『父親の言葉と若者の速記』
あるところに若者があった。若者らしく、速記を習っていたが、身が入らず、上達しなかった。
ある日、この若者が、木に登っていると、葬式の行列があった。行列の先頭の者が、花をまいたり、紙の銭をまいたりするのを見て、おもしろがっていると、人が亡くなったのに何だ、と大層怒られた。家に帰って父親に話すと、そういうときは、なんまんだなんまんだ、と言って頭を下げるんだと教わった。
別のある日、花嫁の行列が通りかかったので、若者が、なんまんだなんまんだと唱えながら頭を下げると、花嫁の父親に張り倒された。家に帰って父親に話すと、そういうときは、めでたいめでたいめでためでたの若松様だ、とはやすんだと教わった。
別のある日、近所に火事が起こった。若者は、若松のわを言う前に焼け杭で張り倒された。泣きながら家に帰って父親に話すと、そういうときは、水の一杯もかけてやるんだと教わった。
別のある日、町に行くと、鍛冶屋があった。炭火が燃え上がっていたので、若者は、父親から教わったとおり、近くにあった桶の水をぶっかけたところ、鍛冶屋専用金づちで殴られた。頭と同じくらいのこぶをつくって家に帰ると、父親が、お前は出かけるのに向いていないから、家で速記でもやるがいい、と言われたので、速記に身を入れて頑張ったが、そもそもの素質がなかったようで、そこそこにしかならなかった。
教訓:速記というのもは、速記の技術だけ学べばできるようなものではなく、しかし、速記の素質がなければできるようにはならない。




