EP4 Manupulate system
都心の夜は深い、どこからか獣の叫び声が聞こえるが、色んな種族がいるからというわけでもない。昼と夜では街の印象は違う。昼には姿を見せなかったものが夜には現れるのだ。その多くが中毒者だ。ふらふらと歩き回り酔っ払いのようにその辺で寝てしまう。
病院の駐車場から出てきたゼロは足元まであるコートを着て襟を立てる。横目に中毒者たちを見ながら歩き出す。革靴が煉瓦の敷き詰められた道に音を立てる。この音はいつ聞いてもいい。ゼロはポケットに手を突っ込むと街の中をふらりと歩き出した。
この街は昔からこうだった。夜になるとこうして出てくる中毒者たちは昼には怯える弱者になる。路地の前にさしかかり、奥に二人の男がいるのを見つけた。年の頃は二十歳くらいだろうか?ゼロはそこに行きしゃがみこむと男たちの顔を覗き込んだ。
「ねえ、君たちどうしたの?」
二人の男はぼんやりとした目でゼロを見つめている。口は少しぽかんと開き、やっとのことで動き出した。
「あんた……アレ持ってる?」
「そうアレ」
男は口々にそう言いにやつきながらゼロを見る。ゼロはにこりと微笑むとポケットから何かを取り出した。
「これ?」
皮手袋をしたゼロの手の平にころんとカプセルが転がった。
「ああ!」
二人は嬉しそうな顔をしてゼロの手にすがりつく。
「くれる?ねえ、くれる?」
それに反応したのかゼロは心底嬉しそうな顔をして頷いた。
「いいよ、あげるよ。ねえ、君たち僕についておいで、楽しいことしよう」
「楽しいこと?」
「そうだ、楽しいよ。ちゃんとこれもあげる。おいで」
ゼロは二人の男に手を差し伸べると彼らを連れて病院の駐車場へ消えていった。地下駐車場からエレベーターに乗り込み、ゼロは自分より小さな男二人に視線を落とす。彼らは笑顔でゼロを見上げるとそわそわしだした。ゼロは人差し指を唇に当てて、シイッと囁く。
エレベーターが開き、薄暗い廊下の奥は常夜灯が光っている。ゼロは二人の男の背中を押すと歩き出した。奥の扉を開くと中は光に溢れている。男たちの目が慣れてきた頃に彼らはやっと普通の病室であることに気がついた。
「病院?」
「そうだよ」
「なに、あんた医者?」
「大丈夫、こっちにおいで」
男たちはゼロに従い椅子に座るときょろきょろとし始めた。
「病院は初めて?」
「違うよ、でも俺、ジャンキーだから……」
「うん、俺もそう」
「フフ、気にしないんだよ。病院はそういう人が来る場所だよ?さて」
ゼロはコートを脱ぐと傍の椅子にそれを置いて彼らの前に立った。男の一人に触れて体の様子を確認する。
「うん、君は少し擦り傷があるけど綺麗だね。ふうん……君は少しエルフ」
独り言のようにゼロは笑いながらもう一人の男に触れる。
「うん、ああ……君は少し傷が深いな。ちょっと手当てしよう……へえ、君は人に近いのか」
腕の傷を治療して包帯を巻く。
「ねえ、……ありがとう、こんなにしてもらって」
ゼロは棚からケースを取り出すとそれを彼らに差し出した。
「はい、君たちが欲しいもの」
「わあ!」
二人はゼロからケースを受け取ると嬉しそうにそれを眺めた。ケースの中にはおもちゃのような色合いのカプセルが沢山並んでいる。
「もしかしてあんたが作ってんの?」
「そうだよ。いいかい?それは強いから一つずつね。欲しくなったらまたここにおいで」
「本当に?」
「うん」
二人は我先にとカプセルを飲みこんだ。彼らの視線がとろんと落ちてゼロを見つめている。
「飲んだね、じゃあ奥の部屋で僕と遊ぼう。おいで」
ゼロが優しく手を差し伸べると二人は頷いてその手を取った。
