この世界はブロックされました
――三百年前。異界より招かれた勇者が魔王を討ち、この世界は救われた。
だが魔王が死に際に放った瘴気は大地を蝕み、なおも各地で人々を苦しめ続けていた。
その瘴気を祓うために必要とされたのが、異世界より召喚されし乙女。彼女たちはただそこに在るだけで清浄な加護を周囲へと拡散する、いわば「歩く浄化装置」であった。
ゆえに十年に一度、異世界から聖女を招くことは世界の存亡にも関わる至上命題となっていたのだが――
円卓を囲むのは、各界の重鎮たち。白髪の賢者、厳格な神殿長、王侯貴族の代表ら、名だたる面々が一堂に会していた。
「賢者様、ご確認を。今回、翻訳機能に組み込む聖女召集の原文は……こちらで問題ありませんな?」
羊皮紙を受け取った賢者が聖なる原文を厳かに読み上げる。
『異世界の気高き魂よ。突如の呼びかけを許されたし。我は聖ア・ザブー国の賢者と呼ばれし者なり。今、我らが地は魔王の残穢により危機に瀕している。どうか汝の清らかなる力を貸し与えてはくれまいか。決して不自由はさせぬ。相応の対価も用意している。必ず元の世界に戻すことを誓うが、望むならば、我が庇護のもと永くこの地に留まることも許そう。まずは語らいの場を設けたい。此方の道標を辿り、我らの元へ』
読み終えると、神殿長はゆっくりと頷いた。
かつては「本」や「ゲーム」なるものを媒体とした強制召喚も行われていたが、昨今では「それは人権侵害に当たるのではないか」との議論が各国で噴出していた。そのため現在は、事前にメッセージを送り、同意を得た者のみを招く召喚へと方針転換がなされている。
だが奇妙なことに、文面を丁寧に整えれば整えるほど応答率は目に見えて低下していった。
そこで神殿が頼ったのが、数年前に迷い込んできた異世界人――トオルであった。
保護された当初、トオルは貴重な異世界知識の提供者として厚遇を受けた。しかし世話役のメイドたちから「距離感が近くて怖い」といった苦情が相次ぎ、王宮の風紀を乱す懸念もあって、彼は正式な手続きを経た後に丁重に送還される運びとなった。
本人の協力は得られなくなったが、彼が遺した異世界事情の記録と各種助言は重要資料として厳重に保管されている。そして今回の召喚にあたり、召喚プロセス改良の参考文書として正式に採用されたのだった。
「異世界と我々の世界とでは言語が異なり、それが障害となっておりました」
「それでもこれまでの召喚では文脈が曖昧でも応じる者はいました」
「意味不明な単語列、唐突な使命、危険を伴う条件……片言であっても、です」
「ならばこそ、翻訳の精度を高めれば応答率も向上するはずである」
「つまり今回は、トオル殿の助言を踏まえてそこを重点的に改善したというわけですな」
賢者は神妙な面持ちで頷いた。
トオルからは異世界事情について事細かに聞き取りを行っている。その知見を余すところなく反映させた最新翻訳機構――『マチアプ』が、いま静かに起動した。
「丁寧な語調を基調とし、異世界の民が好む親しみやすい言い回しを採用。加えて、感情を和らげる記号が適度に挿入される設計だそうです」
「なるほど……。相手の心を掴むには、まず心理的距離を縮めることが肝要ですからな」
重々しい詠唱が始まった。
魔法陣の中心に、光の文字列が一行、また一行と浮かび上がる。
それらは編まれるように整形され、やがて収束する。
次の瞬間、光は弾けるように空へと放たれた。
世界の命運を託した呼びかけが、瞬く間に異世界へと送信されたのである。
*
――ヴヴッ。
下校途中だった凛は、スマートフォンの通知に視線を落とし、わずかに眉をひそめた。
差出人は見覚えのないアカウント名。それだけでも警戒するには十分な条件である。
それでも何気なく開いてしまったダイレクトメールには、読むだけで気分が萎える文章が並んでいた。
「……キモっ」
凛は無表情のまま慣れた指さばきで『ブロック』と『迷惑メール報告』をタップする。
操作に迷いはなく、そこには一片の躊躇もなかった。
*
時を置かずして、異世界の神殿。
魔法陣の中央に異様な赤灯が警告を告げるように輝いた。
やがてそれは幾重にも重なるルーンとなり、冷酷な事実を告げる。
『エラー:通信が拒絶されました』
『判定:生理的嫌悪感、および不審な勧誘行為』
『ステータス:ブロック済み』
神殿に凍てつくような衝撃が走る。
「な、なぜだ……! これまで無視されることは数あれど、このような明確な拒絶は前例がない!」
「それどころか我々の世界が『有害サイト』なる分類に指定されております!」
重鎮たちの顔色がみるみる青ざめていく。
賢者は震える指先で、トオルからの聞き取り書をめくった。
「……やはり、誠意が足りなかったのかもしれん」
「きっと魅力がうまく伝わっておらぬのだ。この世界の豊かさを視覚的に訴えるべきではないか」
「ならば次は、高級馬車と王子の肖像画を魔導添付するのはどうだ?」
「いや、神聖さを強調するために夜半に神託を連続送信してみては……?」
「まずはこのブロックを解除してもらわなくては!」
重鎮たちの円卓会議は夜明けまで続く――
その日以降、凛の通知欄には見覚えのないアカウント名が定期的に現れるようになった。
凛が折れるのが先か、翻訳機能が改修されるのが先か。
それはまだ誰にも分からない。




