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不思議の国? いいえ、不条理の国です  作者: 黒助
第一章 兎の穴に落ちて
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第四話 女王蝶

 女王蝶はその巨体からは想像がつかないほど美しく月夜を舞う。輝く刃は獲物を切り裂くためのものとは思えず、精緻に作られた美術品のような気品を漂わせ、青白い刀身は空に浮かび上がったもう一つの月のようだった。そして頭から生えた触角は細かく波打ち、いつか写真で見たフランベルジュを想起させる、まさに全身刃物といった装いだ。

 翅を広げた大きさならば一メートルをゆうに超えるであろうソレは力強く大気を叩きつけながら真直ぐにこちらへと近付いてきていた。その迫力に開いた口がふさがらない。

 僕との距離が十メートル程の所で女王蝶は接近を止め、翅を緩やかに動かしながら空中にその身を留める。その姿に思わず息をのんだ。美しさもさることながらその非常識さが心をつかんで離さなかったんだ。


 いったいどんな仕組みで浮いてるのかな?

 これだけの大きさのものを僕の世界で浮かそうと思ったらかなりのエネルギーが必要になると思うんだけど。

 もっとも、ここが僕の知っている物理学のもと統治された世界であったなら羽ばたき飛行機械《オーニソプター》なんかじゃあ、例え最先端技術を使っても実現できそうにないけど。

 この世界の蝶は、蝶であるというだけで飛べるのかもしれないね。飛ぶために翅があるのではなく、蝶であるために翅があり、翅があるから飛べる。そんな逆向きの関係。そういえばチェシャも『認識は実存に先立つ』とか言っていたな。


「――ッ」


 急に鳴らされた警笛のようなその声に思考を中断させられる。女王蝶は考察さえ許さぬように大きく唸りを上げ続けた。仲間の死を悼むように、死に追いやった自分に憤るように。その姿に僕を怒るのは筋違いだと訴えたくもなったけれど言葉が通じるとも思えないから黙っておくことにした。沈黙は金と言うしね。まぁ、実際のところ、まるで金管楽器を思いっきり噴いたような音と、耳鳴りを生じさせる高周波が混ざり合った精神を不安定にさせそうなその声に肌が粟立ってしまってそれどころではなかったのだけれど。


 ……これはきつそうだな


 そんな風に考えてしまい思わず揺らいだ僕の視線を女王蝶は見逃さない。

 身の毛もよだつ唸りをそのままに彼女は翅を目一杯広げ飛び出す。今までの優雅な羽ばたきからは想像できない急激な加速により女王蝶は数瞬の内にこちらとの距離を詰めた。長く飛び出た触覚を槍のように突き出し猛進する姿はさながら攻城兵器のような迫力である。

 ただ、その動きが直線的であったことと、先程の蝶たちとの戦闘でも経験していたということもあり何とかその突撃に反応することができた。体勢を低くすると、身を屈め転がるように地面と女王蝶の間に潜り込むようにしてそれをかわす。反応が早かったおかげで槍は服の上部分を引っかけるように破り去るだけで済んだ。代わりのない服を破られたこともそれなりにショックではあるのだけど肉を裂かれるのに比べればずっとマシだ。これが初戦であったなら、裂傷どころか今頃あの触角で串刺しになっていたかもしれないけどね。でも、幸運だってそう長くは続かない。このまま悠長に長期戦なんか挑んだら切り刻まれるか穴だらけになるのが関の山だ。出来るだけ早く手を打たないと。


「『製氷(アイス)』」


 こちらも反撃に移ろうと体勢を立て直すと、そう宣言し手元に氷の塊を作りだす。しかし既に女王蝶は旋回を終え、再び僕に向かって加速し始めていた。


「は、速……」


 思わず口からそう言葉が漏れる。気付いたらずっと先いたんだからそりゃあ驚くだろう。問題はそんなことに気を取られたせいで手元の氷が結晶を撒き散らしながら霧散したことだ。


 しまっ――


 意識を集中しきれず言葉は実現する前に消え去る。ここにきてこのスキルの問題点が浮き彫りになってきたような気がする。

 何にしても女王蝶はそんなことお構いなしに、こちらが攻勢に転じる前に再び肉薄していた。その距離たるや、既に回避行動を起こしても間に合わないような状態だ。そのことを理解すると一瞬にして背中から冷たい汗が噴き出す。


