第七話 道すがらの赤
「おお、これは良さそうじゃないか」
誰にともなくそう言いながら、いくつかの工程を経て、なんとか形になった手元の努力の結晶へと目を落とす。ようやく出来上がったソレに達成感を感じながらも、度重なる発動による無力感や頭痛がそんな感慨さえも台無しにしていた。
「ハァ、もう止めにしようかな」
すでに道中いくつかのスペルを完成させていたが、その効率は目に見えて落ちている。というのもひとえに精神力の枯渇と、何より僅かばかり違うだけの獣道のせいであった。その僅かな違いさえ、言ってしまえば木の形程度のものだ。そんな要因が重なりガリガリと音を立てて心を削っていく。この道がまだ続くのかと思うと大きなため息が口から出ていた。
「半日って言ってたけど、もう日も結構昇ってるのになぁ」
青虫の話し通りならそろそろ森から出られてもいいはずなのだが、今のところ切れ目は見えてこない。いい加減、ガセネタでも掴まされたのではないかと不安になり始めた頃だった。こちらの悩みをかき消すようにその鳴き声が森に響き渡る。
「ッ――、野犬か!?」
その声は自分のよく知るものに例えるならば犬の遠吠えに近かったが、知識の中のそれと比べると幾分か太く、そして低い。
「って、そんなことより声は……」
森にいる間、ずっと感じていた気配の正体かと周りを探るが近くにいる何かが襲いかかってくる様子は無い。そうやって辺りを探る間にも二度、三度と上がるその遠吠えにようやくその声がこの道の先にいる自分ではない何かに向けられているのだと理解した。響いた声は先ほどの遠吠えに比べさらに一段階低いドスの利いたもので若干場所も違うような気がする。なんとなく声が聞こえてきたであろう方向を見るとちょうど今歩いている道の先のようであった。
「あっちか!」
そう理解するや否や、そちらに向かって駆け出す。思いのほか体が軽いことが驚きだった。これも女王蝶の血を飲んだ効果なのだろうか。
踏み出す一歩一歩はこれまでよりもずっと力強く、今までなかったような風を感じる。踏み出した足が地を蹴るのはずっと先で、まるで跳ねるように森の中を進んだ。気が付けば周りの風景は流れるように自分の後ろへと過ぎていく。
「思った以上だ。これならすぐに――」
そもそも走って移動していれば今頃森を抜けれたんじゃないだろうか。
そんな考えが今さらながら浮かんできたので気付かなかったことにして先を目指した。
いや、こんなに体が軽いなら初めからそうしていたよ。
「ん? あれは――」
見ると視線の先には思った通り、狼のような二匹の獣がいた。“ような”と表現したのはその獣には山羊のように後ろに流れた二本の角が生えており、体毛は黒くまるで暗い森に溶け込むようで自分の知識にある狼とは違っていたからだ。そして何より特筆すべきはその体格である。狼を実際に見たことは無いが目の前のものは、遠目からでも体高一メートル以上はありそうだ。やはり、この世界で自分の見知った生き物に会うというのはあきらめたほうがいいのかもしれない。
そんな化け物のような獣が二匹、まるで挟撃するように一人の少女の周りを注意深くまわっていた。それは今か今かと襲いかかるタイミングをはかっているようにも見える。少女はというと、腰を抜かしたように地面に座り込み、赤い液体が滴る服を身に着けていた。
マズイ、このままだと確実に目の前で喰われる
他人のことを気にかけるほど余裕があるわけではないけれど、さすがに目の前で少女が殺されるのを黙って観賞するのは気が引ける。
ああッ! もう、仕方ない
「おいッ! こっちを見ろ!!」
ここまできたら後には引けない。やぶれかぶれにそう叫び、こちらへと狼の気を向けさせた。
突如現れた乱入者に狼たちは身を固くし、一斉にこちらへと警戒を向ける。
