第九話 名無しと赤と門番
「ほら! あれが私の住んでる村だよ!」
「へぇ、思っていたよりもなかなか……」
目の前に見えてきた村は自分が当初想像していたものと比べると随分と大きくしっかりとしたつくりをしていた。さすがに藁の家などとは思っていなかったが、それでもそれに近いものを想像していたし、少なくとも数件がまばらに秩序なく並んだものを想像していた。
だが、現実はといえば村は二メートルほどの石造りの壁に囲まれ、入り口ともいうべき場所にも開閉可能な門がついておりなかなかに強固に見える。さらにそこから見える家々は知識にある町並みのような近代的なものでこそないものの、太い丸太で組まれておりロッジのようながっしりとした門構えであった。壁に阻まれ詳細は分からないが村の規模自体も想定していたものよりずっと大きく、これならば百戸近くかあるいはそれ以上はあるのではないだろうか。中心となる道には人が行き来する様子が見えることからそれなりに活気もあるのだろう。
「どう? 気に入った、ねぇ?」
「いや、ほんと予想以上だよ」
「でしょ! このあたりだと一番大きな村なんだよ」
期待交じりの目で見られたらそう答えるほかないだろうに
彼女はこちらの答えを聞くとテンションも高く喜んでいた。それほどこの村に思い入れがあるのだろうか。アカさんの場合、単に褒められたかっただけだというほうが大きいのかもしれない。
それにしても……
見れば見るほど村は物々しい佇まいだ。高い櫓も見えるし、門の前には二人の男が立って森のほうを見張っている。それだけ狼や例の蝶を警戒しているということなのだろうか。
「なんか随分と重装備だね、この村」
気になったのでアカさんに尋ねてみる。
「そうかな? あんまり意識したことないけど」
「何かに備えてじゃないの? ホラ、あの狼とかさ」
「うーん、狼はそんなに人のいるところにはこないし、どっちかっていうと他の獣とか悪い人たちに対してかな」
ああ、やっぱりいるんだね、そういうの
よく、あれから何も起きずにここまでこられたものだ
そう、何もなかった……
アカさんが思い出したように引き返したと思ったら、しばらくして新しい血をつけて戻ってきたなんてなかったんだ、うん
何か「忘れてた!」とか言ってた気がするけど気のせいに違いない
「おい! 止まれ!!」
嫌な記憶を排除しようとしていると近づいてきた門番の男がそう声を上げた。
男は自分たちの数メートル前でこちらを疑わしそうに観察している。
「あれ? アカさんってこの村の人でしょ?」
「その女は別にいい。それよりもお前は何の用があってこんな場所に来た?」
「ナナシくんは森にいたから私が連れてきたんだよ」
正確には会わなくても来るつもりだったけどね
そんな自分をよそに男は急に大声でアカさんを怒鳴りつけた。
「お前には聞いていない!!」
いきなりのことに思わずビクリと体を震わせる。彼女はというと驚くとか悲しむというよりはうるさそうに眉をひそめていた。
青年は何が気に入らないのか先ほどからこちらのことを忌々しげに見つめている。比較的細身でありながら百八十センチ以上ありそうな背丈で睨まれるとなんともいえぬ圧迫感がある。おまけにつりあがった目とツンツンと天を突く短髪がそれに拍車をかけていた。
「ずいぶんな言い方だなぁ。女の子にそれは、ちょっと……引くかも」
「よそ者が知ったようなことを」
僕自身さっきまで彼女とは距離をとりたがっていたのだけどそれとこれとは話が別だ。さすがに目の前で知り合いがこんな風に言われるはいい気分ではないよ。
「どこから来たか知らないがわざわざこんな村に何のようだ」
「森で迷ってたら、ここに村があるって教えてもらったんだよ」
「ハッ、ずいぶん間の抜けた話だな」
口の悪い門番だ
立たせる人間を間違ってるんじゃないだろうか
まぁ、相手にしないのが一番だろう
「ヒドイこと言うもんだね。それで、入っていいのかな?」
「いいよ、いいよ。早く行こっ!」
「お前は黙ってろって言ってんだろ!」
これはさすがに一言言っておくべきだろう
「それは――」
「おい、おい、穏やかじゃないな。少し落ち着け『ヴィク』」
こちらが口を開こうとすると先ほどまで門にもたれかかって成り行きを静観していたもう一人の門番が口を挟んだ。こちらの男の年齢は二十代後半から三十台前半といったところだろうか。背こそ青年よりも低かったがそれでもガタイのよさのせいで彼よりもずっと大きく見える。ただまとった雰囲気は『ヴィク』と呼ばれた青年よりも落ち着いており、なにより顔に浮かべた柔和な笑みと太い眉はまさに真逆といった感じだった。
「ですが、……いえ、失礼しました。熱くなってしまって」
「まぁ、分からんではないさ。っと、あんたも済まなかったな」
「いえ、別に実害はありませんでしたから。それで通っても?」
この男なら彼よりも幾分か融通が利きそうだと判断し上司らしきその男のほうを向いて聞いてみる。
「ああ、いや、悪いがそう簡単にってわけにもいかんでな」
「えっ」