 迷ってる暇はないね

「ッ! ――『火(ファイア)』」


 横に飛びながら叫ぶ。言葉を発すると同時に現れた小さめの炎の塊が次の発言を待たずに飛び出した。女王蝶と自分の間の地面に着弾したそれは小規模な爆発と炎を巻き起こし爆風が浮いた自分の体を吹き飛ばす。女王蝶もそれによって進路を逸らされ、翅は腕を掠めてわずかに出血させるにとどまった。


 あ、危なかった……


 だけど、さすがに何度も使うことができるようなものでもないな。一歩間違えたら自分が吹き飛んで終わりだしね。緊急回避にしては上手くいったと自負している今のタイミングでさえ、衝撃で体が軋み、熱された空気で喉が焼けつくような痛みがあるぐらいだ。とはいえ、このチャンスを逃すわけにはいかない。


「『火球(ファイアボール)・射出(シュート)』ッ」


 手の治療よりも先に、体勢を崩している女王蝶に火球を放つ。

 さすがに避けきれなかったようで火球は手を離れると女王蝶の頭部付近に直撃し爆音を立てた。生じた炎が舞い散り辺りを照らす。今は森だからどうとか言ってる場合じゃない。気を抜けばすぐに首が飛ぶんだからね。それにしてもこれで何とかなってくれないかな、さっきみたいに。


「終わって――」


 言いきる前に宙を何かが回転しながら飛び出し地面に突き刺さる。

 今度は何なんだ、全く。不満を抱きながらそれを見てみると


「これって、触角?」


 どうやらさっきの衝撃で折れたらしい。うねった刃のそれは地面に深々と刺さり爆発の強さを見せつけるようだった。


「これなら、きっと……」


 しかしその台詞にかぶせるように女王蝶は立ち込めた煙の中から飛び出す。うん、予想はしていたよ。

 それでも、相手もさすがに無傷というわけではなく頭付近は直撃のせいで歪み、触角一本と爆発が生じた側の脚が二本吹き飛んでいる。それでも翅も彼女自身もいまだ健在であることには正直絶望を禁じえない。むしろ先ほどよりも危険な雰囲気を漂わせているようにも見える。

 鎧のような外殻から覗く、爛々と赤く光る眼がこれまで以上の殺意をはらんでいた。勘弁してほしい。


 はぁ、あれで仕留められなかったのは辛いな

「ん、脚に触角?」


 そこで、あることに気付く。


 そういえば、さっきも壊れたのは脚と触覚だったな


 爆発で吹き飛んでいた蝶のことを思い出す。


 だとするなら女王蝶の弱点もおそらく――

「関節か」


 関節、正確には繋ぎ目部分。

 確かに弾幕をくらった個体も胴部分がほとんど無事だった割には、脚にしろ翅の付け根にしろ節は簡単にとれていたな。大きさこそ違うがやってみる価値はあるね。

 今度こそ意識を集中させて言葉を紡ごうとするが、女王蝶はそれを許さず、先程以上の加速でこちらが言葉を発する間もなく飛来する。


「えっ!?」


 体を屈めるも、今度はかわしきれない翅が腕を裂く。

 鋭い痛みに思わず眉根に皺を寄せた。


 ダメージは、入ってるはずなのにどうして速く!?


 そこで肉切り包蝶の説明に合った一文を思い出す。


『血を吸うことで一時的に能力が上昇する』


「まさか僕の血で……」


 上位の女王蝶が同じかそれ以上の性質を持っている可能性は十分にある。

 これって、本当にジリ貧に……


 自分は切り傷に疲労、それに対して相手は触角一本に脚二本……え?


