絡む思惑 ~舞台は加速する~ Ⅱ
クリス達が部屋を出たのを確認すると、エリオットは改めて目の前の自分の師と向き合う。
きっと何を問いただしても、喋る気の無いことは一切喋らないだろう。
それでも。
「他に言うことは無いのか?」
「聞きたいことがあるならどうぞ、少しは話すわよ~」
そう言って彼女は、椅子に座っているエリオットの目の前にある机の上に、どかりと尻を乗せて足を組んだ。
身長に見合うだけの長い足が目の前で強調されている。
エリオットは位置関係的に見下ろされた状態になった。
いつだってそうだこの師は。
ただ教えるのではない、辿り着くまで頑として見届けるのだ。
こちらから答えを先に提示しない限り欲しい返答は得られないだろう……そう考えたエリオットは単刀直入に聞いた。
「欲しいのはレクチェか」
「まぁ、当然、そうよねぇ」
おかしそうに笑うルフィーナ。
当たっていて欲しくはなかったエリオットは少しだけ、心苦しい気分になる。
一応は師なのだ。
その人物が人身取引を持ちかけるなど気持ちの良いものではない。
「一体彼女は何者なんだ?」
「さぁ、私にもよくわからないわ」
はぐらかしたのか、それとも真実なのか。
判断できる材料はどこにもない。
「でもね」
彼女は続けた。
悲しそうに遠くを見つめて。
「私はあの子を取り戻したいだけなのよ。非道なことなんてしないわ、これはホント」
「ま、それならいいか」
エリオットはそれ以上聞くつもりなく会話を終わらせるよう返事をしたつもりだったが、それでも話は続いた。
「信じてくれるのね」
「その非道なことをしていたのなら、中立な立場になんて居ないだろ?」
エリオットの言葉にそれ以上の返事は無かった。
ニコリと口の端を上げ、肯定とも否定とも取りがたい反応だ。
「そうね」と答えて欲しかったエリオットとしては若干蟠りが残る。
が、無言である以上もう彼女は何も話す気は無いと思われた。
一瞬だけ、目がしっかりと合う。
何か深い事情を抱えたまま、でも話せない、そんな憂いに満ちた紅い瞳。
エリオット自身もきっと、理由は違えど今同じような目をしているのだろう。
「さて、俺も買い出し行ってくるかな、っと」
空気を読んで立ち上がり、部屋を出ようとする。
なのに。
「……いい子ね」
その言葉に瞬時に昂ぶる感情が、エリオットに行動を起こさせる。
いつまでも子供扱いすんなよな、と言いたかったはずの彼の唇は、動いたけれど喋らなかった、喋れなかった。
彼女も喋らない、喋れない。
机の上で少し不安定になったルフィーナの体を支え、エリオットはそのまま自分の方へと引き寄せる。
つい重ねてしまった唇を急に離すのもアレなので、そのまま彼女を抱き締めて口づけを続けた。
舌は絡ませなかったが唇で唇を何度も食むように優しく撫ぜる。
泣いてしまわないように目を瞑って、慰めるように。
いや、慰められているのはエリオットなのだろう。
彼女が抵抗せずに受け入れているのは、悲しくなってしまった弟子のためだ。
恋でも愛でもない慰みだけのそんな救いようのない口づけに、仕方ないわね、と思いながら相手をしてくれているのだ、彼の初恋の相手は。
「…………」
どれくらい続けていたかは定かではないが、ふと、ごく自然に唇が離れる。
「いつまでも、子供扱いすんなよな……」
本来キスする前に伝えたかった言葉を口にした。
ある意味順番はこれで合っている。
「どう贔屓目に見たって子供じゃないの、こんなキス」
呆れ顔の師に、何も言い返す言葉が無い。
しばらくして。
クリスとレクチェは可愛いピンクのもこもこした防寒具をお揃いで買って、図書館の非公開書庫まで戻ってきた。
のだが。
とりあえず目の前で何が起こっているのかいまいち判断し難い状況に二人は頭を悩ませる。
部屋に戻ってみると何故かエリオットがルフィーナを口説いているようだったのだ。
事は一方的なようでルフィーナのほうは呆れた顔であしらっている。
ルフィーナはこちらに気付いているのかいないのか分からないが、エリオットは間違いなく気付いていないようなので、クリス達はそのまま入り口で二人の様子を伺うことにした。
「ほんともう一生のお願いだから!」
「あのねぇ、そこまで許すとでも思ってるの?」
「頼むよ最近ご無沙汰なんだって!」
