セミセリア ~あなたは私を死なせる~ Ⅳ
◇◇◇ ◇◇◇
そろそろ動く時かも知れない。
暗く荒れた山に建つ大きな薄鈍色の施設の地下で、ルフィーナはぼんやりと考えていた。
どんどん増えていく装飾品や衣類、それらを仕舞っている豪華な白磁のクローゼットに手をかけながら、深く溜め息を吐く。
そして、明け方の空のような赤みの混じった黄色の髪を上手に結わえていたところだった。
室内に響くノックの音。
「だぁれ?」
以前フィクサーかと思いきや別の人物が入ってきたことがあった為、今度はきちんと名前を尋ねてみる。
だがそれに返事が無いままドアノブが回る音。
あぁフィクサーでは無いな、とルフィーナは気持ちが深く落ちるのを感じていた。
「ご機嫌はいかがですかね、ルフィーナ嬢」
にやりと歪む口元と、ルフィーナと同じ、鮮明で冴えた猩々緋の瞳。
孔雀石の岩絵具を思わせる淡い緑の髪は、相変わらず乱雑にはねている。
男性でも長身の部類の彼は、黒いスーツ姿に似合う花束を持ち、左腕には紙袋を提げていた。
外見的には似合うのだが、彼のキャラクター的に全く似合わない花束を見て、眉を顰めるルフィーナ。
勿論、それに気付かぬセオリーでは無い。
彼女の心の内に答えるように、彼は少しかすれた低い声で喋り始める。
「実は貴方にお願いがあって来たのです。これは先日の侘びに」
なるほど、一応アレが悪いことだと本人も分かっているらしい。
詫びられたところで許せるものでは無いが、花を貰うこと自体は悪い気はせず、ルフィーナは差し出されたそれを受け取った。
「で、何かしらお願いって」
「今までお嬢にしてきた私の行動は今後一切フィクサーに話さないでください」
「どういうこと?」
全くもって予想外の願いに首を傾げた異母妹。
その仕草にまた首を絞めたくなっていたセオリーだが、何とか彼女にそれを悟られないように丸眼鏡の下の視線を花に移して答えていく。
「今まではむしろいつ話してくださるかと楽しみにしていたのですが、事情が変わりまして」
「口止めされなくともあんなの話す気無いわよ、バカみたいに心配するのが目に見えてるんだから」
「間違いないですね」
そう言っておかしそうに笑うセオリー。
というかアレをこの男はフィクサーに話されることを望んでいたのか。
ただ仲違いをしたいだけにしてはやり口が遠回り過ぎる……
何を考えているのかさっぱり掴めないが、多分この男の考えていることは自分には理解出来ない域なのだろうとルフィーナは考えるのを諦めた。
と、そこで彼女は花束に目を移してその違和感に気付く。
「……あら?」
彩りは一般的に売られている花束と変わりないのだが、その花がどれも花束としては見かけないものばかりなのだ。
カスミ草の代わりにそれよりも少し大きい、でも比較的小さい白い花がいくつも重なって単品だけでブーケ状になっているような花。
よく使われるリリーの代わりと思われる藍色の花は、大きな三枚の花びらの上にまるで触覚のような小さな花びらがもう二枚付いている。
「ってコレ、毒花じゃないのー!!」
べしぃ!! とルフィーナがテーブルに花束を叩きつけると、セオリーが嬉しそうに、
「ようやく気付いてくれましたか」
「な、ん、の、嫌がらせッッ!!」
あまりに興奮して息が乱れたルフィーナは、この回りくどい嫌がらせに「もしかしてフィクサーの反応を見たくて自分をいじめていたのか」と今までの行為の理由を想像してしまった。
弱い毒ならまだしも立派な毒薬に出来てしまうレベルの毒花に頭痛がしてきて、片手で額を押さえる。
「手間を掛けた甲斐がある反応をありがとうございます」
歪んだ顔を見て厭味にも礼を言って来る異母兄に、ただでさえ細い瞳を更にキッと細めて睨みつけるルフィーナ。
「最低!! 大体こんなの花屋で普通に手に入れられないわよね!?」
「えぇ。ですから一部は持ち込んで包ませました。店員に随分変な顔をされたのですよ」
「当たり前よ!!」
「恋人に贈るのかと聞かれたので取り敢えず反応見たさに肯定してみたのですが、全力で止められまして」
そして思い出し笑い。
人の嫌がることを愉しんでいるセオリーに、ルフィーナは不快な思いをさせられると同時に悲しくなっていた。