「あ、脚がもどってる……」


 思わず姿を見直すと女王蝶の体は既にほとんど初めと同じような状態まで回復していた。おまけに折れたはずの触覚さえも徐々に伸びていっている。


 ……能力上昇だけでなく、再生持ち

 いよいよデッドエンド以外想像できなくなってきた


 どうにか突破口は無いかと全力で頭を回転させるが、相手がそれを待つはずもない。速度を上げながら辺りを飛び回り隙を見つけては飛び込んでくる。攻撃を当てようにも動きが早すぎて狙いすらつけられない。上手く攻撃を逸らしながら避けるのが精いっぱいだ。その回避さえ完璧には程遠く、すれ違うたびに体のどこかに切り傷を刻んでいく。

 恐ろしく鋭い刃で切られた腕からは動かすたびに血が噴き出し、『縫合』を行うにも傷を塞ぐ先から新たな傷が追加される。

 このままじゃあ先に血の方がなくなりそうだよ。そうでなくても既に体にも影響が出始めている。


 どうにかしようにも、攻撃は当らないし、ちょっとやそっとでは再生がある


 僕が足踏みする間にもこちらには傷が増え、反対に女王蝶の頭には早くも新しい触覚が生えそろっていた。


 まずい、血を流し過ぎたうえに、『有限実行』の連続使用のせいで集中力もなくなってきてる。このままだと、直撃も時間の問題だ。危ない賭けかもしれないけど。


「一か八かだ」


 女王蝶の攻撃の合間を縫って少しづつ移動し、そして


「今だ!」


 一瞬、女王蝶が自分に背を向け離れたのを確認すると近場の木が密集した場所に走り込む。

 これなら、あの動きも制限できる。何よりこの場所なら自分の方が相手よりも有利に立ち回れるはずだ。


 さすがにこの乱立した木の中に突っ込めば速度も落ちるはず、後は――

「それを避けて、頭の付け根に火球を打ち込む!」


 さすがに首が飛べば再生もできないだろう。昆虫の中には首が飛んでも動くものもいるけど、ようはこちらがしのげる状態に持っていけばいい。

 最悪、来ないなら逃げ切れる可能性もある。ともかく今はどちらにも対応できるように臨機応変に立ち回ればいいはずだ。

 木の隙間から様子を窺うと女王蝶はしばらく入ることを躊躇うような様子を見せたが、体を回転させると勢いをつけはじめる。

 残念ながら逃げることはできないようだ。さて、ここからが正念場だ。


「釣れたみたいだね。諦めてほしかったんだけど」


 でも、ここまで来たら後は次の一撃に注意するだけだ。

 女王蝶は予想通り風切り音を翅から響かせながら真直ぐに木立へと迫りくる。

 後はこの木が勢いを削いで――!?


「なッ、勢いが落ちない」


 目の前の木々は翅によって切り倒されているにもかかわらず、まるで障害物として機能していない。上手く頭だけは木の間を潜りぬけるように時に体を傾け、回転させながら華麗に間隙を縫う。その体でそんな器用なことができるなんて想像できないよ、普通。

 しかし、こうなってしまうと既にこの場所に地の利は無い。むしろ木の根がこちらの足を奪うだけで女王蝶にとっての一方的な狩場に成り下がるだけだ。


「くッ、『ファイ――』」


 こちらが言いきる前に翅が目の前に迫ったことに焦り、無理に対応した結果、直撃こそ避けられたものの、触角がその波打った刃で腹部を抉り、翅は足を深く切り裂きながらすれ違った。


「ぐがッ、ッァア」

 痛い痛い痛い痛い


 切り裂かれた部分が熱を持ったように疼き、痛みに脳が思考を放棄しそうになる。

 それでも、ここでそんなことをしたらそれこそ一巻の終わりだ。


 くそっ、早く傷を


「ほ、『縫合』」


 しかし、そう発言し腹部に手を当てても一向に傷はふさがらない。


 そんな! どうして!?