男はぼんやりした意識の中で、何度も何度も視界の端に映す。部屋の奥、薄暗いライトの下のソファに誰か座っている。手錠をされ縛られているが、視線はこちらに向けられていた。男だろうか女だろうか?美しい顔が忌々しそうに歪んでいる。けれどそんなことはどうでもいい。体中に快楽が何度も襲い、体を預けているゼロという医者が欲しくてたまらない。友人はすでに果ててしまったようで傍に寝転んでいる。
「君は可愛いね」
ゼロの低い声が耳に響く。どうしてこんなに体の奥にまでこの人の声は染み込んでいくんだろうか?女としか経験のなかったコレがこんなに気持ちがいいなんて。男は歪んでいく視界にゼロを認めながら、そのまま快感の渦に落ちていった。
熱いシャワーを浴びて先ほどまでいた部屋に戻ると、ベットに二人の男が疲れ果てて転がっている。ゼロは髪をタオルで拭きながらベットの隣を通り過ぎると、部屋の端に置いたソファの前に立った。ソファには世にも美しい男が手足を拘束されて、不機嫌そうに睨みつけている。ゼロが口枷を外すとその美しい瞳がぎっと睨んだ。
「さっさと外せ」
「フフ」
ソファの後ろに周り体を拘束している鎖を解く。足を自由にすると最後に手錠に手をかけた。不機嫌な声が何度も飛んでくるが、ゼロにはたまらない声に聞こえる。
「強く縛りすぎだ」
彼は手首を摩り大きく息を吐く。
「ごめんね、シヴァ」
シヴァは不愉快そうに視線を上げる。
「そんなことはどうでもいい、服を着ろ。早く移動したい」
「ああ」
ゼロは肩にタオルをかけたままで傍に置いてあった服を着る。
「別に僕はこのままでもいいんだけど」
ぽつりと呟くとシヴァの強い視線を感じて背中がぞくりとする。この視線がたまらない。今日は他の子とのプレイを見てもらうだけだった、最近は絶対に来てはくれなかったのに、今回はすんなり来てくれた。シャツにネクタイを付けて鏡の前で髪を整える。あの子のせいか、とカイルを思い出す。カイルが来てからは以前のように辛辣な態度ではあったが、それ以上に距離が遠くなった気がしていた。今も体は充実していても心はどこか置き去りだ。
「いいよ、行こう。あの子たちは当分寝てるから」
ゼロは服を調えるとソファに座っているシヴァの手を引き、お姫様のように抱き上げた。
「歩けるが……」
「いいじゃない。どっちみち縛られてて体しびれてるでしょ?」
シヴァは不服そうにしていたが、ゼロの腕の中でじっとしていた。この従順さ、以前はもっとたまらない感じだったのに。年月のせいかな?ゼロはシヴァを抱いたままでエレベーターに乗ると上階の自分の部屋へと向かう。部屋に入るとベットにシヴァを座らせた。窓の外は少し夜明けに近い。雨が降ったのか窓は濡れていて部屋はひんやりとしている。
「これで約束は果たしたからな」
シヴァはそう言うと少し青い顔で俯いた。
「大丈夫?疲れちゃった?」
ゼロは傍に跪くとシヴァの頬に触れる。シヴァは視線を落とすとふうと溜息をついた。
「ああ、大丈夫だ。それより彼らは平気なのか?」
「あの子たち?平気だよ。確かにあの子達はジャンキーだけどね」
椅子にかけてあった簡易毛布を取り、シヴァの体にかけてやる。
「ああ、助かる」
斜め上からシヴァの顔を盗み見る。彼の顔は美しく長い睫毛が瞬きのたびに揺れている。美しい人だ。僕はまだ彼に恋をしている。けれど彼は手に入らない。毛布越しにそっと肩に触れると傍の椅子に腰掛けた。
「お前、彼らにカプセルを?」
「うん?ああ、そう。でもいずれあの子たちは普通に病院へ来るようになる。体を治すためにね。僕はそう教えたから」
「最近はやり方を変えたのか?以前は中毒にして放り出していたくせに」
「うん、まあね。僕も医者の端くれじゃない?そりゃあ気に入らない子はそうするけど」
「気に入ったのか?」
「うん、いい子達だ。声も体もたまらないな」
シヴァはうんざりした顔をして鼻で笑う。
「ろくでもない。彼らはそうじゃなかったろうに……」
「フフ、そうかもね。でもあのまま路上で生活してたら今度は体を売ることになっちゃうよ。どっちみち同じことだよ」
