表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

モーターサイクル

作者: 173
掲載日:2026/05/23

挿絵(By みてみん)

絵:那月結音先生


 五月の夜風は、少し冷たい。

 駅の国道側は、夜が更けてもそれなりに賑やかだ。対して、こちら側は閑静な住宅街になっている。家路を急ぐ黒い塊に、コンビニの明かりが顔を与えていた。

 その光の重さを背に受けて、足もとに影が溜まっている。


「はあ」


 腕時計を見る。終電には、まだ間に合う。

 手のなかにある、たばこの箱を撫でてみる。それはずいぶんくたびれていて、なんだか自分みたいに思う。

 最後の一本をつまみだす。くわえる。

 ライターが小さな火を灯す。夜風に吹き消されないように、左手で守ってやる。


「あの、すみません」


 いきなり声をかけられた。肩が跳ねて、火は消えた。

 声の主は、若い女性だった。照明に、明るい茶髪が輝いている。ごみ袋を抱えた制服姿は、もしかしなくても店員だろう。

 なにかを見透かされたようで、鼓動が少し喉につかえた。返事を、絞り出す。


「はい?」

「ここ、たばこだめなんですよ。見えません?」


 店員の指さす先には、ガラス窓に禁煙を示すラベルが貼られていた。

 以前は灰皿があった気がしたのだが、言われてみれば今はない。


「ああ、そうか。……いや、申し訳ない」

「気をつけてくださいね」


 店員はそれだけ言うと、袋を抱えて去っていった。

 夜風が街路樹を揺らす。その音が、妙に大きく聞こえた。


 どうにも、うまくいかないものだ。


  ◇ ◇ ◇


 コンビニは駅のほうを向いているから、その裏手にある公園は深い夜を湛えていた。遊具といえば滑り台しかない。街灯は旺盛な木々に遮られ、ただその枝葉を明らめている。

 古いベンチに腰をおろして、しばらく夜風の音を聞いていた。あまりにぼんやりしていたらしい。それに気づいたのは、声をかけられてからだった。


「……こんばんは」

「あ……」


 その明るい髪色で、さっきの店員だとわかった。パーカーとショートパンツが通勤スタイルなのだろう。肩から鞄をかけていて、手にはホットコーヒーのカップがある。

 退勤してまで注意にきたのか、なんてしつこい、と身構える。しかし、ここは公園なのだ。だれもが利用していいし、思いのままに過ごしていい。

 さりとて、彼女との接点は多くない。だから口から出たのは、詫びの言葉だった。


「さっきは、すみませんでした」

「んーん。ちょっときつい言い方しちゃったなって、反省してて。ごめんなさい」

「いや、わたしが悪いので」


 お互いに、少し緊張が緩んだらしい。

 彼女の視線に気がついて、ベンチの端にずれてやる。彼女は軽く会釈して、釣り合いを取るように、逆側の端へ腰かけた。

 彼女がコーヒーを啜ってから、口を開く。かすかに、それが香る。


「……たばこ、好きなんですか」

「いや、まあ、うん」


 好きかと言われると、わからない。


「でも、最後にしようと思ってて」

「へー。禁煙前のラスト一本みたいな?」

「まあ、そんなとこかな」


 ふうん、と曖昧な相槌が聞こえる。


「さっきは吸えなかったし?」

「そうそう」

「そうそうじゃないし。うちの前で吸ったら、あたしが怒られるし」

「それは、そうだね。申し訳ない」


 いいよ、と彼女が笑う。


「いつから吸ってるの?」

「それが、もう覚えてないんだよね」

「そうなんだ」

「好きかどうかも、正直どうなんだろう。ただ、なんとなく――続けてるっていうよりも、やめてなかっただけなのかも」


 そこまで言って、気がついた。

 それって、まるで――


「それって、まるで――」


 彼女がなにかを言いかけて、それをやめる。

 両手で静かにカップを包む。一口つけて、別の言葉を紡ぎだした。


「いや、でもさ。どうせ死ぬまで生きてかなきゃなんないんだよね」