ズレたことを言うのは昔からだが、彼がここまで悪意を露わにするようになったのは何故だろう。
時期的にはエルフでは無くなった頃からだが、それならばフィクサーにも同じことが言えなくてはいけない。
フィクサーはどちらかと言えばその後の二百年近い歳月の中で焦りや苛立ちからか、だんだん行動がエスカレートしていったくらいで、ここまでの変化はしていないとルフィーナは思っていた。
ならばやはり、以前からこういう性格だったのか。
力を手に入れたことでそれらを止めていた理性が切れたのか。
異母妹で、父母同様に憎まれてもおかしくないはずの自分を可愛がってくれていたあの頃は……偽りだったのか。
考えるまでも無い。
偽りだったからこそ、あの時あんな仕打ちを受けたのだ。
打ちひしがれる彼女の長い耳に、その悩ませている原因である男の言葉が届く。
「ちなみにそれは先日の侘びですので、今回の願いを受けてもらう礼はこちらです」
そう言ってセオリーが出してきたのは、左腕に提げていた紙袋のほう。
机の上に置かれると結構重い音が響く。
「中身は、何……」
「薄くて高い本です」
その響きに一瞬ルフィーナの目が輝いたが、俯いていたのでセオリーには見えていないはずだった。
けれど彼はそれが見えているのか、それとも最初から好感触を予想していたのか、上機嫌そうに内容を伝えていく。
「お嬢の趣味が分かりませんでしたので、有名どころを揃えてきました」
「有名、どころ……」
彼の台詞にごくり、と唾を飲む異母妹。
負けるなルフィーナ、頑張れルフィーナ。
その紙袋に手を伸ばすんじゃない。
だが伸びてしまう、その薄くて高い本の誘惑に。
内なる欲望に敗れた彼女の手はテーブルの上の紙袋を取ろうとし、その重さに驚愕する。
「こっ、こんなに!」
「どうぞ堪能してください」
流石は一応異母兄。
とにかくルフィーナは全力でセオリーの餌に釣られており、それを見届けてから満足げな表情で彼は部屋を去って行った。
邪魔者も去り、ほくほくと薄くて高い本を読み耽っていたルフィーナは、目の前の机の花が再度目について、それが気になってくる。
「こんなところに毒花を放置しておくのもアレよね……」
そう、今は本と花が同じテーブルにあるわけで、もし薄くて高い本を頬擦りした時に毒がついてそれが指から口に入りでもしたら大変だ。
とはいってもそれに気をつけなくてはいけないのは白い花のほうだけであるが。
触れないように気をつけつつ花束を包んでいた紙を使って綺麗にまとめていて、彼女は花束に混ざっている他の花にも目を留めた。
「これも毒花だったかしら?」
雄しべの先が糸のように見えるチューリップが丸く広がったような紫の花に、赤く小さな蕾がいくつもの房となっている花。
そして花序が刀の鞘に似ているカラフルな葉。
どちらかといえば毒花と毒草には詳しいルフィーナは、知らないということは毒は無いのだろうという結論に至り、毒の無さそうなそちらだけをうまく抜いて花瓶に飾る。
「花に罪は無いものねぇ」
窓が無いので棚の上に飾られた花々を見て、よしっ! と両手を腰にあてて顔を綻ばせたハイエルフ。
さて、残った毒花はどうすべきか。
強毒を持つ二つの花のやり場に困っていた彼女は、ふと疑問が浮かんできた。
もしただの嫌がらせならばわざわざ他の花を混ぜずとも毒花だけでいいのでは無いか、と。
勿論他の花を混ぜることで分かり難くし、それによって気付いた時のショックの大きさを倍増させている可能性もあるが……
引っかかってしまったルフィーナは本棚を漁ってどうにか資料を見つけて確認していく。
本を捲っていき、花達の名前を確認していった彼女の表情はだんだん険しいものとなっていった。
それらを繋げれば繋げるほど考えたくもない想像が浮かんでくる。
「偶然……?」
だがすぐに首を振ってその甘い考えを払う。
そんなわけが無い。
あの男の行動に偶然などあるわけが無い。
本を開いたままテーブルに一旦置くと、彼女は結局毒花までも花瓶へと持って行き、飾ってはそれらを虚ろな瞳で見つめていた。
花の割合は半分はあの白い毒花。
次に多いのは藍色の毒花である。
嫌がらせにしか思えない異母兄からの贈り物は、確かに悪意の篭もったものだった。
しかし一番多い白い花の意味だけ、いまいちルフィーナには理解出来ない。