何がご無沙汰なのかよく分からないが、机の上でルフィーナにどんどん迫っていくエリオット。
既に彼は彼女の上に乗りかかった体勢になっていて、そろそろ止めたほうがいいのだろうかと悩まないでもない。
「エリ君のご無沙汰なんて知ったこっちゃないわよ」
「どーせルフィーナも全然なんだろ? たまにはいいじゃ……」
そこまで言ったところでルフィーナからアホ男の顎に見事なアッパーが炸裂した。
勢いで床にどさりと倒れこむアホ。
「おかえりなさい、二人とも」
スカートの埃を払いながら、いつもの笑顔ではないがそれでも平然とした表情でクリス達に挨拶してくる紅瞳のエルフ。
やはり居ることに気付いていたようだ。
「え"っ」
気付いていなかったアホがアホな声をあげた。
「本当に救いようのない変態なんだね、この人!」
レクチェが笑いながらクリスに語りかける。
否、目は笑っていない。
クリスも笑えない。
何しろ、クリスとしては更に別の事情もあるからだ。
「姉さんというものがありながら、よくもまぁ……」
クリスは背中の槍に手をかける。
「ちょ、すとっぷ、ストーップ! これにはワケがっ!」
「どんなワケがあったら積極的に他の女性を口説いていいんでしょうかね!?」
そう言って槍の布を取って、クリスはエリオットめがけてぶん回した。
「本棚壊さないでねー」
ルフィーナは勿論止めるはずもなく、注意だけして傍観に回る。
何やらわめいて走り回る緑髪のアホを、全力で追いかけるクリス。
「避けたら本棚が壊れますよ!」
「避けなかったら俺が壊れるだろ!?」
勿論クリスは、返答など耳にもいれず、それだけ告げて思いっきり槍を振り上げる。
しかしそこへ、
「えっ!?」
ルフィーナの驚く声だった。
彼女がここまで驚くのは初めて見るかも知れない。
何事か、とクリスが振り向くとルフィーナは驚愕した顔でクリスを見ていた。
「ど、どうしました?」
ルフィーナの反応に先程までの毒気を抜かれて、おそるおそる問いかける。
「その槍……どうしたの?」
あぁそういえば槍のことは彼女に伝えていなかったか。
彼女ときちんと事の顛末を話したのはこの槍を手に入れる前の、一度目に立ち寄った時だけだった気がする。
「例の鉱山で拾った物ですよ。ただ拾ったわけではないんですけど」
納得したクリスは、その後詳しく説明をし始めた。
「そっか、その槍だけそんなことに……」
「特に何も起こらなければあのまま彼に渡していたと思います」
改めて手の中にある槍に目を向ける。
クリスの身長くらいの長い柄の先に、両刃に成っている槍穂。
片側は小さい鎌に近い斧のような切っ先だが、もう片方は剣のような刃である。
装飾は一つの大きな赤い石が刃にはめ込まれている他は、見覚えの無い紋様が柄に彫られているくらいだ。
「本来精霊の宿った武器だからと言って、簡単に持ち主を意のままに操るだなんてまず出来ないのよ」
確かにあの時の長身の男も、そう言っていた。
だから大剣だけが特別なのだ、と。
「じゃあどうしてローズが持ってしまった剣だけはそんなことが出来るんだ?」
難を逃れたエリオットが、先程の痴態は無かったかのように話に加わった。
だが確かにもっともな疑問だ。
「答えていいものか迷うわね」
「今更だろ、話せよ」
その問いかけに少し間をおいて、彼女は再度口を開いた。
「元々の精霊の性格のせいで強くなりすぎた、ってところかしら?」
クリスはその言葉を聞いて、戦慄を覚える。
何故ならそれは、
「つまり武器は育って、そして強くなると持ち主にまで影響を及ぼす、と」
エリオットがその先の答えを言った。
「ちょっと違うけどそんな感じよ。育つのは武器ではなく精霊自身。だからその槍も実は結構育ってるのかもね。性格が大人しいだけで」
クリスは言葉にならない不安を飲み込んだ。
クリスの体が姉のように操り人形になってしまう可能性はこの先もずっとあるということなのだ。
先日は深く考えずに話し合いで済ませたが、この精霊がいつそれを裏切ってもおかしくない。
いや、むしろ約束を守っているほうがむしろ不思議なくらいではないだろうか。
今のクリスと精霊の間には、何の信頼関係も築かれていないはずなのだから。
クリスは気付くと、精霊を喚び出していた。
