繋がる糸 ~第一印象は最悪です~ Ⅰ
「結婚するなら君しか居ない」
本来なら重いはずのその言葉は、それはもう軽やかに紡がれた。
王都より西、山峡の街スーベラでのこと。
一人の男がその街の酒場に着くなり、最初に目に入った美しい女性にそう声を掛けたのである。
「え?」
可愛らしい唇で問い返す彼女の栗色の短い髪が、店の明かりを受けて輝く。
男の言葉そのものは、とても真っ直ぐな愛の告白。
けれどふわりと揺れる白いエプロンの上で、告白された女の細く白い指がかすかに震え、何だこいつ不審者か、と怖がっている気がしないでもない。
にも関わらず、
「俺と結婚してください」
めげずに真剣な表情で言う男。
ちなみに彼は彼女の名前すら知らないし、彼女も彼の名前など知らない。
出会って三秒、電撃プロポーズ。
酒場内の客達は思わず、その奇行を行なった男の様子を伺い始める。
くせのついた花緑青の短髪に、その髪と同じ色の瞳。
身なりは良さそうで、貴族のような出で立ち。
ただし、大衆の酒場でプロポーズをする貴族などそうは居ないはずだ。
呆気に取られている女の手を取り、男は凛々しい眼差しを作って相手の瞳を見つめた。
……しかし彼女の表情はとにかくどん引き。
初めて会った異性に求婚をされたら大抵の人間はドン引くに違いない。
かくしてナンパに失敗した男は、特に挫けた様子も見せずに軽く肩を竦めてから、振り払われた手の平をひらりと返す。
「とりあえずオススメのアルコールをお願い」
ナンパ男の注文が屋内に響くと、先程の求婚が無かったかのような空気に変わる。
ただの挨拶がわりだったのだと周囲が判断したからだろう。
数秒前まで求婚されていた女はこの酒場のウエイトレス。
彼女は一瞬反応が遅れたもののすぐに調理場へ小走りで向かい、カウンター内に居る男性にオススメを聞いていた。
するとナンパ男も席を立って、同じようにカウンター側に向かう。
女の尻でも追いかけているのかと思いきや、彼はウエイトレスではなくカウンターの内側の男……この酒場のマスターと思われる雰囲気の人物に、ポケットから紙切れを取り出して声をかけた。
「なぁ、この女知らないか?」
「……うーん、名前は知ってるけどね、ここらでは聞いてないよ」
「そっか、ありがと」
どうやら女の尻を追いかけているには違いなかったようだ。
別の女の尻、というだけで。
ナンパ男は期待はずれの返答に肩を落としつつ、すごすごと元居た席に戻り、紙切れを見つめる。
それは手配書として描かれた似顔絵で、そこに描かれているのは空の様に透き通った髪と瞳を持つ女性。
白い肌に鮮やかな口紅が彩られたその似顔絵を眺めて、ナンパ男はその「実物」に想いを馳せ、恍惚とした。
『罪状:窃盗、名:ローズ』
手配書にはそう記されている。
フルネームは表沙汰には出ていないようでそれ以上の情報は無いが、懸賞額は並ではない桁の数字が並んでいた。
ナンパ男は――この盗賊の仲間であった。
しかし、そのような仲であるにも関わらず男が手配書を片手に彼女を探しているということは、彼らが少なくとも今現在は旅を共にしていないことを示している。
更に、その行方すらも掴めていないということも。
しばらくナンパ男が手配書を眺めていると、先ほど求婚されていたウエイトレスが机の上にグラスとボトルを置いた。
「こちら、当店オススメの……」
「あぁ、そんなのいいからいいから」
アルコールの説明をしようとする可愛らしい店員の話を断ち切って、彼は自分の隣の椅子をポンポンと叩く。
「さ、座って」
「え!? いえ、お客様、そういうわけには……」
手をぶんぶん振って拒否をするウエイトレス。
問答無用でその手首を取って引き寄せるのは、つい先程玉砕したばかりにも関わらずめげていないナンパ男。
