第八話 赤頭巾
ここで、赤頭巾って……
彼女を見ると確かに頭にかぶったフードは赤い。
もちろん“血”のせいでだが。地の布に関して言えばむしろ白い。
はっきり言って赤ずきんなんて呼ばれるいわれがあるとも思えないのだけど。それとも普段は赤いものをつけているのだろうか。
「どうしたの?」
「えっ」
黙りこんだ僕を見つめながらアカズキンと名乗る……いや、名乗ってはいないか、ともかく彼女は声をかけてきた。
「あなたって、さっきから急に黙るんだね。どうして?」
そう言ってこちらをジッと見つめる。その視線に思わず目をそらしたくなった。
彼女はどうしてこれほど相手の目を見続けられるのだろう。
僕なんかはすぐに目が泳いでそれに気づかれないように無理に目線を移動させて、そんなことばっかりなのに。
「ああ、ごめん。人と話してるとさ、急に考え事が浮かぶってことないかな」
「考え事してたの?」
「少しね」
その言葉に嘘はない。それでもさすがに「この世界のおかしさについて考えていました」なんて言えるはずもないので詳しい追求がこないうちに話を進めることにした。
「僕も自己紹介したいのは山々なんだけど、どうしたものかって考えてたんだ。なにぶん僕も君と同じく名無しでさ」
「? 私はナナシじゃないよ、ナナシくん」
「いや、そういう意味じゃなくて……まぁ、いいや」
なぜそう思ったのか甚だ疑問ではあったがどうやら彼女は僕の名前がナナシだと理解したらしい。これまでの人たちとの会話を思い起こせばそう曲解するのも有りそうなことのような気がしてくるから、ずいぶん毒されたものだと思う。それでもいつまでも名前がないというのも不便だし、僕自身必要だと思っていたところだ。これから人と会うことが多くなるのはまず間違いないからね。ここは甘んじて彼女の命名を受け入れておくことにした。それに自分はナナシなんて名前じゃないと主張しようにも説明が面倒になることは日の目を見るより明らかだろう。
だけど、ナナシ、か……名無しの権兵衛、七篠ならいるかもしれないな
なんにしても、これ以上おかしなことにならないうちに聞きたいことを聞いておくべきだろう。
「それでアカさんはどうしてこんなところに?」
これまでの経験から関係構築を失敗すれば会話さえ難しいと知っている。なので良好な間柄になれるようできるだけフレンドリーに呼んでみた。アカズキンだからアカさん、安直過ぎたかもしれない。もっとも当の本人はさして気にもしていない様子だった。
こちらの問いかけに彼女はただ一言だけで答える。
「母さんを探してるの」
「お母さん?」
僕が言えることではないけど、よくこんなところに入ろうと思ったものだ。普通の人がナイフバタフライに会ったら確実に死ねると思う。
「こんな森のなかにいるの?」
「分からない」
いや、分からないって……
「えっと母親を探してるんだよね?」
「そうだよ」
なんかさっきからどうにも話がかみ合わないな
「でも、ここにいるか分からないの?」
「それが問題なんだよね!」
いや、そんな元気よく言われても……
それにしても幼く見えたと思えば年相応にも見える何とも不思議な子だな。
「じゃあ、どうしてここに?」
至極当然の疑問を口にする。その問いかけに対して彼女は何の感慨もなく一言告げた。
「母さんは狼に食べられたの」
「え?」
ただ一言なのにソレは途方もなく重く、僕の想像を大きく裏切るもので、聞かなければよかったなんて後悔の念に苛まれた。いや、そこまでならばまだかわいそうな少女の話で済んだのかもしれない。僕を後悔させたのはむしろその後に続いた話のせいであった。
「だから狼のお腹の中を探してるんだけど、なかなか見つからないんだぁ」
あれ? 雲行きが怪しく――
衝撃の事実が彼女の口から語られる。そのあまりの驚きに一瞬言葉が出なくなった。
どういうことだ?
口ぶりからするともう何匹か殺したことがあるのか?
それはつまり、この少女は一人で狼を殺せるわけで、僕がやったことって大きなお世話ってこと?
それ以上にもしかして薮蛇だったんじゃ……
いや、待てまだ彼女がそんなことをしているという確証はない
「なかなか見つからないって、普段から自分で、その、アレを殺したりしてる……とか?」
「うん、そうだよ! だって村の人たちは手伝ってくれないし」
はい、残念ながらヤッてました
それも常習してます
あと不満そうに言ってるけど当たり前だからね、それ。狼殺すから手伝ってください、なんて誰だってやりたくない。それが村のためならまだしも個人のためじゃあ尚更だろう。
しかし、そんな当然の考えも少女からすれば納得がいかないのか、理不尽だといった様子で可愛らしく頬を膨らませている。見た目、十代半ばから後半といった年の割には幼いしぐさにも見えたが、まぁ現実でもこのぐらいの子もいるだろう、内容さえ違えば、だが。
「でも、今日はいい日だよ。ナナシくんが手伝ってくれたおかげで楽できちゃった」
手伝ったつもりはなかったのだけど、図らずしもそのことが彼女の機嫌をよくしているらしい。
分かっていたら手伝っていなかったのに……
そんなこちらの気持ちなんて知りもしないで彼女は“ありがとう”なんて喜色満面で言うものだからたまったものではない。ただ、それよりも気になったのは――
「えっと、どうやって殺すの?」
そう、これが一番の疑問点だ。情報が確かならスキルは戦闘向きじゃない、むしろ縁遠い。
「どうやって、って。ナナシくんもやってたでしょ? あんな感じで」
あんな感じって、僕は撃ち殺して、首を切り飛ばしたんだけど
それだってスキルありきのことで、この娘のスキルでいったいどうやって……
罠でも仕掛けたのか?