声には出していないが、思いが伝わったかのように精霊は出現する。
「な、何をしているのっ」
何故か必要以上に慌てる紅目のエルフ。
突如現れた一本角の青年を象った精霊から、この精霊の秘めた殺意を予め知っているかのようにレクチェを庇える位置に割って立つ。
現れた精霊はため息まじりに短いシャツの裾を下に引っ張って着衣を整えると、改めてクリスに向き合ってこう言った。
「覚悟を決められたか」
無表情で、淡々と。
覚悟とはきっと『敵を殺す覚悟』だろう。
その眼光は深く鋭い。
「いいえ、違います。そんな事しません」
クリスは首を横に振ってきっぱりと拒絶する。
「貴方ともっと仲良くなるために喚んだのです」
この場にいる、クリス以外の全員の眉が寄った。
気にせずに話を続けようとしたが、そこにルフィーナが口を挟む。
「待ちなさい! そんな無茶しなくても、その槍を捨てればいいだけじゃない!」
前のめりになるかと思うくらいの剣幕で捲くし立ててきた。
理由までを判断する材料は無いが、ずっと冷静だった彼女が珍しく焦っているのが分かる。
しかしクリスは断言した。
「私は捨てたくありません」
今度言うことを聞かなければ捨てるだとかそんなことを言ったが、彼(?)を捨てるだなんてもはや有り得ない。
手にしたあの時からずっと。
あの時感じた一体感はまるで半身を見つけたかのような感覚だった。
クリスはそう、この槍を手にした時のことを思い返す。
「……心配せずとも、私は貴方を裏切らない」
無表情には違いないが、とても、とても優しい声で精霊は言った。
そしてまだ警戒しているルフィーナを見やると、もう一つ付け加える。
「私にも勿論存在する以上その役割がある。だが主が明確に告げている命令を曲げるほど固執はしない」
クリスと、あときっとルフィーナだけがその言葉の意図を把握しているであろう、言葉。
「命令違反をする武器など、使えない。ガラクタ未満だ」
その命令違反をしている仲間の存在を知りながら、ガラクタ未満だと言い切る精霊。
クリスは、彼のことを信じてもいいような気がした。
「貴方のことを誤解していました、申し訳ありません。これからもよろしくお願いします」
頭を下げて、お詫びする。
精霊は無言で消えて槍の中に戻った。
だが、消える瞬間の少しはにかんだ表情は、これからの関係を前向きなものとして捉えるに十分なものだった。
「全く、甘いなどいつもこいつも」
そう言って、呆れ顔でクリスとの視線をあえてはずす緑髪の青年。
槍の精霊が出てくると会話からフェードアウトするのがおなじみになりつつあるエリオットだが、彼は彼なりに場を和まそうとしているのだろう、多分。
随分白熱していたルフィーナはと言うと、ブラウスの第三ボタンまで外して本でパタパタと胸元を仰いでいる。
その表情は安堵の色が見え、落ち着きを取り戻していた。
「さっきの人はどこに行っちゃったの?」
一人だけ話についてこられていない人物が疑問を発する。
女性にしては長身のエルフは、先程まで庇っていた少女の疑問に対して軽く説明をしているようだった。
こうして見ると親切な先生みたいに見える。
……しかし大きな疑問がまだ残っていて、それがクリスを悩ませた。
ルフィーナはどう考えても、この槍がレクチェに向けている殺意を最初から知っていたような節があった。
問題を起こした現場に居合わせたエリオットですらそこまで深く気にかけていないようなのに、だ。
ということは、そこには何かしらの、彼女だけが知っている理由があるように思える。
聞きたいことは山ほどあるが、笑顔で対話している彼女達の間に割って入る気も起こらず、クリスは本だらけの床に直接腰を下ろした。
ふと、背中にこつんと硬い物が当たる。
振り返ると腕を組んで立っているエリオットがいて、どうやらつま先で背中を蹴られたらしい。
「考えるだけ、損だぞ」
渋い顔でそう言うと彼は高い天井を仰ぎみながら言葉を続けた。
「俺達の目的はあくまでローズだ、あっちの事情は深追いするな」
レクチェの記憶だとか、彼女が何者だとか、得体の知れない武器の存在だとか、それら全てを彼はスルーしろと言っている。
それは、一刻前まで変態っぷりを晒していた人物の言葉とは思えない、冷静で冷酷な言葉だった。
【第一部第四章 絡む思惑 ~舞台は加速する~ 完】