義兄がヘラヘラ油断している
娼婦の母が亡くなり、孤児院に入ることになった私。優しい母が亡くなりショックで、「何でこんなことに?」「お母さんに会いたいよ」と思う気持ちを何とか堪えながら扉を開けた先にいた男の子。彼が私の運命を大きく変える人になるとは、その時は思いもしなかった。
「オレ、アーサー。お前は?」
「……リリー」
「おう!よろしくなー」
そう底抜けに明るい笑顔の彼の握手した手が、あまりにも豆だらけだったのが印象的だった。
彼は、この孤児院のお兄ちゃん的存在で、皆からはアサにぃと呼ばれている。
明るく、お調子者な性格ではあるが、根が優しいのだろう。具合が悪い子がいれば「今日は動きたい気分なんだよねー」と家事を代わり、夜さみしくて泣く子がいれば「オレの夜更かしに付き合ってくんね?」と本を読み聞かせるような、そんな人だった。
皆がアサにぃを頼りにしていた。皆、アサにぃを慕っていた。……でも、私は知っている。アサにぃは、皆にも、シスターにも内緒で、あることをしている。
夜、みんなが寝静まり、何なら早起きな人が起きるであろう時間帯。アサにぃは、そっと玄関の扉を開け、外に出る。そして早朝、彼はヘラっとして「散歩してたぁ」と欠伸をする。
そう、彼は、働いていた。年齢を偽り、かなり、きつい仕事を行なっていた。でも、きつい分、お給料はよく、短時間でありながら、1人で暮らしていけるであろう金額は貰っていた。……のに、アサにぃは、そのお金を、この皆が暮らしている孤児院に匿名で寄付していた。つまり、自分で稼いだお金を、みんなに分けていることになる。そんなアサにぃが不思議で「なんで?」って聞いたことがある。そんな私の疑問にアサにぃは「なんでかなぁ」と誤魔化すように笑った。
その言葉に私はなんだかイラッとしてしまい、つい、「なんでよ!」と声を荒げた。するとアサにぃは、ごめんごめんと笑いながらこう言う。
「お前の言いたいことは分かるし、オレもなんでここから出て独り立ちしないのかって、疑問だわ」
「……じゃあ、なんでよ」
そう頬を膨らましながら言うと、アサにぃは困ったように眉を下げ、笑った。
「…………お前らのことが大好きだから、かなぁ?」
……狡いなと思った。その笑顔も、その言葉も。いつもあんなにヘラヘラして、不真面目で、おちゃらけているくせに
「私はアサにぃのこと嫌い」
「おーおー、悪いな。でも、オレはお前が好きだよ」
あなたはこんなにも愛情深い。
そんなアサにぃやみんなとの生活が、だんだん楽しくなってきた頃、シスターが私を呼び出した。
実は、失踪していた私の父親が侯爵家で、跡継ぎとして私を侯爵家に迎え入れたいという、そんなおとぎ話みたいな話が、あったのだ。
……嬉しくないと言えば嘘になるが、アサにぃやみんなと一緒に過ごせなくなるのはちょっとやだ。
侯爵様は私を急に自宅へ連れて行くことはせず、私の心の準備ができるまで、待っていると言ってくれたようだ。とは言っても期限は1カ月。私は夜、眠れなくなることが増えた。
そして、どうせ寝れないのだからとアサにぃの送り出しとお出迎えをすることにした。アサにぃははじめは戸惑っていたものの「こーゆーの悪くねぇわ」と照れくさそうに笑うようになった。くっ……かわいい。
……でも、アサにぃはそんな私の変化に、何も思わないような、鈍感なタイプではない。日に日に別れが近づくことで悲しくなり、眠れなくなっていることでどんどん顔色が悪くなっている私に彼は言う。「なんかあった?」と。その言葉に私は首を振る。「何でもないよ」と。
そしてアサにぃは、そんな私の返事が気に入らなかったのだろう。「……なあ」と低い声で私に言った。
「なんか、あったんだよな?」
その言葉に私はぎゅっと唇を結び、そして「なにも?」と言った。アサにぃは私の返事を聞いて、顔を歪める。その顔は、どこか悔しそうで、悲しそうで……。少し俯いたあと、アサにぃは言う。
「……リリーは…………オレのこと、好き?」
「……急にどうしたの?」