よし、上手くこちらに誘導できた
次は――
「『氷釘(アイスネイル)』ッ!」
発言終了と同時に目の前に氷の弾丸が形成、そして立て続けに射出される。突然の出来事によける暇もなかったのだろう。それは体勢が整えきれていない一匹の狼の脇腹に突き刺さり、そのまま慣性に任せて弾き飛ばした。
氷釘は道中作ったスペルの一つで言葉通りネイルガンをイメージしたものだ。弾丸の形成と射出をワンアクションで行える他、三発までならば連続射出が可能になっている。結果論ではあるがフルオートにならなかったのも精神力を考えるとむしろ良かったのではないだろうか。これならば一つ一つの弾丸の威力と精度を高めて節約もできそうだ。形状は実弾と違い先端の尖った円柱にネジのような螺旋の溝が走っている。さすがに本物の銃ほどの速度、貫通力はなさそうだったが、その代わりというか氷塊のサイズは弾丸よりもだいぶ大きくなっていた。
これもあの苦心の結果だと考えると少しだけ報われる思いだよ。正直なところ、なんとか殺傷能力の高そうなものにしようとして、試した言葉がいくつか使い物にならなくなってしまったのは残念だったけどね。一回発動させてイメージが定着してしまうとどうしようもない。そうなってしまうと何とかイメージを変えて作り直そうにもどうにもおかしなものになってしまう。実際『氷針』というのも考えたのだけれど、ただの小さな氷の棘が手元に出るだけになってしまった。全く笑えないよ。
まぁ、何にしてもそんな血と汗の結晶をこんなに早く使う機会が来るとは……人生万事塞翁が馬というか
ともかく開発しておいてよかった
狼の方を見ると急に吹き飛んだ仲間に戸惑いながらも、明確な敵意をこちらに向けていた。これならばひとまずは少女が狙われることは無さそうだ。それに先程の一撃で沈んだところを見るとこちらの成長を加味してもナイフバタフライより格下だろう。
となると、さっそくこれの出番か
走って残りの狼の方へと接近しながら骨喰み包丁に巻いた布をはぎ取る。白い刀身に日の光が反射し波紋が怪しく輝く。これまで数多くの犠牲者を作りだしたであろう凶刃はその狂気を奥深くに閉じ込め湛えるようであった。
一気に距離を詰めたこちらに向かって敵は先手を取ろうといきおいよく飛びかかる。
「『火』」
その相手に対してナイフバタフライの時にしたように進路上に火を投げつけることで牽制する。狼は必死でそれをかわそうとして体勢を崩したようであった。
ここまでは予定通りだ。後は……
体勢の崩れた相手の突進を横に飛んで避けると、そのまま包丁の柄で小突くようにして腹に一撃を加える。ただでさえ不安定だった体勢はそれによって大きく崩れ硬直した。
その機会を逃さないように――
「ふッ!」
息を短く吐き、腹筋と腕に力を入れて武器を振りぬく。それに応じるように骨喰み包丁は軽やかに狼の首筋へと吸い込まれ、そして――
その刃は首を切り飛ばし、まるでマンガみたいに切断面から血が噴き出した。
熱したナイフでバターを切るようにほとんど抵抗を感じさせないまま狼の首が飛ぶ。スローモーションのように過ぎるその光景に不謹慎ながら血の噴水と言う言葉が頭をよぎった。
うわぁ、思った以上だよ、コレ
初めて見た生物らしい生物の死に様は少なからず衝撃的だった。体を離れた首が曲線を描く様子、自分に降りかかる生暖かい血潮、それらすべてが自分に生き物を殺したということを実感させる。
そして、そんな生き物を何の手ごたえもなく裂く得物とそれを扱う自分。そのことに久しく感じていなかった痛みにも似た後悔が思考を支配した。久しくとはいってもここに来てまだ一日しかたっていないのだが。
そんなこともあっったせいか少女のことも忘れて、しばらくぼうっと立ち尽くしていると不意に彼女から声がかけられた。