 なんと言っていいかわからなくて、とりあえず、そうだね、と応えた。

 その場の空気を埋めるように、たばこの箱を撫でてみる。


「それ、見せてよ」

「たばこ? いいよ」


 くたびれた箱を受け取って、彼女の手が最後の一本をつまみだす。

 たばことカップを左右に持って、ついでに少し顎を上げて、ポーズを取っているつもりらしい。幼さの残る顔立ちに、似合っているとは言いがたい。


「……なにしてんの」

「大人って感じ、しない?」

「いや、あんまり」

「即答かよ!」


 声と同時に、変な力が入ったらしい。


「「あ」」


 ごくごく小さい音がして、たばこは二つに折れていた。紙が破れて、中の葉がこぼれ落ちる。

 うろたえる彼女から、たばこを取り戻す。そこに、わずかな体温が残っていた。


「えっと、その、ごめん……なさい……」


 彼女の手のひらに、少しだけ葉が残っている。

 細い指がゆっくりと折れて、それを抱きこんだ。


「こういう場合は……どしよっか……」


 今や彼女は顎を引いて、困ったように肩を縮めている。

 そのようすが妙におかしくて、喉の奥から笑いが漏れた。


「ふ。ふふ」

「どした? おじさん、壊れちゃったか?」


 眉を八の字にして、彼女は心配そうに覗きこんでくる。


「こういう終わりかたかあ、って」

「いやいや、これ吸えてないからノーカンじゃん?」

「ふふ、なるほどね。それもそうか」


 どうにも、うまくいかないものだ。

 終わらせることすらできないらしい。


「どする? 店で買ってきたげよか?」

「未成年に買わせるのは、なあ?」

「失礼な! 大人だし!」


 笑ったり、へこんだり、怒ったり、とにかく彼女は忙しい。

 それに触れて、出てきた言葉は、自分でもよくわからないものだった。


「……ありがとう」

「いいってことよ。まあ、よくわからんけど」


 ずず、とコーヒーを啜る音がした。

 枝葉が少し大きく揺れる。光の粒が地面に落ちて、消える。


「ここは、いい公園だね」

「んでしょ。あたしのお気に入り。疲れたときは、ここでぼーっとすんの」

「そうだったんだ。じゃあ、お邪魔しちゃったね」

「べつに。あたしのもんじゃないし」

「まあ、そうだけどさ」


 そう返すと、彼女は「よし」と立ち上がった。


「そろそろ帰ります」

「大人の女性は、一人で帰れるかな?」

「とーぜん。知らんおじさんに送ってもらうほど、無警戒じゃないよ」

「それもそうか」


 どちらともなく、二人で笑う。

 そして、それも夜風に攫われていく。


「じゃあ、またね」

「また、があるのかな」


 思わず、そう訊いていた。

 当たり前という顔で、彼女は微笑んだ。


「生きてりゃあるでしょ」

「そうだね。おやすみなさい」

「おやすみ。いい夜を、ね」


 ひらひらと手を振る、後ろ姿が遠ざかる。

 茶色い髪が、しっとりと夜を吸いこんで、すぐに見えなくなった。


  ◇ ◇ ◇


 公園を出ると、明かりに誘われる羽虫のように、コンビニへと足を向けていた。

 自動ドアが開いて、ぬるい空気が肌に当たる。若い男性の店員が、レジで気だるげに佇んでいた。声をかける。


「すみません」

「はい、番号お願いします」


 いつものように、たばこの棚を指さした。


「あ……」


 だが人差し指は、あてどなく虚空を泳ぐだけだった。


「いや、コーヒーください。ホットのSで」

「かしこまりました。以上ですか」

「……はい」


 コーヒーのカップを受け取って、ドリップマシンにセットする。

 ボタンを押すと、意外に大きな音がして、派手な湯気を立てながら、褐色の液体が抽出される。

 そのさまを、ただ、なんとなく眺めていた。


 遠くで終電のベルが鳴っていて、すぐにやんだ。



モーターサイクル

―了―

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