残り続ける感覚で吐き気を催していたセオリー。
今回は刃ではなく焼失の為、焼かれた時の熱さだけが感覚として残り続けているのだった。
本当に焼けているわけでは無いのでただ苦しい、そして落ち着くまではやはりどうしようも無い。
精霊武器がクラッサの予想通りであると示すセオリーの言葉と体調に、
「そうか……ひとつ間違えば、神殺しはあの子供がやってのけるだろうな」
「良いではありませんか、あの王子の願いを叶えるのがあの子供ならば」
その光景を思い浮かべて少しだけ心苦しいフィクサーと、同じことを考えているにも関わらず恍惚な表情を浮かべるセオリー。
彼らが考えているその光景を他人が覗くことが出来たなら……
――それは他人からは全く神殺しには見えない光景であった。
【第三部第七章 器 ~翻弄される者達~ 完】
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