「ふうん」
でも言ったことに嘘はない。彼らはアレを買うために体を売り薬漬けになる。それならゼロの所できちんと管理したものを取り、日常に帰ったほうがいい。
「僕はね、あの子達から何もかも搾取するなんてことはしないんだよ」
ゼロが微笑むとシヴァは苦笑した。
「いい心がけだ」
「それであの子の調子はどう?」
「あの子?」
「カイル」
「ああ、元気にしてる。カプセルも調整して飲めばおかしくなることはない」
シヴァの顔が少し優しくなる。多分あの子のことを思い出したからだろう。ゼロの胸にじわっと嫉妬が混じった。
「へえ、そう。強めに作ってあるからね。あの子……元々少なかったから」
「そのようだ」
「もしかして適量飲まずに興奮しちゃった?」
「ああ、そうだ。二度ほど……興奮すると何かしら問題がある」
「ふうん……何?しちゃったの?」
ゼロの言葉にシヴァが顔を少し赤くする。
「するわけない。あの子はまだ子供だ。お前と一緒にするな」
「酷い言われ方……僕もさすがにあのくらいの子供に何かなんてしないよ?」
それにしてもシヴァの反応が気に障る。
「君ならするかもね。もうしちゃったんじゃないの?キスくらい」
そう言ってゼロは少し後悔した。目の前の美しい男の耳が赤く染まってしまったから。
なんかむかつくな。ゼロはシヴァの傍に立つと彼の後ろ髪を掴んだ。ぐっと引き顔を上げさせる。その顔は至って平常で変わりがない。
「なんだ?」
不機嫌な彼の声にいつも感じている心地よさと、いまだ胸の中に残る不快感が混じる。ゼロは彼の唇に近づいた。
「へえ、怒らないんだ?」
「怒っているのはお前だろ。離せ」
シヴァの言葉に素直に手が外れた。このまま彼にキスできるチャンスなのにどうしてこうも自分の中の従順な部分は彼の言葉を聞いてしまうのか。目の前の男は当たり前のように言った。
「嫉妬か?」
ゼロはシヴァの隣に座り彼の膝に寝転んだ。
「嫉妬くらいさせてくれよ。あの子はどうせ君が手放すことはないんだろ?」
「ああ」
下から眺めながら美しい顔が少し歪むのを見る。言葉の後にはきっと否定があるんだろう。長い付き合いながら分かりやすい僕の思い人は。
「まあ、せいぜい頑張ってよ」
シヴァは俯くと優しく笑った。
「ああ。そうだな」
正午過ぎ、シヴァを見送ってからゼロはいつもどおりに白衣を着た。廊下で歩くナースが声をかけてきた。
「ドクター、今日はお早いですね」
「ああ、お楽しみだったものでね」
「フフ、今度は私も混ぜてくださいな」
軽口を叩いてナースは微笑む。ゼロも同じく肩をポンと叩くとその耳に囁いた。
「その時はまた連絡する」
ゼロはナースの背中を見送りまた歩き出す。この病院のナース服は背中が開いている。褐色の肌に美しい肩甲骨が歩くたびにちらちらと見える。ウエストでぐっと締まりなだらかなカーブを描いて膝元で布が切れる。美しいシルエットのナース服だと思う。デザイナーはいい仕事をした。
すれ違うナースたちに声をかけてゼロは気分よく歩いていく。そして奥まった場所の扉を開けると中にいたブロンドのナースに声をかける。
「今日はどう?」
ナースはゼロを認めると軽く会釈をした。
「ご機嫌斜めです」
「そう」
ナースの隣に立ち、そこに横たわる少女の姿を見下ろした。ベットに横たわる少女の体は沢山の管に繋がれている。両手をパタパタ動かして自由にならない体に苛立っているようだ。
「ララ。調子はどう?」
ゼロは少女に話しかけた。ララは苛立った顔で両手で管を取れと動かした。
「駄目だよ。君、昨日足を取ったばっかりだろ?もう少し我慢すれば外してあげられるから」
ララはむすっとしてもう一度手を動かした。ナースはそれを見てゼロを見る。
「どうしますか?ずっとこの調子なんです。必要最低限に減らしても大丈夫かとは思いますが……」
「そうだね。じゃあ、そうしようか」
