「婚約破棄される男は最低のクズ野郎だ」と仰る婚約者様に婚約破棄を申し入れてみた
「今、城下町では、とある傾向の物語が人気みたいですよ。ジーク様、御存知でしょうか?」
「そうなのか? いや、知らなかったな。そういう創作物はあまり読まなくてな」
様々な色の花が綺麗に並び咲く庭園で、一組の男女がお茶を嗜んでいる。
黄金色の髪を後ろで結び、コバルトブルーの綺麗な瞳を持つ男性の名は、ジークフリート・マクスウェル。
このマクスウェル王国の第二王子だ。
そして、ホリゾンブルーの腰まである真っ直ぐな髪と、同じ色の瞳を持つ女性の名は、エルミナ・ラフティーン。
ラフティーン伯爵家の一人娘だ。
彼らは婚約者同士の関係である。
「しかし、この国の王子として、民の動向を知ることは非常に大切だ。どういった傾向の物語なのか教えてほしい」
真剣な眼差しで自分を見てくるジークフリートに、エルミナは紅茶が入っているカップをテーブルに置くと、ニコリと微笑んだ。
「相変わらずの勤勉さに感心しますわ。それは……〝婚約破棄〟です」
「こ、婚約破棄……?」
「はい。別の女性と浮気をしている男が、婚約者の彼女に自分の有利な言い訳をつけて婚約破棄を言い放ち、それに屈しない彼女が紆余曲折の末、後悔している男に逆に婚約破棄を突きつけ男を見放す物語が人気となっていますね」
「はぁ……そうなのか。女性から男に婚約破棄を突きつけるのは余程のことだからな。私が思うに、婚約破棄される男は最低のクズ野郎だ。その過程で婚約者の女性を悲しませているのだからな」
「えぇ、そうですね」
「な、エルミナもそう思うだろう?」
エルミナはジークフリートの意見に同意し、首を縦に振ると優しく笑みを浮かべた。
「えぇ、本当に。――では、ジーク様に〝婚約破棄〟を申し入れます」
「うん、そうか。…………え?」
エルミナの美しい微笑を、ジークフリートはまじまじと見つめる。
「わ、私の空耳かな……。うん、きっとそうだろう。エルミナ、すまないがもう一回言ってくれ」
「かしこまりました。『ジーク様に〝婚約破棄〟を申し入れます』」
「…………」
同じ台詞が聞こえたジークフリートは、空耳ではなかったことにコバルトブルーの瞳を大きく見開く。
そして、勢いよく椅子をひっくり返しながら立ち上がった。
「な……何故だっ!? 私は絶対に浮気なんてしていないぞ!? 君と婚約してから――いや、婚約する前からも私は君一筋だ! 君しか見えていない!」
「あら、そうなのですか?」
「あぁ、そうだ! だから婚約の打診を何度断られても、私は君を諦めなかったんだ! 今まで私の行動に『浮気』の文字が見えたことがあったか!?」
「はい」
「え……」
まさかの即答肯定に、ジークフリートは愕然としてエルミナを見下ろす。
「い……一体どこにっ!?」
「では申し上げますね。私とのお茶会の時、そっと寄ってきた侍女に何かを言われたあなたは、突然『用ができたので失礼する』と慌ただしく席を立たれたことが何度かありましたね」
「そっ、それは、エルミナが心配すると思って言わなかったが……。レンハーツ公爵の御令嬢が、度々公爵に無理矢理くっついて登城することがあったんだ。父上と公爵の会談を邪魔しないように、忙しい兄上に代わって私が彼女の相手をしていたんだ。彼女が、兄上か私を呼んでこいと泣き喚くのでな……」
「帰り際、どこかの御令嬢とあなたが肩を寄せ合って歩かれているのを見かけましたが」
「それがレンハーツ公爵令嬢だ! そっ、それに肩を寄せ合ってなどない! 向こうから強引にくっついてくるんだ!」
「……私と城下町にお出掛けの最中、突然『用ができたので先に帰ってくれ』と急いでどこかに行ってしまわれることが何度かありましたね」
「そっ、それも君が心配すると思って言わなかったんだが、路地裏に子どもがポツンと一人で座ってたんだ。その子が孤児だった場合、孤児院に入れる手続きがあるから遅くなると思って、君を先に帰していたんだ……」
「私が自宅へ帰ろうと馬車に乗っている時、あなたの胸の中で泣いている女性を見かけましたが」
「そっ、それはだな! 路地裏にいた子どもが迷子だったようで、子どもを連れて母親の所へ行ったら、安心したのか泣き出して私にしがみついてきたんだ! 泣いている女性を突き飛ばすことはできず、そのまま落ち着くのを待っていたんだ……」
