第一話 ボーイ・ミーツ・ワーム
ゲーテの有名な末期の言葉で『もっと、光を』というのがある。
何とも素晴らしく詩的で、死の間際まで偉人は偉人であることを印象付ける逸話だ。
だが、よく考えてほしい。常識的に考えて人間が死に際にそんなこと言ってる余裕があるだろうか。というのも実際にはこの言葉『部屋が暗いから明るくしてくれ』と言っただけだったらしい。
つまり現代でいうなら『電気つけて』といったら勝手に名言認定されたのである。
彼もこうなると分かっていたらもっと言葉を選んだだろうにと、大きなお世話を承知で同情してみたりする。
その点、僕に心配はない。なにせ偉人でもなければ、聞き届けるお節介もいないからだ。なので何の気兼ねもなくこう呟ける。
「もっと光が、……出来れば懐中電灯がほしい」
猫コスプレさん(今となってはコスプレじゃない気もしているが)にトラウマものの精神攻撃を受けブラックアウトを余儀なくされたかと思えば、僕は気付けば真っ暗でジメジメした森の中に放り出されていた。
月明かりの中、神秘的な森の散歩とポジティブにとらえたいものだが、神秘は神秘でも魔女が住むような黒魔術的な神秘さはさすがに御免こうむる。
枝葉の隙間から洩れる月の光の弱弱しさといったら筆舌に尽くしがたい。おまけに何のフォローもなくその辺に転がされていた身としては、先程から微妙に湿った背中と所々についた泥の染みが気になってしょうがない。せめて下に布を敷いておくとかそういう気遣いをしてくれてもよかったんじゃないだろうか。考えれば考えるほど、不満はたまる。
「ハァ、せめて何か持ってないかな?」
それぐらい手心を加えてくれてもいいはずだとジーパンについたポケットとパーカーの前についたポケットを探ってみる。考えてみればこの世界に来てからまともに自分の持ち物を確認していなかった。もしかしたら何かあるかもしれない。出来れば何でも願い事がかなう魔法のランプなどが望ましい。
「ん? これは」
正直なところ少しも期待してはいなかったが、意外なことにパーカーのポケットには何か書かれた長方形の紙がぐちゃぐちゃになって入っていた。何の紙かは分からなかったが上手くいけば記憶を取り戻す手掛かりになるかもしれない。そう思いその紙に書かれた内容を読もうとするがまともな光がないこんな場所ではとてもじゃないが読めなかった。あとランプはやっぱりなかった。
閑話休題、そうなると結局話は振り出しに戻るわけだ。
「でも、こんな場所じゃあ、明るいところも無いだろうしなぁ」
最悪日が昇るのを待てばいいのだが、精神衛生的にも光は一刻も早く欲しいところだ。
「光、光ねぇ、そういえば――」
そこでためしに一つ思いついたことを実行に移してみる。
「光を」
手の方へと意識を集中し、そう言葉にすると上に向けた手のひらに球体の光の塊のようなものが浮かび上がる。
「おお、成功した」
現れた眩い光は辺りを強く照らし、自分の周りだけ街灯でも設置されたような明るさになる。ただ今度は光が強すぎる。これだけ近くに光源があるならばもう少し弱い光でも問題ない。なので試行錯誤しながら少しばかり光の強さを調節していると、ほどなく手元と自分の周りを照らすには丁度いいぐらいの明るさが得られた。
先程、何度も光、光と口にしても何も起こらなかったことを考えると、使おうとしなければ使えないものらしい。まあ、喋っていたら急に炎が噴出して話相手を消し炭に変えるといった憂き目にはあわずに済みそうだ。
「何にしても、これで読め――」
しかし、期待は見事に裏切られ、先程の紙を取り出そうとすると、すぐに光は消え去りもとの暗闇が辺りを包み込んだ。なるほど、集中して使い続けないとだめなのか。ちょっと面倒くさい。
「ふむ、なんとか固定できないかな」
光は得られても夜中じゅう延々と自分の手のひらを注視し続けるとか、拷問もいいところだ。結局のところ足りないのは何なのだろうか。確かこれを使うには精神力を消費するのだから、それが足りないのかもしれないが、あの時の火矢ほど精神力を使ったつもりも実感も無い。だとすると、他の条件なのだろうけれど――
「イメージ、かな?」
でも、言葉が実体を持つって説明だと単純なイメージというよりも、言葉に付属するというか、引っ張られた印象という感じがする。火と炎だと炎の方が勢いが強いといったふうに。