「はい、では処置しますね」
ゼロは傍に置いてある資料を取り上げるとそれに目を通した。隣でナースは少女の体に触り、幾つか管を引き抜いている。引き抜くたびに小さなうめき声がしたが完全に終わるとララはホッとした顔を見せた。
「痛かったでしょ?ごめんなさいね」
ナースは優しい言葉をかけて頭を撫でると部屋を出て行った。ゼロはベットの傍の椅子に腰掛ける。
「ララ、少しは楽になった?」
ララは大きく頷いて、首元で指を動かした。
「ああ、声ね。もう少し待って……回復したらきっと話せるようになるよ」
少し不満そうな顔にゼロは顔を近づけた。
「いい子にしておいで。悪いようにはしないから。いいね?」
ララは顔を赤くすると頷いた。
「いい子だ」
ゼロは立ち上がると部屋を出る。扉を閉めると外にさっきのナースが立っていた。
「ドクター、ララの様子ですが……回復はしていますね」
「そうだね」
ナースの首筋から髪に触れて無防備な肩に触れる。
「だめですよ、こんなところで」
彼女は優しく微笑むと壁に背中をつけた。ゼロも壁に手をつき彼女の顔を覗き込む。美しい顔から細い首筋に豊かな胸のラインを辿る。彼女はララ付きのナースだ。
「ドクター、まだお昼ですよ?」
「フフ、そうだね。ララが回復したらお祝いでもしようね」
ゼロはナースにキスをすると彼女は頷いた。
「ええ、もちろん。もう戻りませんと……名残惜しいですが」
「うん、ありがとう。また後で」
ナースが行ってしまうと廊下の向こうでゼロと同じ白衣を着た男がやってきた。
「また、こんな所で」
彼は機能専門の医者だ。少し小柄で妖精の一族らしい。
「やめてくださいよ?ナースたちにちょっかいを出すの」
「フフ、ちょっかいじゃない。手を出してるんだよ」
「風紀の乱れです」
ゼロの隣を歩きながら彼は膨れて視線を上げた。
「そうそう、あの部屋の子ですけど」
「ララかい?」
「ええ、回復が早いですね。運ばれてきた時はどうかと思いましたが」
「ああ。足は殆ど食われていたからな」
「なんですかね?生贄信仰とかいう奴なんですか?ああいうの。いやですね。生きたままなんて」
「フフ、ララは幸運なほうさ」
「そうですね、少し前の背中を切られた子なんて目も当てられませんでした」
「ああ、あの子ね。あれは生贄どうこうじゃなかったけど、生きたままで何かするのは拷問だから」
「そういえば捕まったんですよね?それの犯人」
「ああ、そうなの?」
「昨日深夜遅くにニュースで」
彼は手に持っていた資料の中からメモ用紙を取り出す。忘れないようにメモをするのが習慣らしい。
「ああ、昨日は取り込み中だったから」
「またですか?本当に忙しい人ですね」
「ハハハ。今度は君も呼ぶよ」
ゼロの言葉に彼は首を横に振った。
「いいえ、結構です」
「つれないな」
「あ、話は戻りますがあの子。足の回復できるんでしょうか?」
「ああ、無理じゃないかな。そもそも擬態したものじゃなかったから組織もほぼ残ってないし。文字通り食い尽くされたってやつだから」
「気になるのは背中の傷ですよね。あれもやられた後ですよね?」
「うん、なんか肝を食べると長寿みたいなのだよ。あれも」
「ああ、人魚ですからね。でも稀ですよね?本来は人の形で生まれるものじゃないですか?」
「ああ、そうね。時々あるんだよね。あの子は足が魚って形で生まれて、親が売り飛ばしたからなあ……」
「引きますね……」
「……救急隊の話だと本当にまな板の上の鯉だったみたい」
ゼロの話を聞いて彼は青い顔をして苦虫を噛み潰した。
「嫌な話だなあ……、ちなみに犯人のうちの一人は中毒で死んだみたいです。ほんと、天罰ですよ」
「中毒ねえ……」
ゼロは言葉を濁した。中毒でごまかされてはいるが実際に自分に合わなければ毒にもなる。何かの理想のために誰かの犠牲にした代償か?