 確かに発動はできているのに


「まさか……」


 そこで触角の形を思い出す。炎の名を冠する剣。その剣、フランベルジュの特性は複雑な形状によって出血を悪化させるうえ、縫合を難しくすること。


 ああ、上手く出来てるなぁ


 切り裂かれた腹部からは血が滴り、服の下の傷口は見てはいないがぐちゃぐちゃになっていることが想像に難くない。足の傷も深く、相手の攻撃の間隔を考えると治している暇は無さそうだ。目の端では木々の間を抜けた女王蝶が再びこちらに向かうのが見えていた。


「これじゃあ……次は、避けられない、よね」


 となると何とかこの場で次の一撃を防ぐなりかわすなりしなければならない。ひいては生き残るには何とかして女王蝶を殺す必要もある。そんなことが可能なんだろうか。いい加減諦めた方が利口な気さえしてくるよ。

 でも、さすがに死にたくはない。どうせ死ぬならやるだけやろう。


「は、はは、最後だしね。もう賭けるものなんて一つしか残っちゃいないんだよ」


 命もベットのオールイン

 勝てば儲けがすごそうだね、さて――


「『製氷(アイス)・強化(エンハンス)』」


 ――どちらが勝つかな


 僕の言葉に呼応するように氷塊が一瞬で目の前に生成される。それを迫りくる女王蝶に向かって放り投げ――


「『火球(ファイアボール)・射出(シュート)』ッ!」


 その氷塊に向かって火球を打ち出した。

 手を離れた火球は氷塊に接触すると瞬間、膨張するように光を広げ暴風を巻き起こした。その爆発は氷塊の一部を蒸発させ白い煙を立て、溶かしきれなかった部分をバラバラに粉砕する。陽炎と土煙が舞い、水蒸気が視界をふさぐ。そして砕けた破片は僕に向かって飛んでいた女王蝶へと雹のごとく殺到した。

 急に飛び込んできた礫は女王蝶自体の速さもあり、すさまじい衝撃を鎧のような外殻へと刻み、関節を砕く。さすがの相手も耐えきれないのか姿勢を崩したまま目の前の立ち上る噴煙の中へと飛び込んだ。水蒸気まで入り混じったその視界で物の正確な場所など把握できるはずもない。陽炎に揺らいだ木の影を避けようとした彼女はそのままの勢いで硬い体を木に強く叩きつけた。

 女王蝶はその木をへし折り、それでも衰えぬ勢いのまま体を転がす。辺りに響く振動、地をする音と石にでもぶつかっているのか時折混ざる金属音、飛び散る火花、それら全てがこの衝撃の強さを物語っていた。そして、数本の木を押し倒しようやく停止する。


「賭け、には勝てたみたい、だね」

 こんな破れかぶれが通じるとは珍しいこともあるもんだ


 そんなことを頭の隅に考えながら女王蝶に目を向けると触角はひしゃげ、体もありえない方向に曲がっている。それでもピクピクと動く姿が生命力の強さを感じさせた。っと、そんなことよりもだ、このまま放っておいて再生されたら目も当てられない。


「痛っ、はやく、とど、めを……」


 ポケットから布に包んで保管しておいた包蝶剃刀を取り出し、今だ動き続ける女王蝶の目に突き立てる。さすがと言うべきか包蝶剃刀はほとんど抵抗を感じさせないまま奥へ奥へと沈みこみ、それに伴って緑色の異臭を放つ液体が噴き出した。はっきり言って痛々しくて見ていられないけれど、どこが急所か分からない今、簡単にとどめを刺せそうな場所が他に思いつかなかったんだ。別に恨みがあって突き立てているわけではないよ。


「――――ッ」


 目に深々と包蝶剃刀が突き刺さると、彼女は恐ろしい悲鳴を上げて悶えはじめる。それにはいまだこれほどの力を残していたのかと感心させられた。だが、ここで放すわけにもいかない。振りほどかれそうになった手に何とか力を込め――


 ――『放電(スパーク)』


 剃刀を握りこんだまま言う。目に突き刺さった剃刀へと電流は吸い込まれ、そのまま女王蝶を内部から焼き焦がした。嫌なにおいが女王蝶を中心に漂う。念のためそれからさらに数度、同じことを繰り返しておく。本当に恨みがあるわけではないんだ、ただ僕はそうしなければ安心できないような怖がりな小市民だった、ただそれだけ。