勿論困る女性。
「お客様、本当にそういうわけには……」
接客慣れはしているのだろう、男の無茶振りにも口調は丁寧である。
「挙式はどこでする? 大きな教会もいいけどこの街みたいな小さなところでひっそりやるのもいいね」
更に何段階もすっ飛ばして語りかけてくる男に、女性の開いた口が塞がらなくなる。
承諾すらしていないプロポーズの先を想定して話を進められたのなら、そうもなるだろう。
好意の欠片も見えない反応をしているはずの彼女の唇も、意思表示の役には立っていない。
言い寄られて困っているウエイトレスが、それでも対処し続けるべく言葉を選ぼうとしたその時だった。
ウエイトレスより少し背の低い子供が寄って来て、黙って彼女を背後に下がらせた。
驚いて目を丸くしているウエイトレスのかわりに子供は男の前に一歩進み出て、毅然とした表情を見せる。
容姿端麗と言う言葉がよく似合うその子供は宗教的な白い法衣を着ていて、それがまた見た目の年とのギャップから世の女性のハートを鷲掴みするような、そんな印象をナンパ男に受けさせた。
どちらかといえば三枚目の印象を持たれがちなナンパ男にとって、見るのも腹立たしく妬ましい外見だ。
スマートに整った水縹の瞳に、少し長めの丸みを帯びたショートカットで、耳元や襟元の髪は無造作にハネている。
その細くて綺麗な水色の髪は、男に何となく先ほどの手配書の人物を思い出させるが、決してこの地ではその髪色が珍しいわけではない。
「お話中のところを割り込んで申し訳ありません、この人物の情報を知りませんか?」
割り込むことでわざとウエイトレスを男から離したのだろうが、子供はそうとは言わせないように自身の用件を問答無用で押し通してきた。
まだ声がわりもしていない声で――男の持っている物と同じ手配書を持って。
「何で?」
男は、この子供を床に叩き伏せたい衝動を抑えながら聞く。
ローズを探す人物など十中八九は賞金稼ぎだからだ。
要するにその仲間である男の敵となる。
「情報をお持ちなのでしたら詳しくお話し致しますが」
男の無愛想な反応にカチンとでもきたのか、丁寧な口調とは裏腹に子供の声の質が鋭くなっていた。
だが、だからといって男が自身の情報を賞金稼ぎ相手に話すわけにはいかない。
「まずは理由を話せ」
男は、はねた緑の髪を無造作に掻きあげて窓の外を見る。
ここで暴れるのはよろしくない。
どうやって外に誘い出すかと男が悩んでいるところで、願ってもない提案が子供から切り出された。
「ではここでは他人の目もありますし、外でお願いします」
これはまた随分と強気なガキだ、と男は思った。
賞金首の情報を求めて見知らぬ男を夜の外に誘い出すだなんて、腕に覚えが無ければ出来ぬ行動である。
返答を聞いてから、男は席に金だけ置いて無言で立つ。
飲まずに置かれた酒に少しだけ名残惜しさを感じながら。
男は店外に出るまでに再度チラリと子供を流し見たが、やはり顔の整い方がローズに似ていると思わなくもない。
けれどその時既に男はこの子供に対して相容れない何かを感じ、とてもそれ以上のことは考えられなかったのだった。
その後は二人で店を出て、街はずれまでただ無言で歩いていく。
子供が男の前をスタスタと歩き、男がそれに着いて行く形だ。
子供の荷物は多いようで少ない。
旅人には違いないが生活に必要な荷物は少なく、ただその代わりにやたらと長い……多分槍か斧、棍棒のような物を担いでいる。
何にしても刃の先と思われる部分に布が巻いてあって、そのうちのどれだかは分からない。
戦闘スタイルとして、子供の身長を武器のリーチで補うようなところか。
それなりにある男の身長以上の大きさの得物だった。
整備された道が途切れ始め足元が悪くなり、街はずれに着く頃。