「なるほど」
エルミナはゆっくりと頷くと、再び美しい微笑を見せた。
「それは、説明を受けなければ『浮気をしている』と勘違いされてもおかしくない状況ですよね? 説明をされても、婚約者以外の女性と身体を触れ合わせること自体がよろしくないかと」
「うっ……」
エルミナの指摘に、ジークフリートは立ったまま固まっていたが、ガバッと頭を下げた。
「すまなかった、エルミナ……! 今後はそのようなことは一切しない、させないと約束する! だから婚約はそのまま――」
「いいえ。ジーク様はこれからも同じことをし続けるでしょう。それは絶対にです。私にはわかりますわ」
ふるふると頭を左右に振るエルミナを、ジークフリートは顔を上げ呆然と見る。
「え……。な、なんで――」
「説明をしても、ジーク様には無意味なことですわ。あなた自身が気付かない限りは。今までずっと我慢してきましたが、もう耐えられません。ですので、ジーク様に〝婚約破棄〟を申し入れます」
ジークフリートは、毅然とした眼差しで自分を見つめるエルミナを見返す。
「……そうか……。君は、私のせいで深い悲しみを胸にずっと隠してきたんだな……」
「…………」
「……わかった、受け入れよう。だからこれは〝婚約破棄〟ではなく、〝婚約解消〟だ」
「ジーク様……ありがとうございます」
「だが、私が何故これからも同じことをし続けるのか、それを自分で解明して自分を阻止してみせる! そしてまた君に〝婚約〟を申し入れる。私は君を変わらず愛しているから」
「……ジーク様」
「『待っていてくれ』とは言わない。君がその間に想い人や恋人ができたとしても、私は君が幸せならそれを受け入れよう。だが、必ず答えを見つけて君に会いに行く! 〝約束〟だ」
「……その前に、ジーク様に想い人が現れるかもしれませんよ?」
「それはないな。もう目の前に現れているから」
キッパリと言い切ったジークフリートに、エルミナは思わず苦笑してしまった。
その後すぐ顔を伏せた彼女のホリゾンブルーの瞳が潤んでいたことに、心の中で原因を探りはじめたジークフリートは気付くことはなかった……
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エルミナと〝婚約解消〟となったジークフリートは、様々な書物を読み漁った。
【女性の心がわかる本】や、【相手の気持ちを読み取るには】等の自己啓発の書物も読んだが、いまいちしっくりこない。
「エルミナは、私が『これからも同じことをし続ける』と、キッパリ断言していた。何故そう言い切れたのだろうか……」
自室で書物の山に埋もれながら、ジークフリートは呟きとともに大きく溜め息を吐いた。
「あぁ……私はこんなにも彼女を愛しているのに――あっ」
はたと気付き、ジークフリートの両目が大きく見開く。
「……そうか……そういうことだったのか……っ。今すぐエルミナに会いに行こう!」
ジークフリートは上着を羽織ると、駆け足で自室を飛び出す。
馬車を呼ぶ時間も惜しいので、一番足の速い馬でエルミナの実家であるラフティーン伯爵邸へと向かった。
伯爵邸に到着すると、ジークフリートは急いで玄関の鈴を鳴らす。
程なくして、伯爵邸の執事が玄関の扉を開け姿を見せた。
「……! 貴方様は――」
「突然の訪問、誠に申し訳ない。エルミナはいるか?」
「……お嬢様は……」
目を伏せ、モゴモゴと口ごもり、何やら執事の様子がおかしい。
「どうした? エルミナは不在か? それなら玄関の前で、彼女が来るまで待たせてもらうぞ」
「殿下にそのようなことはさせられません!」
執事は慌てて叫ぶと、観念したように頭を下げた。
「……申し訳ございません、殿下。お嬢様には、殿下には黙っていてほしいと口止めされていたのですが……。実は、お嬢様は……現在『意識不明』なのです」
「…………は?」
執事の言葉に、一瞬ジークフリートの頭が真っ白になる。
「――どっ、どういうことだ!? エルミナが意識不明だと……っ!?」
「お嬢様は幼い頃から気管支が人一倍弱く、長くは生きられないだろうとお医者様に言われてきました。殿下から婚約の打診が届いた時、何度もお断りさせていただいたのは、それが理由なのです。しかし、殿下の挫けない強い熱意に心を打たれ、お嬢様は婚約を受け入れました」
「……そ……そんな……。そのような素振りなんて、一度も――」