 そうしていると女王蝶はしばらくはビクビクと痙攣したような動きをしていたものの、すぐに動きが止めた。そこでやっと女王蝶から離れる。


 生きてる


 何の捻りもない言葉だけど、その事実だけが僕を現実に繋ぎとめているような気がした。


「……あ、れ?」


 そんな感慨もそこそこに膝から崩れ落ちる。思い出したように触ったお腹から、ジクジクと痛みが広がっていった。


 ああ、そうだった

 このままじゃあ、結局……


 そんな思いをくみ取るようにどこで見ていたのか青虫がノソノソとこちらに近づいてくる。

 その様子はどこか上機嫌なようにも見えた。


「おお、本当に倒すとはな! これで忌々しい蝶共に悩まされずに済む」

「う、ぁ……んでもいい、からたすけ――」


 腹部を複雑に切り裂いた傷とパックリ割れた足、体中に刻まれた線、そしてそこから流れ出す血。それが地面を赤黒く染め上げ、体温を奪っていく。


 ――寒い

 何をしてるのさ? 早く助けてよ。

 このままじゃ、……


 口を動かすのも億劫で青虫が自分を手当てするのを待った。

 そんなこちらを青虫は見下ろしている。

 表情の一片さえ見えそうにない暗闇が広がるフードの下からどこか機嫌のよさそうな声がいつまでも浴びせられた。その一つ一つが何とも言えず要領を得ない。こんな時まで青虫は奇人らしく振舞っていた。


 うるさい


 心の中でそう呟く。


「ん? ああ、これは済まなかった。儂も約束を果たさねばな」


 ――約束?


「村なら主が歩いてきた道をそのままたどるといい。半日もしないうちに森から出られる。さすれば後は近くにちゃんとした道が通っておるから、それに従っておれば村が見えてくるはずだ」


 青虫は僕が進んでいた方向を指さしながら言った。


 ああ、そんな約束もしていたね

 でも今はそれよりも傷を何とかしてほしいんだけど

 見れば分かるだろう?


「しかし、派手にやってくれたものだな。見てみろ辺りが酷い有様だ。ベッド代わりのキノコは吹き飛んでいるし、花も焼けておる。地にはその代わりに氷が生えておるではないか」


「しぁ――……」


 “仕方ないでしょ?”そう言おうとしても口が回らない。


 それよりも何をしているんだ

 死にそうなんだよ? することがあるんじゃないかな


「ふぅ、厄介事がなくなったと思えば……。ここも潮時か」


 やれやれといった様子で首を振る青虫に殺意を覚える。


 青虫は何もしなかったじゃないか

 何を偉そうに


「主も早くこの場を去ることだ。そのうち血の匂いにつられて獣が来るやもしれん」


 青虫はそれだけ伝えると背を向けて森の奥へと歩いて行く。


 なんだ、二足歩行なのか

 じゃなくて、……!


「てを……かし、て」


 その背に向かって今出せる精一杯の声を投げかけたが、青虫は僅かばかりもこちらを振り向こうとしない。


「きこえ、てるんでしょ……」

「ああ、聞こえているとも。だが儂にはどうにもできんよ。何よりそんな義理もあるまいて。結局、主は何も出来ぬまま終わるのだな」

「何を――」

「サヨウナラ」


 ちょっと、待ってよ!?

 見殺しにするの? 


 恨みがましい視線を背に向け続けても青虫がそれ以降、歩みを止めることは一度としてなく、顔を向けることさえないまま薄暗い森の奥へと消えていった。


 ふざけるな

 戻ってこい、早く早く早く、……戻ってきてよ

 こんなところで僕は――


 “いつか刻んでやる”そんな恨みに満ちた考えが浮かんだ。そんな時が来ることはもうないと分かっていても心の底から溢れ出るように漏れ出た本音はどうにも隠しようがなかった。


 視線で人が殺せたらよかったのに


 そんな願望を抱きながら肉体は衰弱していく。もう、開けているのも辛くなり始めた目にはやたら明るい周りの光がうるさく飛び込んできている。潰されたキノコの最後の灯なのか、それは眩しいほどで――


 眩しい?