確かに光という言葉だけではその場にとどまり続けるような感じはしないし、その考え方もそう外れていないのではないだろうか。
それを踏まえたうえで、この仮定が正しいとするとその場にとどまり続ける光源を表すような言葉を使わないといけないということになる。そういったものでイメージが湧きやすく、かつ言葉にできるものとなると、
「ランプ」
そう言葉にすると手に現れた光球はふわりと浮き上がり自分の頭よりも少し上ぐらいの位置で静止する。こんな形で魔法のランプが手に入るとはね。明るさもいい感じだ。街灯とか言わなくて良かった。
浮き上がった光から目をはなし、意識を切り離しても光球は消えずにその場にとどまり続けている。その後、試しに二三歩、歩いてみると光球も自分と一定の距離を保ったまま動き出した。ちなみにランプを選んだのは単純に持ち運びできそうだという理由と、なんとなくファンタジーなこの世界には懐中電灯よりも似合うからという理由があったりする。
「これでやっと読めるよ。っと、それで……」
ポケットから取り出した長方形の紙を破かないように広げる。どうやら感圧紙のようだ。ところでころ文字がかすれて線が入り、見にくくはなっていたが読めないこともない。紙の一番上にはとある有名なホームセンターの店名が書かれていた。うん、どう見てもレシートだ。
「もともと、そんなに期待してたわけではないけどさ」
本当は少し期待してたけど。
これ以上レシートとにらめっこしていても仕方ないので適当に処理しておく。
「火」
丸めたレシートを手のひらにのせそう唱えると、噴き出した火がすぐにレシートを燃やしつくし、後には黒い煤だけがその上に残った。
紙に関しては期待外れであったが、そのおかげで能力の使い方についていくらかの発見ができたわけだから結果的にはプラスだ。何事も前向きに行こう。
「でも、これからどうしよう……」
前向きになんて言ったところで、別にどうにかなるわけではない。そんなものはあくまで精神論で、行動を起こさせるための促進剤のようなものだ。やることが分かっていて初めて意味がある。
僕にも猫コスさんの言葉を信じるなら体を集めるという、知らない人が聞けば頭を疑うような使命があるらしいのだけれど、正直やる気が起きないというか。ほら、世界平和を願う人はいても戦争を止められる人はいないみたいな。自分自身、実感が湧かないせいで何をすればいいのか分からない。
「とりあえず何でもいいからこの世界のことが知りたいな」
これから何をするか決めるにしても必要なのは情報だろう。どこかの案内人がまともな説明をしてくれなかったせいで暗中模索もいいところだ。案内人とは何だったのだろう、と正直自分の知識に不安さえ覚える。別に根に持っているわけではない。
「だったら、まずはどこかの町か村にでも行きたいな」
とりあえず、この森からでないとどうしようもない。幸いにも光に照らされた足元を見ると森の中にも草の生えていない部分がある。人が通った跡だろうから、これを辿っていけば、森を抜けられそうだ。しかし、いったいどれだけ歩くことになるのだろうか。
光を手に入れて、やっと辺りの様子が分かるようになったこともあり、ぐるりと見回してみたのだが、視界の悪さもあって今自分のいる場所が森のどのあたりなのか全く想像できない。さすがに持ってるだけの能力ではどうしようもないので、仕方なくそのへんに落ちていた枝を倒して進む方向を決めた。何とも原始的だが、昔の人間だって鹿ト亀ト(かぼくきぼく)なんてもので行動を決めたのだ。温故知新、困った時の神頼み、偉大な文化だと思うね。
さて、歩くと決めたらいつまでも悩んでいても仕方ないので足元を見ながら人の歩いた跡をなぞる。その間も能力の使い方を調べるためにいくつか新しい言葉を試してみたり、これまでに試した言葉についても改良できないか考えてみたりした。 そのかいあって、さらにいくつかの使い方を習得することができた。
なので忘れないうちにこの性質『有限実行』について整理しておこう。
まずルール1『言葉を口に出さなければ発動せず、発動に際しては使用する意思が必要である』
うん、『有限実行』の説明にもあったことだがあくまで“言葉”を実体化するからだね。考えただけで実行というのは諦めた方がいいだろう。