頭を悩ませるこちらを尻目に彼女は得意げに話し続ける。
「そうだ! ナナシくん知ってる? アレってペアウルフっていってね、いつも番(つがい)で行動するんだ。ああでも子供も一緒にいることが多いからペアってのもおかしな話なんだけどさ。まぁ、いいや、でね、すごい仲間意識が強いの」
「へ、へぇ」
なんか随分と詳しいんだね
ん?――いや、ちょっと待ってくれ
『子供も一緒』に?
先ほどから彼女ばかりに気をとられていた。思えばどうして彼女は初めて会ったときから血まみれだったのだろうか。今日すでに何匹か狩った後だからかもしれないが、あんなに血が滴るのはそれを浴びたばかりだからだろう。
それじゃあ、その犠牲者はどこにいる?
恐る恐る今まで見ていなかった彼女の背後へと目を向けた。少し離れた場所。よく見えなかったが確かにそこにうずくまる毛皮のようなものがあった。少女はこちらの視線に気がつくとにんまりと口角を上げ三日月のように口を歪める。そして、その視線の先にあったモノへと走り、無造作に引っ張りあげるとそのままソレを片手に携えてこちらに戻ってきた。
今度こそその正体ははっきりと分かる。いや、そうじゃない、今までも分かっていたが気づかない振りをしていただけだ。
「ねねっ簡単でしょ? 片方を先に殺してもいいんだけど、やっぱり子供だと反応が早いんだ。すぐに見つけに来てくれるし、何よりヤリヤスイの」
ヤバイ、この娘には近づくべきじゃない
ハヤクハナレナイト
明らかに自分は引きつった表情をしていると思うのだが、彼女はそんなことどうでもよいと言わんばかりに楽しそうに続けた。彼女の手にぶら下がった小さな犠牲者の体は血で汚れ、黒い体毛は濡れて艶々と輝いている。見ると腹部にはどうやってやったのか痛々しい傷跡が残っていた。傷は深く、切れ味の悪い刃物を使ったのか、傷口はギザギザと蛇行している。
彼女はその子狼の腹部に入った一文字の切れ目に手を突っ込むと子供がパペットで遊ぶように手をグーパーさせて遺骸の口を動かしていた。
「ほらっ――『タスケテ、オカアサン』……なんてね!」
彼女は腹話術のようにして、ソレを弄ぶ。
その光景は異常というほかなかったが、それでも彼女はニコニコと邪気のない笑みでこちらを見つめていた。
まるで特技を披露して、その反応をうかがうようなその姿に背筋に冷たいものが走る。生命の危険度でいえば女王蝶のほうが上だったはずだが、目の前の少女がはらんだ狂気はまた別のベクトルでこちらを震え上がらせた。
彼女のことについて、理解したくはないが一つだけはっきりと言えることがある
それは――
「そ、そうなんだ。大変だと思うけど頑張ってね。僕はちょっと村に用事があるからさ。君のことは影ながら応援しているよ。それじゃ!」
――この娘はかかわっちゃいけないタイプだ
一刻も早く離れないと
「あっナナシくん、村に行くの? それならせっかくだし一緒に行こうよ!」
しまった! つい余計なことまで……
そういえばこの娘も村の人がどうのっていってたな
と、とにかくどうにか誤魔化して煙に巻いてしまおう
「えっ、いやいやそこまでしてもらうのは悪いって! それにホラ、まだ探すんでしょ、お母さん?」
「ううん、今日はもういいかなって、手伝ってくれた御礼もしたいし案内するね」
どうしてこの娘に限ってこうも親切なのだろうか。さすがにここまで言われてしまうと引くに引けない。
「……ありがとう」
僕には足取り軽く歩く彼女の後ろに、肩を落としてついていく以外の選択肢はなかった。
御親切痛みいるよ、涙が出そうだね
状況が状況でなければうれしいことなんだけど
たぶん、根はいい娘……だと信じたい
彼女が笑みを向ける中、頭の中に響く場違いなアナウンス。
『称号『このイカレた世界へようこそ!』を開放しました』
称号名:『このイカレた世界へようこそ!(ウェルカム・トゥ・ワンダーランド)』
【この世界の住人と交友関係を結んだ証。特に効果は無い】
こんな称号ほしくなかった