あれ? 村に入れてくれる流れじゃなかったの
「いや、その背中の……なんだ、物騒なものがな」
「これは――」
包丁です! なんて言っても無駄だろうなぁ
こんなことにならないようにアカさんに水場まで聞いて来る前に血を洗ってきたんだけど
「えー! 包丁だしいいじゃん」
「いくらなんでもそれは無理があるだろう」
僕が言う前にアカさんが確認してくれたがやはり無理らしい。
仕方ない……
「いや、実はこれ商品なんですよ」
「商品?」
「はい、武器や素材を売ってお金にしようと思って森から持ってきたんです」
「え? そうだったんだ」
アカさんお願いだから今は静かにしていて
「それを誰が証明する」
続いて青年がそう口を出す。その様子から見るにどうにも村に入れたくないようであった。
「お前が賊でないとも限らないだろう?」
「わざわざ武器引っさげて、門から入る賊とか……見てみたいよ」
「そんなものこちらの裏をかこうとしてるとか――」
「意味ないでしょ、ソレ。武器は隠しておいて村に入ってから取りにいくか、そもそも門なんか通らずに入ったほうがよっぽどマシだよ」
呆れ顔で言うと、相手も自覚があるのか苦々しい表情を浮かべる。
「うーん、だがやはりそれだけで通すというのもなぁ。ふーむ、……あんた商人なんだよな?」
ヴィクに代わって今度は上司のほうが笑顔のまま話しかけてくる。
よく見ると指は何かをはじくような動きをして――
「じゃあ、商品も他にあるのか」
「ええと……」
なるほど、そういうことか
青年よりも融通が利くと思っていたが、なるほどコレも年の功といえるのかもしれない。
こちらを笑顔で見る門番のその男に倣って自分も口角を上げて目を細めて表情を作ってみた。その様子をヴィクは気味悪そうに見ている。
「そういえば、門番さん、いい剣を持ってますね」
「ん? これか?」
もちろんお世辞だ。僕ごときが、剣の良し悪しなんて分かるはずもない。とりあえず通過儀礼のようにそういって機嫌をとっただけだ。
「それ、ちょっとだけ鞘から出して横に向けてもらっていいですか」
「ああ、だが何を――」
男は言われるままに鞘から剣を抜くと横にして自分の前に出した。
その刀身に向かって懐から取り出した包蝶剃刀を叩き付ける。
キンッという乾いた音が響いたかと思うと繋がりを失った剣は握られた柄を残して地面に落ちた。
「うわ、すっごい!」
「貴様ッ!?」
目を輝かせるアカさんをよそにヴィクは尻尾を掴んだといわんばかりの剣幕でサーベルに手をかけ僕を睨んだ。
おっと、彼がこのまま飛び掛ってこないうちに
「っとすみません商品の紹介をするつもりだったんですけど、剣折れてしまいましたね」
「ふむ、この剣は気に入っていたんだがなぁ」
そんな二人など気にも留めずに僕とその男の二人で話が進んでいく。
うん、分かりやすくていい
融通が利くってのは正しかったみたいだ
ヴィクのほうにも目で制してくれているみたいだしね
「本当に申し訳ないことをしました」
わざとらしくそんなことを言う。
「そうだ! 代わりになるか分かりませんけどコレを受け取ってください」
「いいのか? なんか悪いな」
「お詫びですから。それに、きっと満足してもらえます。……売ればそれなりにはなるんじゃないかな」
持っていた包蝶剃刀を渡すと男はニヤリといやらしく笑った。
こういう人は嫌いじゃない
「どうやらあんたはホントに商人みたいだな」
「なっ!! 『ティム』何を言って――」
「ありがとうございます」
言い争いが始まる前にそう言い切ると僕とアカさんは二人の脇を通って村の中へと向かっていく。気になって見てみると掴みかかろうとするヴィクをティムが抑えていた。
「こんな方法、恥ずかしくないのか!」
ヴィクは諦めが悪いなぁ
「良かったら――」
“君もいる?”そう言おうとしたが体を割り込ませるように自分と門番の間にアカさんが入り込んだ。小さな体がなぜかひどく頼もしく見える。
「……それはあなたが決めることなの?」
彼女が一言相手の顔を見上げながらそう尋ねる。それだけなのにヴィクはたじろぐように口をもごもごさせていた。
どうしたんだろう?
上目遣いで見られて、照れてるのかな?
こちらから彼女の表情をうかがうことはできないが、そうだとしたら青年も意外と初心なのかもしれない。そう考えればこれまでの彼の言動も思春期のような照れ隠しであったのかもと思えてくる。
だとしたら、僕も大人気ないことをしたな
分かってたらもっと気を使ったのにと今更ながら申し訳ない思いになった。
「……」
「ホラ、行こう!」
「あ、ああ、うん。それじゃあ門番お疲れさ――」
自分が最後まで言い切る前に彼女は僕の手を掴むと村の中、門の先へと僕を引いていった。
「い…に分…る…」
門番の横を通り過ぎる際にそんな彼の呟きが耳に届いた。でも、僕にはそんなこと気にする暇もなく手を引くアカさんに着いていくしかなかったんだ。
「ようこそ! 私の村へ!!」
なにせ満面の笑みの彼女は今まで見たどんな表情よりも魅力的だったから