周囲にはほぼ明かりもなく、闇が彼らの姿を溶かし始める。
それは様々な意味で都合が良いことでもあった。
どこまでの情報を持っているかは分からないが、どうも大人しく話すような性格には見えない。
どうせコイツと一戦するハメになるのならさっさと後ろから不意打ちをかけたほうが早いんだよな……などと男が不穏なことを考えながら歩いていると、ふと子供の足が踵を返した。
そのまま子供の腕が振りかぶり、ビュンッと掠れるように風を切る音が男の鼓膜を震わせる。
「っっあぶね!」
男は、子供が投げ撃ってきたと思われる氷塊を紙一重でかわした。
直後、その先にあった岩の崩れた音が低く響く。
直撃していれば即死か瀕死レベルの魔法だ。
自身の体内魔力による氷塊の生成・放出……その工程スピードは早く、また、精度もなかなか高い。
男が子供を睨むと、子供は男が思っていたよりも涼しい顔で呟く。
「面倒くさいですね、避けないでくださいよ」
「お前な、何を考えて……」
「そのままです、どうせ貴方だって不意打ちでもしようと考えていたでしょう?」
男の反論を遮って、聞き捨てならないけれど見事当たっている発言をしたかと思うと、子供は背中に担いでいた武器の布を手馴れた様子で解く。
その間、一秒も無い。
それは斧に近い先端形状の槍。
子供は槍を男に向かって間髪入れずに振り下ろした。情報を求める気がないのではないかと思うほど、酷く容赦無く、そして直撃コース。
しかし、男はその槍を素手で受け止めた。
白羽取りでは無い。
片手で、刃をただ掴んで受け止めたのだ。
刃物相手にそのような行為は悪手でしか無い対処であり、無論、子供は押し斬ろうと槍を持つ手に力を入れる。
だが、
「っ!」
異変を感じ、子供は攻めることを一旦止めて後ろに飛ぶ。
ありえないことに、子供の持つその槍の矛先は既に少し壊されていたのだ。
振り下ろされた槍の刃を男が掴んだ、ただそれだけのことで武器が壊れるなど普通ならば考えられる事象では無かった。
何か別の力の干渉があった、と考えるほうが自然だろう。
「魔術か何かですか、壊れ方が少し変ですね」
槍の刃を見ながら子供が問いかける。
正確には壊したというより崩したのだが、男はそれを戦闘中、敵相手にわざわざ答えるような性格では無い。
「答えてやる義理はねぇよ」
手に残った槍の一部、つまり金属を、男は捏ねるような仕草で小さいナイフに変化させた。
そしてそれを、ひょい、と子供の顔めがけて投げる。
その程度の攻撃はすぐにかわされてしまったが、元々当てるつもりで投げたわけではない男は、特に気にする様子も見せなかった。
人とは少し違うこの男の魔力は、先ほど子供が放った一般的な魔法のように火や水などは生み出せない。
代わりに、最初からその場に存在する物に対してなら、今のように魔力を通して対象を別物に作り変えることが出来る。
応用して壊すのも容易。
男は色々と残念な性格をしているが、少なくとも自分の魔力で干渉出来る「静物相手」である限りは誰にも負けない、という自信があった。
全ての静物、つまり武器も。
彼にとっては触れるだけで壊せる脆い塊でしか無いのだから。
その自信が滲むように、彼の佇まいはどっしり構えたものになっている。
「さぁガキ。その武器は俺には通用しないぞ、どうする?」
男が勝ち誇った笑みを浮かべて一歩進んだ。
これでは確かに、得物は無意味となるだろう。
子供は一見諦めたかのように、何もせずただ黙って俯く。
……が、何もしないにしては様子がおかしかった。
「いいです、貴方には近寄らないことにしておきます」
可愛い声で一言喋ったかと思うと、その子供の周りの空気が揺らめいて一瞬濃くなる。
――知らないはずなのに知っている、その不吉な感覚を。
コレと真っ向からやり合ってはならない――