これさえ無ければ、全て納得がいくのだが。
「や、やっぱり勘繰り過ぎかしら」
辻褄が合わなくなってきたので一旦その考えをリセットしようと、高くて薄い本に手を伸ばす彼女。
だがルフィーナはもうその本の内容など頭に全く入ってきそうに無かった。
先程セオリーが持ってきた薄い本達は一旦元々入っていた紙袋にしまうと、また花瓶の方に近づき、毒の無い一輪だけ抜いては耳に掛けてみる。
「生きていれば、後悔の連続よね」
独白するエルフの耳で揺れる紫の花。
黄昏ていた彼女の元へ、ドアのノックの音が届いた。
「だぁれ?」
先程同様にまずは尋ねると、
「俺だよ俺俺っ!」
「詐欺師の知り合いは居ないんだけど」
毒づくルフィーナの返事を聞こえているとは思えないほど元気良くドアを開けて来るのはフィクサー。
全ての光を無くすことによって生まれる漆黒の髪、そして瞳。
希望も何も無いのだと思わせるその色に負けることの無い彼の表情。
今日も無駄に元気な姿を見せる幼馴染に、ルフィーナはついさっきまで抱えていた悩みを打ち消されたことに気が付かない。
何故なら、気が付く前にそれ以上の事実を聞かされるからだ。
「聞いてくれないか、もうちょっとで俺の目的が達成出来そうなんだ」
「それって……!」
「あぁ、うまくいけば俺は……元に戻れる」
そう言ってフィクサーは、ルフィーナの手を取り正面から彼女をしっかり見つめる。
けれど手を取った一瞬だけ、彼の表情は曇っていた。
本当ならば想いを寄せる相手の手に触れれば多少なり嬉しいはずなのに、その一瞬だけ見せたものが彼の真の感情。
握られているのに握っているんだかいないんだか分からないくらい弱く添えられた彼の手を、もはやいちいち振り払うこともせずにルフィーナは言ってやる。
「あ、あのね、そこどうでもいいのアタシ」
「俺には重要なことなんだ」
「だから! 達成出来るかもってことは……」
「そうさ、準備は整ったから後は君の元弟子を連れて来るだけになる」
「ま、待ってよ……」
相変わらず一方的に喋り、うまく噛み合ってくれない会話。
フィクサーのそれはわざと。
どうしてそこまでして元に戻りたがっているのか。
セオリーのように変化を受け入れて生きることだって出来るはずなのに、ルフィーナには彼のその執着は何か理由があるように思えてならなかった。
達成目前にして興奮気味のフィクサーに、不安を感じずには居られない。
そしてやはり……自分はそろそろここを動くべきだとも。
セオリーに何をされようが、その先に起こるかも知れないことを考えたら放っておけるわけが無いのである。
あの子が愛している世界とその民を、これ以上弄び踏み躙られない為にも。
そこで、一人覚悟を決めていたルフィーナを現実に引き戻すフィクサーの声掛け。
「ところでどうしたんだい、その花」
「え、あぁこれ? 貰ったのよ」
「だだだだ誰から!?」
「ここに来られるだなんて、あと一人しか居ないでしょう」
そんなことも分からないのか、とルフィーナは半眼になり呆れ顔で彼を見る。
しかしそんな冷たい視線には気付いていないようでただひたすら驚いている黒髪の男。
「どうして花なんて!?」
「毒の花束持ってきて嫌がらせして、私の怒った反応見たところで喜んで帰って行ったの」
「なるほど……」
そう言って部屋に置かれた花瓶を見た後、フィクサーは随分散らかっているテーブルの上にも目をやった。
開いたままの分厚い本があるので何となくそれに意識を向けると、花瓶に挿してある白い花が載っているページだったので思わず読んでしまう彼。
「死も惜しまず、と、あなたは私を……死なせる?」
ルフィーナが悩んでいた噛み合わないピース。
白い花の意味がそこには書かれていた。
「その花、痙攣性の毒が全草にあるのよ」
「随分本格的な嫌がらせだなぁ!」
そう、それはとても本格的な……嫌がらせに違いない。
【第三部第六章 セミセリア ~あなたは私を死なせる~ 完】
章末 オマケ四コマ↓
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余談ですが、この話でちょうど100話目となりました。
ここまで着いて来てくださっている方々、本当にどうもありがとうございます!