続いてルール2『離れた場所に対して何か起こすことはできない』
簡単に言ってしまえば、自分を起点にする必要があるということだ。これは椅子に対して燃えろと言っても何も起こらなかった説明にもなる。ただし、あの時の火矢のように手元に出せば、その後、自分から離れても実体を保てるようだ。
ルール3『顕現するものは言葉のイメージに引きずられる』
先程見つけた性質がこれだね。これに関しては自分の持つ言葉のイメージと考えるべきかもしれない。なにせ自分と他人とでは言葉の捉え方など違ってしかるべきだからだ。まぁ、同一の能力持つ人が現れなければ、今後もこれを確かめることはできないだろう。だけど、もしその通りなら言葉のイメージを弄れば実現させる現象の拡張が可能かもしれないってことだね。といっても言葉のイメージを変えるというのも簡単ではないだろうけれど。なにせ生まれたときから、じっくり時間をかけて固定されたものだ。固定観念なんて目じゃないよ。
この方法については今後の研究課題といったところだろう。
そしてルール4『複雑なものは実現できない』
これが歩いている間に見つけた条件だが、ある意味この能力のネックともいえるものだ。“ランプ”を使った時にもしかしたらと思っていたけどさ。普通ランプって言ったら、どんなイメージに引きずられてもあの鉄製で持ち手の付いたやつを想像するよね。でも、現れたのはただの光球だった。持ち運びはできたけど……。そこで歩いている間に“車”とかを試してみたけれど、何も起こらなかった。
つまり、『有限実行』が実体化できるのはある程度単純な現象だけで、つまるところ文明の利器には頼れないってことで――
あはは、ハァ……せっかくの悠々自適で文明的な生活が泡と消えた瞬間だったね。
おっと、気分を切り替えていこう。
で、最後のルール5『使える上限は精神力に依存する』
これは火矢で体験済みだ。それに、さっきも身を持って経験したばかりだから間違いない。道すがら幾つも連続で使ってるとだんだん頭がぼんやりしてきて、最後には発動さえしなくなった。その段階になってくると自分が何考えてるのか分からなくなるわ、気分は落ち込むわ、死にたくなってくるわで散々だったよ。精神力を使うってそういうことなんだね。もっとマジックポイント的なものを考えていたよ。時間が経てばある程度回復できるのは有難いけど、リスクを考えるならできる限り連続使用は控えるべきだろう。
ただ物理的に危ないのは切れた時よりもむしろ精神力が切れる寸前だ。このタイミングで火矢なんて使おうものなら途中で暴発しかねない。そうなれば、どこかの王様がいったような、『死んでしまうとは情けない』がいよいよ現実味を帯びてくる……っていうか本当に情けない。
それにしてもどうして僕はこんなことばかり覚えているんだろうか。もっと重要なことがあっただろ、過去の僕。
いや、なかったのか? え? ホントに?
ま、まぁ、とりあえずはこの五つだろう。今後、追加で条件が見つかる可能性はあるけど、重要なのはおそらくこれだけかな。記憶については考え方を変えよう、重要なことだからこそ忘れたんだ、きっと。
それよりも差し迫った問題は、だいぶ歩いたのに周りの景色がほとんど変わらないってことだ。木の形とかは一本一本違っているけどそこに進展を見出せというのは酷な話だろう。
「火」
そんな気を紛らわせるために研究を続けているわけだが、それでも『有限実行』で遊ぶのはなかなかどうして楽しい。
調子に乗って、手の上に火を起こしてみる。
よし、精神力は問題ないな、このまま
「火球」
手のひらに起こった火が形を球体へと変えていく。見た目は燈色の液体でみたされたガラス玉のようでキレイだ。本物の液体のように時々グルリと回る中身と、そこから洩れる温かな光に心が洗われるようだった。実際は洗われるはしから消費されているのだけど、そんなことは瑣末な問題だ。インテリアにぜひ欲しいよ。そんな自画自賛。
ただ、いつまでもこうしているのは危険なので手の上に出した火球を適当に消しておく。自分が出したものなら、「消去」と口にするだけで消えるので簡単だ。火矢の時はそこまで気が回らなかったけどね。
「この能力、面白いといえば面白いんだけど、実生活での利用方法がなぁ」
火球も火矢も使う機会はあるのだろうか?