「ああ、それはそうと。ナースステーションでドクター探してましたよ?」
「ああ、ありがとう。じゃあ行くよ。またね」
隣を歩く彼の背中を下からすうっとなぞり上げて肩をぽんと叩いた。彼の顔が真っ青になり小さな悲鳴が聞こえたが、ゼロは振り返らなかった。
ナースステーションの前は何故か混み合っている。中のナースたちがゼロを見つけると急いでくるように手招きした。ゼロはゆっくりとその様子を見ながらナースステーションに入る。人の群れには見知った顔もあるがどれも皆、健康そうにも見える。ナース長のオガタがゼロを見ると目を吊り上げた。
「ドクター!いい加減にしてください。またカプセル配ったんですか?」
「うん?」
「皆調子が良いって言って退院を希望してるんですよ!まだ骨折してる人もいるってのに!」
「ああ、そういえば配ったっけ?」
「ドクター、覚えてないんですか?あ、また!酔っ払ってたんですか!」
ゼロは腕組をしてオガタを見下ろす。彼女は怒らなければ魅力的な人なんだが、どうにも怒りっぽい。
「うーんどうだったかなあ。覚えてないけど、元気になってるなら退院させなさい。ベットに空きもできるでしょ?」
「もう!また経理にどやされますよ、何ヶ月プランで入院してる人が満期でない場合は小額に設定されてるって」
「そんなプラン作るからじゃないの。元気になるほうが大事じゃないの」
オガタは大きな溜息をつく。
「ドクター、経理にはドクターの仕業だって話しておきますからね。もう!」
「プリプリしないでよ。せっかくの素敵な顔が台無しだよ?」
ゼロはオガタの眉間に人差し指を触れると微笑む。それに心底うんざりした顔のオガタが言った。
「本当にたらしですね」
「じゃあ後よろしくね。経理には今から話をしてくるよ」
ナースステーションを出て上階にある経理室に向かう。エレベーターのボタンを押すとすぐ傍に見知った顔が現れた。青年は顔色がよくゼロの顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。エレベーターが着いたので一緒に乗り込む。扉が閉まると青年はゼロの腕の中に飛び込んだ。
「会いたかった。先生の言うとおりちゃんと元気になりましたよ」
「そうだね、顔色もいいし以前よりも素敵になった」
「でも胸がぽっかり開いてしまう、先生に会いたくなっちゃうんです」
「フフ、じゃあ明晩あの部屋においで。君のために時間を作るよ」
青年は破顔すると大きく頷いた。
「約束ですよ?ちゃんと行くから待っててね?」
「もちろん。君を待ってるよ」
エレベーターが止まり青年は降りていった。ゼロはエレベーターの壁にもたれるとふふと笑う。あの子も元気になった。酷いジャンキーだったのに今は学生をしてるって言うじゃない。僕は幸せものだなあ……。他の子だって健康になっていく。優しくしてあげれば優しさを返してくれる、こうしたことをもう少し早く知りたいものだったけど。
エレベーターが上階に着き、扉が開くとゼロは目的の部屋へと歩き出した。ノックもせずにドアを開けて中を見渡す。経理の部屋はだだっ広い部屋の端に机と棚が置いてあり、机の上のモニターとにらみ合いをしている男が一人いるだけだ。
「来たよ」
ゼロが中に入ってからドアをコンと叩く。モニターの後ろからひょこっと顔を出した男はこの世の汚物でも見るかのような顔をした。
「来ましたか」
「なあにその顔?失礼じゃないの?」
ゼロはドアから部屋の端まで歩いていき机に腰掛ける。