男の本能は、そう訴えていた。
まずい、これは何かをされる前にトドメを刺さないといけない。
嫌な予感に男はすぐさま右の腰元の魔銃を抜き、引き金を確かに引いた。
しかし、
「遅いです」
そう言って俯いていた顔を上げたかと思うと、子供は大きく息を吸い、叫んだ。
「***********!!!!」
言葉にならない叫び声、超音波に近い何かで止められてしまう銃弾、吹き飛びそうになる男の体と周囲の木々。
声だけで銃弾を落とせるような種族だなんて、男は聞いたことが無かった。
子供のやたらと余裕な態度も、この、明らかに先天的であろう能力のせいなのだろうか。
「お前、ナニ?」
口元は笑っていても目は笑っていない男は、焦りをひた隠して問いかける。
子供は先程まで確かにただのヒトだった。
しかし、今は黒い角、羽、尻尾まで生えている。
羽と尻尾によって破けた服はそれでいいのか、と無駄に冷静にその部分に着目する男。
いや、本当に冷静ならばそのようなどうでもいい部分に思考を割り当てたりしないのだが。
あえて言うのならその子供の姿形はまるで、
「悪魔ですよ」
子供が答えた。
子供の勝ち誇った笑みは、男に苛立ちを存分に与えるもの。
そう、目の前の人物は確かに、空想の物語で読むような悪魔そのものの外見になっている。
けれど、子供が悪魔のような姿に変化したおかげで、男はこの子供と最初に出会った時に感じた印象が間違いではないことを確信した。
意を決した男の翠の瞳に力が灯る。
「俺さ、お前とは全く違うけど……ある意味よく似ている女を知ってるんだよね」
じり、と子供に近づきつつ喋る男。
「お前はまるで悪魔なわけだが、そいつは普段ヒトそのものなのに、自分の意思で天使みたいな姿に変身できる女なんだ」
そしてまた一歩近づく。
だが子供はそれに気が付いたらしい。
「近づいても無駄ですよ、だからどうしたんです」
お前の戯言を聞いている暇などない、そんな顔で男の言葉を突き放す。
「まぁ聞けって。んで、そいつとお前、よく考えてみるとヒトの形をしている時の外見特徴が似てるんだけど、これって偶然か?」
更に近づく。
距離にして槍三本分くらい。
男は自分で予想しているその事実に吹き出しそうになっていた。
子供の心を逆撫でするように、彼の表情はおかしそうに口元を引きつらせている。
この戦闘下において不釣合いな表情なのだが、彼の心情を思えばそれも無理は無い。
先ほどから癇に障りまくっているこの子供が、
「お前、ローズの血縁関係か何かだろ」
まさか、自身の相方、愛する女の肉親かも知れないだなんて、
「答える義理はありません!!」
それはそれはイヤ過ぎて笑いが止まらないことだろう。
子供は爪を立てて男に向かっていった。
距離は近いし速さも尋常ではない。
普通ならば男は成す術も無く切り裂かれている。
しかし、予測していれば何てことは無い。
怒りに身を任せた攻撃は単調、真っ直ぐ正面から向かってくるだけのストレート剛速球。
「ばーか」
男は、今度は先ほどとは逆の、左の腰元の銃を即座に抜いて、息を止めながら引き金を引いた。
「そんなものっ……!?」
子供は避けようとする、が、銃口から出たのは弾丸では無い。
かわりにシュッと煙が舞う。
真っ向から催眠ガスを浴び、見事に男の胸元に即倒する子供。
男がマッドな知り合いに作らせた超強力&即効性の催眠ガスの効果だった。
吸いすぎると死んでしまうくらいの代物なのだが、尋常ではない身体能力を持ち合わせていることが伺える子供は、眠っただけで正常に呼吸をしているようだ。
あっけなく倒れてきたその子供を、不本意だが宿に連れて行くべくお姫様だっこで抱きかかえる男。
扱いは丁重にしなくてはいけない。
何故なら……将来親戚になるかも知れないのだから。