そう疑問を投げかける私にアサにぃは頬を膨らましながら「前は嫌いって言ってたから」と言い、そして、少し俯いたあと「あとリリーは、全然オレに頼ってくんねーし」と、子供みたいに拗ねた。くそ……かわいいなこいつ。
「……ごめんごめん……ちょっと……言うには私の心の準備ができてなくて……」
そう誤魔化すように笑う私を見るアサにぃの目は鋭い。その鋭さに負けてしまい、私は……ついポロッと言ってしまった。
「…………私、近いうちにこの孤児院から出ることになったの……おめでたい、ことなんだけど……何だかさみしくて」
そう頭を掻く私。その言葉にアサにぃは驚いたように目を見開き、そして、心配そうに、瞳を揺らす。
「……全然うれしそーじゃねぇのは、何か理由あんの?さみしいだけ?」
その言葉に、私はぎゅっと唇を結び直した。アサにぃはこういうところがある。適当なふりをして、実はよく周りを見ていて、そして……勘もいい。
ああ、あまりこれは言いたくなかった。特に、アサにぃには……。でも、これで最後になるかもしれない。最後、ここで言わないで後悔するぐらいなら…………
「……もう1個、理由ある……行きたくない、理由」
私がそう言葉を発するとアサにぃはゴクリと生唾を飲み、「なに?」と優しく先を促した。私は少し黙った後、俯き、そのまま言う。
「……アサにぃと、結婚できなくなっちゃう」
「…………え?」
疑問符を浮かべるアサ兄の方を見て、私は目から溢れる涙を抑えられないまま、言った。
「アサにぃと、結婚できなくなっちゃうじゃん!!!」
私の主張はこうだ。侯爵家の跡継ぎになってしまったら、アサにぃと身分差ができてしまう。身分差ができるということは、結婚することが難しくなってしまう。私はアサにぃと結婚するのが夢だし、アサにぃが他の人と結婚するのが嫌だ。
そう、簡潔にかつしっかりとアサにぃに伝える。……アサにぃは、真っ赤だった。その場で「まじかよお前」と小さく言いながら、蹲る。
まじかよお前とはなんだ。こっちは真剣なんだぞと睨むが、アサにぃは困ったように笑うだけ。私がムッと頬を膨らましていると、アサにぃは「だってよぉ」と私の頭をぽんと撫でた。
「ずりぃってそれ、可愛すぎ」
と、私を見ながらはにかんだ。まるで、愛おしくて仕方がないものを見るかのような、そんな顔をする。ずるいのは、可愛すぎなのはアサにぃの方では?と思いながらも、私はアサにぃに言った。
「可愛いって思うなら今すぐ結婚してくれない?」
「……お前、開き直るとつぇよな」
とアサにぃは呆れたように言いながら「結婚できる年齢じゃねーだろ」と私のおでこに指をピンと弾いた。
遂に孤児院から出ていく日だ。さみしく思いながらも、アサにぃと結婚できない事実に心を暗くしながらも、シスターとみんなにお礼を言って、荷物を持って、ルイズ侯爵家について行って、乗ったこともない馬車に乗ろうと足を踏み入れる。アサにぃ、お別れの挨拶来てくれなかったな……でも、見ちゃうと泣きそうになりそうだし、良かったかもしれない。そう、馬車の扉を、開けた時だった。
「……よぉ」
そこにいたのは、私と一緒の大きな荷物を持った、アサにぃだった。
私が心の準備期間だと思っていた1カ月は、実はルイズ侯爵家が、私とは別に、今後のルイズ侯爵家をサポートしてくれるような、そんな優秀な養子を探していた期間だった。そして、それに選ばれたのは、アサにぃだった。夜中、アサにぃがきつい仕事をしているもの知っていて、「侯爵家に入ってくれたら、君が寄付している額のお金を私が肩代わりしよう」という口車に乗せられ、アサにぃはルイズ侯爵家の養子になることを決めたらしい。つまり、アサにぃはこれから私の……義兄になる。……き、義兄……お兄ちゃん……?つまり…………
「結婚できないじゃん!!!」
「お前の頭にはそれしかねーのかよ」
と、アサにぃは呆れたように笑いながら「でも、一緒に暮らせるじゃん」と宥めるように言った。……うう、それはめちゃくちゃ嬉しいけど!!!!!
私は複雑な気持ちを抱えながら、ルイズ侯爵家の邸宅に向かう馬車に、抵抗もできず揺られるのであった。