「おお、すごいね! その……えっと、剣?」
呆ける僕を覗き込むように目を向けていた少女が興奮した様子でそう尋ねた。
「一応、包丁らしいよ――じゃなくてッ! 大丈夫なの!?」
「大丈夫って、何が?」
彼女は何のことかわからないといった様子で首をかしげている。クリクリとした大きな瞳が不思議そうにこちらを見つめていた。
あれ? なんか思ってたのと反応が違うんだけど
もっとこう、ありがとうございますって感激するみたいなそんな感じのは……
「いや、だって襲われてたんじゃないの?」
助けた僕が言うのもなんだけど随分肝の据わったお嬢さんだ
「んー? まぁ、そうかな」
「そうかなって……」
「それよりも――」
「えっ?」
彼女はこちらに向けて手を差し出している。
何だろう? こっち流の挨拶かな
「引っ張って!」
「ああ、そういう」
初対面だというのに少女はこちらに警戒心を向ける様子がない。彼女を取り囲んでいた狼を殺したことで信用されているとも考えられるが、それにしても無用心だといわざるを得ないだろう。特にこの世界にはおかしな人間が多いのだから。
そんなこちらの考えなど露知らず少女は幼さの残るあどけない笑顔に血を付着させて微笑んでいる。
血がついていなかったらもっと絵になっていただろうに
こちらが引き上げない限り、彼女は立ち上がる様子が見られなかったのでしぶしぶ、座り込んだ彼女の手を掴み引っ張り上げようとした。
「――ッ」
その瞬間、例のごとく情報が流れ込む。
これは――
生物名:人間
名前:åŒæ
所持性質名:『継ぎ剥ぎ(ジグソーイング)』
【裁縫が上手くなり、それに分類される行動および付属する動作に対して補正を受ける】
この情報は彼女の?
ふむ、だとすると『現実投棄』の発動条件は対象に触れることなのか
いや待て、そんなことよりも、だ
何だ、この性質!? 確かに実生活では実用的だろうけど、よくこの森の中で生き延びられたものだ
それに、この名前は……これって“文字化け”?
「どうしたの?」
「あ、ああ、ごめん」
手を掴んだままぼんやりとしている僕に彼女はおかしなものでも見るかのような目を向けている。
いけない、このままでは本当に不審者扱いされそうだ
そう判断するとすぐに力を入れて彼女を立たせた。彼女が思った以上に軽くて少しだけ心配になる。それとも僕に力がついただけだろうか。
問題の少女はというとパンパンと音を立てながら服についた土を払っていた。
いや君にはもっと気にすべきものがあると思う
その顔についた赤いものとかさ
「ええと、君の名前は?」
「え、私の?」
「そりゃあ、まぁね」
とにもかくにもいつまでも少女扱いというのも不便なのでさっさと名前を確認しておきたい。
それに文字化けの原因も分かるかもしれないしね
だが、少女からは期待していたような返事は得られなかった。
「分かんない」
「分からないって……」
だから文字化けなのか?
もしかして僕と同じで、いつの間にかこの世界にいたって感じなのかな
「それじゃあ――」
「あっ、でも皆にはアカズキンって呼ばれてるよ」
こちらの話を遮るように彼女はそう告げた。
――アカズキン?
まさかこの世界でその名前を聞くことになるとはね
文字通り世界観が違う。
いや、“世界観”ってなんだ。そもそも異世界ともいえるこの場所でまったく違う世界から来た僕がそんなことを感じること自体がおかしいのだ。
チェシャと名乗る猫に、時間に追われる兎、青虫とそしてパン付きバタ蝶
どうしてここまで似ている? あまりにも一致しすぎているじゃないか
そう、――『不思議の国のアリス』に
ようやくヒロインが登場いたしました。
電波・狂気・猟奇の三拍子そろっています。