ここがどんな世界かは分からないけれど、本格的に危ない場所なら心もとないし、かといって争いがないなら過剰武装気味な気もする。とはいえ、真の意味で争いがない場所なんてないだろうから、あって困るものでもないか。
「あれ、なんだあそこ? なんか妙に――」
そんな、危惧も急に目の前に現れた風景に中断させられた。
そこも森であることは間違いないのだがこれまでとはうってかわってやたらと明るい。
初めは木自体が発光いているのかと思ったが、よく見るとそこらじゅうに蛍光色のキノコが生え、それが青白い光で辺りの木々を照らしている。
道からは外れているがなんとなく気になってそちらの方へと向かってみた。『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』って、かの文豪も言ってる。『好奇心は猫を殺す』というのもあるが気にしない。世の中はいつだってダブルスタンダードだし、二律背反はよくあることだ。
そんな言い訳をしながら近付いていくうちに分かったことだがキノコの数が尋常じゃない。そもそも、キノコってこんない群生するものなのだろうか。おまけにキノコ一つ一つがそれぞれおかしな形をしていて、釣鐘のような形のものや卵型のもの、普通のキノコの笠を逆向きに付けたようなもの、さらに中には余裕で人が座れそうな大きさのものまである。
「おお、異世界っぽいじゃないか」
正直、キノコの胞子とか大丈夫なのかと不安であるが、空気は澄んでいるので大丈夫だろうと日和見主義なことを考えながら進んでいく。すると今度はキノコだけでなく花までが咲き誇る庭園のような光景が広がった。まばらに立ち並んだ木々と、その木に代わって立ち並んだ大小様々な蛍光キノコ、そして花。
「人の手が加わってそうだ。誰かいないかな?」
「生憎だが人ではないな」
ホラ、やっぱりね。占いも馬鹿に出来ないものだ。
いい加減この不意打ちにも慣れたので冷静にその声の出所を探る。
声はその庭園の一際奥まった場所から聞こえてきたようだった。
「これを言うのはこっちに来てから二度目なんだけどさ、ここの人達はどうにも唐突すぎると思うんだ」
「儂に言わせれば出会いとはそういうものだ」
そういう物理的な意味じゃないんじゃないかな?
声に導かれるままに、聞こえてきた方に歩み寄る。声がしたその場所に向かうにつれて、だんだんとはっきりしてくる姿。
大きなキノコに寝そべりながら、近くの木に巻きついた蔓の花に持っているストローを突き刺しチビチビと蜜を吸う姿は何ともそれらしい。
「ええと、もしかして芋虫……だったり?」
「ふむ、なかなか見る目がある。ただ一つ訂正させてもらうなら儂は“芋虫”ではなく“青虫”だよ」
言っている最中にも時折ズズズと下品な音を立てながら蜜を吸っている。話してる最中は我慢しなさい、子供じゃないんだから。
そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか青虫は密を吸いつくし、何とも億劫な様子でストローを別の花にさす。
褒められたけど全然嬉しくない、っていうか誉めるなら面倒くさそうに片手間はやめてほしい。
青虫は呆れ顔で見ている僕を無視してキノコの上をゴロゴロと転がっている。しばらくするとおさまりのいい体勢を見つけたのか悠々と次の花を選び始めた。
なんか仰々しい言葉づかいの割にやたらだらしないんだけど、この人。
異世界初日、僕には三人の知り合いができた。そう、この右も左も分からない異世界という場所で三人“も”できたのだ。これは奇跡的なことなんじゃないかな。
だというのに……
一人は時間恐怖症(クロノフォビア)の兎、もう一人は秘密主義者の猫、そして三人目は――
「何を見ている? 鑑賞を希望なら蝶に頼むといい。よろこんで舞ってくれるだろうさ」
自称、芋虫……いや、青虫のぐうたらだった。
どう考えても奇跡がおかしな方に転がり始めている。運命の女神は悪ふざけが好きらしい。
結局、何が言いたいのかといえば、
――ろくなのがいないんだけど、どうしよう。
戦闘は次くらいから入ってきます。
よろしければアドバイス・ご感想お待ちしております。