「殿下とお会いしている間は我慢していたのです。殿下に心配はかけたくないと。楽しい時間を自分のせいで壊したくないと。我慢した分、お屋敷に戻った後の発作の反動が酷かったのですが、お嬢様は『ジーク様に心配をかけるくらいなら、これ以上の強い発作がきてもかまわない』と……。お嬢様は、辛い治療も文句も言わず続けてきました。すべては殿下と未来を歩むために……。ですが……」
「……あぁ……。エルミナ……ッ」
ジークフリートの両膝が、ガクリと地面に崩れ落ちる。
「殿下に〝婚約破棄〟を申し入れたのも、御自分の命の限界を知り、殿下をお嬢様から『解放』するためだと……。殿下には、健康で素敵な御令嬢と一緒になって、幸せに長生きしてほしいと……。お嬢様は、そう切に願っておりました……」
「……っ!」
「お医者様の見解だと、お嬢様はもってあと数日とのことです。お嬢様の御希望で、面会は家族以外禁止とさせていただいております。殿下……今までお嬢様と仲良くしてくださり、本当にありがとうございました」
鼻をすすり涙ぐむ執事が、ジークフリートに深々と頭を下げる。
ジークフリートはもう言葉が出ず、その場で蹲り泣き崩れたのだった――
一面真っ暗で、何もない場所。
そこに、一筋の光が上から差し込まれた。
その光があまりに眩しくて、彼女は重い瞼を持ち上げ――
「エルミナッ!」
「お嬢様が目を覚ましたわっ!」
「あぁ……良かった、お嬢様……!」
ぼんやりとした視界に映ったのは、安心したように胸を撫で下ろす主治医と、父の胸で泣く母と、涙をハンカチで拭う執事や使用人達の姿だった。
「……わたし、は……」
「お嬢様は窮地を脱したのですよ。気管支は回復し、正常になっております。もう発作で苦しむことはありませんし、たくさんの薬を飲む必要もございません」
主治医の説明に、エルミナは呆然としながらも震える唇を開き尋ねた。
「ど、どうして……? 私のそれは治る見込みは少ないだろうって――」
「ジークフリート殿下が、幻だと言われていた『秘薬』を捜して持ってきてくれたんだよ。それを飲み、お前は助かったんだ」
父の言葉に、エルミナはホリゾンブルーの瞳を大きく見開かせる。
「えっ? ジーク様が『秘薬』をっ!?」
あらゆる病気や怪我を治すことができる『秘薬』の噂は昔からあったが、今まで誰も見つけられずにいた。
そのせいで、『秘薬』がある場所は海底の奥深く沈んでいるとか、火山の火口近くにあるとか、はたまた天界にあるとか、様々な根拠のない憶測が飛んでいた。
「ジーク様は、どうやってその『秘薬』を……」
「殿下は王城の書物を片っ端から読み漁って場所を特定し、そこへ一人で向かい『秘薬』を手に入れたんだ。やはり、生身の人間では到底辿り着けない場所にあったらしい」
「一人で!? そんな危険なこと……!」
しかし、妙に納得している自分もいた。
国民想いの彼は、誰も危険な目に遭わせたくないと、周りの制止を振り切って無理矢理一人で向かったのだろう。
「……エルミナ。目を覚ましたばかりのお前にこれを伝えるのは非常に心苦しいが、落ち着いて聞いてほしい」
「え……?」
「『秘薬』の入手で無理をした殿下は、現在意識不明の重体だそうだ……。助かる見込みは……恐らくない……と……」
エルミナは、辛そうに唇を噛み締め言葉を切った父の顔を、ぼんやりと見つめた。
「……うそ……。嘘です……。ジーク様が……そんな――」
小声で呟きながら、エルミナの瞳からポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
「私は……ジーク様に幸せになってほしかったのに……。こんな……心の汚い私と離れて……身も心も綺麗な女性と――」
ジークフリートが他の女性と並んで歩いていたり、女性に胸を貸している姿を見た時、エルミナはすぐに気が付いた。
「あれは、ジーク様の国民に対する〝善意〟だ」と。
彼は顔に出していなかったが、戸惑いと困惑が見て取れた。身体も少し強張り、逃げ腰になっていた。
婚約して以降、ずっとジークフリートを見てきたエルミナにはわかったのだ。
しかし、そうわかっていても、エルミナの心にどす黒い感情が渦巻いて。
『私以外の女性に触れないでほしい』
『私だけを見ていてほしい』
『私だけを愛してほしい』