 蛍光キノコが、そんなに光るはず……


 掠れ始めた視界の中で必死になって光源を探す。

 その光は死んだはずの女王蝶の体から漏れ出していた。


「これって」


 つい最近見たことのある光、いきなり集めろと言い渡された、ある意味忌々しいソレをそんなに簡単に忘れられるはずがない。


「……欠片」


 今さらこんなもの


 そもそも、元をただせばコレのせいで自分が死にかけているのだから、こんなものは疫病神以外の何物でもない。


 いや、でも、もしかしたら


『一つ一つに対して趣味の悪い性質までつけて』


 チェシャの言葉が脳裏をよぎる。


 どうせ死ぬなら


 もう立ち上がることさえできなくなった足を引きずりながら匍匐前進のように腕で体をずらして進む。たかだか二、三メートルにも満たないその距離が今はどこまでも遠かった。手の一掻きごとに血が噴き出し、意識が飛びそうになる。それを耐え少しづつ進み、やっとのことで、手が光に届く距離まですり寄る。ほとんど体が被さるほど近づくと、その光はあの時と同じようにこちらに向かって飛び出し、口に吸い込まれるようにして消えた。


 何でもいい、生き延びれる能力を


 そう切に祈っていると例のごとく頭にソレの説明が流れだす。


『口の欠片(ピース)を入手しました』


 性質名:『二人一役(パラサイト・シングル)』

【性質を一つ指定し、この性質と組み合わせることで新しい性質へと変化させる。使用可能な回数は一回のみ】


『この性質は前所持者である女王包蝶により既に使用されています。そのため『二人一役』は変化した後の性質『女王の晩餐』に置き換えられました』


 性質名:『女王の晩餐(サーブ・ザ・クイーン)』

【肉切り包蝶の性質『切り分け上手』と性質『二人一役』の組み合わせにより作りだされた性質。自身より格下のモノに対して切断系の攻撃を加える場合、抵抗を著しく低減する。また血の摂取に応じて再生成長を繰り返し、永続的な能力上昇とそれに伴う変質を得る】


 これは、……

 あるいはこの性質だったら


 女王蝶から流れ出た深緑の血に目を向ける。

 立ち上る油のような臭いが鼻をつき、気分を悪くさせた。


 本当にこれを? 勘弁してほしいけど、今はこれしか


 意を決して、地面にできた工場排水のような水溜まりに顔をつけ、ズルズルとそれをすする。口にすると臭いはさらにひどく何度もえずきながら無理やり飲み込んだ。時おり混じった砂がジャリジャリと不快な感触を残しながら喉を抜ける。それでも生き延びるには他の方法が思い付かなかった。

 幸いにも効果はすぐに現れた。

 腹部の裂傷もみるみる塞がり。鉛のように重かった体が軽くなっていく。そのときになってやっと痛みが体にもどりはじめた。


 痛い


 その痛みを何とかしようと女王蝶から剃刀を抜き、そこから流れ出る血を直接すする。気が付けば体は全快だったときよりも活力に満ちていた。初めは気になっていた臭いも鼻が馬鹿になったようで今は何も感じない。ただ、粘度の高さのせいかぬめりだけはいつまでも口と喉に残り続けた。

 しばらくは血が出なくなったらまた別の場所を切りつけて血をすすっていたが、切れる場所が多くないことに加えて、だんだんと量も少なくなってくる。諦めて先に殺した三匹にも同じことをしたがあまり多くは得られなかった。一つ分かったことは小さいほうが粘性も低く飲みやすいということだろう。

 ふと、気になって自分の体を見る。そこらじゅうに赤と緑の血が飛び散り、一部は混じりあってマーブル模様を作っている。口まわりにはべっとりとその液体がつき、今はわからないが臭いだって酷いだろう。

 生きるためとはいえ、死体にかぶりつく様子は人がいたらどう見えていたのだろうか。


 こんな風になったのは僕のせいじゃない


 誰にともなく言い訳をする。

 ここにつれてきた奴が悪い。勝手に仕事を押し付けた奴が悪い。見捨てた奴が悪い。

 考えうる限りの原因を列挙していく、長々と長々と……


「僕は――」


 そんなことをいつまでも続けたところで気分が最悪であることは変わらなかったが、


 ――それでも調子はこれまでにないほど最高だった。


三つ目の能力を主人公は手に入れたようです。

次回からは村へ向かいます。ヒロインとの出会いも近いかもです。

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