「あんたのせいでこっちは色々大変なんだよ。パトロンまで文句つけてきたくらいだ」
「へえ、大変なこったね」
机の上のネームプレートに手を伸ばしてその文字を指でなぞる。経理部ヘインズと書かれたプレートはキラキラしていて、机の上も埃一つない。
「相変わらずこの部屋は綺麗なことだね。ヘインズ」
ヘインズはしかめっ面でゼロを見る。
「あんたとは違うんだ。それで、どうするつもりなの?」
「どうするって?」
「はあ、病院は客がいてナンボなの。病人を健康にしてどうするんだよ」
「また……信じてる人が聞いたら泣いちゃうようなこと言うんじゃない」
「綺麗ごとじゃやってけないだろ。本当にもう……」
くしゃくしゃの髪をわしわしかきむしって、ヘインズは歯をむき出しにした。
「退院が半分を超えた、しゃれになってないよ。しかもプラン外だから小額になって儲けにもなりゃしない」
「でも評判は上々なんでしょ?」
「確かに。でも本当にいい加減いいのが出来たからってカプセルを配るのを止めてくれないとこっちもお手上げだ」
「フフ、あれも治験なんだけどなあ」
「あんたは腕がありすぎるんだよ。治るようなもの作ったら駄目だろ」
ゼロが苦笑するとヘインズは椅子にもたれた。
「なあ、ドクターゼロ。以前のようにまた作れないだろうか?あの頃は繁盛してたんだ」
「またジャンキーを溢れさせるの?あの時も少し問題になったじゃないの」
「ああ、前みたいにするのがいいって俺は思ってるよ」
「へえ、恐ろしいことを言う」
「仕方ないことだよ」
ヘインズは煙草を銜えると火をつけた。
「この世界は金だからな」
「もういらない世界でもあるってのに?」
「ここの連中はそうなんだよ」
「ふうん、アレはうまく行ってるみたいじゃない?ヴァンプ用のカプセル」
「ああ、今のところはアレが一番金になってるな。でもその裏で火事になってちゃ話にならんだろ」
「法外な値段じゃない。僕としては本当に必要なヴァンプに対して適切な対応してくれるなら文句は言わないけどさ」
「ハハハ。そういうと思ったよ。そもそもあんたがアレを作ったのだってそれのためだしね」
ゼロは腕を組んで大きな溜息をついた。
「君たちがすることには文句は言わないよ。トリップ用のカプセルも使えばいい。でも僕は好きにさせてもらう」
ヘインズは煙草を吸い込むと、ゼロの顔めがけて煙を吐き出した。
「じゃあ交渉成立だ。トリップ用のカプセルを少し改良して使わせてもらう。ドクターゼロ、あんたも忙しくなるかもな」
ゼロはひょいっと立ち上がると片手をひらひらと動かした。
「ほんと、辞め時はいつなんだろうね」
「今じゃないのは確かだよ」
ヘインズの声が聞こえたがゼロは何も言わずに部屋を出た。
エレベーターの中でゼロは腕を組み大きな溜息をつく。このエレベーターで上階へ行くたびに同じ気持ちになる。いずれまた違うことで交渉材料にされてしまうんだろう。こんな時シヴァに会いたくなる。きっと話をしたら優しく抱きしめてくれるだろうか。いや多分足蹴にされて終わる気がする。自業自得だと。
ゼロはエレベーターを降りると地下用のエレベーターに乗り継いだ。この病院自体は元々小さなものだった。殆どゼロのおかげで大きくなったといっても過言じゃない。ゼロ自身は経営や金に執着することがなかったから放置していたが、いつの間にか悪魔が住み着いているようだった。
「病院ね……」