――それは決して叶わない想いだと理解していても、自分の中の醜い感情は一向に消えなくて。
だから、エルミナはジークフリートから離れる決意をした。
こんな醜い心を持つ自分は、誠実な彼に相応しくない。
彼は「同じことをし続ける理由を解明する」と言っていたが、それがわかった時、自分のことを完全に諦めるだろう。
だって〝それ〟は、彼には決して直すことはできないから。
自分の命が残り僅かなことも背中を押して、エルミナは自ら〝婚約破棄〟を申し入れた。
愛するジークフリートに幸せになってほしい、その一心で。
「それなのに……どうして私なんかのために命を懸けるんですか……っ」
「――それは君を愛しているからだっ!!」
バターン! という扉が勢いよく開けられる音とともに、包帯を全身グルグルに巻いた男が現れた。
「キャーッ! 包帯男ーっ!」
「ミイラ男だーっ!」
「ゾンビが地面から這い上がってきたーっ!!」
「誰が包帯ミイラ男だ、ゾンビだっ! このとおりまだ生きているぞっ!!」
悲鳴を上げる使用人達に対する包帯男の盛大なツッコミを聞きながら、エルミナは唖然として彼を見つめた。
「その声……。ジーク、様……?」
「あぁ、そうだ。君が目を覚ましたことを、この屋敷に忍ばせていた〝影〟から報告を受け、急いで駆けつけたんだ」
「そんなボロボロな身体でっ!? 無理をなさらないでください! というか、意識不明の重体だったのでは……?」
「確かにさっきまで意識がなかったが、〝影〟の耳打ちを聞いて飛び起きたんだ。エルミナが目を覚ましたのに、呑気に寝てなんていられないだろう?」
「え……えぇ……?」
色々とツッコミどころ満載だったが、破天荒を成し遂げたジークフリートだから許されることだと無理矢理エルミナの中で納得させる。
「それに、君に『回答』を言うまでは死ぬもんか」
「回答……?」
「あぁ。何故私が『これからも同じことをし続ける』のか、わかったんだ。私は君を愛しているが、それと同等に国民も愛しているからだと。その想いがある限り、私は国民の女性を無下にできないだろう。君はそのことをわかっていたんだな」
「…………」
顔を伏せるエルミナの手を、ジークフリートは包帯が巻かれた手でギュッと握る。
「しかし、君を失ってしまうと思った時、気付いたんだ。私は他の誰よりも君を失いたくない、と。この世で一番君を愛しているんだと」
「……ジーク様」
「エルミナ……私はもう二度と君を失いたくない。だから、君に一切隠し事はしない。レンハーツ公爵令嬢にも、もう相手はできないと伝える。君以外の女性には、公務の握手以外触れないことを約束する」
ジークフリートは姿勢を正すと、エルミナに向かって九十度腰を曲げ言った。
「だから……だからもう一度、私と〝婚約〟してほしい。君も、遠慮なく思いの丈を私にぶつけてほしい。一緒に解決策を考えていこう」
「ジーク様……」
エルミナは両目を大きく潤ませ、小さくコクリと頷いた。
「こちらこそ、こんな不束者ですが……またどうぞ、よろしくお願いいたします……」
エルミナの返事に、包帯の下でジークフリートの表情がパッと輝く。
それと同時に、周りから一斉に盛大な拍手が送られた。
「……ジーク様」
「ん?」
「一緒に、幸せに長生きしましょうね」
「……! あぁ、もちろんだ!」
頬を桃色に染めながら微笑んだエルミナに力強く返事をしたジークフリートは、いきなりその場にバターンッ! と倒れ込んだ。
「じっ……ジーク様っ!?」
「お、起きたと同時に……すぐ馬に乗って駆けつけたから……身体が……もう……げんか――」
そしてジークフリートは、そのまま白目を剥いてガクリと意識を失った。
その時、偶然ラフティーン伯爵邸の前を通りかかった住民の男は、屋敷から男女のつんざくような悲鳴が聞こえ、何かとんでもなく恐ろしい事件がこの中で起きていると思い、身体が震え恐怖に慄いたと、後にしみじみと語ったのだった……
後日――
無事に意識を取り戻し、絶対安静を言い渡されたジークフリートは自室謹慎となった。
不貞腐れる彼の機嫌を見事回復させたのは、毎日自分の見舞いに訪れる愛しき婚約者の存在と、彼女と笑顔でお喋りをする、心から幸せな一時のお蔭だった――
Fin.
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。