エレベーターが止まり扉が開いて廊下を歩く。この地下はゼロが作ったものでゼロに関わるものしか入れない。存在は知られているものの別段クレームがついたことはなかった。彼らが来たいと言えば拒むことはないしゼロはそんなことに興味はない。昨日もやってきた部屋の前に立ち扉を開ける。病室を抜けて奥の部屋に入ると女性が二人楽しそうに酒を飲んでいた。
「あら、こんばんは」
ベットに座っているのはこの病院のナースで、美しい赤毛の女と褐色の女だ。どちらも輝かしいばかりの美貌で、手に持ったワイングラスすら芸術品のように見える。
「やあ、来てたのか。嬉しいよ」
ゼロは二人の女性にそっと手を触れさせる。
「こんなに美しい宝石がここに存在するなんて」
「フフ、ドクター、今日は大変だったんでしょ?聞いたわ」
「ええ、本当に」
彼女たちはゼロの体に触れると優しく微笑む。
「……ドクター辞めるときは必ず話してね?私たち皆ついていくわ」
「ええ、そうよ。皆、同じ気持ちよ」
ゼロは二人を抱き寄せると頬にキスをした。
「ありがとう。君たちはエンジェルだね。でもそうなるとここが潰れそうだからもう少し我慢してみるよ」
「フフ、そうね」
赤毛の女がグラスを置いて服を脱ぐ。ライトに照らされて美しい体に赤い髪がまとわりついた。
「慰めるわ」
褐色の女もまた服を脱ぎ、彼女たちはベットに美しく座る。ゼロは微笑むと彼女たちに覆いかぶさった。
何度も繰り返す熱い息、美しい体が目の前で踊るのをゼロは快感の中に見る。なだらかなカーブに指を這わせては、彼女たちの瞳に映る刹那を見た。この部屋で行われる行為はゼロにとって幸せな行為だ。心が満たされ繋がる体から優しさを感じられる。全てが終わり空気が冷めた頃、また日常が始まったとしてもここで交わしたものは変わらない。行為を済ませてシャワーを浴びると、すやすや眠る女たちを残して部屋を出た。いつもの顔に戻り、この時間は静まり返った場所へと進んでいく。
D棟は重症患者を多く抱えている。ゼロは廊下をゆっくり歩いていくと目的の部屋のドアを開けた。部屋の中は小さな灯りがついている。小さな灯りはベットの上で少女を照らしている。
ゼロはベットの傍の椅子に座り少女の手を握り締めた。少女は薄目を開けてゼロを見つけるとにこりと笑う。
「ララ、まだお休み。ここにいるからね」
ララは頷くとゼロの手を頬に引き寄せて、幸せそうな顔をして目を閉じた。
ここに入院してからゼロは彼女のために夜な夜なやってきては夜を過ごしている。
親もなく、ナースが付いているとはいえ寂しいのは変わりないだろう。何かしてやれるわけではないが、そんな気持ちで傍にいる。
ゼロはララの髪を整えて頭を撫でる。それに反応してかララは握っていたゼロの手にキスをした。地下で誰かと体を合わせることでも幸せを感じられる。けれどララとのこの時間もゼロにささやかな幸せを感じさせていた。きっとゼロに娘がいればこんな感じだろう。ララといると色々と思い出す。彼女と結
婚式を挙げたのはいつだったろうか?ララに良く似た髪の色の女性だった。彼女は当時夜の女王として森で君臨していたものの、エルフのゼロに恋をして堕落したとして森から追い出された女だ。ラミアの姿から人間の体に擬態してゼロの元へ嫁いできた。そういえば……最近会ってないな。最近と言ってももう三百年ほど前の話だけど。
ゼロはふうと息を吐くとベットにもたれて目を閉じた。消毒薬の匂いが鼻についたが、すぐ傍でララの寝息が聞こえてゼロは微笑む。いずれ彼女も退院できる時期が来るだろう、保護施設があるだろうか?それとも親代わりとしてララを引き取ることも考える必要があるか?でも今は疲れた……。ゼロはララの寝息を聞きながら深く眠りについた。




